第5話 冬将軍の庇護

 慌ただしく去るコソボ解放軍とムジャヒディーン。

 彼らの視界から自分が外れた距離だろうと確認し、そのまま放置された野営地に足を踏み入れるコヴァーチ。

「あ……フフッ。これってハラムじゃん。フフフッ」

 テントの奥に隠れる様に置かれていた酒瓶。よく見ると酒瓶には、米ドルの値札がつけられている。

 アルバニアの戦車を止めるなら、戦車を押してるアルバニア人を撃てばいい(※1)。簡単なことじゃないか。


 身を守れそうな武器を探さなくては。大きい銃は僕の力では扱えないから、銃ならコンシールドキャリーかサブコンパクトを。それからナイフ。

 兵士たちが置いて行った武器で、何か鹵獲ろかくできるものがないか、複数あるテントを捜し歩く。一番中が整理整頓されてるテントに入って探し始めた時、奥にある粗末な机の手前に、光るものが落ちていた。銃弾かと思い近づくと、最愛の父がいつも身に着けていた八端十字架の右側が、土にめり込んでいた。土に軍靴の跡が強くつけられてるから、あの凶暴なイスラム教徒たちが、父さんの大事にしていた十字架を、踏みつけたんだろう、と悔しく思いながら十字架を拾い上げると、近くに数十本の長い金髪がパラパラと落ちている。

「この色と長さ……きっと父さんの髪だ……」


 ドラガンは顔や瞳だけでなく、髪や立ち居振る舞いの美しさも評判だった。バイオリン演奏家としても勿論だったが、その美しさから楽団もソリストとして、ドラガン単独のCDを販売していた。新譜が販売される度、多くの女性たちが買い求め、美の化身が織りなす美しい旋律に蕩けた。

 その若さと髪の美しさを保つ秘訣を教えてほしい、と言いながら、ドラガンに不倫や略奪を持ちかけ、色を仕掛け誘惑する女優や一流モデルもたくさんいた。社交術とビジネスマナーをわきまえていたドラガンは、美容法や普段自分が行っている手入れ・生活習慣について丁寧に受け答えるし、単に不倫を持ちかけられるだけなら、あくまで丁重に紳士的に、相手が気分を害さない程度に、やんわりと拒否をしてはいた。しかしある新人モデルが、


「奥さんがあんなにブスじゃ、夜の方も不満よね? でも、お子さん3人もいるって、あんな奥さんでも勃つものなの? 義務で頑張っちゃったのかしら、ウフフフ。ミロシェヴィッチさんって40歳なのに、とっても若く見えてステキな人。奥さんより私の方が若くて美人で魅力的なんだから、私に乗り換えたいと思わない?」


 略奪目的でイェレナを揶揄した途端、いつも穏やかで争いごとを好まないドラガンが、周囲にいたスタッフ数人がかりで押さえつけねばならぬ程激しく怒り、その相手には二度と面会を許さなかった。正しく新人モデルは、恐怖のあまり人目もはばからず失禁し、脱兎のごとく逃げ出した。

 それからドラガンに不倫を持ちかける際、イェレナの揶揄はご法度、と美女達の間では冬の山火事より早く広がっていったと同時に、不倫を持ちかけようとする者もいなくなった。


「あの時は楽団のマネージャーさんどころか、相手の社長さんが家まで来て謝罪して、父さんを宥めるのに骨を折ってたなぁ。父さんは司祭様みたいに立派な人なのに、そんなに怒るって、相当相手の女の人がひどかった、ってことだよね。まぁそうだろうな、見るからに頭悪そうだったし。結局母さんが父さんを抱きしめて、父さんの髪を撫でてたら、ようやく事態が収まったんだっけ。父さんは母さんの事が本当に大好きだし。ふふふ。お兄ちゃんが言ってたな、父さんは優しすぎて本当の気持ちを中々明かさないから、相手の女が勘違いするんだー、って」


 父の物であろう金髪を拾い上げ、周辺を確認する。この辺りには血痕がない。しかし、机から少し離れたところには、ついてから時間が経っていないだろう血痕が存在している。これでは父が無事なのか殺されてしまったのか、その血痕が父の物なのかすらわからない。

 ここに父の遺体がないということは、奴らに連れ去られたか、別の場所で処刑されたか……生きていたら、必ず取り返す。想像したくないが既に処刑されていたら、母や姉兄と一緒に埋葬してあげなければ……。

 遺体を持ち帰ることができないコヴァーチは、殺された三人の遺体を清め、別れの口づけをした後、それぞれが亡くなった場に埋葬した。しかし両親の生まれ故郷とは言え、ここは見知らぬ土地。せめて遺髪だけでもみんなと一緒に……と思い、束ねて大切にしまっていた。そこにドラガンの髪を新たに加え、武器探しを再開する。


