ダニー編

 日が暮れ始め、残っている生徒も少なくなった校舎に、男子生徒が4人たむろしていた。ハイスクールだけでなく、村でも有名な悪ガキ、ダニーと仲間達だった。

 無駄に暴れ回ったりする訳ではないが、いつも数人で集まり、ろくでもない、くだらない事ばかりしていた。


 その日は特にする事もなく、校舎の3階の廊下で、グダグダしていた。

「なんかねぇかなぁ」

 暇を弄ばせてアルが嘆く。

 一番小柄な少年だが気が短く、すぐに手が出る暴れ者だった。

「こんな山ん中じゃなぁ」

 溜息交じりにビルが応える。

 グループの中では大人しい性格で、基本優しい少年だ。恵まれた大きい体なのに、インドア派で、特にスポーツもやらず少し太り気味だった。

「ん? 誰か来るぞ」

 クールな大人っぽさがある。と、自分では思っているエリックが、珍しく近づいて来る誰かに気付いた。ビルと同じくらい背は高いが、ほっそい体をしていた。基本はくちさきだけの臆病者で、大概の人間に嫌われていた。


 ダニー達に近づく者は、教師でも滅多にいないのに、3階に上がってきた人影は、ゆっくりと、何故か摺り足で黙って近づいていく。

「アリソンじゃねぇか。よぉ! 珍しいじゃねぇか、どうしたんよ?」

 カリスマのある嫌われ者、ダニーが近づく人影に声を掛ける。

 彼は勉強の出来る、厄介な不良生徒だった。ペーパーテストは特に得意で、いつもほぼ満点だったので、偉ぶりたい教師には嫌がられていた。

 1年分の授業を3日で頭に入れているので、授業を真面目に受けなくとも、教師は文句が言えず、真面目な生徒からも嫌われていた。

 それを気にしない教師、生徒からは、男女共人気があった。

 ダニーは引き締まった体をしているが、トレーニングで鍛えたものではなく、実戦で、人を殴ってついた筋肉だった。最近の悩みは村に相手がいなくなった事で、もう熊でも殴るしかないかと、本気で思い始めていた。


 薄暗くなって来た校舎で、そんな4人に近づく女性は教師のアリソンだった。

 まだ教師になりたて3年目で、割と男子に人気の活発な女性だ。

 だったのだが……うつむき、足をズルズルと引き摺って歩いていた。

「ミス? ミス・アリソン?」

 様子のおかしい教師アリソンに、ビルが声を掛けるが返事がない。

「アリソン! どうしたんだそれ」

 ダニーが叫ぶと、ビルが彼女に駆け寄る。

「酷い怪我だ。保健室……いや、早く病院へ行かなきゃ」

「老いぼれの内科と獣医しかいないぞ? ヘリか?」

 ヘリコプターを飛ばして、街迄送らないと助からないかもしれない。と思う程の酷い怪我に、少年達がオロオロと慌てふためく。


 短いスカートから伸びる、細く綺麗な脚は血塗ちまみれになっている。

 右の太腿が、何かにかじられたようにえぐれて、血が止まらず溢れ出ていた。だが、引きずっていたのは左足だ。そちらを見ると、足首が折れているのか、奇妙な方向へ曲がってしまっていた。結構、見た目は気持ち悪い。

 上半身はもっと酷い。白かったワイシャツは血にれ、時間が立っているのか赤黒く染まっていた。その血は彼女の首から、噛み千切られた首筋から溢れていた。


「すぐ運ばなきゃ。え? うわっ! あああっ!」

 ビルが傷ついたアリソンを抱き上げようとすると、虚ろな目をしたアリソンが彼に抱きつき、唇がビルの首筋に触れる。周りの仲間達が止める間もなく、大きく開かれたアリソンの口が、無防備なビルの首筋に噛みつく。

 牙もない歯がビルの肉を引き裂き、深く沈み喰い千切る。

 アリソンが口を放すと、ビルの首から廊下の天井まで血がほとばしる。

「わっ、うぁ……うわぁあああ!」


「ビル! ビルが喰われたぁ!」

 アルもエリックも、訳が分からずパニックを起こす。

 アリソンは、そのままビルに圧し掛かり押し倒すと、服を引き裂きながらビルを夢中で食べ始める。エリックは声も出せず、窓から吐いている。さらに、食事中のアリソンの向こうから呻き声と共に、教師と生徒数人が、ゆっくりと向かって来る。

