学校帰りは動く死体を

とぶくろ

ブリジット編

 夕方ブリジットは急ぎ下校していた。

 面倒な教師に捕まった所為もあるが、友達と話し込んだ所為もあって、帰りがかなり遅くなってしまった。

 街灯も碌にない田舎道。

 ハイスクール帰りの少女ブリジットは、家路を急いでいた。

 山間やまあいの小さな村で、熊も出たりするのでブリジットは、暗くなる前に家に帰りたかった。街中ならば夜でも明るいだろうし、暗がりで怖いのは幽霊か変質者だろうが、こんな田舎では皆知り合いだし、野生動物の方が恐かった。

 今の時期、田舎の暗がりで怖いのは、腹をすかせた熊だった。


 人口約3万人の小さな村で、街までに山を三つ越えなければならない程、山の中にあり、村の辺りは暖かいが、街へ行く途中の山道が、この時期は雪に埋もれてしまい、車では村を出られなくなっていた。

 陸の孤島状態の村にも最近線路が敷かれた。

 朝晩一日二本だけ走る列車が、唯一村を外界と繋いでいた。

 そんな村に、大きな工場と研究所が出来た。

 殆ど外から来た人間だが、村の人間も雇われていて、2千人程が働いていた。

 州知事も一度視察に来たくらい、政府も力を入れている研究をしているようだ。


 先程出て来た校舎の方が騒がしい。

「またアイツら騒いでる。ほんとバカなんだから」

 有名なろくでなし共、ダニーと仲間達だろう。

 いつもバカな事ばかりしている男子生徒達だった。

「きゃっ!はぁ~もぅ!ほんとバカなんだから」

 大きな水音がして、水しぶきがあがる。

 校舎の3階で騒いでいた、ダニー達っぽい男子が次々と、下のプールに飛び込んでいった。続けて飛沫が飛び、水柱が立つ。

 跳んだ人数と柱の数が合わない気がするが、きっと気のせいだろう。

 大きな音におどろかされたブリジットは、子供っぽい男子達に呆れて家路を急ぐ。


 ブリジットが歩く先に、白衣の男性が立っていた。

 見た事のない男なので、きっと研究所の人間だろう。

 滅多に村の中を歩き回る事はしない彼等だが、こんな時間に何をしているのだろうか。歳は30くらいか。銀縁の眼鏡をした男が、うつむき、何かフラフラしている。

 すれ違うブリジットに、男が突然抱きついてきた。

「ひっ!いやぁ!」

 驚いたブリジットは、必死に男の手を振りほどく。

「オオオォォ……」

 倒れた男が顔を上げ、ブリジットを見上げると、気味の悪い声をあげながら、しつこく少女に手を伸ばす。その目は虚ろで、口もだらしなく開いていた。

 生気の感じられない気味の悪い男を振り切って、ブリジットは家まで走って帰る。


「ただいま~。ねぇママ聞いてよ。今気持ち悪い人がいてさぁ」

 家に辿り着いたブリジットは、今会った男を愚痴りながらキッチンへ向かう。

 キッチンからだろうか、ピチャピチャと水音がする。

「やぁお帰り。大丈夫かい?噛まれてないな?」

「パパ早かったのね。どうしたの?」

 奥から父ピーターが出てきて、青い顔でブリジットの無事を確かめる。

「変な男を見たんだな?今村の中は危険なんだ。変な男達だけじゃない。皆、おかしくなってしまった。いいかい。今からすぐに駅へ向かうんだ。夜の列車に乗りなさい。途中で誰かに会っても近づいちゃいけないよ。伝染病でおかしくなってるんだ」

