第5話 悪役令嬢と『灰かぶり』

「さあ、旦那様、奥様。ご覧下さい」


 エマが自信たっぷりに言うところの『最高傑作』は、公爵夫妻、ナニーに大喝采をもって迎えられた。

 腰まで届く金髪を結い上げて、大きな白い羽と薄いベールを付ける。細やかな銀糸の刺繍と煌めくビーズが贅沢に散らされた白いドレスに、肘までの白い長手袋。

 結婚式の花嫁とも見まごう格好だが、現代でも貴族やセレブが続けているデビュタントの装い、というやつだ。これを終えると、ヨーロッパのご令嬢は婚約が可能な年齢・状況に達したと見なされたらしい。


「あんなに小さかったファナが、こんなに立派になって……」


 まだ上げ初めたばかりの後ろ髪を見つめて、グランテラー公爵が感慨深そうにそう呟く。

 つまり日本で言う元服や成人式のようなイニシエーションだ。感極まる公爵にもある程度の理解ができる。


「やっぱりこのドレスはよく似合うわね」

「ええ、こんな立派なデビュタントドレスは王室だって用意できませんよ」

「旦那様も奥様も鼻が高いでしょう。今日の舞踏会では、嬢ちゃまが一番素敵なレディでしょうからね」


 女性陣は寄ってたかってリボンやベールや羽根なんかの微妙な位置を直しては離れ、遠目で見てはまた近づいて直すを繰り返している。万事完璧にしなくては、と言う意気込みが凄まじい。古今東西、世界は違えどイベントで元気いっぱいなのは女性だろう。

 公爵は少し離れてゆったりとこちらを見てたが、オセローがずっとその背の後ろにいるのに気がつくと、その体をファナの方へ寄せた。


「オセロー、今夜の舞踏会ではファナをよく気遣ってあげなさい」


 公爵の影に隠れていたオセローが押し出されるように前に出て来る。今夜の付添人シャペロンは公爵とオセローだ。公爵には他にも大事なお付き合いがあるので、ファナに虫がつかないように取り計らうメインの防虫剤はオセローになる。

 周囲の絶賛にむしろオセローは何に皮肉を言うものかとワクワクしていたのだが、その緑の目をまともに合わすこともせず、もじもじとして部屋を出て行ってしまった。

 ふ。青いな少年。所詮はまだ十四歳。可愛いところもあるものだ。


(どういうこと?)


 弟が何も言わなかったのが不思議そうなファナに、オセローはファナがあまりに綺麗で照れたのだと説明する。オセローにとっては残酷な仕打ちかもしれないが、ファナが男心を解するメリットは先のことを考えれば大きい。


(ふうん)


 麗しの御令嬢は自分で聞いたくせ、オセローとこちらの気もしれず、気のない返事をした。

 鏡の中でファナと目が合う。なぜか少し不機嫌な顔をしているが、それでも美人は美人だ。ドレスアップした姿を見て、改めてファナという素材の良さに感心する。


(昨日はあんなにコルセットやドレスに文句を言っていたのに、貴方はご機嫌ね)


 コルセットはキツいが、それはそれ、これはこれである。みんながあまりに綺麗だとベタ褒めするので、自分の身体ではないのに流石に気分が上向いているのだ。

 たとえ、これからファナにとって重要な攻略対象・エドワード王太子との遭遇が決まっているとしても――

 鏡を見るのが楽しいという感覚は前世も含めて初めてだ。女性が変身写真を撮りたがったり、コスプレに興味を持ったりするのに対して共感は持てなかったが、こういうことなのか、とカルチャーショックを受けてハイになっているとも言える。

 前世で女装体験をしていたらこんな気持ちをゲームに込められただろうか。……いや、あの冴えない顔には映えなかっただろう。

 女装姿を想像したのか、頭の中でファナが令嬢らしからぬ大笑いをする。

 ええ、どうせ似合わなかったよ。素材にしろ性別にしろ全部が違うんだ。

 鏡の中を軽く睨むと、ファナは笑いを引っ込め、興味なさげな表情に戻った。


(まあ、私が美しいのなんて分かっていてよ)


「…………」


 二の句が注げない、とはこのことだ。確かに、家中の者から溺愛されて自尊心いっぱいのファナからしたら当たり前の概念かもしれない。それとも、生まれつき美しく生まれた者は、自分の美しさに無頓着だというやつだろうか。

 女性はみな、周囲が驚くほどの大変身をする『シンデレラ』にどこかどうか憧れるものだと思っていた。


(シンデレラ?)


