女生徒

 飯沼の言う通りに家庭教師の登録をして早一週間。

 俺は今日も大学にあそ……勉強をしに来ていた。コンビニバイトまで時間もあり、かつ渚もこの時間は地元の大学で講義を受けていることが分かっていたので、手持無沙汰の結果アパートから程なく近い大学へと来たのだった。

 三年になり、履修登録をした時から思っていたがやはり講義の数が激減したせいで随分とのんびりとした学生生活を送れるようになった。三年時以降は、必修科目が多すぎると留年生の数が激増するからこういうカリキュラムになっているそうだ。まあつまり、これまでそれなりに勉強をしてきた甲斐が今の俺のスローライフの理由だった。


 飯沼がわざわざ川口から大学へ足を運んでいると知って、俺は彼がいるらしい軽音楽部の部室へ向かった。軽音楽部の部室は駐車場の手前のプレハブ棟の中の二階に位置していた。


「うっす」


 前々から聞いていた部室の暗証番号を入力し、部室に侵入し俺は言った。ただ知っておいて欲しいのは、俺は別に軽音楽部には所属していない、ということだった。これまでの学生生活とは比較にならないほど、大学生活の環境はゆるゆるだった。


「おー、どうした」


「暇だから」


 それ以上の理由は、最早必要なかった。


「お前軽音部じゃないべ」


「軽音部以外入ってはいけない道理はないだろ」


「いやあるよ。そのためのカギだよ」


「つべこべ言わず客人をもてなさないか。出向いてやったんだぞ、俺は」


 地べたに座り踏ん反り返ると、偉そうな俺を見て飯沼は笑っていた。


「そろそろ松本と鈴木も来るから」


「そう」


 松本と鈴木は、飯沼同様俺と同じ科を専攻する友人だった。新入生レクリエーションで、一番最初に仲良くなったのが彼らだった。彼らは自らの趣味であったためにバンドを組むんだと軽音部に入った。唯一俺は興味がなかったから軽音部に入らなかったが、彼らは俺との関係をないがしろにすることなく、今でも頻繁に俺と遊んでくれる良き友人だった。

 軽音部に入る彼らの腕前は並の並。趣味の域を超えない。ただ楽しそうに演奏をする彼らを見ているとこっちまで楽しくなるのだから音楽と言うものは凄いものだと思った。


「最近、彼女とはどうなの」


 飯沼が先週知った俺の交際状況を尋ねてきた。


「どうもこうも。遠距離だからな」


「頻繁に地元帰ればいいじゃん」


「将来を思うとそれも結構大変だろ。貯金もしたい」


「そんな堅実な生き方している大学生、お前くらいだよ」


「貯金残高五百円の奴はもっと俺を見習え」


 飯沼がうるせえと文句を言って笑った。俺も釣られて笑った。


「宗太お前、カテキョのバイトはどうなったんだよ。それで稼いでさっさと帰ればいいじゃん」


「そう、それだよ」


 飯沼の言葉にようやく思い出して、俺は彼を指さした。


「なんだか全然紹介されないんだけど、どうすればいいんだ、これ」


 家庭教師会社に登録をして早一週間。未だ連絡のこないことに俺は憤りを見せた。


「そんな条件厳しくしたのか?」


「まさか。これでもぼちぼちの大学通っている身だぞ。大抵の教科も教えられるだろうし、結構幅広い選択をした気がする」


「じゃあそれが過大評価なことがバレたんだ」


「それかー」


 そうだとしたら、救いようがまるでない。


「……まあ、多分違うと思うけど」


「そう?」


「他にはどんなこと設定したんだよ」


「他には……か」


 言われてようやく、俺は未だ一人の生徒も受け持つことが出来ない状況の対策を取ろうと思った。先日登録した条件のいくつかを頭の中で羅列し、問題ありそうな項目がないかを考えてみた。


「いやー、思いつかん」


「そう? まあ一週間だし、気長に待てば?」


「……それもそうだ」


 納得しかけて、ふと思った。


「そう言えば、対象生徒を男子限定にしたな」


 先日渚と約束した内容を思い出したのだ。


「……それじゃね?」


「えー、そう?」


「いやだって、人間って大義的に考えると男と女の二種類しかないんだぞ? それなのに片方の人種を捨てたら単純に引っかかる可能性二分の一になるわけじゃん」


「男女の母数がイコールとは限らんだろう。母数的に考えたら……」

 