 ピーターは、帰って来たばかりの娘を追い出すように、駅へ向かえと急き立てる。

 キッチンからベチャ……シャクッ……と、変な音がする。

 咀嚼音そしゃくおんのようにも聞こえる。


「ど、どうしたのパパ。ねぇママ。ママ、何してるの!」

 おかしな父の態度に、不安になったブリジットは奥にいるだろう母を呼ぶが、何故か返事がない。何かを齧る音だけが響く。

「ブリジット!早く駅へ向かいなさい」

「ママ!ママ!」

 普段、怒鳴るような事などない父の、焦るような態度に不安になったブリジットは、母を呼びながらキッチンへ向かう。

「ダメだブリジット!やめなさい!」

 必死に止めるピーターの手をすり抜け、ブリジットがキッチンへ入る。


「な、何……何、してるの……ママ?」

 キッチンの床には女性が倒れていた。

 隣人のローラだ。

 そのローラに覆いかぶさるように、母スーザンが齧りついていた。

 隣人を母が食べている。

 床にはローラから溢れた血が広がり、むせ返る血の匂いがこもっていた。

 ローラの引き裂かれた腹の中に顔をうずめ、夢中ではらわたを食べていた母スーザンが、ブリジットに気付き顔をあげる。

「……ママ?」

 帰りに抱きついて来た男と同じ、死んだ目の母が血塗れの口を開けていた。

「ア゛ア゛ァ……」

 聞いた事もない気持ち悪い音が母の口から洩れ、ゆっくりと立ち上がると、フラフラとブリジットへ向かって、手を伸ばし歩いていく。


「ママ……どうしたの」

「ブリジット!」

 父ピーターが、スーザンとブリジットの間に割って入る。

「大丈夫、大丈夫だ。ママは病気なんだよ。すぐに良くなるから。お前は先に村を出るんだ。列車に乗って、村を出るんだ。この病気は村中に広がってる。様子がおかしかったら、誰だろうと近付いちゃいけないよ。それに噛まれるとうつるんだ」

 ピーターは無理に引き攣った笑顔で、娘に話して聞かせる。

「やだ……パパ、お願い……パパ。やだ、パパ……お願い」

 訳が分からなくなっているブリジットを優しく抱きしめ、その額にそっとキスしたピーターは、精一杯優しく微笑んだ。

「大丈夫。パパもママが治ったらすぐに追いかけるから、先に行くんだブリジット、君は強い子だ。一人で駅に行けるね?パパもママもお前を愛してるよ」

「やぁ……やだぁ。パパ、やだぁ」

 ブリジットは幼子のように、ピーターに泣きつく。

「さぁ、行きなさい。行くんだ!」

 ピーターは娘を突き放し後ろを向くと、変わり果てた妻のスーザンを力強く抱きしめた。男の胸に顔をうずめたスーザンは、それに噛みつき夫の肉を貪り喰らう。

 ブリジットは泣きながら家を飛び出していった。


「スーザン……愛してるよ……」

 頭を下げて妻の肩へ、首筋へ、優しくキスするピーターの首筋に、スーザンの鋭くもない歯が深く沈み、肉をえぐり取る。迸る血がスーザンの顔に噴きかかるが、すぐに噴き出すポンプが止まり、ピーターの体は力なく崩れ落ちる。

 夫を押し倒し、圧し掛かったスーザンが、そのまま食事を始めた。

「ウゥ……アアァ」

 胸を食い破っていたスーザンが、呻き声を聴いて動きを止めた。


 死んでいたピーターが動き出す。彼も動く死体となっていた。

 人間しか食べないのかピーターが動き出すと、スーザンは食欲を失くしたようで、そこから離れようとする。

 しかし、記憶があるのか本能か反射なのか、起き上がろうとするスーザンを下からピーターが抱きしめる。抜け出そうともがくスーザンだったが、諦めたのか、何かを思い出したのか、急に抵抗をやめて大人しくなる。

