第17話 筑波へ

土煙が朦々もうもうとあがっていた。夕方の淡い光の中、ヘリのローターの回転数が上がっていく。

目を細める野村尊師らに「行って参ります」と一言、礼儀正しく頭を下げた橘教官がドアを閉めた。


レーダー画面の緑色の光を受けた伊藤操縦士の手が、右の操縦桿を前に押し、左側を僅かに外側に回した。既にその体は野村尊師の銀色の波動をまとっていた。

機体がぐらりと傾き、すぐに水平に戻った。エレベーターに乗っているような感覚が少し続き、やがて、体が背もたれにグッと押しつけられた。窓を覆われた黒塗りのヘリコプターは、一路、南に飛んだ。

野村尊師は、筑波までの飛行ルートを知らない。

たとえ偉大なイーエス能力を持っていたとしても、操縦士の記憶とレーダーだけを読んで、未知の空を飛ぶのは危険すぎる。ヘリは老師が知っている飛行ルートを辿っているのである。


出発前に誠は尋ねた。

「金井教官が森田さんの波動をつくって鳥たちを誘い、橘教官が、鳥の視線をもった僕の思考を尊師まで送ったら、筑波まで直行できるのでは」と。

尊師は笑いながら首を振った。

「面白いアイデアだがそれはできない。鳥は人間とは眼の構造が違う。その鳥が見る映像をもってしてはヘリの操縦はできない。仮にできたとしても、鳥はヘリコプターの上に張り付くように飛んでいるわけではない。わしが、忠八さんみたいに神がかり的な操縦テクニックをもっていたら可能かもしれんがな」

隣で聞いていた伊藤操縦士は、笑みを隠すようにじっと下を向いていた。


機体は、上昇、下降を挟みながらも、安定して飛んでいた。途中、航空写真で見るような、鮮やかな風景が誠の頭の中に描かれた。

前方に、夕日に照らされた山々の稜線が銅色あかがねいろに浮かびあがっていた。眼下には、鱗をきらめかせて躍る黒い竜のような川が蛇行している。街の明かりが寂しげにとつとつと浮かび、山裾に急に賑やかに広がっては消えていった。

その上を、黒い塊が影のように走っていた。誠は、ヘリコプターの上を掠め飛んだ鳥たちの視線をもって外を眺めていた。

やがてヘリコプターは暗闇のなかで減速し、ガツリと地面についた。


ドアを開けると、そこは小さな飛行場だった。

五機ほどのセスナが、煌々と光を注ぐ照明灯に浮き上がっている。川岸に近いのか、土手がすぐ近くに見える。滑走路の周囲は田んぼや畑ばかりの様子。

「ひゃー、ここは埼玉の桶川滑空場じゃないか。尊師も気が利くな」

伊藤操縦士が静まり返った暗がりで一人高笑いした。


「皆、ついておいで」

さすがの教官たちも伊藤操縦士の喜びの理由については見当がつかない様子だった。三人は楽しげに歩く男の後に続いた。

すぐにも小さな管制塔をもつ建物のドアの前に立った。

「いいかい、ここはわしの領域、イーエス能力は使わんように」

伊藤操縦士は、振り返りながら教官たちに釘を刺し、係員呼び出し用のチャイムを押した。少ししてドアが開き二十代ほどの長髪の男が出てきた。怪訝そうに四人を見ている。どうしても見えてしまう緑がかった波動は、一日の疲れのせいか、輝きに乏しい。


