第20話 欲望の終着

「遅い!」

橘教官をどやしつけた伊藤操縦士は、ぶつくさ言いながらも皆との再会を喜んだ。もはや緊急飛行の用はないとみて、桶川の滑空場にセスナを返しにいった。

他の七人は宇宙センターの中に入った。たちまち駆けつけてきた施設内の警官や警備員には、木内博士が七人の身元保証をし、野村尊師がそれを信頼するように軽い暗示をかけた。

その後、国際イーエス委員会長の許可を得た野村尊師は、教官たちを連れ、別室で木内博士の心に仮の鍵をかけにいった。


誠たち高校生はホールに残り、ソファーで休んでいた。

地上ルートでやってきた三人の服は泥でかなり汚れていた。慣れない山道を歩き、散々転んだのに違いない。おまけに道中ではしゃぎ過ぎたためか、疲れ果てた様子で硬く目を閉じていた。

「やっぱり、心をびくつかせながらでも、普通の高校生活を送った方が楽だったかもな」

誠は三人の寝顔を見ながらつぶやいた。


三十分ほどして廊下に高い靴音が響いた。二人の教官が走り込んできた。

「伊神が逃げた。能力を見くびっていた。博士の心に鍵をかけた後で資料保管庫に行ったのだが、あいつはいなかった。ドア口に近づいた警備員に暗示を掛けて、マスターキーで開けさせたんだ。三井、君も来てくれ!」

「俺らは?」

篠田と美晴が寝ぼけ眼を擦りながら立ちあがった。

「また三井くんの波動を宿した鳥がやってくるかも知れないわ。その時まで、ゆっくり休んでいなさい」

金井教官の声にふらふらと玄関口まで行くと、そのまま座り込み、また瞼を閉じてしまった。斉藤はソファーに座ったまま「了解しやした」と頷いた。


「僕らだけで大丈夫ですか」

駆け出しながら誠は聞いた。

「今回の相手は伊神ただ一人。三井の特殊能力は知られているが、なにせ三対一、あの掟破おきてやぶりのウェーブコントロールを使っても、事情を知っている我々の心に同時に侵入することはできない。それに金井教官の投げ技とおまえの強烈な右フック、二人だけでも十分なぐらいだ」

「じゃあ、橘教官は留守番してなさい」

「はいはい」と金井教官の声を流しながら、橘教官は尊師が運転してきたオープンカーに乗り込んだ。二人も後に続く。

「それで僕がすることは?」

「決まってるさ。伊神の固有波動を空から探すんだ」 

「でも、彼が波動の色を変えていたら?」 

最後の問いは、タイヤから白煙を立てて疾走し始めた車のエンジン音にかき消された。金井教官は鳥を招く黄色の波動を空に伸ばした。


誠は空を見上げた。

『僕らはこの世界で必要とされている。楽ではないかも知れない。でも、それが他でもない僕ら自身!』

先ほど抱いた普通の高校生活への憧憬は、果て知れぬ夜空の彼方に飛び散った

鳥の視点に切り替わるのと同時に、金井教官の放つ誘惑の黄色い波動は消え去った。オープンカーを真下に見ながら、夜空をぐるりと旋回する。果たして、あの青緑色のぬめるような波動は…


…あった。


『近づけ!』

一台の白い軽自動車が南に向かって走っていた。その車体から青緑色の波動がこぼれ出ている。一瞬、誠はそれが伊神のものか疑った。何故か、とても美しく見えたからだ。確かに彼の波動であることには違いないのだが、瞑想中の僧侶のもののように薄く広がり、周囲の暗闇に静かな明るさをもたらしていた。

ヘッドライトの先の信号機が、黄色から赤に変わった。伊神の運転する車のエンジン音の高さは変わらない。

左から突っ込んできたトラックが急ブレーキを掛けた。

「気をつけろ!」

どなり声が響いた。

追いかける車に僅かに遅れて、横断歩道橋の上を掠め飛んだ。408という数字と飛行機のマークが視界を走った。


我に返ると、オープンカーは更にスピードを増していた。金井教官が、誠の人間の思考部分にチューニングし、それを橘教官に伝えていたのだ。

「あいつは国道408号線を成田空港方面に向かっている。その波動からすると、全てを諦めて飛行機で国外に逃亡するつもりか」

ほんの一瞬、橘教官は遠い目で振り返った。野村尊師に今の情報を伝えたのだ。

「今度は彼が捕まる番だわ。飛行機で逃亡するつもりだとしても、この車なら追いつける。間に合うわ」

再び誠は進行方向の空に意識を集中した。


白い車は利根川を越え、成田市に入った。空港まで20キロの表示…あと10キロ…急に右に曲がった。飛行機のマークが左に逸れていく…印旛沼の案内文字。そして寺の立て札…車は止まった。


