第18話 黄金の少女 パート1 Tactical Exposure part 1

 文書情報のヘッダに続いて、山麓での出来事が匠の一人称で書き綴られていた。


 3/11/2195 16:15-17:01

 SST-CE-092907

 Subject:Takumi R. Hidano

 male: age 22

 category: text *Unknown type of reaction.Refer to footnote.

The following content has been written by the subject without his knowledge of, or memory of doing so. An automatisme phenomenon is strongly suspected.

==============

(Log on) 16:15 JST

==============


 草地の上空に達した時、突然エアバイクのシステム警告音が鳴った。モニタースクリーンから地図が消えてエラー表示が点滅している。風も強いためとりあえず着地して計器類を確認することにした。

 速度計や電池計などバイクの計器データに異常はなく、命綱のバイクの機動系統も正常でひとまず安心した。

 ところが、地図データをリセットしても現在位置が表示されない。GPSが機能していないらしい。衛星に不具合が出たのかもしれない。自動データ通信機能をチェックすると案の定、衛星通信の信号が途絶えている。衛星通話もダメだ。

 太陽電磁波か何かの影響で衛星通信に不具合が起こるのは、別に珍しいことじゃない。でも、ここで連絡手段が途切れると何か起きたら孤立無援になってしまう。


 異変は他にも起きていた。放射能警告ランプが消えている。どうなってるんだ?ひと目見て計器の故障かもしれないと思った。この一帯で警告基準値の0.3 μSv/hを下回るはずがないからだ。

 空間線量も大気中のダストモニターも目を疑う値を示している。0.005 μSv/hと.0003 mBq《みりべくれる》/m3。そんな馬鹿な!?

 自然放射性物質までがほとんど消滅してしまわない限り、こんな低い値はあり得ない。頭が混乱してきた。しかも目の前でさらに値がじわじわ下がって行く。信じられない。


 計器が故障するほど高線量を浴びたはずはない。高い線量を感知すれば、即座に緊急警告音が強制的にオンになり、シティにも緊急通報が自動的に送信されるからだ。

 衛星通信はつい先ほどまで機能していたから、安否確認の連絡が入っていなければおかしい。それにバイクに装備した空間線量計と、防護服の携帯用モニターの両方が同時に故障するとも思えない。

 何がどうなったのか理解できなかったが、ちょうどいいかと気を取り直した。この場所の土壌サンプルを持ち帰れば、放射性物質の核種と濃度も詳しく分析できる。計器の異常なのかどうかもはっきりわかるだろう。


 採取道具を取り出して、一か所だけサンプルを取った。採取場所のラベルを貼って他のサンプルと一緒にバイクの収納スペースに入れた。

 バイクに跨ろうとした瞬間、バックミラーに何かの影が映った。反射的に振り向いたが、緑の芽を出し始めた雑草が混じった冬枯れの芝生と、ところどころ赤茶けた森林が辺りを囲んでいるだけで動物の姿も見当たらない。


 フィールドトリップでは、鳥の他にも猪や鹿や猿をよく見かける。それでも、この山麓周辺では高濃度汚染の影響が長引くに連れて、一時増えていた野生動物の数は頭打ちになっている。

 もともと野生動物は治るかあっさり死ぬかどちらかだ。人間が目にするのは健康な個体だけだ。人がいなければ野生動物は急激に増えるが、だからと言って放射能の影響がないとは言えない。

 見えないところで人知れず放射能の犠牲になる野生動物の生態は、国内外の共同研究チームが、近年になってようやく調査を始めたばかりだ。

 いずれにしたって、人類なんて野生の動植物から見たら、とどのつまりは最凶最悪の外来生物でしかないのだろう。


 そびえ立つ山脈の方角を見渡しても、目に入るのは強風にざわめく森と、過去の亡霊のように冬枯れの山裾に小さく埋もれた建築物だけだった。アポカリプス以前、この地にはスペインのアランフェス王宮や、ギリシャのパルテノン神殿を再現したリゾートがあったらしい。その廃墟かもしれない。


 気のせいか・・・初めての高濃度汚染地帯でひどく緊張してるからに違いない。やれやれだ、と向き直った瞬間、僕は思わず「うわっ!」と叫んで後ずさりした。


 文字通り目と鼻の先、身体がぶつかりそうなくらい近くに若い女性が立っていた。輝くようなプラチナブロンドの髪に、紺碧こんぺきの瞳、色白の顔にはマスクさえしていない。

 白く長い手脚はTシャツと短パンからむき出しで、おまけに裸足ときている。焦ってまた一歩後ずさったが、重い防護服を着ているうえに気が動転していたから、足がもつれて危うく転倒しそうになった。


「だっ、誰だ、君は?」


 突発的な状況だから、間の抜けた陳腐な言葉しか出ない。女の子は首を傾げて一心に僕の顔を見ている。女の子と言ってももうハイティーンに違いない。すらりとしているが胸も腰も女性らしい優美な曲線を描いている。


 何も反応がないから、外国人で日本語がわからないのだろうと試しに英語で話しかけた。

「びっくりしたよ。ここで何をしているの?防護服なしでここに居たらとても危険なんだよ!」

 でも、彼女は首を傾げてじっとこちらを見つめたまま無言だ。


 手首にIDを付けていないからシティの住民ではないらしい。自動通訳のモジュールがあれば、IDで世界各国語で会話ができるのに、この子はイヤーモジュールもヘッドフォンもおよそデジタル機器らしい物は、見たところ何ひとつ身につけていない。

 生意気そうに見えるほど意志の強そうな顔立ちだが、目つきもしっかりしている。何か精神的な病気を抱えているようにも見えない。スペイン語ならどうだろうと思ったが、放射能って何て言えばいいんだ?

 あいにくIDは手袋をきっちり重ねて密閉した防護服の下だから、自動翻訳機能を呼び出すのは無理だ。聴覚障害かもしれないと思いついて、あまり得意ではないが手話を試してみようと両手を上に挙げた。


 その途端、彼女の目から涙が溢れ出した。唇を震わせながら両手を伸ばして、外側から包み込むように僕の両手を優しく掴んだ。そして、いきなり肩に手を回して抱きつくと、防護服の胸に顔をうずめた。

 わっ、なっ、何なんだっ!?びっくりして身動きもできずされるがままだったが、すぐ気を取り直した。防護服には放射性物質が大量に付着している。こんな軽装でマスクもなしで抱きついたら、この子は間違いなく放射性ダストを吸い込んでしまう!


 あわてて両手で引き離そうとした瞬間、彼女が呟いた一言にその手が止まってしまう。


「父上・・・」

 

 顔をうずめたままだだし、全面マスク越しだけど、ヘルメットには集音装置も付いている。確かに日本語でそう聞こえた。


 ち、父上・・・???もちろん僕に子供はいない。第一、どう見たってせいぜい五歳ぐらいしか歳が離れていないのだから娘のはずない。どうかしている!やっぱり何か精神的な問題があるのかもしれない。さもなければ、こんな危険な場所を部屋着姿でうろついているはずがない。


 両手で肩をそっと掴んで引き離そうとすると、彼女は顔を上げてきっぱりと言った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る