「あのう、今日の受付は終わったのですが…」

「あいやその、こちらの岡本平助さんを訪ねてきたんだが」

出てきた相手が予想と違ったのか、伊藤操縦士は面食らったようだった。

「岡本所長は、新規購入した機体の試験運航中ですが」

男は空を見上げる仕草をした。

「どうだろう、わしは伊藤忠八という者で、所長さんとは旧知の仲なんだが、連絡をつけてはもらえないだろうか?」

「少々お待ち下さい、無線で呼び出かけてみます」

男は四人を事務室に通した。待ち受けのソファーに腰を降ろした伊藤操縦士は妙にくつろいだ様子だ。


「岡本さんって誰ですか」

橘教官が身を乗り出した。

「ほれほれ」

骨張った指が壁を差した。その先には無造作にピンで止められたスナップ写真が一枚ある。かなり古いのか、セピア色に変色している。

写っているのはアメリカ空軍の軍服を着た頭の禿げた小柄な男、そして肘を重ね合わせてニヤついているのは、まだ髪の黒い伊藤操縦士だった。

「つまり、戦友ってことね」

金井教官が微笑んだ。


…岡本所長、応答願います、藤川です、どうぞ…

…おう、どうした。どうぞ…

…あのう、伊藤さんと名乗る所長の古いお知り合いが…

…伊藤。えっ、もしや、伊藤忠八さんか、どうぞ…


カウンターの上の無線機が、陽気にがなり立てた。が、藤川という男の言葉が詰まった。見れば、波動が前に伸びたまま硬直している。まとわりついているのは無線機の横のファックスだ。細かく振動しながら紙を吐き出している。

立ち上がった誠の目に映ったのは、四人の人物の印刷されたファックス用紙だった。見出しに大きく書かれている。教官たちものぞき込んだ。

【凶悪犯人四人が、高校生四人を誘拐し逃走中、見つけた人はすぐに警察に通報を!】

男は無線機のマイクを握ったまま、二人の教官を凝視している。


…どうした、藤川君、応答せよ…


ファックス用紙を手に取った誠の横に、伊藤操縦士が歩み寄った。いきなり腕を伸ばし、カウンター越しに男からマイクを奪った。

「岡本ちゃん、こちら伊藤忠八、緊急着陸を願う」

短く言ってマイクを返した。苦み走った笑顔を男に向けている。

「君、遠慮はなしだ。警察への通報も自由。思った通りに行動してくれたまえ」

男の頭を手荒く撫でて、出口に向かった。片手にはいつの間にか非常用のトーチを握っている。


滑走路に出たところで誠は尋ねた。

「あの藤川という人、放っておいていいんですか。警察に通報されたら、こちらの足取りが伊神に筒抜けになってしまうのでは」

「彼はきっと通報するさ。それが常識ってもんだ。それを止める権限は我々にはない。だが道が閉ざされたわけじゃない。両教官、選択肢は幾つかあるが、わしはまた君たちを空の道で連れていこうと思う。いかが」

「ろくに道路地図の読めない伊藤さんと地上ルートで行くなんて、こっちからお断りですよ」

橘教官の言葉に、金井教官はそうだとばかりに頷いた。どうやら以前、大失敗をやらかしたらしい。

「嫌味な奴らだ」

ぼつりと洩らした伊藤操縦士はトーチに着火し、眩しい光を夜空に突き上げた。長身から、灼熱のマグマのような赤い波動が高く伸びた。火傷しそうで近寄りがたい、だがこの上ない力強さを感じ、こちらの生気までが膨れ上がっていく。

ほんの一瞬、誠は『この人は、波動を操る能力者なのでは?』などと疑問を抱いた。が、伊藤操縦士の圧倒的な熱気に、そんな疑問は溶けていった。


気づけば、赤と白に点滅するライトが闇に浮かび、低いエンジン音が空から響いてきた。単発型のセスナだった。頭上を掠め、大きく旋回してランディングした。白い機体は一直線に突っ込んできて、恐ろしいほど正確に四人の前で停止した。