 俺は言いかけて、頭の中で考えた。

 家庭教師の生徒として、男女どちらが多いか。


 家庭教師と似たような機関としては、塾が当てはまるだろうか。


 塾と家庭教師のメリットデメリット。

 塾はキチンとした講師が就くことだろうか。ただし、専任にはなりづらいことがデメリットだろう。

 であれば、家庭教師のメリットは……専任講師が家までわざわざ出向いてくれること。つまり子供を夜道出歩かせなくて済むこと。


 男子なら多少夜道を歩かせて問題ないと思うだろう。まあ、例外もいるだろうが。

 反面、女子は……。


「ちょっと条件変えるか」


 なんだか答えを見つけた気がした俺は、渚との約束を反故にして条件を女子も可に変更した。まあ間違いなく問題は起きないし、こうしても男子が引っかかる可能性は十二分にある。

 

 それからしばらく、飯沼、松本、鈴木の並の並の演奏を聞き、俺は気が済んだので家へと帰還するのだった。

 その帰り道、電話が鳴った。相手は家庭教師会社で先日飯沼に紹介された男だった。


 一人、受け持って欲しい生徒がいると言われたので、俺は真っ先に男か女かを尋ねた。下心があるかもと思われたのかもしれないが、女と聞いてゲッと唸ったから相手に絶句された。

 その晩、渚に電話をし女生徒の家庭教師を受け持つことになったことを連絡した。あくまでお金のため、不貞は働かないことを強調したら……、


『誓約書を書きましょう』


 おぞましい提案を彼女にされたのだった。


「内容は?」


『もし宗太が他の女の子に手を出したら……』


「手を出したら?」


『あなたを殺してあたしも死ぬ』


 背筋がゾクリと冷たくなった。彼女はその後、あくまで冗談だと笑っていたが、日頃の彼女の行い、口振りからとてもそうだとは思えなかった。

 ただそれは果たして、誓約書に書くような内容なのだろうか。


 そうして次の週の月曜日、約束していた住所に学校終わりの十八時頃に俺は訪問した。


 まったく他人の家に入ることは、いつ以来だろう。

 心なしか緊張する体を押して、インターフォンを押した。


「あら、家庭教師の方?」


 しばらくして出てきたのは、恐らく女生徒の父兄。というか母親だった。


「はい。初めまして、櫻井宗太と言います。本日からよろしくお願いいたします」


 丁寧に一礼して、事前に言うと決めていた定型句を棒読みした。


「はい、よろしくね。さあ、上がって」


 人当りの良さそうな父兄に、俺は安堵しながら続いた。恐らくこういうのは、生徒と講師間というより親と講師間の方がトラブルが多くなりそうだと思っていたからだ。


「宗太君でいいかしら?」


「はい。皆からもそう呼ばれていますので」


「あらあら。じゃあそう呼ばせてもらうわ?」


 慣れない空気に変なことを口走って笑われてしまった。恥ずかしくてそっぽを向きながら頬を染めて苦笑した。


「娘の部屋は二階だから」


「あ、はい」


 玄関を上がって目の前の階段を昇って二階に入った。ひいじいちゃんの代から建て替えていない我が家と違い、女生徒の家は建てたばかりなのだろうか、新築同然のようにきれいだった。新鮮な気持ちになりながら女生徒の部屋まで続いた。


「菜緒。センセイ来られたわよ」


 女生徒の母が部屋を数度ノックして、返事も待たずに扉を開けた。この辺は実家での俺の部屋でも度々された行動だったが、世間一般ではこうなのだろうかとふと思った。


「さ、入ってください」


「はい、失礼します」


 恐縮しながら部屋に入った。


 女生徒は……。


「こら菜緒、センセイ来たって言ってるじゃない」


 勉強机に向かってスマホゲームを楽しんでいた。


「もー、うるさいなあ」


 赤の他人の前でも我を忘れない子なのだなあと思った。褒めてないように聞こえるかもしれないが、これでも多少は褒めていた。


「センセイ来たって言ってるでしょ。ちゃんと挨拶しなさい」


「うるさいなあ」


 女生徒は、煩わしそうに立ち上がってこちらに向き直った。まるで品評でもされているかのように、女生徒は俺の全身を舐め回すように見た。


「……井上菜緒、よろしく」


「櫻井宗太です。こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします」


 丁寧に礼をするも、向こうはそれに応じた様子はなかった。多分、いや絶対、既に舐められている。

 最近の中学生って高圧的なんだなあと思った。怖い。


 ……ただなんとなく、どことなく渚と似ているな、と思わされた。雰囲気というか、顔立ちというか。


「何じろじろ見てるのよ」


 前言撤回。

 彼女は愛しのマイスイートハニーとは、どうやら似ても似つかないようだ。

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