事象


 

 


 ちっとも眠れない。

 夜、なかなか寝付け無い俺は、布団の中で想像してみる。

 優作と神代さん。ゴリラなんて呼んでる優作も普通に見て「筋肉質なハリウッドスターで居そう」と言われたら、確かに居そうと、答えてしまう。

 そんぐらい、まあまあ、そこそこのイケメンって事だ。


 実際、アイツはモテる。体育館裏で告白されたなんて話も、聞いたこともあるしな。うん。

 イヤイヤ、本人からじゃ無く、アイツと同じサッカー部の奴からだけど。アイツはそういうこと言わないし。


 だけど優作から直接聞いたのが一つだけあって、下級生の男子からの告白に、どうしようって、真剣に悩んでいた。

 俺だったら相手の気持ちも考えず、気持ち悪いで終わる話なのに、アイツは本気で悩んでいたっけ。


 どうしたら相手を、傷付けずに断れるんだろうと。


 優作は底抜けにお人好しだ。だから俺はアイツを信頼してるんだと思う。

 そんなイケメン過ぎる優作と、学校イチのアイドルがカップルになっても、多分、誰も文句を言う奴なんて、いないんじゃないかな。多分だけど。

 

 イケメン滅びればいいのに……。


 黒い感情、だだ漏れた。


 おっしゃっ! お似合いのカップルじゃねえか、なぁっ! てな具合で……ドンマイ、地味男ワタクシ


 まぁ、優作への恩返しも兼ねてのキャンプだから、ここはキューピット役でもピエロ役でも、やってやるのはヤブさかではないが、それはそれで、楽しいキャンプに成りそうだしな。アハ、アハハハッ。


 ……って、やっぱなるか、ボケッ! クッソ、優作のヤロウ。あいつ今すぐ禿げねえかな。それか、ウンバボ語しか喋れなくなるとか。……はぁ。

 あぁーあ、俺は本当にちっちゃい人間だよな。


 ガリガリ頭を掻いて、トイチ君は自己嫌悪に陥る。


 ……だけど、好きな友達の幸せそうな姿を想像するとやっぱ、幸せな気持ちになってくるのは、確かで。


 はぁ。複雑な気持ち、頬も引きつる。

 チビチビ人間でミクロマンの俺は、二人の幸せな未來を想像して、羨ま死しそうだ。


 どっちかって言うと、優作を取られるのが嫌なのかも知れない。勿論、そっちの意味じゃなく単純に。ハハハ、ハァー。


 夜、布団の中で自傷気味に笑う俺を他所に、ガラス越しに黒い海を、ジーと見つめている三毛猫『トヨフツ』に、この時の俺はまったく気付いていなかった。


♦︎♦︎

 

 結局一旦、猫ケージを借りに神代さんの家に寄る事になった。


「ゴメンね。……お父さんとお母さん、平日は仕事が忙しくて、車出せなくて……」


 高級そうな調度品の飾られた玄関先で、学校指定制服でもある、紺のブレザー姿の神代さんが出迎えてくれた。

 シャツの第一ボタンを外したその奥に、ネックレスのシルバーチェーンが光っている。


 細身のネックレスに指輪みたいな物が、ぶらさがっている。誰かのプレゼントだろうか?


 マジマジと胸元を見てしまっていた。俺は急に恥ずかしさを覚え、慌てて視線を切って、逸らした。

 だけど、気にした素振りも無い神代さんは、申し訳なさそうな顔をしている。

 気付かれていない、ふぅー、危なかった。セーフ。キモいって言われたら、立ち直れんくなるからな。女子の皆さんにお願いしたいよな。『キモい』は、男の子の心をごっそり抉るんで、マジ勘弁して欲しいっス。

 

 そんなこんなで、とりあえず一安心って所で、いくらか緊張もほぐす。

 冷静に神城邸を拝見する。おぉふっ、家デカッ、お庭もお花が一杯じゃん。

 門からこの白亜の洋邸の玄関まで、距離があったしな。俺にはサッパリ分からん、花に囲まれていたし。

 この白亜の洋邸奥行きありそう、部屋、何部屋あんだろ。神代さんて、超絶金持ちだったんだ。

 しかも、ちょっと玄関先にお邪魔しただけで、ローズ系かな? メッチャいい匂いがするんですけど。


 鼻をひくひくさせる俺に、ちょっと苦笑いの神代さん。俺は慌てて、笑顔で取り繕う。


 しっかし、何でアイツはこんな良い家から飛び出したんだ? ワケがわからん。俺が住まわして貰いたいぐらいだよ。庭の隅っこでもかまわんから。そう言いかけながらも。


「大丈夫、任せて。無事に送り届けるから。それじゃあ、また後で……」


 本音では無く、爽やかな感じっポイ台詞が口から出ていた。だって変なこと言って、嫌われんの嫌じゃん。


 用事もすんで、玄関先でちっちゃく手を振り見送る彼女。ぐはぁっ! 俺だけに向けられる笑顔が、攻撃力がハンパねぇ。美人過ぎるだろッ!