「ダニー! まだ来てるよ! ヤバイ、なんかヤバイよ! どうする?」

 アルが騒ぐが、ダニーにも何かおかしいのは分かっている。後ろからも何人か来ている音がする。ダニーは窓の外を見るが、ここは校舎の3階だった。窓から顔を出して下を覗き込むと、ダニーは窓枠に登り2人に叫ぶ。

「アル! エリック! 飛ぶぞ! 来い」

 そう言いながらダニーが窓から飛び出す。

「はぁああ? と、跳びやがったぁ!」

「うるせぇ! 行くぞ!」

 普通に驚き躊躇するエリックを怒鳴りつけ、ダニーを疑わないアルが窓から跳び出す。床に倒れ、アリソンに喰われるビルを見て、エリックも跳ぶ。


 窓の下にはプールがあった。

 大きな音と共に、水柱が続けて2本立ち上がる。

 その直後に、グチャッと何かが潰れる嫌な音がするが、水中の2人は聞こえない。

「何なんだ、アレは。どうなってやがんだ?」

 プールから上がったダニーが校舎を見上げていると、アルがエリックを見つけた。

「ダ、ダニー……エリックが失敗しやがった。届かなかったんだ」

 エリックだけはプールまで届かなかったようで、プールサイドに頭から叩きつけられて、頭が割れていた。

 学校の外からも呻き声が聞こえてくる。

「ちっ、囲まれる前に逃げるぞ」

「ダニー……エリックが……ビルも……」

 いつも強気なアルだが、2人続けて友人の無残な死を見て壊れかけていた。

「煩せぇ。だからって、お前も喰われる気か? 今は動くんだよ!」

 ダニーがアルを掴んでプールの柵に投げつける。

「あ、あぁ……そうだな。分かったよダニー」

 自分を取り戻したアルは、ダニーに従うと言い、柵を乗り越える。


 プールの柵を越えると学校の裏手で、鹿の彷徨うろつく山の中に入る。

「先ずは村にアレが広がってるのかどうか、ダメなら脱出経路だな」

 道もない山の中を村へ急ぐ2人だったが、目の前の茂みが大きく揺れ、立ち止まり警戒すると、Ursus arctos horribilisが顔を出す。

 のっそりと歩いて茂みから出て来ると、ダニーをエサだと見たのか半開きの口から涎を垂らし、ゆっくりと体を起こし両手を高くあげる。

 体高1mになり、体長は2mを越え、体重は200Kg以上になるという気の荒い、山の暴れ者、灰色熊グリズリーが戦闘態勢に入った。


 しかし熊の目には生気が感じられず、喰い千切られたように腹が裂け、ボタボタと血とはらわたを垂らしていた。

「コイツもか……ダニー? まさか……」

 アルがダニーを見ると、目が輝いていた。やる気だ。

 ニヤリと笑うと、ダニーは恋人に会えたように嬉しそうに、王子様に抱きつく少女のように、熊の懐へ飛び込んでいく。

 振り下ろされる鋭い爪を躱し、その鼻を殴って後ろに跳び退く。

「ダメだ。コイツも死んでるな。動きが遅すぎる。どうするかな」

 熊と殴り合いがしたかったダニーはがっかりだが、鼻を殴られても怯まず、嫌がりもしないのは面倒だった。ダメージもあるのかどうか分からないので、急速にダニーのやる気が失せていく。

「遅いのなら、走って逃げられるんじゃないか?」

 熊を見て、何故殴り倒そうという発想になるのか、理解できないアルは逃走を促してみる。あからさまに乗り気でない顔をするダニーだが、怯まない熊と殴り合うのも面倒臭そうで、どっちにするか迷っていた。