「ははあ、やはり忠さんだ。相変わらずガリガリだな。飯くってんのか」

ハッチが開くか否や、大声で話しながら、髪を剃り上げた男が降りてきた。腹が大きく出ているわりには、俊敏な動きだ。

その波動はややオレンジがかってはいるが、伊藤操縦士のものによく似ていた。ざらざらした波が打ち上げ花火のように広まった。

「だけんど、本当よく来てくれた。二十年ぶりかな」

「そうさ、わしが米軍を辞めて以来だ。ちっとはゆっくりしたいんだが、急を要する仕事があってな」

岡本氏が大きく頷いた。意味ありげに教官たちに視線を注いでいる。

「そりゃ、そうだろうて、さっきうちの藤川から無線で聞いた。あいつ、警察に通報しちまったそうだ」

苦虫を噛み潰したような顔をして、岡本氏は誠の手からファックス用紙を奪った。

「なあるほど、これじゃ仕方ねえか。忠さん、それにあんたたちは今や全国の警察の人気者ってわけだ」

紙に写っている四人、野村尊師、伊藤操縦士、二人の教官。その顔は、画質の悪い白黒ファックスのためか、皆くたびれた顔をしていた。

伊藤操縦士ががらがらと喉を鳴らした。

「そういうことだ。どうする、岡本ちゃん、お上に突き出すかい?」

「それが忠さんの望みならな。だが、そうではないらしい。だろう、誘拐された坊や?」

岡本氏が腕を伸ばして誠の胸をガツンと小突いた。

「ええ、ファックスや警察の情報は全くのデタラメです」

誠はぐらりとよろけながらも、しっかりと答えた。

「そんで、わしには何ができる」

勢い込んで聞いた岡本氏に、伊藤操縦士はエンジンの熱気を放つセスナをちらりと見て答えた。

「実はな、四人乗りのセスナをちと拝借したい」

「かー、おまえさんたち、何をやらかそうっていうんだい。何だったら六人乗りもあるぜ、それならおいらも一緒にいける。金持ち相手のしがない仕事で、気が腐っちまってたんだ」

「済まん、極秘任務なんだ」

「謝るこたぁないさ。えいくそっ、まったくこのセスナは幸せもんだ。歴戦の雄、伊藤大尉に同行できるなんてな。燃料は満タンに近い。あと千キロはいけるはずだ」

「借りはきっと返す」

「ああさ、できればプライベートジェットがほしい」

二人の元気すぎるおじさんが、歯を剥き出して肘をぶつけ合った。


・   ・   ・   ・    ・


四人が乗ったセスナは、美しい光に満ちた関東平野を優雅に横切った。ほどなく黒い山を左に過ぎ、白く浮きあがった高速道路を挟んだ前方に、大きく切れ込んだ水辺が見えてきた。

「行き過ぎたか。筑波山を見落として霞ヶ浦まできちまった。わしとしたことが」

「いいえ、これは伊藤さんのせいではないわ…」

「慰めは結構」 

舌を鳴らした伊藤操縦士が、操縦桿を左に回しながら少し前に押した。

ぐるりと旋回し、機首を下げた先に、様々な研究施設が並んだ一区画が飛び込んできた。

その外れに軍隊基地のように広い敷地をもつ施設があった。一キロ四方はあるだろう。敷地には、野球場のドームさえ飲み込んでしまうようなクレーター状の窪みがあり、中央には、赤く点滅する高い鉄塔が建っていた。


筑波第二宇宙センター…WOHの管制管理を行うためだけに造られた施設・・敷地内の地面を掘り込んで頑丈な基礎を作り、その上に前人未踏の大きさを誇るパラボナアンテナを置いている。

