第8話 春の庭と第一王子

 人で溢れていた大広間から来たせいか、王城の庭は静か過ぎて、だけの世界に来てしまったような気分になった。ところどころに置かれたランタンの火が幻想的に揺らめている。

 大きな噴水の周りにはフリージアが咲いていて、あたりにいい香りがたちこめている。見上げるライラックには紫の蕾がついている。春の兆しは十分感じられるが、四月になれば雨で冬の仮死から植物たちが目覚めてくる。その時には、きっとここは夢見るような庭になる。

 この国の神話で豊穣の女神が冬の眠りから目覚めるというのは、そんな毎年起こる季節の移り変わりのことを暗示しているのだろう。

 ぼんやりと暗闇の中の木々を見ながら当て所なく庭を彷徨っていると、さっきからずっと考え込んでいたファナが話しかけてきた。


「ねえ、私、殿下にはお会いしたけれど、恋には落ちたのかしら?」


 そんなの分からない。しかし、先程ファナが心の中で言いかけたこと。『私、殿下にお会いしたけれど』の続きに来るだろう言葉からすると、恋に落ちなかったとファナは思っているんだろうに。確認する必要があるのか?


「どうして貴方に分からないの? 誰かが誰かに恋した、とか、夢中になってる、とかいつでも誰かが気づいては噂してるじゃない。

 噂の通り、その人達が結婚したりすることもあるし、前にうちにいた女中は誰かと付き合っているのが露見して執事に辞めさせられていたわ」


 そんなのは人による。それを公然と表に出す人、積極的にアプローチする人、表に出さずに密かに思い続ける人。そこは様々だ。

 その恋が終わるまで本人でさえ恋心の存在を知らないことさえある。と思えば、その人を見ている人がカンが良かったり、観察眼が鋭かったりすれば、他人に知れ渡ることだって考えられる。


「貴方、私の頭を覗いているはずでしょう。令嬢の恋は、心で、そして頭でするものだって言うわ。より良い条件で結婚する為に。

 今までお会いした中で、殿下は一番素敵な方だったと思うわ。だからこそ、どうしてなのかしらって思うのよ」


 打算的な要素は別にしても、恋の落ち方だって1つじゃない。

 いわゆる一目惚れ。惹かれるような見た目や声や物腰なんかで出会った瞬間に好きになったり、惹かれるような何かが無くても何故か電撃的にときめいたり。

 一方で、時間をかけて恋に落ちることもある。一緒に過ごす中で、自分と共通点がいっぱいあるとか、逆に全くないとか、尊敬出来るものを見つけて惹かれていくこともあるし、第一印象は最悪でも、急に好転して好きになるとか。

 エドワードは目を見張るほどの美形だったし、人柄も良さそうではあった。一目惚れしなかったのなら、考えていた設定とは違うが、長期的なパターンかもしれない。


「貴方がずっと頭の中で喋り続けていたからかしら……それとも、貴方の設定から私が外れられたのかしら?」


 おめでとう! 悪役令嬢はたった2日で破滅の道から逃れられることが出来たのです! 

 と言ってあげたいが、そんなことは分からない。

 オセローもエドワードも、ファナにしたって、どことなく設定の時のイメージとずれているのは確かだ。しかし世界は同じはずなのだ。

 前世の年齢ならエドワードはずっと年下だ。十五歳のファナから見たら完璧でも、大人の同性から見たら隙がある。そのせいだろうか? または、前世の記憶や価値観が影響してファナの認知まで変えてしまったということなのか? それとも、結局は設定不足故に揺らぎが出ているのだろうか?

 結局、キャラ原案をしただけで、肝心のプロットとシナリオはカミサマに一任した状態だ。カミサマとちゃんと額を合わせて打ち合わせてはいないのだから、成果物にズレが出て来ているのかもしれない。


(神様は『その人の物語が始まってるんだ』って仰ってたじゃない。きっとそういうことだと私は思うのだけれど)


 いずれにせよ、これでファナが破滅を回避したとしても、ヒロインが誰かと結ばれなければ世界は破滅だ。こちらには基本以外の情報はない。3年経ってやっと全ての結果が分かる。


(本当に貴方は形だけの創造主ね)


 エドワードに会う前は、貴方が目覚めてくれて良かったわ、なんて言っていたくせによく言う。


「……はあ」


 どちらともないため息を吐く。くだらない言い合いになってきてしまった。先は長いのだから考え続けても仕方がない。

 思考をを手放すと、誰かがこちらにやって来る足音に気がついた。

 嫌な予感に振り向くと、エドワードが歩いて来るのが見える。何故だか現実は放っておいてくれないのだ。いいや、答えは分かっている。公爵が庭に行くよう誘導したのはこのためだ。


「お疲れではありませんか? もし良かったら、軽食を用意したのでご一緒しませんか?」


 エドワードが指し示す方には庭に小さなテーブルと椅子が用意されて、テーブルクロスが敷かれた上に飲み物やお菓子、ドライフルーツなどが並んでいる。舞踏会で軽食を勧めるのは、ナンパのようなものだと前世で近世の資料を漁った時に読んだ気がするが、これがそうか。

 椅子を引かれ、とりあえずは席に着く。


「舞踏会はいいんですの?」

「今は私の弟が踊っているので。今夜は貴女のエスコートが最優先です」

「光栄ですわ」


 勧められたレモネードを飲みながら、こっそりとエドワードの様子を伺う。

 婚約していない設定でこのレベルか。周囲の外堀は確実に埋まっている。これではファナが思い詰めてヒロインをいじめるのも納得だ。


(ちょっと! 私はいじめないわよ)