 アルは落ちていた太い木の枝を拾うと、熊の腹の傷口に突き刺した。そのまま熊を後ろへ押し倒す。倒れた熊はモゾモゾとうごめいていた。

「さぁ、逃げるぞ!」

 熊との殴り合いに興味を失くしたダニーも村へ走り出す。

 アルは正直、200cmの灰色熊と195cmのダニーの殴り合いを見てみたかったが、こんな状況では、迫力の殴り合いも楽しめない。


 ダニー達は、村から走って森に飛び込んで来た2人に出会う。

「ダニー! アルも!」

 少女が2人に気付き、抱き着きそうな程の勢いで駆け寄る。

「ジャッキーか。無事だったか」

 ダニーがクラスメイトに気付いた。

「よかったぁ。ダニーとアルがいれば安心ね」

「パムも無事で良かったよ」


 ジャッキーとパムは、皆おかしくなった村から逃げて来たという。もう他に正常な人は残っていないという。実際にはまだ、まともな人間の方が多かったが。

「山の研究所だな。アソコへ行こう」

 ダニーが研究所を目指そうと言い出す。

「なんだってあんなトコへ」

「アイツらが絡んでると思うんだよ。この騒ぎにさ。ウィルスだとか何かの研究とかしてそうじゃないか。行けば何か対策もあるかもしれないだろ?」

 アルもダニーの言葉に納得して、賛成すると、少女2人もついていくという。

「ダニーと居た方がマシっぽいし。こんな時しか頼りにならないしねぇ」

 ジャッキーが心配するパムに言い聞かせ、4人は研究所へ向かって走り出す。


 4人が研究所へ辿り着くと、丁度一台のバンが入って来た。乗っているのは知らない男だったので、研究所の関係者だろう。研究員なら話が早そうだ。

「なんだい君達は、村の子か? 此処へ入っちゃいけないよ」

 車から降りて来たのは丸眼鏡の小柄な男だった。歳は30いっているかどうか、余り偉そうには見えない。持っている情報も大した事なさそうだ。

「村が大変なんです。急に人に噛みついて……」

 ジャッキーが男に訴えるが、それを制して男が答える。

「今見て来たよ。君達も中へ入りなさい」

 研究所の入り口をカードキーで開けると、男は4人をロビーへ通した。


 男はロビー脇の部屋に入り、白衣を纏って出て来た。

 研究員だったようだ。胸の名札にはハンクとある。

「見ての通り、僕は研究員のハンクだ。村で流行っている病気、だったりじゃないんだね? 今までにこんな事はなかったのかい?」

「アンタらが何かしたんだろ? 薬かウィルスを撒いたんだろう」

 アルが突っかかるが、ハンクは少しだけ眉を困ったように寄せるが、ゆっくりと落ち着いて少年に応える。

「ここは化粧品の研究所だよ。子供には想像力が必要だけれど、飛躍しすぎだね。それより、外の彼等をなんとかしないとね」

「出来るんですか!」

 パムが助かるのかと叫ぶ。

「いや、すぐにどうこうはできないよ。でも、この施設にある設備を使って、村からこの研究所へ集める事は出来るかもしれない。屋上のスピーカーから超音波みたいなものを流せば、音に寄ってくるかもしれない。その内に、君達は逃げなさい」

「逃げろって何処に……」

 困惑するジャッキーにダニーが答える。

「列車しかないな。この時期山は無理だから、駅へ行くしかない」

「今からなら、まだ夜の列車に間に合うはずじゃない?」

 パムも逃げられると思えると、元気が出て来たようだ。

「じゃあ、君達は駅へ向かいなさい。僕が奴らを引き付けよう」

 ハンクが奴らを集めている間に、駅へ逃げろと言う。

「いやいや。おっさんも行こうぜ。此処に群がったら、逃げられねぇぞ」

 ダニーが一緒に行こうと誘うが、ハンクは静かに首を振る。

「僕しか操作が出来ないし、村の子供達の為だしね。それに、この建物は結構頑丈なんだよ。助けが来るまで耐えられるさ」

 

