第3話 悪役令嬢の問答

(サトウ・ヒロト⁉︎ 誰なの? なんなの⁉︎ これは、この記憶は――?)


 頭の中のが、混乱状態に陥っている。それでもみんなが出て行くまでは耐えていたのだから、弱みを見せないプライドの高さと公爵令嬢としての矜持は紙一重である。

 他人の記憶を見るという行為は、脳がパニック状態を起こすくらいの慌ただしい映画を無理矢理見せられるようなものだった。知らないことをさも実際に経験したかのように記憶領域に押し込まれる。

 前世の方がファナの生きてきた時間よりもずっと長いし、現代社会と中近世では世界の情報量が全く違うのだからファナの混乱は仕方ない。花の十五歳の乙女の精神に成人男性の記憶というのはキツいだろう。

 しかも、自分が生きてきた世界が誰かの想像によって作られた物語の世界だなんて、当然受け止め難い。この世界には『異世界転生』なんて概念はないのだから、SANチェックだったら自動失敗レベルのマイナス補正だ。


「ちょっと貴方、私の頭の中で当たり前のようにしゃべらないでちょうだい! 頭がおかしくなりそうだわ!」


 唇が意思に反して言葉を発し、自分で自分の中にいる男を注意する。

 言葉にすれば、こんな頭のおかしいことはない。

 それでも、健全な反応ではある。設定書の参考として読んだ悪役令嬢ものでは、前世の記憶を思い出した時に大体の主人公がパニックの発作を起こしたり、高熱を出したり、気絶したりしていた。

 額に手を当てれば、熱い。いろいろなことが起こりすぎて、知恵熱が出てきている。


「異世界転生小説の冒頭みたいだ……」


 と思わず声を上げて、自分もだいぶ混乱しているのを自覚する。

 ファナの方が混乱しているので相対的に冷静に考えていると感じていただけで、その実、現実が頭の中の認識と剥離しすぎて、自分の事として受け止められていない。

 カミサマが本当にカミサマだったことも、自分で作った世界の自分が設定した悪役令嬢に転生させられたことも。男性という自認のまま、若い女の子の体の中にいることも。何をしていても胸を締め上げてくるコルセットも!


(ちょっと、興奮しないでちょうだい! 頭の中でガンガン響くじゃない!)


 頭の中で甲高い声が響き渡る。

 どうも同じように思考の声がファナにも聞こえているらしい。


「君だって、そのキイキイ喚くのをやめてくれ!」

「わ、私がキーキー、ですって⁉︎」


 まるで一人芝居かコント漫才かのように、同じ口で口論する。

 なんて状況だ。大体、異世界転生の悪役令嬢ものなら、前世の記憶を思い出した時点で、人格が一つに統合されるのだ。なんでこんな二重人格のような状況になっているのだろう?


「人格を統合、って――この体は私のものなのよ⁉︎ 貴方に明け渡せるわけがないじゃない!」


 ファナの我の強さが原因だろうか?

 明け渡さなくてもいい、ただこんな状況は望んでいなかっただけ。別に好きでファナ・レジーノなんて波乱万丈が目に見えてるキャラに転生したわけがない。もっと楽に立ち回れるキャラはたくさんいた。こちらとしてもカミサマからの無茶振りに過ぎない。


「何ですって⁉ 聞き捨てならないわ!」


 ファナがそう叫んだ時、突如部屋の扉がノックされ、ドアが少しだけ開いた。

 どちらともなく口を抑える。ドアの隙間からは少年の声でこう言ったのが聞こえた。


「うるさいよ」


 誰だ、という思考に弟のオセローだとファナが頭の中で説明しながらこちら黙るように言う。ファナの隣の部屋はオセローの部屋とのことだ。


「あら、ごめんあそばせ」

「芝居の練習なら静かにやって。ああ、でも必要ないんじゃない? 姉さんが大声を出せば、さっきみたいにみんなが走ってやって来るんだから。それともみんなを呼ぶ練習でもしてたの? さっきのもお芝居?」


