第7話 悪役令嬢と不機嫌な弟

(信じられない! 貴方のせいよ……!)


 ホールの隅の方へ向かう道すがら、ガンガンと頭の中でファナが叫びまくっている。


(貴方に常に話しかけられて、頭の中も覗かれて。どうせ分かるんだって気を抜く癖がついちゃったのよ!)


 それは、あまりに暴論過ぎる。その点については意義を唱えたい。


(それに、貞淑だなんて――)


 ファナがそこまで言って言葉をつぐむ。

 貞淑さを褒められるのの何がいけないのだ。前世の記憶では、貞淑さは令嬢の嗜み、と記憶している。あの周囲の反応を見るに、この世界だって同じだ。


(でも、それってつまりは私の処女性について公然と話されてるってことでしょう⁉ それも殿下や弟の前でよ?)


 なるほど、それが嫌だったのか。

 それについてはファナが正しいが、前世の価値観に引っ張られ過ぎている気がする。この世界の文化なら、貞淑な乙女と称賛されることは喜ばしいこととして受け取って良い。

 それに、公爵の周りに居た人達はファナかファナよりも年下の子どもが居るような世代だった。氷のような隙のない美女よりも、子どもらしい隙がたっぷりの『王子様よりまだパパが一番!』なファザコン美少女路線。ウケは抜群に良かっただろう。

 オセローやエドワードだって別に変な反応はしていなかったように思う。


(でも、とにかく、嫌なのよ!)


 やれやれ、思春期とは難しい。

 ファナの緊張の糸は完全に切れてしまったようだ。でもむしろこれくらいわがままな方が悪役令嬢ファナ・レジーノらしくはある。もうエドワードと2曲踊るという今夜の任務は終わったのだ。舞踏会が終わるまで、ファナを宥めながらじっとしていれば良い。

 人が少ない壁際までようやくたどり着くと、すぐ後ろをオセローが追いかけてきていたのに気がつく。他の男性に誘われないためのお目付役だ。遠く、公爵の方を見れば、エドワードと話し込んでいた。


「猫被りが上手いね。練習の成果は出た?」


 今夜もずっと不満オーラをファナに向けているオセローは、期待通り、開口一番に酷いことを言ってくる。あまりの言い草に内心吹き出しそうになってしまった。

 ファナだって猫を被りたかった訳じゃない。おまけに恥だってこおむっている。

 以前ならば、ファナも売り言葉に買い言葉でそれはそれはお上品な口喧嘩になっただろうが、もうファナは社交界デビュー済みのお嬢さんだ。


「……お外でも喧嘩する気なら、向こうに行ってちょうだい」


 と、イライラをうまく隠して皮肉屋の弟を軽くあしらう。が、オセローもファナが大人の対応をするようになったことに慣れたのか、皮肉を抑えて食い下がってきた。


「だめだ。僕が離れたら他の男がくる。この舞踏会にいる男ときたら、姉さんと踊りたがってる奴ばかりだ。みんな目が節穴みたいだからね」


 父親の言いつけとはいえ、義理堅いものだ。

 見れば、確かにオセローの言う通り、若い男性陣が遠くからこちらの様子を伺っている。エドワードとは2度踊ったものの、正式な婚約ではない。公爵家のご令嬢とお近づきになりたい男性や、美しいファナに興味を持ったという男性もいるだろう。

 しかし付添人の公爵はそのエドワードと話しているし、オセローは次期侯爵というのにこの無愛想さだ。彼らにチャンスは無い。はずだが、オセローのこの不機嫌さを見るに、もしかしたらその壁を突破しようとした勇敢な青年達が何人かいたのかもしれない。


「じゃあ私がどこかへ行くわ」


 移動しようとすると、オセローに腕を掴まれた。緑色の目が、こちらをじっと見つめてくる。

 なるほど。オセローもまだまだ子どもではあるが、やはり攻略対象者の兆しがある。この世界では高貴な意味を持つ金髪に、翠眼。陰気な、よく言えば影のある美少年。愛想の悪い皮肉屋。エドワードに会うまでは全然意識もしていなかったが、この手のタイプも女性に人気が出そうなキャラだ。


(いいから、この子をどうにかしてちょうだい!)