「鈴乗寺?寺に何の用があるんだ。彼の生まれ故郷は長崎だ。そんな所に菩提寺があるとは思えないが」

アクセルを踏み続けながら、橘教官は首を振った。

オープンカーは静かに寺の駐車場に乗りつけた。先ほどの軽自動車が停まっている。三人は寺の周囲を探した。

本堂の横の水場を過ぎた時、奥手に生体波動が静かに揺れているのが見えた。敵への接近時のマニュアルの通り、自分の生体波動の輪郭を薄く保って近付いていく。


灯籠とうろうの青白い光に浮かび上がった墓地の中に、伊神は立っていた。

一つの墓石の前で、思い出ばなしでもしているかのように時折頷き、くすりと笑っている。戒名が微かに見えた。最後に、信女と刻まれているところをみると女性のものらしい。


三人の足下に騒いだ玉砂利の音に、伊神は振り返った。

「君たち…わしの負けだよ。先程のことといい、ここまで追いかけてきたことといい、まったく君の能力には恐れ入った。心に刻まれていた大空の映像、本当に美しかったよ」

伊神は誠に視線を向けた。全く素直なものの言い方だった。誠は応えることもなく横を向いた。

「まあ、いいさ。わしはなんだか疲れてしまったよ」

「噂では、疲れたなどという言葉は、あなたが最も毛嫌いしていたものと聞いているが」

橘教官の言葉に、伊神は少し首を傾げ、薄笑いを浮かべた。

「確かにな。だが少し外れている。ここに眠る水沢恵理という女性の前ではよく言ったものだ。わしの本当の仕事を知らないながら、彼女はいつも励ましてくれていた。『あなたの理想を実現して』と。イーエス委員会の心の透視を予期したわしは、彼女の心の深層に能力を転写した。能力に鍵を掛けられ、その記憶さえ奪われていたわしに、彼女は言った。『あなたは何かをなくした。でも諦めてはいけない』と。

彼女はどこかしら気付いていたに違いない。それで、法を犯して麻薬を手に入れ、夢うつつの中で、わしがしたことを語ってくれたのだ。記憶を取り戻したわしは、やがて弱いウェーブコントロールが可能になり、彼女の深層に転写した自己の能力と同調して鍵を壊した。その際、巨大なイーエス能力を取り出された負荷に耐えきれず、彼女の大脳辺縁系周辺部は機能を停止し、命まで失ってしまった」

伊神の青緑色の波動が揺れ始めた。三人は身を硬くした。


「三井君」

伊神が再び誠に目を向けた。

「君は言った。正義というものは一人一人が『そうだ』と直感的に思えることだと。

とても素敵な考えだよ。それが集まると、とてつもなく強い力になる。特にできあがった力が、それぞれを拘束しないで、信じ合いながら、生き生きと働いている時には…。

君たちは、そのことを見せつけてくれた。疲れたとはいえ、こんなに心地よいのは久しぶりだ。礼をいう。では・・さ・ら・ば」


揺れ動いていた波動が川のように流れ始め、恋人の墓石を抱きしめるように覆った。そして石段の下に溶け込み始めた。

ものの一分とかからぬ内に波動の流出は終わった。光に満ちた最後の切れ端が、その長身から離れた時、生物全てが放つ生体波動も消えた。伊神はばったりと倒れた。


走り寄った橘教官が首筋の脈に手を当て、振り返りながら首をふった。

「死んでいる」

「彼は生体波動を放出しきったんだわ。そして自分を支え続けてくれた女性の元に旅立ったのよ。彼ほどの能力者なら、月日がたっても、彼女の遺物に残留思考を見つけられたに違いない。そこに自分の心も刻み込んだんだわ」

金井教官が言った。目尻に涙が光っている。


「伊神は、僕らに何を見たのだろう…僕が言ったことは正しかったのだろうか」

誠は倒れている男の足下を見ながらつぶやいた。

「はっきりとはわからない」

すくりと立ち上がった橘教官が顔を向けた。

「三井が言った通り、正しさとは決めつけた途端に自由を失う。ただ、何かをやる時、瞳の先に温かい光が広がっているように感じるなら、きっと、それは正しいことなのだと思う。人々が同じ光を感じるなら、輝きは更に増す。理屈じゃなくて、体で感じるんだ」



空が白みかけていた。もうすぐ夜明けだ。

「教官たち。先に車に乗っています。日の出を見てみたいんです、空のずっと高い所から。後始末大変でしょうけど、しばしはごゆるりと」

誠は視線を上げ、姿勢を正して敬礼した。

二人の教官の波動は、互いに心を通わせる男女の間に示されるものとなっていた。肌理きめこそは変わらないが、各々の色の交差点が違和感なく混じっている。金井教官も今は、自分の波動をさらけ出していた。

「まあ、三井君たら」

「三井、後で相談させてくれ。やっかいなことが起こりそうな気がする」



誠はオープンカーのドアにもたれかかっていた。

空の茜色あかねいろが解かれたスカーフのように広がっていく。鳥たちが昇り始めた朝日に向かって、ゆったりと飛んでいく。

これからは大変になるだろう。一人の能力者によって世界が乗っ取られようとしていたのだ。各国の大臣や政府高官は、国際イーエス委員会に大きな圧力をかけてくるに違いない。学校だってどうなってしまうかわからない。

誠は沸き起こる不安を振り払い、鳥たちが羽ばたく大空に思考を向けた。


『ミッションアルファ、任務完了…』

自分のつぶやきが風を切る音に混じって聞こえた。



・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・



すでに波動は、上空の鳥の知覚に宿っていた。黄金色こがねいろの太陽が視野を占めていく。それが幾つにも重なって見えだした。複数の鳥に、波動が分割されて宿り始めたのだ。

『もどりたい』

波動を引きあげたかった。だが、もはやコントロールが効かなかった。


『まぶしい!』

誠自身の視神経の奥の奥まで焼き尽くされていく。

全身の筋肉の緊張を失った誠の体が、ずるりと崩れた。

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