 あどけない声音とは裏腹に、言葉はきつい。

 オセローの言葉にファナがカチンと来たのが分かった。

 設定した通り、いやそれ以上にオセローは皮肉屋らしい。そしてファナのことを嫌っているのも設定した通りだ。

 しかし、オセローとのこれ以上の関係悪化は、ヒロインにオセローのルートに入られた場合の破滅度を増すだけだ。


「心配させてしまったのね。様子を見にきてくれてありがとう」


 ファナが言い返す前に、出来るだけ柔らかくオセローに感謝の意を述べる。頭の中で余計なことをするなとファナの怒声は響いているが、皮肉や嫌味を言ってくる奴には天然ぶった対応をするのが賢い。

 ほれ見ろ、オセローがびっくりして顔を出してきたじゃないか。まだ相手は子どもなんだから、こっちが大人の対応をしてやれば、恥ずかしい思いをするのは向こうだ。

 その顔ににっこりと微笑んで見せる。と、オセローは顔を赤らめて廊下へ顔を引っ込めた。扉が乱暴に閉められる。

 あのオセローを黙らせた、とファナが驚いているのがわかった。


「な?」


(……貴方、私の妄想や夢なんかじゃないのね?)


 ファナの語気が弱まった。先程は売り言葉に買い言葉でひどい言葉を投げてしまっている。オセローが十四歳で子どもなら、十五歳のファナも子どもだ。ファナに酷なものばかり背負わせているのに気がつき、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「夢だって思いたい気持ちはわからないでもないけど、そうだよ。言うなれば、君の『前世』ってやつだ」


 出来るだけ誠実に、知っていることを正直に話すようにする。それが伝わったのか、ファナも知識や前提の共有に協力的になったようだった。


(貴方はこの世界を設定したってことみたいだけど、この世界の創造主なの?)


 いや、大まかな設定はしたものの、厳密に言えば九割方作ったのはカミサマだ。ただ、世界観と主要人物を決めただけ。前世が世界のアイデアの元を作ったというのは受け止め難いだろうが、ややこしいなら全く違う世界の人間だから前世にカウントしなくても良い。


(……それで、私は貴方の設定のうちの何なの?)


 何か、と言われれば、グランテラー公爵令嬢のファナ・レジーノだ。キャラクターの役割は、ヒロインの恋愛の邪魔をしたり攻略対象との仲を引っ掻き回したりする悪役令嬢だが、狂言回しの役回りが多かった。

 とは言え、元は攻略対象の一人、第一王子エドワード・フローディスの婚約者という設定を付けようとしていた。それ故、エドワード王太子ルートに入ったら、ヒロインはファナから執拗な嫌がらせを受けることになっていた。


(ちょっと待って! 私が殿下と婚約? それにヒロインって何なの? 私が嫌がらせ?)


 エドワードとの婚約設定は先輩からのアドバイスでなくなったけど、ファナがエドワードに片想いをしてヒロインの強力なライバルになるというルートは考え始めてはいた。


「ヒロインは、この世界で紡がれる物語の主人公だよ。物語のジャンルは恋愛。ヒロインが誰を選ぶか何をするかで結末が変わる超重要人物。彼女は修道院出身で、女神の祝福を受けている。彼女が攻略対象に寄り添わないと、魔王が復活して世界は滅亡だ」


(重要人物だなんてレベルじゃないじゃない。そんな子をいじめるですって? それに、魔王って建国紀で女神様に封じられた魔王? 恋愛物語なのに、なんでそんな余計な設定にしたのよ?)


