B-4

「焔さん、その子は?」

「誰でもいいだろう。上に行っててくれ」

 ……さて。

「あの蛇とお楽しみだったようだな?」

「……そんなんじゃ。あんたがなんにも教えてくれないからでしょ」

「教えられる限り教えたさ。もう話すことはない。続けよう」

「だから、何をすればいいの。なにが儀式なのさ」

「言ったろう。行かねば何も動かん。ということはだ、和製ロールプレイングゲームは、行けば勝手にコトが進むようにできている。その壺は……あんた自身が意味を見出しなさい。……新しい情報というわけではないが、儀式というのは、『儀礼的な式』だ」

 儀式が具体的に何を示すのかはわからないが、自分が柳のもとへ足を運ぶことがその儀式をすすめることになるのはわかった。

「……でも。世界を終わらせるなんて」

「終わらせるなんてできっこないか、したくないか。まあどちらでもいい。しかしな、これは何億年も前、いやそのときに時間というものがあったかわからんが、とにかく既に決められたことだ。終わらせるために動くしかない。動けば終わる。どう動こうとそれは太古に決められた行動だ。自由意志とは幻想だな」

「……やだ。疲れた」

「別に休んでいったっていい。ただ行く意志がなければ、おれのワガママも聞いてもらうぞ」

 焔の頬を力いっぱいひっぱたき頭から布団を被る。そこは狐の体臭で埋まっていた。


「!!……クソが!」

 目を醒ましたところで直感した。嫌な汗、不自然に乱れた布団、うぞうぞする下腹……!

ワガママを聞かされていた。あの狐、本当にやりやがった。匂いにつられてぬくぬく眠っている間に。


暗い森の一本道、石燈籠が延々照らす。虫も鳴かぬ寂寥を、どこからともなく流れ来た「通りゃんせ」のオルゴールが助長する。

「ここは……どこの細道じゃ?」

 投げやりにつぶやき歩く。濡れ落ち葉がスニーカーを包み返し腐葉の芳しさで送り出した。

 脈絡はない。いつの間にここへ来たのか、はたまた焔の術か、区別がつかなかった。

「でも、あいつ、神は信じないって」

 御用のない者通しゃせぬ。御用、とは? 七つのお祝いに、御札を納めに参るわけではない。何もわからぬまま、提示された環境に振り回されているだけだ。

 行きはよいよい、なのだ。

 オルゴールは見当たらない。その音色が勝手に背中を押す。

 着いたのは、小さな社殿だった。老朽でなく何者かにさんざん荒らされている。

 そして全開の内部に、その何者かは、胡坐をかいていた。天神様の彫像の首を抱えて。

「私は神にはなれなかったし、神などいなかったのかもしれない」

「……柳」

 天神に代わりこちらを見下ろす。

「もっとも、菅原道真は怨霊だがね」

 暗雲が灰色の雨を生み、社の背に稲光を現す。蛇は裸足で地を掴み、神をかなぐり捨てたその腕で、こちらの肩を持った。

 一歩退く。

「……違う。あんたはあんたの意思で動いてない。あんたが焔の記憶の一部なら、あいつの代弁をしてるだけでしょう」

 目の色が変わった。天変地異をも統べるような声で、応える。

「ガキが知ったような口を叩くな、私は私だ、たとえ売女の記憶の塊に過ぎずともな!」

 手は首に伸びていた。仰向けに倒れ馬乗りを許す。細い腕から想像もつかないような怪力に抗うすべもない。

「人間は黙って私に従っていればよい。お前の感情など、私の嗜虐心の燃料でしかない」

 この短い半生で何度目だろうか、意識は霧に隠された。



 地鳴りのような音で目を醒ます。まず目にしたのは、まるで枝でも踏むように木々をなぎ倒しのたうつ大蛇だった。自分を縦に三人並べてもなお足りぬほどの径を持つ蛇の右目が、こちらを捉える。

「やばい」

 来た道を駆け戻ると蛇もそれに続いた。長く太い舌がこちらを求め伸びる。

 柳だ。彼/彼女以外にない。こんなにも異様で貪欲な蛇は。

 獣道にあるどんなものも蛇の障害物にはならなかった。ブナの木ですら根本から倒れ道を開けてしまう。

 無闇に走るうち柳のいた村に出た。背を追う蛇を見た途端、村人どもは散り散りに逃げていく。結局ここを支配していたのはリーダーシップではなく、ただの畏怖だったのだ。

 どの建物に逃げようとも、壁ごとなぎ倒されるだろう。そうは思いながら柳の御殿に駆け込んだ。

 目論見通り。狭い地下は頭が入らないようだ。階段でつっかえて奥へは入れない。

 牢屋では変わらず柳の片割れが変な姿勢で何言なにごとか呻いている。その片割れを階段のすぐ下まで引っ張り出し、これ見よがしに頭を踏んづけた。そこで片割れがようやくこちらの存在と自分の置かれている状況を認識したようで、目に生気が戻っていた。