塀の横の駐車場には、パトカーが六台ほど見えた。警備を任されている警察官は、三十名程度といったところか。

誠はいささか拍子抜けした。たとえ能力者たちが陰に控えているといえ、それは公にはされないこと。世界が注目する一大事業を、こんな手薄な警備に任せるなんて。


一度、敷地の上空を通過し、小さく旋回したところで操縦士が横を向いた。

「嫌な感じだぜ。わしの好みの兵隊たちは、どこか他所よそにまわしていやがる。橘君、そっち系の警備状況は?」

「十人前後といったところです。皆、優秀な能力者で、国際色も豊かです。伊藤さんへの挨拶もすんだし、どうぞいらっしゃいって」

「ちっ、回りくどいことをしやがって」


二人の話で誠は察した。

眼下にある施設は、既に強力な思考波で守られているのだ。先ほど伊藤操縦士が進路を誤ったのは偶然ではない。侵入者を察知した思考波が、操縦士の目をくらませたのだ。

本来あったはずの大規模な警備体制は、他にばらまかれたのに違いない。海外からの能力者の特殊編成チームの侵入経路などに…。


「さてと橘君、ランディングは派手なやつがいいか、それとも地味なやつかい」

伊藤操縦士がおもむろに聞いた。

「能力者たちは我々を観察しています。だから当然、派手派手でお願いします」

橘教官が答えた。その波動は遊んでいる時のように、びょんびょん跳ねている。

「よっしゃ。そうこなくっちゃ」

操縦席の赤い波動も一緒に跳ね上がる。

「もう、無鉄砲なんだから…だから私はあなたの申し出に答えられないのよ」

金井教官がぼやいた。

「じれったいな、金井ちゃん。うんと言っちまいな。そんでわしにも花嫁衣装を見せてくれ。いくぞ!」


セスナは巨大なパラボナアンテナの縁に、突入していった。

伊藤操縦士の赤い波動が一直線に伸びている。操縦士は点検車両用の細い道を、滑走路として利用するつもりなのだ。

同時に、金井教官の体から同色の波動が繰り出された。操縦席と前に伸びる波動を包んでいる。操縦士めがけて放射されるかも知れない有害な思考波から守っているのだ。


機体は水切り石のように軽く弾みながらランディングした。

道は飛行場のように水平にならされてはいない。おまけに主翼と塀との間は一メートルにも満たない。神業のようなフラップ操作により、四百メートルほど走り、つんのめるように止まった。

警報サイレンがけたたましく鳴りはじめている。複数のサーチライトに炙り照らされて眩暈めまいがするほどだ。


セスナから降りた三人に操縦席から声が投げられた。

「わしは夜の空を散歩してくる。橘君、用が済んだら、頭にガツンと火花を散らせてくれ。すぐに迎えに来る」

プロペラの回転をあげたセスナは、一旦芝地にタイヤを取られながらも、ぐるりと回転して背を向けると、低い音を残して空に舞い上がっていった。



誠たち三人は、宇宙センター管理棟の正面玄関の前に立っていた。既に三十人余りの警察官や警備員に取り囲まれている。能力者はまだ姿を見せていない。

「橘健司、金井明日香。二人とも、未成年者拉致、誘拐の容疑で逮捕する!」

警官の一人が鋭く発した。

「おっしゃるとおりに」

言葉を発しながら金井教官がゆったりと手を挙げた。

その体からは黄金色の波動が流れ、三人を包みはじめている。都庁のヘリポートで見せたファラオの波動だ。だが、警棒を構えた男たちの攻撃性を含んだ威圧感がなくなる様子はない。

「金井教官の波動が効かない」

「伊神か他の能力者が、権威への恐れをなくすように暗示をかけたんだ。例えお釈迦様の波動をもっていたとしても通用しないだろう」

橘教官が言った。

「金井教官、それじゃ、忍法分身の術と空蝉うつせみの術の二段構えでいこう。三井、動くなよ」

「そんな忍法、私は知りません」

そうつぶやいた金井教官から流れていた黄金色の波動が、三色の波動に切り替わり、宙にもやもやと浮かんだ。

緑色と朱色…二つの波動は怖れと怒りに満ちて上下に揺れている。もう一つ、緑色は小さく縮こまっている。逃走する誘拐犯と人質の波動だった。

同時に橘教官の体から、冷たくざらついた黒い波動が放出されて三人を覆った。

金井教官の放つ三つの波動は、細い糸を残しながら、門の方に流れていった。一人の警官が「待て!」と叫び、他の警官たちと流れる波動を追いかけていった。


「彼らは僕らの影を追いかけていった。波動でそれっぽい雰囲気を作って、一人に『犯人はあっちだ』という思考波をぶつけたんだ。一方、今の僕らは、生体波動のない道端の石みたいなものだ」

橘教官が説明した。

暗い森の中で誰かが「あそこに幽霊がいる」と叫ぶと、本当にそんな風に思えてきてしまう。そんな心理を利用したのだ。

誠は舌を巻いた。ウェーブ・コントロールの理論はある程度は知っていたが、思考波と合わせてこんな使い方をするなんて…実戦で用いる能力の多様性は、学校での訓練内容を遥かに越えていた。

「いこう」

橘教官が、遠くに視線を注いだまま硬直している金井教官の肩を叩いた。

ずっと先に繰り出されていた三つの波動が、綿毛のような白色の波動となってスマートな体に戻り、いつもの通りに消えた。

白色の波動…人前では見せることのない金井教官の固有波動なのだろう。


三人は正面玄関に向かい、横の非常口に手をかけた。

鍵は開いていた。慌てて飛び出してきた警備員が鍵を掛けるのを忘れたのか、或いはそのように仕向けられたのか…

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