 前世では有名なお伽話だ。

 ファナとの知識の共有はかなり欠落している。ファナが聞いたことが無いのなら、この世界には存在しないのかもしれない。


(どんな話なの?)


 周囲をちらりと見渡す。まだ時間は十分ありそうだ。暇つぶしにもなるし、こういう話はざっとでも話してしまうのが概念を説明するより早い。



 ――あるところに美しい娘がいた。母親が亡くなり、父親は再婚した。再婚相手の継母には二人の娘がいた。継母と継姉たちは性悪で、娘をいじめ抜いた。使用人扱いで家事をさせられ、いつも灰を被っていたので娘は灰被りシンデレラと呼ばれた。

 ある時、その国の王子様が嫁探しに舞踏会を開く。継母や姉たちは着飾って出かけて行く。しかしシンデレラには舞踏会で着るドレスもないし、継母が許すはずもなく、留守番を命じられる。

 誰もいなくなった家でシンデレラが一人で泣いていると、哀れに思った守護妖精が現れ、魔法でシンデレラにドレスとガラスの靴を出して着飾った。喜び出かけようとするシンデレラに妖精が言う。この魔法は十二時には解けてしまうから、それまでに帰ってきなさい、と。

 舞踏会に到着したシンデレラを王子様は一目で見初め、ダンスに誘う。楽しい時間はあっという間に過ぎ、約束の十二時が近づく。王子様は留め置こうとするが、シンデレラは王子様の前で魔法が解けるわけにはいかない。振り解くように逃げるが、急いでいた為にガラスの靴を片方置いて行ってしまう。

 魔法は解け、シンデレラは元の見すぼらしい灰被りに戻る。しかし王子様のシンデレラへの恋心は解けない。紆余曲折あって、小さなガラスの靴を頼りに、王子様はシンデレラをついに見つけ出す。そして2人は結ばれ、幸せに暮らした。めでたしめでたし。――



(ふうん)


 せっかく話してやったと言うのに、ファナはつまらなそうな反応を返してくる。

 なんだか今日は朝からずっと不機嫌な気がする。ファナが気のない返事をする時は、不機嫌な時なのだとだんだん分かって来た。

 ファナには子どもっぽ過ぎただろうか? ご都合主義のつまらない話と言われればそうなのだが、お伽話や昔話なんてそんなものなのだ。


(違うわ、全然ときめかなかっただけよ。だって、シンデレラが王子様の寵愛を受けたのは、舞踏会で見た目が一番美しかったからだけでしょう?)


 うーむ、と舌を巻く。

 『シンデレラ』でよく言われる批判だ。ファナが現代的な指摘をするのにも驚いたが、むしろ自分の見た目の良さを肯定するファナから出る言葉とは想定していなかった。

 しかし、ファナの本意はそこではないと次の言葉で分かってしまう。


(シンデレラが一番美しいのは、彼女がヒロインだから。継母や姉たちの容姿に言及が無いのは、彼女達が貴方の言う『悪役令嬢』って奴だからでしょう? シンデレラの母と結婚できる父親が選んだ継母の子どもなら、継姉たちも美しかったかもしれない。継姉だって王子様には、優しく振る舞ったでしょう。

 つまり、私にとってこの話の教訓は、『どんなに美しくとも、王子の前で取り繕っても、ヒロインには勝てない』よ)


 それは、ファナが悪いのではない。悪いのは――


(別に貴方を責めてるわけじゃ無いの。ただ、今はどんなに褒められても虚しいだけなのよ)


「ファナ……」


 切ない考え方に思わず、名前を呼ぶ。途端にはっと周りを見るが、誰も孤独なファナにも漏らした声にも気づいていないようだった。


(でも、前日だったとはいえ、貴方が目覚めてくれて良かったわ。そうでなかったら、私は何も気がつく事なくみんなを巻き込んで手酷い失恋をしていたでしょうから)


 ファナが周囲を見渡す。両親に、ナニーにエマ。デビュタントを迎えた『ファナ嬢ちゃま』を一目見ようといつの間にか部屋に集まって来た他の使用人達。執事や従僕、料理長に皿洗い女中、馬丁までもがファナのために集まり、ファナに優しく微笑みかけている。幼かったファナの小さな世界の全てがある。ここには居ないが、オセローだってその構成員だ。

