第21話 通報

「蓮くん。警察、呼んで」


「……えっ」


 目の前に広がる地獄のような光景を前にして、御子は冷静に、俺に指示を出した。

 警察を呼ぶという現実的な対処法に、俺の飛びかけていた意識は元に戻った。


「け、警察……」


「そう。もう死んでるし、救急車呼んでも意味ないよ」


「いい? これから私が言うことをよく覚えて、それをそのまま警察に伝えて。話を合わせたら、私達が容疑者になることはないから」


「容疑者……お、俺達が……」


 そうだ。冷静に状況を見ると──自殺したとはいえ、俺達は一歩間違えば殺人犯になってしまうかもしれない。

 皮肉な話だ。殺人犯はこの老婆なのに。


「蓮くん、私達は……偶然、通りかかったら、この家から叫び声が聞こえて、急いで駆け付けたの」


 御子は黙々と、俺にこの場で起きた架空の出来事について、説明し始めた。

 偶然、家の前を通りかかった俺達はこの家からとてつもない絶叫が聞こえ、何か緊急事態が起きたのではないかと思い、無断で家に立ち寄った。

 そして、この老婆の死体を発見した──正直、かなり無理がある設定だが、例え真実を全て話しても、信用されないだろう。


「──って感じで。覚えた?」


「あ、あぁ……大丈夫だ……」


「じゃあ、一旦家から出ようか。ちょっと鼻が慣れて来たとはいえ、いつまでもこんな臭いところにいられないからね」


「ちょっ……待ってくれ。これ」


 俺は床に転がっている、神棚に備えられていた像を指差す。

 御子は気付いていなかったようで、不思議そうな顔で、その像を拾った。


「……なに、これ」


「そこの神棚にあったやつだ。裏を見てくれ……」


 くるりと像を回転させ、御子は裏側を確認する。


「……っ。これが……カマカミ?」


 どうやら、彼女も『彁混神』をカマカミと読めたようだ。

 一体──どういう意味なんだ。『彁混神』って。

 東北地方に伝わるという“窯神”でも、御子が予測した“禍魔神”でもない。

 一番気になるのはこの“彁”という文字だ。

 何となく、俺はこれを“カ”と読んでしまったが、本当に読みはこれで正しいのだろうか。全く見覚えがない文字だ。


 御子は少し考えるような素振りを取った後──彁混神の像を自分のバッグの中に入れた。


「なっ……! お、おい!」


「蓮くん、もう警察呼んでいいよ」


 御子は平然と、まるで小銭を拾うように、像を盗んだ。

 その自然な動作に、俺も一瞬、その行為を見逃しかけたくらいだ。


「いや! そうじゃないだろ! なんでそれ盗んだんだっ!?」


「盗んだ……って言い方はちょっと人聞きが悪いかな。この像の所有者はもう死んでるんだし、誰の所有物でもないでしょ」


「そういう問題じゃなくて……! どうすんだよ、そんなの」


「……私の勘だと、これ、結構重要な物な気がするんだよね。だから、一応貰っとく」


「も、貰うって……そんな気味の悪い物……警察に持ち物調べられたらどうすんだよ……」


「その時はその時、私の所有物だって言い張るよ。そもそも、手荷物検査されたらこの包丁も言い逃れ出来ないでしょ?」


 ヒラヒラと、御子は手に持っている包丁を見せつける。

 せ、正論だった。像よりも、あの包丁を見られたら恐らくアウトだ。


「まあ、上手くやるよ。さっ、こんなところからさっさと出て、通報しよ」


 御子はそそくさと、部屋から退室した。

 抜けていた腰を持ち上げ、立ち上がった俺はもう一度、老婆の死体を直視する。


 死んでいる。目の前で人間が死ぬところを見たのは初めてだ。


 今まで意志を持っていた人間が、物言わぬ肉の塊に変化してしまった。

 首の傷口から血は既に止まっており、周辺には赤い水溜まりが出来ている。

 だが、なぜだろうか。このような惨状が目の前で起きたにも関わらず──頭の中は冷静だった。


 多分、あまりのショックに、まだ脳が現実だと受け止められていないんだと感じた。

 俺はこの出来事を一生忘れることはないと思う。

 視覚、聴覚、嗅覚──感覚という感覚に、刻み込まれてしまった。


 夢にも──出てくるんだろうな。絶対に。

 だが、俺に呪いをかけた張本人である老婆は命を絶ってしまった。

 これで──全ては終わったはずだ。後味の悪い結末だが。


「……蓮くん? どうしたの?」


「……っ。今、行く」


 老婆の家を出た後、すぐに警察に通報した。

 10分もしないうちに警官が到着し、そのまま俺達は事情聴取を受けた。

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