 冷静にオセローを観察している一方で、ファナはオセローを振り解こうとしている。が、どうやっても出来ない。いつの間にか自分を越えたその力にファナは驚いたようだった。

 そりゃそうだろう。十四歳で成長期なんだから。


「……手を離して。少し静かなところへ行きたいだけよ」


 オセローが黙って首を振る。ファナがうんざりする。ホールを外れた端の攻防とはいえ、そろそろ周りの目も気になってきたのだ。

 しかしそれはオセローも同じで、思い通りにならないファナに少し苛立ってきたようだった。


「姉さんは子ども過ぎる。いい加減、自分が周りからどう見られているか考えなよ。お父様から言いつけられてる僕の身なんて、姉さんは考えたこともないだろうけどさ。みんな姉さんの上っ面に惹かれて、どうにかして口説き落とそうとしてるんだ。行かせる訳にはいかない」


 ああ、オセローはまだ分かっていない。ファナも今回の舞踏会で自分がそういう対象として見られるようになってきたのが分かってきたからこそ、ピリピリしているのだ。

 さっきから爆発寸前だったファナがぷっつんしたのはその時だった。


「なら貴方はそれを喜ぶべきよ。オセロー・レジーノ」


 ファナが突然オセローに体を寄せ、耳元ではっきりと言う。


「は?」


 オセローが怪訝な声を上げる。


「だってそうじゃない? 私が誰かと恋に落ちて結ばれれば、レジーノの家の外へ出て行くってことだもの。

 貴方は男の子だから家に残るけれど、私は女だから嫌でもいつか誰かと結婚したりして居なくなるわ。そうしたら、心配しなくても、グランテラー公爵家は貴方が継ぐのよ」


 遂に言った。ファナは、弟が継承権について姉であるファナに恐れを持っているのを知ってからずっと、オセローにどうにかしてファナが公爵家を継ぐことはないと言いたかったのだ。

 ちなみにそれを知ったのが、昨日。1日しか我慢ができなかったのである。

 ファナは普段は令嬢らしく振る舞ってはいるが、かなり直情的だ。前世の記憶を取り戻すこともなくエドワードに恋していたら、これが悪い形でライバルになるヒロインに降りかかることになっていたことだろう。

 体を離すと、オセローが微妙な顔をしていた。ファナの顔を食い入るように見つめてくる。とにかく、オセローが呆気に取られた隙に、ファナはオセローからまんまと逃げることが出来た。


(……スッキリしたわ)


 それはよかった。けど、オセローの言ってた通り、ファナを気にしてる男は多いし、社交の場で1人で居るなんて駄目なんだろう?


(大丈夫よ、ほら)


 後ろを確認すると、オセローは呆然としてはいるものの、ちゃんとぴったり後ろをついて来てはいる。ファナがオセローに向かってにっこりと笑った。


(どんなことを言っても、真面目なの。だから、お父様も信頼してるのよ)


 ああ、ファナのこういうところがオセローは苦手なのだろうに。

 すっかり毒気を抜かれたオセローを連れてどこへ行ったものかと周囲を見渡す。と、隅の長椅子に座った年配の女性と目が合った。

 明るいブラウンの瞳に、柔らかそうなオレンジの髪。

 この優しい瞳にはファナにも覚えがある。公爵夫人が開いたお茶会でお会いしたことがある。いつも流行のドレスを上品に着て、他の女性からも一目置かれているようなご婦人だ。

 ファナが慌てて挨拶する。


「お久しぶりね。せっかくだから、お掛けになって」

「ありがとうございます」


 勧められるがまま、隣に座る。ちらりとオセローを見ると、僕は座らないとでも言うように、少し離れたところに立っていた。

 ご婦人が扇子の影でファナに囁く。


「可愛らしい騎士さんを無碍に扱っては可哀想よ」


 はっとその瞳を見る。きっと先程の一部始終を見ていたのだろう。ファナの顔がまた熱くなった。


「ご挨拶もまともに出来なくて申し訳ございません。恥ずかしい限りですわ。弟ももうすぐ十五歳なのに、姉離れが出来ていなくて。

 今日も父と来ているのですが、他の御令嬢に話しかけられなくて、私を構ってばかりですの」


 あらあら、とご婦人が微笑む。


「どこも同じね。私の息子も、パーティーやお茶会に呼ばれても姉妹や従姉妹を追い回して世話ばかり焼いているの。そして終いには『お兄様のせいで他の方とお話も出来ない』なんて妹にまで怒られたりするのよ、可笑しいでしょう?」