 4人が外に出て駅へ向かうと、研究所からキィィっと甲高い音が鳴り響く。酷く落ち着かない胸騒ぎがするような、神経がザワザワする不快な音だ。

「オオォォォ……」

「ゥアァァ゛ァ゛ァ」

 その音に共鳴するかのように、村に居た奴らが呻き、研究所へ殺到する。

「うぉ、本当に集まって来た」

 近くの木に登ったアルが降りて来た。

「ゾロゾロ来てるぞ。巻き込まれないようにしないとな」

 村から来る、人だったものの群れを迂回して、4人は駅に向かう。


「もう、無理ぃ。ちょっと休ませてよぉ。足痛いってばぁ」

 パムがグズり始める。そういえば我儘で面倒な女だったと、ダニーは今更思い出す。ジャッキーがもうすぐ駅だからと声を掛けていた。

「キャッ!」

 家の影から倒れかかって来た男に、パムが押し倒される。

「ひっ……ト、トムっ。ハ、ハァイ。い、今は急いでるの。また今度ね」

 倒れて来たのは、近所のおっさんトムさんだった。いつもの陽気な顔とは違い、生気のない虚ろな目で、しかも血塗れだった。


「パム!」

 アルが跳び出して行く。

「ひぎぃ! いだっ、いぎぃっ!」

 パムに覆いかぶさったトムは、その胸元へ齧りついた。皮を肉を喰い千切られ、飛び散る血と痛みに、パニックになったパムは泣き叫ぶ。

「バカっ、やめろアル! 奴らが集まって来る」

 ダニーの制止もきかずにアルはパムに駆け寄る。

「離れろや! ゴラァ」

 アルに蹴り飛ばされたトムは、パムの上から転がっていき、倒れたまま、口に残ったパムの肉をクチャクチャと味わっていた。

 パムを助け起こしたアルは、肩を貸してパムを連れて駅へ向かいだす。

「もうすぐ駅だから。もう見えてるんだ。しっかりしろよパム」

 アルは泣きそうになりながら、パムを引き摺るように連れて歩く。

 ダニーも何も言えず、黙って駅へ向かう。


 だが、アルの思いがどうであれ、噛まれたパムが無事な訳がない。

「ん? ……なんだ?」

 何か聞こえた気がして、ダニーの足が止まる。

「どうしたの?」

「いや、駅の裏の方から人の声がした気がしてな。気のせいみたいだ」

 ジャッキーにそう答えると、パムとアルを振り返る。もう、駅は目の前だが、パムは無理そうだ。それでも置いて行く訳にもいかないだろう。どうしたものか。


「やめてっ! パムだめっ!」

 ダニーがそんな事を考えていると、いきなりジャッキーが叫ぶ。

「うがぁ! パ、パム?」

 肩を貸していたアルの首筋に、パムが噛みついた。目が白く濁り、光がなく虚ろになったパムは、友人の声も届かず、アルを貪り喰らう。

「だめぇ! パムやめてぇ!」

 ジャッキーが叫びながら駆け寄る。その叫びに、まだ周りに残っていた奴らが集まって来る。殆どは研究所に向かっているのに、こんな姿になっても集団行動ができず、勝手にはぐれる奴らは出て来るようだ。そんな逸れ者の群れに、ジャッキーが呑まれていく。ゆっくり、ゆっくりと、集まる群れに何もできず、呑まれていく。

 一人になったダニーは、駅の入り口前に彷徨うろつく数体を殴り倒していく。


「はぁ……はぁ……流石に疲れたな。あいつらフニャフニャしやがって」

 息を乱し駅に入ったダニーは列車の来るホームへ急ぐ。

「もう列車が来る頃だ。急がないとな」

 ホームへ上がる階段への曲がり角に、男が一人立っていた。油断していたダニーは男に捕まってしまう。195cmのダニーと変わらない、190cmの長身のじいさんが掴み掛る。虚ろな目の老人の手が、ダニーの喉を締め上げる。

「ぐぅ……くぁ、ボブ……か? くっ、ああっ!」

 ボブを蹴って、無理矢理引き剥がす。倒れたボブを掴んで、窓から捨てた。



 くそっ、油断してた。

 あの爺、やってくれたな。くそぉ、喉をやられて、まともに声が出ねぇ。

「う゛、うぁ゛っ……」

 ちっ、これじゃアイツらみたいな呻き声しか出やしねぇ。

 でも、この階段を登れば、すぐに列車が来る。

 生きて脱出できるんだ。

「ゲッホ……エホッ……」

 這ってでも登るんだ。もうすぐそこだ。

 やっと階段を登り切った。丁度列車も来ている。

 助かったんだ。

 ドンっと何かが体にぶつかる。

 バランスを崩してホームから線路へ落ちる。

 列車の前に投げ出された体を、無理に捻って後ろを見ると少女が一人いた。

 ブリジットか?

 ホームに入って来た列車に、絶妙な高さでぶつかる。

 撥ね飛ばされずに轢かれ、何両かの車両が通っていく。

 千切れた腕と足が転がるが、倒れたまま起き上がれない。

 ホームに停まった列車は、すぐに、逃げる様に走り出す。

 線路に乗った首の上を列車が走る。

 千切れて飛んだ、転がるダニーの頭を残して列車が走る。

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