第41話 開かれた扉

「な、なんだっ……!? あれっ……」


 確かに、あの光景は夢で見た光景と全て同じだった。

 薄暗い地下室、妊婦、そして、その腹から現れた腕。

 現実と夢が溶け合ったようで、視界がくらくらと揺れる。本当に、現実なのか、これは。

 これだけの短時間に、この世のものとは思えない出来事を体験し過ぎたせいで、夢でも見ているのではないかという錯覚に陥る。

 しかし、これは紛れもない現実だ。血の臭いが──まだ鼻に残っている。


 御子は俺の腕を引っ張りながら、出口に向かってきた道を戻るように走っていた。


「御子……! な、なんなんだよ! あのバケモノ、それに、ここで起こっていることって……!」


「多分、これは儀式だと思う。私達は今、それに巻き込まれている。“イカレカルト”が……何を呼び出した」


「儀式……これが……」


 この集団自殺が、儀式の一環だと。

 それに何の意味があるんだ。自分達の命を捧げてまで、奴等は──あの腕の持ち主を呼び出そうとしていたのか。


「とにかく、蓮くん。今はここから離れることだけ考えて。相当ヤバい空間になってるからっ」


「どういう意味だっ!?」


「説明しにくいけど、生と死がグチャグチャになってるって感じ。この集団自殺は……それを引き起こすための起動装置トリガーの可能性が高い……あった! 蓮くん、あれに乗るよ!」


 死体が大量に転がっている校舎を抜け、俺達は門の前に辿り着いた。

 御子はその門に止められている車を指差す。

 あの車に乗って、ここから脱出するつもりだったのか。


 車のドアを開けようとするが、ロックがかかっているようで開かなかった。

 この車は使えない。やはり、徒歩で移動するしかないのか。

 そう俺が一瞬考えた時──パリンと、ガラスが砕ける音が鳴った。


「よし。乗って」


 御子は拳銃の銃床で車の窓を叩き割り、内側からロックを外す。

 そして、即座に運転席に座り、後部座席に座れとアイコンタクトを送る。

 色々、思うところがあったが──今はそんな場合でもない。俺は彼女に従った。


「鍵は……あった。これか」


 車のエンジン音が響いた。どうやら、無事に動くらしい。

 その時、ふとある疑問が頭に過った。


「御子、免許持ってるのか?」


「大丈夫、運転は出来るから」


 免許を所持しているのか、という問いに対して、帰って来た答えは──運転は出来る。

 どう考えても返答になっていない。しかし、運転を変わろうにも、俺は原付の免許しか持っていなかった。

 やや不安は残るが、今は彼女に任せるしかない。


「出すよ」


 御子はハンドルを捌きながら、発進させる。

 車は無事に動き出し、門を抜け、惨劇の校舎から離れて行った。


「……はぁ」


 山道へと風景が変わり、俺は大きな溜息にも近い呼吸を吐く。

 安堵した。一応、脱出成功でいいのか。

 カルトに潜入、拳銃自殺、集団自殺、妊婦、そして──バケモノ。

 何だったんだ。本当に。あそこで、何が起きていたんだ。


「……御子、いいか。さっきの話の続きなんだが、儀式って……どういうことだ?」


 後部座席から、俺は彼女に質問する。


「私も、詳しいことは何も分からないから、推測の域を出ないけど……あいつらが集団自殺をした目的はあのバケモノを呼び出すため、だと思う。扉を開く、ってあの司祭が言ってたでしょ。多分、その扉ってのはあの妊婦の腹と繋がってる」


「扉……あれが?」


 “天国の扉”。

 奴等の目的は扉を開けて、天の国に渡ることだと言っていた。

 その開けた扉から、あの腕のバケモノが出てきた──ということか。


「……そう考えると、一応全ての事象は説明出来る、だけど……問題なのが、妊婦の腹から出てきたあのバケモノ。あれは……悪霊の影なんかじゃない。私ですら、今までに見たことも感じたこともない種類だった」