 少し茶目っ気のある話し方。喋っているとほっとする雰囲気。ファナの苛ついた心が蕩けていくのが分かった。


「でも、それがきょうだいってものなのかしらね――あら?」


 ご婦人がホールの方を見て声をあげる。振り返ると、人の波を越えて公爵がちょうどこちらにやって来たところだった。

 公爵も長く話し込んだものだ。

 公爵がファナの横に居るご婦人に気がつき、挨拶する。


「やあ、アトウェル夫人。娘の話し相手になって頂いていたようで」

「いえいえ、私の話を聞いてもらっていたのよ」


 公爵夫人の知り合いということもあり、公爵も知っているご婦人らしい。親しげに会話を交わす。

 にしても、何だか聞いたことのある名前だ。


「この度はありがとうございました。夫人のお力添えでこのように素晴らしい生地が手に入りまして、娘のドレスもどうにか間に合いましたよ」

「それは良かったわ。とてもお似合いですもの」


 ファナの記憶によると、アトウェル夫人の家は繊維系や宝飾品を取り扱う商会の後ろ盾を昔からしているらしい。どうやら今回のデビュタントドレスの素材は夫人の商会に手を回してもらったもののようだ。


「今日はお嬢さん達とご令息もご一緒に?」

「ええ、今は席を外していますけれど。後で是非、娘達を紹介させて下さい」

「もちろんですとも。オセロー」


 公爵がオセローを呼んでアトウェル夫人に紹介する。娘達、ということは、オセローもついには社交界へ第一歩を踏み出し始めるのかもしれない。


(オセローが私以外と踊ったり喋ったりなんて初めてだわ。これで私に突っかかる暇がなくなると良いのだけれど)


 オセローがフロアに出るとなると、今度は公爵と待機、ということになるのだろうか。公爵の側に居ると、またファナが怒り出しそうな会話が飛び出てこないとは限らない。さて憂鬱なものだ。どうか夫人のご令息が女性の扱いに長けた男だといい。話だと女きょうだいに囲まれているとは言っていたが――

 はた、と思い当たる。

 なんで気がつかなかったんだ。女系家系で女性に囲まれて育った、アトウェルという姓を持つ攻略対象がいるじゃないか。軟派な伊達男、ジェシー・アトウェルが。


(また攻略対象? 私、今夜はもうたくさんよ)


 ファナの記憶ではジェシーに遭遇した経験はない。前世で設定した攻略対象のうち、確かにジェシーもオセローやエドワードと同じく、入学前からファナと繋がりがあったとしていた。

 どうも、学園に入る前に関係性の調整が入ってきているようにも感じる。しかし、ファナと攻略対象にまつわる設定は保留になっているはずだったが。


(貴方の設定なんか、あってないようなものじゃない。殿下やオセローにしたって。それに私、殿下にお会いしたけど――)


「ファナ、中庭が春めいてきて綺麗だそうだ」


 オセローの背中をアトウェル夫人に向けて押し出した公爵が、ふいにファナにそっと耳打ちする。


「ここに居ても暇だろう? オセローのことは気にせず散歩にでも行ってみるといい」


 散歩? オセローを気にせず、ってことはもしかしてひとりで行って良いということか?

 公爵は突然何を言うのか。嬉しくはあるが、突然すぎる申し出だ。その真意を測りかねる。


「はい、ではそうしてみます」


 意に反して、唇が滑らかに同意の言葉を述べる。すると公爵は満足そうに微笑んだ。

 どういうことだ? ファナはどういうつもりなんだ?


(いいじゃない。お父様が言うのだから。中庭へ行けば、そのジェシーに会わなくて済むわ。ここでその人に会わなかったら設定がどう変わるのか、貴方も気になるでしょ?)


 私はジェシーにまだ会わないでおくことにしてみるわ、とファナははっきりと心の中で宣言した。

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