 ようやくサイズの小さい(※2)ワルサーPPK/Sを発見し、これなら扱えるだろう、と何度か試し打ちをする。無駄撃ちはしたくないが、初めて使うのだから仕方ない。

 精度も悪くない、僕の腕なら当てることも難しくない。予備の弾丸を探しだし、入れられるだけ鞄につめる。ナイフはベルトごとたすき掛けにして、持っていこう。

 出立前に、置き去りにされた未開封のレーションと水を口にするが、味を感じられず、イェレナが作る鶏料理や、ウルシュラが作るお菓子を思い出す。

「母さんやお姉ちゃんが作ったものが、また食べたいよ……」

 止められぬ涙をぬぐい、いくつかの携行食と飲料水を持ち、その場を後にした。




「中尉、先ほど小型拳銃の発砲音が4度。敵勢力の数は不明です」

 タンクデサントで装甲車の上にいた大柄な兵士から中尉と呼ばれた男は、地図を一瞥し興味なさげにタバコを吹かす。

「この辺りに集落はないはずだが? さすがにアルバニア人どもも、こんなところにはおらんだろうよ。そんなに気になるなら、貴様が1人で偵察に行け、ボグダノフ少尉」

 イゴール・ボグダノフ少尉24歳。ロシア人の父とチェコ人の母の下に生まれ、兄が一人。サンクトペテルブルグの大学を卒業した後ロシア陸軍に入隊し、すぐスペツナズへ。特殊訓練を好成績で修了し、真面目な性格で上官からの評価もよいが、自分より幾分小柄なこの中尉とは、どうしてもが合わない。しかし仮にも上官である彼に逆らうなどできるわけもなく、仕方なく一人で偵察に行く。

「……20分ほどで戻ります」

 イゴールは隊の全員に形式的な敬礼をし、AK-104を携え銃声が聞こえた方角へ歩き出す。


「私一人に行けと……中尉はいつも私につらく当たるな……」

 ため息をつきながらも、目立たぬ様進んでいると、小さな人影が見えてきた。

 双眼鏡を覗くと確認できた、透き通る様な白い肌。どう見てもアルバニア人の子供ではない。頭に汚い布をかぶっているが、着ている服は上等なものだった。あの服は……プラハの腕のいい仕立て屋の商品だ。イゴールはカロチャ刺繍が施されたシャツを見て、この子供がチェコかハンガリーから来た子だと想像した。怖がらせぬ様近づかねば……。


Si Čechチェコ人か ? Nebo jsi Maďarそれともハンガリー人か ?」

 イゴールはAK-104を下ろしたまま、両手を軽く挙げて子供に話しかける。突然聞こえたチェコ語に、子供は驚いて顔を上げた。視線はイゴールの顔ではなく、左肩を見ている。用心深い子だ。

「……Jsem Srbセルビア人です. Z Prahyプラハから来ました

 セルビア人だと言う子供をよく見ると、プラチナブロンドに冰の様なアイスブルーの瞳。


「君はこんなところで、何をしていたんだい? それにセルビア人なのに、何故チェコ語が話せるのかな? プラハから来たのかい?」

 怖がらせない様、しゃがみこんで話を聞くことにした。

「あなたこそロシア兵なのに、チェコ語が話せるのは何故ですか」

 物怖じしない子だ。それにずいぶん話し方が大人びている。

 ……しかし、目線の鋭さと冷たさが気になる。まるで冰の瞳をはめこまれた、美しい人形の様だ。

「私はイゴール・ボグダノフ。ロシア陸軍の少尉だ。ロシア人だが、母がチェコ人だから、チェコ語が話せる。私は他にも、英語、日本語、ドイツ語が話せるぞ。子供の頃は、よくプラハへ遊びに行ったよ。君の名前は? プラハのどの辺りに住んでたのかな?」

「……僕はコヴァーチ・ミロシェヴィッチ。家はI.Pイー・ペー.パヴロヴァ(※)に近かったです。父が演奏家で母が作曲家でしたから、国民劇場ナーロドニー・ディパドロからあまり遠くない方がよくて」

 変わった名の子だ。発音だけで考えれば、日本にも姓と名で同じ発音のものがあるが、スラブの文化圏ではあまり聞かない。見たところ10歳になってはないぐらいだが、子供特有の抽象さが少なく、かなり具体的な説明をするが、肝心な事は語らない。相当知能が高いのだろう。


「あの」

 コヴァーチはおもむろに厚いコートを開き、先ほど鹵獲した武器をイゴールに見せる。

「イゴールさんが強い兵士だろうと思ったので、お願いがあります。これらの使い方を、僕に教えてください。理屈上の使用法はわかっています。でも実際に使うとなると話は別だから」

 イゴールはすぐには答えない。国際法から考えても、こんなに幼い子供に武器を扱わせ戦闘に参加させるのは、戦争犯罪とみなされる確率が高い(※4)。

「力がない僕は戦闘に参加しませんから、そちらが有罪になる確率は低いと思いますよ。

 僕は両親の故郷であるベオグラードまで行って、ここで殺された家族のお墓を作りたいだけです。それが遂行されるまでの間、身を守る必要があります。だから、武器の使い方を教えてください」


 戦場では民間人は保護し、人道的に取り扱う義務がある。私が頼めば、隊長はなんとか聞き入れてくれるのではないだろうか。

「……ずっとついている訳にはいかないだろうが……セルビア軍か警察に君を引き渡すまでは、傍についていられる様努力するよ」






 ※1…ルーマニアのアルバニアジョークと言われている。

 ※2…全長158mm。

 ※3…プラハの新市街でも、街中と住宅街との中間的なところで、それなりに都会。トラムと地下鉄、両方の駅があり、観光客にもよく利用されている。

 ※4…1998年採択の国際刑事裁判所規程8条と26条による。

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