 こんな「いってらっしゃい」を言われる、新婚生活を妄想してしまい。キュンです。まさにキュンです。ハートを鷲掴みされました。


 そんなおふざけはさて置き、俺に課された重要なミッションがここで発動した訳だな。


 神代邸からアパートまで、およそ原チャリで往復一時間。

 まずは『お猫様、トヨフツ様』を安全かつ迅速に神代邸に送り届けるのが今回のミッションとなる。

 ここで一番重要なのが、ウルトラ安全運転で遂行しなければならないって事だッ!


 アーユー、オーケー? サー、イェッ、サーッ!


 万が一で事故でも起こしたら神代さんの前で、首を括らにゃならんからな。


 神代さんか……。まぁ、もともと最寄り駅が一緒なのは分かっていたことなんだけど。

 ラッシュ時といえど、地方都市の駅ホームの混雑具合もたかがしれているしな。

 だからか、チョイチョイ彼女を駅で見かけていたんだが。いかんせん、小心者の俺は見かけただけで、それ以上もそれ以下も無いけどな。チラッチラッと、盗み見してただけだしな。


 彼女はいい意味で目立つから。

 それと、キャンプに一緒に来る友達ちゃんも、いつも隣にいるあの子だと思う。

 神代さんが美人すぎて、あまり目立たない感じだけど、彼女は彼女で、とても可愛いらしい女の子だった。


 髪は茶髪ショートでふわふわウェーブ。マッシュミュートって言うんだっけ、フェミニンな感じのやつ、よく知らんけど。

 で、身長は低めでスッキリした体型……。キビキビしてて、スポーツ少女って感じかな。

 肌はちょっと焼けていて、顔つきもハーフかクォーターって思えるぐらいに整っている。


 パッチリ二重で、少し垂れ目がちな彼女。彼女を見かけるたびに俺は実の所、いつも目を奪われていたんだよな。神代さんよりも、だな。うん。


 だってさ彼女。俺と同じで、緑色の瞳をしていたから。


 それと、彼女の雰囲気がなぜか、懐かしいような、心が落ち着くような……。う〜ん。モヤモヤとした気持ちにさせる?

 か、勘違いしないでよ。モヤモヤだよモヤモヤ、ムラムラじゃ無いよ……。ッッスンマセン! 少しだけムラムラもしますっ。スンマセンでしたッ!!


 そんな馬鹿な事を考えながら、アパートまで原チャリを走らせていると。



【グラッ、グラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラッグラッグラッグラッ!】


「ッーーッ!?」


 電線が、建物が、アスファルトが、原チャリを走らせているのに、地震だって分かるほどに揺れている。トイチの体に戦慄が走る。


 ーー地震⁉︎ ……震度4か5かな? ックッソ! 2年前の嫌な記憶が蘇る。俺から全てを奪ったあの地震のことを、思い出しちまった。


 すぐさま原チャリを国道脇に止め、辺りを警戒しながら地震をやり過ごす。すると直ぐに警戒アラームが鳴り出した。


「ヴゥーヴゥー、地震です。地震です。ヴゥーヴゥー、地震です。地震です。ヴゥーヴゥー」って遅いよ!


 不快音を大音量で鳴らすスマホをポケットから取り出すと、タイミング良く着信音が鳴った。


「はい、うえし…」

「大丈夫、上下うえしたくん!」食い気味に話すこの子は、神代さん?


「あー、うん。……大丈夫そうかな。……神代さんの方は?」そう言いながら、周囲の安全を確認する。電線はまだ揺れてるけど、家屋の倒壊は無さそう、うん、問題無い。


「よかった〜。……わたしの方は大丈夫だよ。……あの、今日の『よっちゃん』の受け渡しなんだけど、辞めといた方がいいかな?」神代さんの不安そうな声。


「問題無さそうだから、大、丈夫だよ。うん。これから無事に送り届けるよ」


「うれしいけど……無理しないでね。………何かあったら電話して……待ってる」


「うん、了解……。じゃあ、また後で」

「はい、また後でね」


 とは言ったものの、本当は猫の受け渡しなんて明日でもいいんじゃないかって思っている。

 けど、不安な時こそ好きな人に側にいて欲しいって気持ちは、俺にも解るから。

 まあ、今回は人じゃなく猫だけどネ。


 ーー故に、ミッション続行。パッと見で問題無さそう、緊急車両の出動も無いしで、うん、問題ない。


 トイチは改めて気合いを入れ直し、ウインカーを出し後方確認、そしてアクセルグリップを開放した。

 ひとえに、神代さんの家族(ペット込み)がバラバラにならないようにと願いを込めて、トイチは原チャリを走らせた。


♦︎♢♦︎♢


 アパートに帰ると、なぁーなぁーといつもよりうるさく鳴く『よっちゃん』の怯えた姿。地震がよっぽど怖かったのかな?