「ほら食ってみなさいよ!大事なお兄さんと一緒にさ!簡単でしょ!?そのくっさい舌をちょっと伸ばして飲み込むだけじゃないの!」

 蛇に表情はない。が口角が横に裂けたような気がした。次いで舌をうねらせ口を大きく開いてみせた。

 兄への情など、肉体を交換したその時に失っていたのだ。

 もう後に引けない。震える膝でなんとか体を支え立っている。儀式とやらは進み、またエロ狐のねぐらに戻るだけだ。


 そのはずだった。


「は、」

 濁流とも言える盛大な血しぶきを全身に浴びていた。自分が咀嚼そしゃくされたのでもない。大蛇の頭が、予兆もなく、唐突に破裂したのだった。

 蛇の首、血しぶきの爆心地から、声。

「なるほどようやく気づいたか、こいつはおれの言いなりだよ」

 全身を赤く染め、唇の血を舐め取りながら、焔がこちらに語りかけていた。

 記憶の中にいる限り、こいつはどこにでも現れ、全てをコントロールしている。薄々感じていたことを目の前で示された絶望にへたり込む。

「次へ進もう。答え合わせだ」



家。二階にある自分の部屋で、私とその雌狐は向かい合って椅子に座っている。

 何故、生きるのか。

「……わかんない。生きてるから、生きてる。このご時世に、生きがいなんて」

 ――だがあんたは死を避ける。黙って抱かれりゃいいものを。

「だって怖いんだもの。もうお腹いっぱいよ。あの略奪者と同じ。そんなこと言って、私のことなんかちっとも見てないんでしょ」

 ――性愛に意味を求めるのは人だけだ。我らには罪もタブーもない。

「だったらなんだっていうのさ。尚更相容れないんじゃないの。あんたも蛇もあの男も、まさにけだものよ」



「っ痛、……なに、」

 一面血にまみれた部屋の壁、血が乾くことのないベッド、細切れでゴミ袋に突っ込まれた人間…… 自分に覆い被さる、あの男。

 喉を過ぎたはずの苦痛が口を満たし溢れる。自他の境界は心して破るもので、侵すものではなかった。

「死人は黙っちゃいない。千の風が強者を切り裂くのが理だ」

 彼が私に注いだのは、歪められたかつての真理だった。しかし、

「っ、違う!あんた、誰よ!」

 見るとそいつは鱗を持っていた。变化へんげの隙を縫いベッドから飛び出す。と部屋はついの見えぬ土の廊に変わる。

 駆け出した裸足に巨大なまむしが絡みつき制した。続いてしなやかな蛇鱗じゃりんの男体がまた蛇の如く、肢体を締めつける。

「兎と蛇は共生できた。蛇は恒温性を求め、兎は力の傘を求める。なぜ私を拒む?」

「ちったぁ人の距離感ってのを学びなさい!」

 弱者を貪ったその口で共生を叫ぶ。強者の常套手段。所詮この蛇は、人の身体を得た、ただのけだものだった。

「ひとつに、なるんだ」

 宿主となった終齢幼虫のようだった。自分の腹から何尾もの子蛇が、全てを食い尽くし出るのを見た。



「……なに、開き直ってんの。何もできなかっただけでしょ、何もしないのが愛情だなんて言って」

 家の、居間。久と零花、二人が炬燵を挟み、正対する。

「俺だって考えたさ。出来レースとはいえ悔しかった。丸一日あんな状態で零花のことを放置してたんだから。だけどお前もわかってるだろ、悪行も助長もおんなじだってこと!都合よく人を切り捨てんじゃねえよ!」

「だったらなんでネギがカモを食べようとしたのさ!サタンにそそのかされたってわけ!?バカみたい」

「……何の話だ?ああそういうことか、……汝思う、故に汝ありだ。この世界、焔と零花の世界で」

 ……何の話だ?

 我思う、故に我あり。いつぞや本で読んだ。自分が知覚する全てのものの存在は確かでないが、少なくとも今そう考えている自分自身は存在するといえる。そんな意味だ。この性質上、主語を二人称や三人称にすることはできない。

 この世界、……焔と零花の世界で、つまるところ久はここに……

「……私、いつから一人だったの」

「その様子を見るに、俺が零花を見放さないと信じて疑わなかったわけだ。それで調子に乗ってめちゃくちゃなことを口走ったと」

「待って、やだ、行かないで」

 ちゃぶ台を踏み越えて彼を押し倒す。

「俺は違う。越生久じゃない。お前の記憶だ」

「もういい、お願い、ここにいて」

 久と同じ身体。

 久と同じ体温。

 久と同じ鼓動。

 なのに、彼は――



 自分の部屋にシミが増えた。

「人も殺せない吸血鬼もどきを気取っていたが、結局その手が血で汚れてちゃあな。かわいい顔して、とんでもないカマトトだよ」

「……なに、私とやれないとわかって怒ってんの」

 腕についた血、床に散ったむくろのコレクション。

「焔は虚無じゃない。こんなに私をかき乱すんだから」


 母といた頃のアパートの、押入れ。

 ふすまの外に一つずつ、壷のかけらを置いていく。

 誰なのかも言わず、零花のいびつな壺を割って、捨てる者もいた。

「なんで産んだんだろう」

「拾ってあげたんだから差、これくらいいじゃん」

「すまん、殺しちまった」

「おれのワガママも聞いてもらうぞ」

「何なんだよ、お前」

 ぜんぶ捨てられて、居場所はなくなったと思っていた。

「……でも。久は」

 たった一つ残った、鈍く光の跳ねる壺を、

「壊さなかった。気づいてくれた」

 その久を、

「……私が殺した」


 ――あの男と同じだったんだよ、あんたは。


 シミだらけの零花の部屋を鮮血が上書きする。腹の痛みは後から自覚し始めた。


 ――あんた自信が壊したんだろうに。

 破片の山に座り込み、最後に割れた壺を抱く。


 何故、生きるのか。


 瓦礫の山の頂上に、彼女は正座していた。

「……、」

 膝に純白の壺。自身の肉体とその磁器の他に、飛驒零花を表す記号はない。

 越生久がかつて守った、最後の壺。

 他人に揉まれ晒されて、結果唯一残された、ジョハリ・ウィンドウの第三象限。

 もう必要ない。

 枯れた涙は何を濡らすでもない。代わりにその手で最後の壺を割った。


 ようやく、答え合わせが始まる。

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