第35話 神民山
そして、二日後──とうとう、この日がやって来た。
御子が奴等に呪い返しをしてから、この数日間は影が一度も部屋に現れることはなく、今までの恐怖が嘘だったかのように、平穏に過ぎて行った。
だが、逆に、その静かさが不気味でもある。まるで、早く来いと俺達を誘っているようだ。
「……よし、行くか」
帽子を被り、時刻を確認する。現在は午前9時30分。
御子との待ち合わせは駅前で午前10時、ちょうど良い頃合いだった。
体調は万全だ。前日に睡眠は十分に取ったし、食事も喉を通った。
後は──元の日常を、取り戻すだけ。
これで、本当に、今日で全ては終わる──はずだ。
「おや、白川君。大学かい?」
「おはようございます。大石さん。えぇ、まあそんなところです」
鍵を閉め、アパートから出発する寸前に、アパートの大家の大石さんに声を掛けられた。
「……で、どうだい。その……“例の件”については」
例の件──あぁ、そうか。
大石さんにはあの部屋でまた怪奇現象が起きていると伝えており、引っ越すかどうかについては保留になっていた。
「……えぇ、そうですね。決めました。あの部屋は俺の物ですよ。絶対に、引っ越しなんかしません」
そうだ。この部屋の家賃を払っているのは影でも、カルト共でもない。
所有者は俺なんだ。あんな奴等の都合で引っ越しなんて、してたまるか。
あれ、何か──いつの間にか、御子の性格に影響されたような気がするな。
「おぉ……そうかい。いや、無理はしなくていいんだよ。困ったことがあったら、いつでも相談しなさい」
「えぇ、ありがとうございます。行ってきます」
「いってらっしゃい。気を付けて、帰ってくるんだよ」
「……はい、絶対に……帰ってきます」
◇
駅に到着した俺は時計で時刻を確認する。
待ち合わせ10分前か。予定通りだな。
御子の姿は──あぁ、やっぱり、先に到着していた。
腰まである特徴的な長髪。黒を基準にした、喪服のような
その姿は遠目からでも、十分に彼女の存在を主張していた。
「ごめん、待ったか?」
「ううん、私も今来たところだから」
御子は笑顔で返事をする。
何となく、彼女とこれまで過ごして、それが嘘だというのは伝わった。
30分前、いや1時間前にはもう到着していたんじゃないだろうか。
それが少し──気に食わなかった。
いつか、俺が先に待ち合わせ場所に到着して、驚かせるというサプライズを仕掛けてみるか。
「じゃあ、行こうか。途中まではタクシーで行くね」
御子と共に、タクシー乗り場に移動し、乗車する。
「どちらまで?」
「“
神民山、ここから車では一時間の距離にある山だ。
標高は確か、300メートルか400メートルだったか。そこまで高い山というわけではなく、ハイキングをするにはちょうどいい程度。
そこに、奴等の拠点があった。
車内での御子との会話はほとんどなかった。
タクシーの運転手がいる状態では公に話すことは出来ず、ただ無言で、お互い外の景色を眺めたり、スマホを弄る。
そうこうしているうちに、外の景色が都会のビルから、緑の風景に変化していた。
「ここでいい。降ろして」
「いいんですか? ここ、何もないですけど」
「いいから」
山の
運転手の人、不思議そうな顔で俺達を見ていたが、果たしてその目にはどう写っていたのだろうか。
まさか、山で心中するカップルとか──なんて、縁起でもないか。
「ここで降りて良かったのか? まだ、建物自体は距離があるんだろ?」
「うん。でも、本部自体は山道の中で多分タクシーだと入れないと思うし、あんまり無関係の人を連れて行っていい場所でもないでしょ。邪魔だし」
「……まあ、そうだな」
「歩きながら、段取りについて説明するね」
教団が集団生活をしているという廃校舎跡を目指しながら、俺達は道路を進む。
標高がそこまで高くない山ということもあり、途中までは車でも登れるようになっていた。
マップによると、もう少し進み、左折して外れたところに──例の校舎があるはずだ。
「一応、確認しておくね。私達は……天国の扉への入信を考えているカップルって設定。名前は“浅井”と“高山”。今日は見学ってことで、ここに訪れた。向こうではなるべく、奴等の指示に従って」
「……あぁ、分かってる」
「蓮くんは顔を知られている可能性があるから、絶対に帽子は外さないこと」
改めて鍔を掴み、帽子を深く被る。
正直、変装にしてはお粗末だと思うが──仕方ない。ないよりはマシだ。
「多分、どこかで教祖みたいな、最高責任者と出会うタイミングが来るはず。そいつと出会って頃合いを見た時に、私が直接、脅しをかける。蓮くんを追い回すのはやめて、私達から手を引くこと。これを大人しく向こうが飲み込めば、今回の件はそこで終わり」
「……もし、抵抗されたら?」
「その時はこっちも強硬手段。荒っぽいことをするよ」
御子の表情はどこか──微笑んでいるように見えた。
目線を彼女から、ボストンバッグへと移す。
あれは御子が帰ってきた時に、持っていたのと同じ物だ。
中身は──奴等に対抗する“準備”をしていたと言っていた。一体、何が入っているのだろうか。
「……御子。そのバッグの中、何が入ってるんだ」
恐る恐る、尋ねてみることにした。
「あぁ、これは……強硬手段を取る時の道具。結構詰まってるように見えるけど、そんな大した物は入ってないよ。奴等に感知されても困るから“封印”はしてるけど」
“封印”か。随分と物騒で馴染みのない言葉が飛び出して来た。
中身は本当に何が入っているんだ──好奇心を刺激されるが、それ以上に、何だか触れてはいけないような気がしたので、これ以上の詮索は止めておこう。
「……ここを、左折だね」
道路の左に、整備されていない脇道があった。
いくつか足跡のような物が残っており、人通りがあることを察せられる。
「蓮くん、ここから先は監視されてるかもしれないから、“浅井”と“高山”を演じてね」
「あぁ、分かったよ。“浅井”」
「OK、“高山さん”」
10分程、山道を歩いたところで──見えてきた。
緑しかない景色には相応しくない、外装を白く塗られた人工物が。
あれが──奴等の根城である校舎跡か。
とてもではないが、数十年間破棄されていた建物とは思えない。どうやら、相当金をかけてリフォームしたようだ。新築と言っても差し支えない。
「やあ、お待ちしていましたよ。お二人とも」
その時、見知らぬ誰かが──俺達に向かって、声を掛け、歩み寄って来た。
「ここまで来るのは大変だったでしょう。どうぞ、まずは中へ。冷たい飲み物を用意しております。申し遅れました。私は“
比津地と名乗った中年の男は腰を低くしながら、俺達に向かって丁寧に挨拶をした。
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