 少し気になるが、猫をケージに入れて間違っても移動中飛び出さ無いよう、カギはロックして急いでアパートを出発した。


 けれど俺はここで、一番大事な事を見落としていた。地震後の海の恐さに気付いていなかったんだ。


 いつも見ていた入り江の景色が一変していた事に、俺は全く気付いていなかった。


 地震の直後に入り江から、海が消えていたんだ。


 もともとの遠浅の海がそっくり無くなっていて、ただそこに広がっているのは荒涼とした砂浜だけ。


 酷く不気味な風景に、俺は目の前の事に夢中で、まったく気付けていなかった。




 俺は、ウルトラ安全運転で神代さん宅まで急いでいた。

 現在夕方の6時半過ぎ。辺りは色を失い始め、国道沿いの街灯はすでにボンヤリとした明かりをつけている。


 生暖かい風が強風となって海から吹きつける。さっきからやけに海鳥の鳴き声がうるさい。


 ここでもおかしな事が起こっていたんだ。いつもならこの時間は山から風が吹き下ろしていた、けれどこの日は海から風が吹いていたんだ。

 しかも、大群で山へと逃げるように飛んでいるカモメ達の群れ。


 気付ける筈だった。


 足元の猫ケージに気を取られ、そんな事にも全く気付けず俺は、国道を原チャリでひた走っていた。




「なぁーなぁー。なぁーなぁー、なぁーなぁー」


 ガタガタとケージの中で、よっちゃんが暴れている。昨日まで大人しかったのに、今日はヤケに騒いでいる。 やっぱ、原チャリが怖いのかな? アホな勘違い。


 前方と足元の猫ケージを交互に見ながら、入り江沿いの国道を飛ばしていた。

 このあと橋を渡れば、道なりの軽い右カーブと、目の前に広がる太平洋が視界を埋めるはずだ。


 俺の二つ目のお気に入りのスポットが拝める。この右カーブの場所が崖になっていて、ガードレール越しに見える外海の景色がまた、凄く迫力があるんだ。


 崖から見える景色が、視界の全部が、海と水平線だけになる。見渡す限りの海と空しかない、青から蒼の世界が言葉を失うくらいまさに絶景だった。


 悩み事があったら、宇宙とか大自然に触れれば気が紛れるってよく聞くけど、俺の場合はここに来れば一発だった。

 自分が如何に小さい存在なのか、俺の悩みなんてどうでもいいぐらいちっぽけなものだって、そう思い知らされる場所だった。



 こっから後は、真っ直ぐに進んでもう一つ上り坂を越えると街並みが見えて来るはず。そしたら神代さん家も、もうすぐだ。

 ヨシッ! 橋を越えた、あと20分ぐらいかな? そう思った矢先。



【ドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォドォッドォドォドォドォドォドォドォッドォドォッ!】


 地響きのような、直接腹に響く重低音。聴いた事の無い不快な音に、恐怖心が先立つ。粟立つ体。本能が警笛を鳴らす。


 すぐに原チャリを止めて、ヘルメット越しに辺りを確認した。そして目を剥いていた。

 ガードレールのその先に、そこで目にした光景に……。



「!?…………っな!」


 絶句してしまった。信じられない光景が、視界の先に広がっていたんだ!!


 美しい水平線が広がる光景が一変。日も落ち藍色に染まった空を、粗々ほぼほぼその景色を隠した真っ黒い壁が、巨大で不気味な壁が、轟音と共に崖の向こうから押し寄せて来ていた。


 目前に巨大な津波が迫っていたんだ。



 ヤバイ! アレはヤバイ奴だッ!!


「こんな時に限って、何で外れないんだ・・・・・・・・、クソッ!!」


 原チャリに固定した、猫ケージを急いで外しにかかるも、なかなか外れない。猫もケージの中で暴れて回っている。


 ヨシッ! やっと外れた。猫ケージを両手でしっかり抱きしめ、国道脇の果樹園へと猛ダッシュした。


 早く、早く逃げないと。高台に、少しでも高い場所に! 


 片側二車線のアスファルト上を必死に走る。

 もう少しで辿り着く、もう少しで! 焦りで足がもつれそうになる。何とか堪えてバランスを崩しながらも、果樹園の土を踏み締めた。


 ーーしかし時すでに遅し。


 崖にぶつかった水の壁が、とんでもない水量の海水が頭上より落ちて来て。


【ドッドゴォォォォォォォォォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン】


 俺達はあっと言う間に津波に呑まれたんだ。

 


 


 

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