 主人公の重要度はいつだって最高レベルだ。最高でなければ、主人公ではない。それに、周囲は主人公が主人公ヒーローであるなんて最初は分からない。主人公が終盤までにやり遂げたことで主人公は主人公ヒーローとなるのだ。

 設定については、これを考えていた時は別世界の住人で、想像で作った物語世界でしかなかった。乙女ゲームを作る想定で作った設定書。ゲーム性やエンターテイメント性、ストーリー性を高める為に面白おかしく設定しただけ。自分が作った物語世界の住人にとってどうかなんて考えるはずもない。悪役令嬢がストーリーの犠牲になって、破滅しようと家が潰れようと、何とも思っていなかった。


(貴方の言うように、やっぱり、私のせいでグランテラー家は破滅するのね?)


 その辺りは、決めていなかった。乙女ゲームでは強烈なライバルが出てきたとしても、ライバルが完全に破滅する結末は少ない。悪役令嬢の小説が流行ってはいるけれど、実際にはああいう結末を迎えない。だから、逆に、この物語では何らかの破滅を迎えても良いかとも薄ら考えていた。


(創造主の立場って、勝手なのね。私を都合のいいキャラにして、それに魔王まで復活させるんだから)


「カミサマには製造責任を果たすように言われたよ。こうなったからには運命共同体だ。お互いに協力して、少なくとも物語の期間と設定された3年間は死なないように頑張るしかないだろうね」


 どちらの感情によるものか、大きなため息が出る。

 ファナも落ち着いてきたので、少し手をつけてそのままにしていた朝食を再開する。ファナはまだ、記憶やら世界のことをぐるぐると考えているようだ。無理もない。

 さっさと皿の上のものを食べ終えて、冷め切ったお茶を干す。カップをテーブルへ置くと、ファナが話しかけてきた。


(ねえ?)


「私、エドワード殿下に本当に恋するのかしら?」


 どういうことだ、とファナに問う。

 設定であれば、入学前には出会っているはずだ。ファナの記憶を探るが、確かに恋に落ちるようなコンタクトはない。


「私はまだ社交界デビューはしていないの。ずいぶん前にどこかで紹介されたことはあるけれど、きちんとお話したことがないのよ。

 それで、年齢的に少し早いのだけれど、明日の夜、『春の舞踏会』でデビュタントを迎えるの。そこで、2曲踊るのよ、殿下と」


 エマやナニー達がしきりに口にしていた『明日』について把握する。なら、ファナはこれからエドワード殿下に恋に落ちるのか。

 幼い頃に出会ってから、入学式直前の舞踏会で再会する素敵な王子様。ファナにとっては心踊るようなときめく体験で、ヒロインを疎ましく思うくらいには我を忘れてのめり込んでしまう甘い恋の予感を感じる出来事になっていただろう。――前世の記憶がなければ。


「ねえ、私が明日殿下を好きになったとして、どんなに殿下をお慕いしても、ヒロインが殿下を選べば私は失恋するの?」


 ヒロインが選べば、そうなるしかない。

 そう答えるのは、非常に心苦しい。まだ恋した記憶もない十五歳の女の子にとってみれば、始まる前から叶わないと分かっている恋なんて残酷でしかない。安易に設定に組み込もうとした後ろめたさをひしひしと感じる。


(そう、恋すれば私はひどく傷つくだけなのね)


「そうなる可能性が高い、かな」


 分かったわ、とファナは立ち上がり、いつもの午前と同じように外国語の教本を手に取った。どうしようも無いことはどうしようもないと、いつも通り過ごすように決めたらしい。本当に、プライドの高さと公爵令嬢としての矜持は紙一重である。

 音読を始めてしばらくすると、メイドが部屋に入って来て食事の食器などを片付け始めた。

 このの意識の混濁がなければ、前世の記憶が無くなったなんて嘘のように時間が過ぎていく。しかし、ファナに投げかけられた宿命は消えるものではない。ファナは時折、ふと手や思考を止めて考える。


(私、殿下に恋するようになるのかしら?)


 ファナは、夜になるまで繰り返し繰り返し、この質問をファナ自身に投げかけていた。

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