 二人は抱き合ったまま動かない。

 その脇で倒れていた隣人のローラが動き出し、二人を残して外へ出て行った。


 家を飛び出したブリジットは、スタンド前で呼び止められる。

「リジー! こっちこっち」

 村唯一のガソリンスタンドから友人のジェーンが出て来た。

「ジェーン。よかったっ」

 駆け寄ったブリジットが抱きつく。

「無事で良かった。さぁ、中へ入りなさい。ピーターはどうした?」

 スタンドからショットガンを持った男性が出てきて、抱き合う二人を中へ誘う。父ピーターの友人ヘンリーだった。

「パパは家に残ったの。ママが病気だから……」

 泣きそうになりながら、ブリジットはヘンリーに応えた。


「そうか……大丈夫。すぐに会えるさ」

 ヘンリーが無理に軽く声を掛ける。

「中にはアニーもいるよ。他に無事な人見た?」

「アンも無事だったのね。あのバカ男子共が、学校ではしゃいでたくらいかな」

 クラスメイトのアンも無事逃げて来ていた。

「ブリジット。よかったぁ、無事だったんだぁ」

 スタンドに入るとアンが、嘘くさい笑顔で喜ぶフリをする。


「あいつ……研究所の奴だな。くそっ、こんなの絶対あいつらの所為に違いない」

 外に白衣の男を見つけたヘンリーは、飛び出していってしまう。

「待ってヘンリー。そんな事より、早く逃げなきゃ」

 ブリジットがヘンリーを止めようとするが、その言葉を振り切り、見つけた男に近づいていく。一言でも文句を言わないと気が済まないようだ。

「アレ? あの人って、さっきの……」

 気付くのが遅かったが、ブリジットは白衣の男に見覚えがあった。家に帰る前に襲って来た、虚ろな目の男だった。当然すでに感染していた。


 白衣の男に文句を言いながら近づくヘンリーを、店内から3人の少女が声も出せずに見守っていた。不用意に近づいたヘンリーに、男が掴み掛る。

 轟音が響き、男の頭が吹き飛んだ。腕を噛まれたヘンリーが、発砲してしまった。

「ヘンリー! 早く戻って! 早く!」

 ハリーハリーとブリジットが叫ぶ。

 ジェーンは声も出せず固まっていたが、アンは既に裏口へ向かって逃げていた。

「アンタ達も早く逃げないと、巻き込まれるよ。アイツらが雪崩れ込んで来る」

 銃声に、村中から人が集まって来る。

 知っている顔ばかりに囲まれ、ヘンリーは構えたショットガンを使う事もできず、群がる村人に囲まれ、捕まってしまう。

「助けなきゃ! ヘンリーが食べられちゃう」

 外へ出ようとするブリジットを、ジェーンが必死に引き留める。

「やめてっ。もう無理だよ。早く逃げなきゃ」

「アタシらだって早く逃げなきゃ、ゾンビのエサだよ」

 裏口でアンが逃げようと急かせる。

 圧し掛かられ押し倒されたヘンリーに、次々と村人が襲い掛かり齧りつく。

 どう見ても助けられそうにないうえ、村人はまだまだ集まって来ていた。


 裏口から逃げ出した3人は、人のいない道でスタンドから離れる。

「どこまで逃げればいいのよぉ。もぉ足痛い~」

 グズり始めたアンを、鬱陶しそうな目でブリジットが見ている。ジェーンがいなければ置いて行きたい処だった。ジェーンは辛抱強くアンを宥めている。

「あいつらに食べられたくないでしょ? 急いで駅まで逃げなきゃ」

「え~、もぉ歩けない~。のど渇いたぁ~」

 甘えるアンにブリジットがキレそうになった時、男が声を掛けて来た。


「アンか? ジェーンにブリジットも。無事だったか」

「オリバー! 良かったぁ、無事だったのね」

 アンが抱きつきそうな程の勢いで駆け寄る。別に特別、彼が好きだったりする訳ではないが、一応汚くない男には愛想良くするのが、彼女の流儀だった。

 クラスメイトのオリバーだった。特別カッコイイ訳でもないが、嫌われ者でもない。どちらかというと爽やかで平凡な男だった。近所のジャスティンと逃げていた。

「3人共噛まれてないな? 車を取りに帰るとこなんだ。一緒に来いよ」

 ジャスティンは27歳、よく町へも行っている田舎臭くない青年だった。

「ジャスティン! アタシを迎えに来てくれたのね」

「私達駅に向かおうとしてたの」

 アンを無視してブリジットが、ジャスティンに助けを求める。

「そうだな。この時期山は越えられないからな。よし、駅に向かおう。俺の家もすぐそこだし、車なら駅まですぐだ」