 頭の中でファナが即座に打ち消す。

 いや、それは分かっている。設定上の話だ。ただ、エドワードも罪なやつだと思っただけだ。


「今年から学園に通うのでしたね。何か心配なことがありましたら、いつでもおっしゃってください。公爵閣下が大変心配されていましたよ」

「お心遣い感謝いたします。父が殿下にご無理を申し上げたのですね」


 エドワードは何も言わずにニコニコとしている。肯定も否定もしない。

 さて、会話に困った。出されたものでもあるしとお菓子を摘みながらどうしたものかと考える。と、そのうちに、またファナの悪い癖が出て来る。先程のオセローとの会話でスッキリしたのが成功体験になってしまったのだろう。


(だって、黙っていても仕方ないでしょう?)


 ファナの選択には口出ししないと決めているが、やめた方が良い、とだけは後のために忠告しておく。

 そんなこちらの心配も気にせず、ファナは何気ない調子で会話を始めた。


「学園といえば、小さな社交界のようなものと聞いたことがありますわ。学園で運命的に出会われてご結婚された方も多いとか」


 学園に通う生徒はほとんどが貴族で、庶民出身の特待生が少し居るだけ。なので、ファナが言うには人間関係はほとんど社交界の若い層と変わらないらしい。

 若い男女が一緒にいれば、後は知れたもの。卒業後にそのまま結婚することも多いとのことだ。それ故に玉の輿狙いの為に入学する者も少ないと言うんだから面白い。

 エドワードは少しだけ困ったようなポーズを取る。


「多くの生徒にとっては、初めて親元を離れる経験になりますから。自由な空気や機会がないとは言いません。とは言え、やはり皆にも立場がありますから。秘めたままに卒業を迎えることの方が多いかと」


 それもそうだ。別れたり振られたりなどしたら、社交界で延々と噂にのぼり続けるだろう。


「そうなんですの? きっと殿下はたくさんの方々から思いを寄せられているのでしょうね。……殿下は運命の出会いには遭遇しましたの?」

「どうでしょうね。私に運命の出会いなんてあるのでしょうか?」


 エドワードがヒロインとどのように会うかは知らないが、そう簡単に王妃は変えられないのだから、王族としては運命なんてものを信じるより、広い視点で慎重に選ばなければならないだろう。

 そうでなかったら、前世の中世に居た王や皇帝のように、法律や国教を変えたり、前王妃を処刑したり、無理矢理出家させて修道院に投げ込んだりすることになる。政治は乱れるし、国民は反発するだろう。


「私とのダンスは乗り気ではなかったようでしたので、てっきり大事な方がいらっしゃるのかと」

「そんな相手がもし居たら、貴女をエスコートしていなかったのでは?」


 ファナが核心に触れようとするが、エドワードも上手くかわす。気がないのを見抜かれたからといって慌てふためいたりはしない。


「そうでしたわね。でも、もしかしたらお相手は何か特別なご事情があるのかと思いまして。もしかしたら、私がこういう場の虫除けとしてご入用なのかと」

「…………」


 エドワードはしばらく我慢していたが、ついに吹き出すように笑った。

 エドワードにも会話の流れをこの結論ありきで不自然に歪めているのが分かったからだろう。ファナは批判しているわけではない。遠回しに、エドワードとその居るかどうかも怪しいお相手を、認めている。つまりは応援している。そして本意は、ファナはエドワードに気がないと言うことだ。

 その一言の為に付き合わされたのである。


「……失礼いたしました。誘導が過ぎました」

「公爵閣下は君のためにと色々と手を尽くしているのに、肝心の君は乗り気じゃないなんてね」


 でも、エドワードの敬語と動じない微笑みを崩したのだから、ファナの勝ちだ。とりあえず、こちらのスタンスを分かってもらえればいい。


「もしかして、すでに良い人が?」

「まさか! 貴族の女性がどうやって育てられるのかなんて殿下もご存知でしょう?」

「ああ……」


 エドワードの顔が一瞬だけ曇ったように見えた。が、ファナの続く言葉のにすぐにその影は立ち消えた。


「今まで、立派な殿方と結婚するために育てられていて、それをよしとしてきました。でも、と思うことが最近は増えてきたのです」


 エドワードが興味深そうに微笑む。今までとは違い、本当の感情で笑っているように見える。


「知ってらっしゃいますか? 一番幸福度が高いのは、実際に幸福な環境にいる人間よりも、自己決定度の高い人間なのだそうですわ。

 人間は自分が選択した答えならば少しの不幸にはよく耐え、他人から押し付けられた選択には不満を持ちやすいのだとか」


 友人からの受け売りですけれど、とファナが付け加える。


「殿下もあまり私に興味が無かったようですから、率直にお話しした方が良いと判断しました。非礼についてはご容赦下さい」


 さて、どう返してくるか。

 レモネードで渇いた唇を湿らせながら、エドワードの出方を待つ。


「『他人から押し付けられた選択』か……。わがままだとは噂で聞いていたが、違うな。君は幼稚なタイプではない。ただただ自由すぎるんだ。貴族らしくない、ふさわしくない」


 エドワードがにこにことしながら、きついことを言ってくる。

 すごい言われようだ。まあ、国家においては自由すぎるのは毒かもしれない。

 でも、とエドワードの青い瞳が悪戯っぽく光った。


「面白い考えだと思うよ」

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