A-4
「いい加減零花に会わせてくれよ」
焔のせいで毛だらけになった寝床で、槍に触れることはやめた。
「槍の使い方もわかっていないのに?」
「どういう意味だ。わからないなら使わなけりゃいいだろ」
「人と関われば槍を振るうことになる。それと、今の彼女は他人のことなど気にしていられんのだ」
部屋が変化する。あの夢で散々見せられた、血肉にまみれ壁に
隅のベッドで有刺鉄線でがんじがらめにされた零花が、その裂けた肌から滲む血を、スプリングマットレスの汚れの
「打ち勝ったはずの記憶にまた
「お前なんてこと、やめてくれよ、」
零花に近づこうとしたところを焔が止める。
「いじめたくなるんだよ。キュートアグレッションの延長だ」
「……嘘が見え透いてる」
「よくわかったな。目的を知りたければ私のところへ来い。私と零花の実体は廃工場の敷地の奥に空いた鉱山にいる」
また地下室のマットレス。焔の膝枕、手で目を覆われて。
――どうしてあんな疫病神を拾ったんだ。
「知らない。昔っからお節介なんだ」
――据え膳食わぬは男の恥だろう。
「そんなんじゃない。俺とあの子の記憶漁ったんならわかるだろ」
――お節介を焼こうと決めたのは、零花と初めて目を合わせたときだ。魅了を食らったんだよ。それまではあのようなケースを据え膳としか見ていなかった。
「……か、家族愛は能力なんかでどうにかなるもんじゃない」
――素直になれ。言語化される前の醜く獰猛な欲を咎める者はどこにもいない。認めて楽になれ。抑圧はさらなる怪物を生む。
「ほんと、悪魔みたいな奴だな」
――そう言っていられるのも今のうちだ。あんたが勝手に作った人形としての飛驒零花に会わせてやろう。彼女に何をしても、本人には影響せん。何をしてもな。
「どしたの、早く行こ」
振り出しに戻った。門をくぐる前に。
槍がない。車の扉を開け下りたところで、止まる。
オリジナルに会うために、記憶から勝手に生まれたこの子を置いていっていいのだろうか。
「さっきは私のこと、少しも心配してくれなかったのに」
今までに見せたことのない笑みと一緒に、零花が後部座席に俺を引き込んだ。
「全部憶えてる。変なうわ言並べながら、槍で私を斬り殺したことも」
さっき殺されたときと同じ体勢で、今度は零花が抱き返す。
「据え膳食わぬは男の恥でしょ」
「意地汚いぞクソ狐、零花になんてこと言わせやがんだ」
「うわ言はいいからさ」
さっきは意識していなかった。ここまで接近して初めてわかる、自分とは明らかに違う、もとは他人だと嫌でも認識させられる、家固有の体臭。
本当は家族なんかじゃない。二人でだらだらと家族ごっこをしてきただけなのだ。
「お前がそんなこと言うわけないだろ、お前まで悪魔になった日にゃ――」
「でも私は久の記憶でしょ、言わせてるのは久なんじゃないの?素直になりなよ」
こんなこと言うはずがない。黙って首に腕を回して身体を引き上げ、車から連れ出す。
離れるなよ。再度言う。あの言葉こそ、彼女の強さを認めていないからこそ出たものだ。しかし今回は、認めているかどうかは正直わからないが、どうも単なる寂しさから出たのだろうとも思う。親子が離れて寂しがるのは子より親のほうだ。
本当に、百パーセント親と子の関係として接しているか?
……自分の家系と違う匂いを突きつけられたとき、胸がざわついた。他人としての意識が芽生えた。
脂ぎった手で、気づいたら零花の手を握る力の加減を忘れていた。
「また難しいこと考えてる。旅行のときくらいオタクムーブやめなよ」
「ごめん」
「そういうとこだよ」
「どういうとこだよ」
いつもの飛驒零花、順調に生意気な、人として発展途上の厨房だ。さっき見せられた異様など微塵も感じられない。
錆びた軌道跡に沿って敷地の奥へ歩く。工場跡と聞いていたが廃鉱山のようだ。もちろんこれも焔の記憶が混じった舞台、あるいは記憶そのものである可能性が非常に高い。
大人が両手を広げて二人並ぶ幅の坑口に着いた。入ればいいのだろうか。奥が見えない。左に寄って敷かれたレールを頼りに進めば……
「私と零花の実体は廃工場の敷地の奥に空いた鉱山にいる」この言葉通りなら、この奥は
零花が腕を引き止めた。見ると血の気が引いている。
「……行けない」
「なんだ抱っこか?行かないと」
「や待って、えっと、その、あっ」
てこでも動かない。呼吸置く。
「……よし。理由を教えてくれ」
「坑道に転がってる石から放射線が出てる。身体が痛くって」
異様に高い再生能力は、遺伝子の参照を必要とする。放射線の電離作用で破壊されたDNAをもとに再生を始めると誤った形質を読み取ってしまう。その誤りが小さいうちは痛みなどの感覚として神経に訴える程度だが、大きくなると大変なことになる…… らしい。
日本にウラン鉱床は存在しても、事業として採掘していた場所はないはずだ。ましてそれを道に捨てるなど……
きっと、これは焔がわざわざ用意した仕掛けなのだ。記憶の人形を離し、できるだけ自然に現実世界へ俺を戻すための。
「でも俺、この先に行かなきゃならないんだ」
……説明したところで何になる。
しかし零花はじっと、こちらの話を聞くつもりでいた。
「零花が全部憶えてるなら、ここが現実じゃないってことも知ってると思う。そうだよな。いつか現実には戻らなきゃいけない。戻してもらうために、今からこの先へ行って交渉するんだよ」
「……離れるなって言ったのは誰だっけ」
「この前夢の中で言ったこと、憶えてるよな。俺の記憶なんだもんな。記憶なんか捨てようがない。いつまでも一緒だろ」
行ってくるよ。手を離し、闇に向かって歩き出す。
「……」
足元の線路を頼りに奥へ進む。こんなことなら車からライターを持って来ればよかった。この先に誰かいることを疑うほど、先の先まですっかり闇で、振り返ればいつまでも、零花が立ち尽くしこちらを見つめている。もう彼女にこちらは見えていない。
地下水の滴る壁に触れた指が痛い。……痛い? いや熱だ。熱を帯びているように感ぜられる。壁を頼るのはやめた。
「おかしい」
歩き始めて少し経った頃。ひどい倦怠感が全身を襲う。次いで吐き気に動悸。何がこれを引き起こすのかはわかっているが、それにしても、
「なんだ、強すぎる」
急性放射線障害だ。資料でしかその症状を知らない。それによると数分でこの有様では、天然ウランから受けたとは思えない吸収線量だ。
これは現実じゃない。渡りきってしまえば醒める。
血を噛んだ。鼻腔までも鉄臭い。活動限界が早すぎる。闇に目も慣れずまだ体感で十分。
自分が歩いているのか、いや立っているのかすらもはや認識できていない。身体は鉛のように重く、意識は今にもどこかへ飛んでいくようだった。
遠くに明かりが見えた。
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