「…………」


「生者でも、死者でもない。文字通り“この世の者ではない”って言うのかな。そんな気配がした……アレにはなるべく、関わらない方がいいよ。だから、とりあえずはこの車で町まで避難しよう。これからの話はまたそこで」


 あの御子ですら、一目見て、逃走の一手を選択した存在。

 その正体は一体何だ。死者でも生者でもない。まさか、本当に神だとでも言うのだろうか。


「……あっ」


 一つだけ、そのバケモノの正体に心当たりがあった。

 そうだ。そいつの“名”は始めから知っている。


「あいつが──彁混神かまかみ



 ドンッ


 キイイイイイイ



 その名を口に出した瞬間、車体が大きく揺れた。


「な、なんだっ!?」


「……追ってきた。上にいる」


 追ってきた、だと。

 嘘だろ。こっちは車だぞ。追い付けるはずがない。

 この真上に──いるのか。あいつが。


「振り落としてやる。シートベルト締めてね」


 そう言うと、御子はハンドルを切った。

 左右に車体が大きく揺れる。


「……っ。しつこい、離れないな。蓮くん、ちょっとこれ使って」


 御子は俺に何かを放り投げた。


「これ……銃かっ!?」


「そう。私は今、手離せないから、それを上に向かって撃って。安全装置は外してね」


「う、撃てって……」


 いきなり実銃を渡されて、はい分かりましたと言えるやつは一体どれだけいるのだろうか。

 そもそも、安全装置というのはどこにあるんだ。

 その時、戸惑っている俺を差し置くように、車体が左に大きく傾く。


「……蓮くんっ! 捕まって!」


「なっ……!?」


 視界が揺れ、天と地がひっくり返る。

 山道で、俺達が乗っていた車はけたたましい音を鳴らしながら、横転した。



 ◇



「……っつ。な、んだ……これ……」


 一瞬、意識を失っていた。

 なんだ、何が起こった。記憶を遡り、前後の出来事を思い出す。

 そ、そうだ。確か、あの施設から脱出して──車が横転したのか。全身が痛い。


「……っ。御子……?」



 顔を上げ、周囲を確認すると──人差し指を口元に立てている御子と目が合った。

 静かに、という意味だろうか。俺は慌てて、口を手で覆う。


 すると、御子は携帯を取り出し、何かの文章を打ち込み始めた。

 数秒で入力が終わり、その画面を俺に見せる。


『声を出さないでね。大丈夫? 怪我はない?』


 コクリと、俺は頷いた。

 その動作を確認した御子はまた何かのメッセージを打ち込む。


『まだ、上にいる』


「……っ!?」


 咄嗟に、首を上に向ける。

 この上に──いるのか。あの黒い腕の持ち主、彁混神が。


『蓮くん、私があいつを引き付けるから、そのうちに一人で逃げて』


 続けて、御子は画面を見せる。

 その文字列を見て、必死に首を横に振ってしまった。


 無理だ。いくら彼女でも、一人で対処する相手ではない。

 そんなことは俺でも分かっていた。危険過ぎる。


『大丈夫、勝算はあるよ。準備してきたって、言ったでしょ』


 御子は手に持っているバッグの持ち手を見せつけるように動かす。


『私が引き付けている間に、蓮くんは安全な場所に避難して。でも、油断はしないでね。まだ教団の生き残りがいるかもしれない。そこに落ちている拳銃は蓮くんが持って行って。安全装置は後ろに付いているレバーを降ろせばいいから』



 御子は視線を俺の斜め後ろへと向ける。

 そこには先程まで持っていた拳銃が小石のように転がっていた。


 俺が銃の場所を確認すると同時に、御子は車外に向かって、飛び出した。

 直後、車全体が何かが飛び去ったように、大きく揺れる。


「み、御子……」


 俺は──彼女を見送ることしか出来なかった。

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