「3メートルも積もった雪をかき分けて、山登りは無理だしね。夜の列車に乗るしかないな。あれを逃したら朝まで村を出られないぞ」

 オリバーも駅行きに賛成する。


 奴らに見つからず、ジャスティンの家まで辿り着いた一行は、車に乗り込む。

 後ろに3人娘が乗ると、助手席にオリバーが乗る。

「今なら近くにはいないよ。ジャスティン行こう」

 周りを確認したオリバーの声に応え、車のエンジンがかかる。

 走り出すと後ろの3人は、少し安心して落ち着いたのか、大きく息を吐いた。

「ありがとうジャスティン。これで駅まですぐだね」

 ジェーンが声を掛けた処で、車の前に人が飛び出して来た。


「あっ!」 「きゃっ」 「いやぁ!」

 後部座席で3人が悲鳴をあげる。

 後ろを気にしながら走って、飛び出して来た女性を避け切れなかった。

 何かから逃げていたようだ。まぁ奴らからだろうが、撥ね飛ばされた女性は派手に飛び、転がって倒れている。

「マリー? ちょっと、マリーじゃない」

 ブリジットが車を降りて、倒れた女性に駆け寄る。

「やだ。ほんとにマリーなの?」

 ジェーンも車を降りていく。

 彼女達よりも2つ上、去年卒業したマリーだった。


 助け起こしたマリーは、白目を向いて鼻血を出して呻いていた。なんとか即死はしていなかったが、すぐ病院へ連れていかなければ助からないだろう。病院へはヘリを呼ばないと行けない村だった。死にかけの爺の内科と獣医しかいない村だった。

「くそっ、かからないっ」

 ぶつかった衝撃か、エンジンが止まり、動かなくなってしまった。

 マリーを追っていた、村人だった奴らがすぐそこまで迫っている。

「車を出ろ! 逃げるんだ!」

「くそっ、安さに跳び付くんじゃなかったな」

 安かったというだけで買った車を蹴って、ジャスティンも逃げ出す。

「リジー! もう無理だって!」

 倒れたマリーを抱えるブリジットを、無理矢理立たせたジェーンが引っ張っていく。アンもブツブツ言いながら走っていく。あちこちから奴らが集まって来た。


「不味い。囲まれるぞ」

 オリバーが逃げ道を探すが、四方から奴らの群れが迫ってくる。

「そこだ! サムの家に逃げ込め! 裏から出れば駅の下に出られる」

 ジャスティンが脇の家を指して叫ぶ。

 アンがサムの家に駆けこみ、鍵を掛けた。

「何してるんだアン。早く開けろ!」

 オリバーが叫んでドアを叩くが、アンは応えない。

「キャアアアアアッ!」

 中から叫び声が聞こえる。奴らに噛まれたサムは、まだ中に居たようだ。すぐに中が静かになる。アンは喰われたようだ。

「登れ登れ!」

 この辺りは急な斜面に建てられた住宅地だった。サムの家の裏も坂になっていて、隣の家からは上がれなかった。サムの家だけ、丁度裏の道へ2階の窓から出られるようになっていた。そこで、ジャスティンとオリバーは、ブリジットとジェーンを肩に乗せ、サムの家の屋根に登らせる。

「ジャスティン早くっ」

「オリバーも捕まって!」

 屋根に押し上げられた二人は、腹這いになり下へ手を伸ばす。

 しかし、押し寄せた奴らの群れが、下の二人を飲み込んでしまう。

 津波のように、オリバーとジャスティンを一気に飲み込み、押し寄せる奴らが屋根に向かって手を伸ばす。

「オオオオォ……」 「ア゛ア゛アァ……」

 幼い頃から見知った顔ばかりだ。友人知人、親戚が、呻き声をあげながら、屋根の二人に手を伸ばす。泣きそうな顔で、二人は屋根を伝い裏道へ逃げる。


 木陰から駅を見る。

 ブリジットとジェーンの二人は駅の脇の開けた場所から、フェンスを越えて駅に入ろうとしていた。元々無人で、利用客も少なかった駅だが、入口へ向かう道は奴らが群がっていた。この脇からしか、駅には入れない。

「こっちも結構いるね」

 ブリジットが不安を漏らす。

「動きは遅いから、すり抜けて行けるって。もう、ここからしか行けないし」

「うん。そうだね」


 見える範囲に30体くらいか。ボーっとしている者、フラフラしている者といるが、二人には気付いていないようだ。間隔は広く、確かに走ってすり抜けられそうではあるが、避けた後に登るフェンスは結構高く、3メートル近くはありそうだ。