 この小さな世界の中心だったファナの、蝶よ花よと甘やかされた砂糖漬けの子ども時代がもうすぐ終わろうとするのが、悲しくなる。


(良いのよ。結婚しても、結婚しなくても。婚家か修道院か……家のお取り潰しか。いずれにせよ、私はこの家を出て行くんだから)


 ファナの言葉には嘘偽りもなければ、虚勢もない。一種の諦観だ。継承権のない女性が幸せに生きる可能性を高める為に、より条件の良い相手と結婚する必要があった時代。一方で政略結婚に娘を差し出すのが当たり前の時代。そんな時代に育てられた娘の考え方だと思う。

 いくらグランテラー公爵が優しくとも、大流というものがある。数ある悪役令嬢もので悪役令嬢がヒロインを目の敵にしていじめるのは、恋心以外にも社会的な背景による執着があるのかもしれない。

 今日、朝からずっとファナがどことなく不機嫌だった理由がわかってくる。悪役令嬢は見方を変えればいわゆる『負けヒロイン』だ。誰も好き好んで負けたくなどない。それにファナは十五年間この世界で生きてきて、大事なものが多い。それを自分のせいで失うかもしれないとナーバスになっていたのだ。


(でも、私がすごすごフラれるのと、この家の破滅。それなら、さっさとフラれる方がずっとマシ。そうでしょ?)


 ファナが考えを振り切るように頭を振る。


(さ、そんなお伽話より、私は先輩の話や貴女の初恋の話がもっと聞きたいわ。どんな風に恋に落ちたの?)


「え⁉︎」


 今度の声は周囲の耳に届いたらしい。怪訝な顔をするエマ達を誤魔化す。まさかこんな状況で恋バナを振られるとは思っていなかったのだから、変な声をあげるのも仕方がない。とは言い訳できない。


(それで? どうだったの? 貴方の世界なら、身分や年齢に差があろうと、同性だろうと、パートナーになれるんでしょう? 自由恋愛が出来る世界ってどんなものなの?)


 記憶を覗いたのだから、前世の恋愛経験がどれくらいのレベルだったかは知っているくせ、ファナはずけずけと聞いてくる。


(それはそうだけど、貴方がどう感じていたかを知りたいのよ)


 そんな事、言語化できるもんじゃないだろう。もとより経験も少ないし、下世話な話題にも抵触する。ティーンの女子に話して喜ばれるような大恋愛なんてものはない人生だった。


(呆れた。そんな状態で恋愛の物語を作ろうとしてたの?)


 ファナが信じられない、とでも言うように、冷笑の声を上げる。

 言い訳がましいかもしれないが、大恋愛だけが恋愛ではない。それに、前世のマーケティング会社の統計によれば、成人した半数の男女が交際経験もなければ、結婚願望がある人の数も年々落ちていた。そういう時代に生まれた者の宿命なのだ。娯楽だって仕事だって色々あるのだ。価値観だって多様化する。言わば結婚しなくても幸せになれる時代。その時代の恩恵による『選択』を享受していただけなのだ。


(どうなのかしらね?)


 頭の中でのファナとの言い合いを収めたのは、ファナを黙らせるような素晴らしい言い訳ではなく、時間だった。


「さあファナ、そろそろ王宮に向かわなくては」


 いつの間にか盛装した公爵がファナに声をかける。公爵夫人とエマが最後の最終点検をしたがったが、時間だと言うなら、急がなくてはならない。

 玄関の馬車に乗り込むまで皆を引き連れて、白いドレスのファナは進む。先程部屋に来なかった使用人達があちらこちらからファナを見ている。通り過ぎる壁に視線を向ければ、磨き上げられたグランテラー家の誇る豪華な装飾に、ファナの美しい姿が万華鏡のように映り込んでは散っていく。


『……今日のシンデレラは誰が何と言おうと、ファナだと思うよ』


 先程失墜した信用を取り戻そうと心の中で話しかける。と、ファナが鼻で笑った。


(ふうん。ろくに恋もしてこなかった貴方に言われてもね)


 また『ふうん』か。さっきから何度も綺麗だと思っているのに、可愛くない。そこまで考えて、今のファナの返事が『ふうん』だけでなかったのにはたと気がついた。

 やっぱり乙女心というのは難しい。

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