『考える』は『神反る』

ドラゴン西

第1話 『考える』は『神反る』

考えるの語源は神返るだそうです。

これは、考えるという事が、たくさん持っている知識や経験から、答えを導き出そうと考えるから、というところから来ているようです。

つまり分かれた多数(客体、客観)から一つ(主体、主観)に返る。

つまりその一つこそ神であり、主体である自分自身であるという事です。

神社に神さまがいると思う方が多数だと思います。

しかし、あくまでも今申し上げた通り、神様とは、主体である自分。

神様を自分とは違う対象、つまり主体ではなく客体として拝むという行為は、『おろがむ』と言って愚かな行為として見做される事もあるようです。

今までの文明は、物質的に豊かにすることを主眼に置いて、社会をつくってきました。

どうやら、その一つの時代が終わり本当の自分、本当の社会を思い出す時が近づいているようです。

今までは物質を豊かにするために、本質である自分自身を否定するかのように、本質に目が向かないように、神社や別の物を拝む行為が主流とされてきました。

しかし、いよいよ一人一人が主体となって考える。

救世主は自分である。

そしてその時が『今である!』

ワクワクしませんか。

あなた自身が神であり、創造主なのです!

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『考える』は『神反る』 ドラゴン西 @nishino05

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