 手を繋いで頷き合った二人は、手を放して走り出す。

 すぐ二人に気付いて、奴らが動き出すが、ゆったりとノロノロしている。

 伸びて来る手を掻い潜り、二人はフェンスに走る。

「あっ!」

「リジー!」

 ブリジットが後ろ襟を掴まれ、倒れかかる。前にいたジェーンが、慌てて止まって引き返す。ブリジットは倒れそうになりながらも、踏ん張って耐えると、掴まれた上着を脱ぎ棄て、走り出す。


「大丈夫! 走って走って!」

 ブリジットが叫びながらジェーンを走らせる。

 フェンスに辿り着いた二人は、必死に金網を登っていく。

「集まって来た!」

 ジェーンが後ろを振り返り叫ぶ。

「いいから急いでっ!」

 ブリジットが必死に登りながら急かす。

 集まって来た奴らは、フェンスに次々突っ込んで行く。登る気はなさそうだが、これ以上集まると、フェンスを破られそうだ。

 集まって来た奴らに掴まれ、揺れるフェンスから二人が振り落とされる。


「ジェーン!」

「リジー!」

 互いに目を合わせ、手を伸ばしながら落ちていく。

 フェンスの外側へ落ちたジェーンが、叫ぶ間もなく奴らの群れに呑み込まれる。

 ブリジットがフェンスの内側へ落ち、芝生に叩きつけられる。

「んぐぅ! うぅ~……くぁ……ジェーン、うぅ……」

 ブリジットは脇を強く打った。肋骨が数本折れたかもしれない。肩も脱臼したようだった。その痛みよりも、外側に落ちたジェーンを想い、涙が溢れる。

 だが、フェンスはすぐにも破られそうだ。ゆっくりと感傷に浸ってもいられない。

 息を吸うだけで痛む脇を抑えながら、ブリジットは立ち上がり駅へ入る。


 構内の通路を渡り、ホームへ続く階段を登っていく。

 ブリジットは結局一人になったが、なんとか辿り着いた。

「列車もすぐ来る。やっと……っ!」

 ホームに出てホッとしたブリジットは、叫び声をあげそうになる。

 口を両手でふさぎ、階段脇にしゃがんで身を隠す。

 少しだけ顔を出して、階段の下を覗き込んだ。


「……いる。ここまで来たのに」

 見間違いではなかった。

 階段の下に奴が、一体だけのようだが、壁際に立っていた。

 列車の灯りが遠くに見える。もう少しで助かるのに、もうあちこち痛くて動けない。早く早くと列車を待ち望み、来ないで来ないでと階段下をチラチラ覗く。

「ひっ……」

 階段下に居た奴が登って来ている。

 ゆっくりと手もついて、ほぼ四つ這いで上がって来ていた。

「どうしてどうして。もう、すぐそこまで来てるのに」

 列車も彼も、すぐそこまで来ていた。


 男が一人呻き声を漏らしながら、階段を上がってホームに出た。

「やあっ!」

 必死に勇気と残った力を振り絞り、ブリジットが飛び出した。

 階段を登り切って立ち上がるが、ふらついた処へブリジットが身体ごとぶつかり、渾身の力で男を線路に押し出した。バランスを崩した男が、線路に身を投げ出した処へ、列車が入って来る。ホームに入って速度を落としていた所為か、男の体は撥ね飛ばされず、線路に落ちて轢かれる。三両目まで転がり轢かれ、男は動かなかった。

 乗客の居ない客車に乗り込んだブリジットは、そのまま倒れて気を失った。


「村には止まるな! 通過しろ!」

 無線で指示が入る。

 彼が怒鳴るのを初めて聞いた。

「もうホームに入ってます。それよりも人身です! 急に飛び出してきて……」

「煩い! どうでもいい! 早く出せ! 走るんだ! 死にたくなければ走れ!」

 いつものんびりしている彼が怒鳴っている。必死の叫びを聞いて、運転手は列車を走らせる。全速力で、少しでも村から離れるように。

 少女一人を乗せて列車は村を離れる。少女と入れ替わるように、村へ向かうものがあった。列車以上の速度で、ソレは飛んで行く。

 この一日の騒ぎを、その村の全てを、無かった事にする為に。

 

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