第10話 赤ん坊の声

「…………あれ。ここ……どこだ……」


 突然、見知らぬ部屋で俺は目を覚ました。

 どこだ、ここは。俺は──なぜここにいる。

 周囲を見回すと、コンクリートが剥き出しで、壁しかない、殺風景で薄暗い光景が広がっていた。

 部屋の中は俺のアパートより少し広い、1LDKほどの面積だ。

 後ろに振り返ると、扉のようなものがあり、ドアノブを回してみるが──開かない。

 記憶の断片から、最後に覚えている出来事を探し出す。


「確か……自殺の話を聞いて、御子が家に泊まって……い、意味分からん。どうなってるんだ」


 間違いなく、俺は御子と共に、自室で眠りに付いたはずだ。

 それなのに、目が覚めたらこんな部屋で一人ぼっち。御子はどこに行ったんだ。


 まさか、誰かに誘拐されたのか。

 いや──あり得ない。いくら何でも、起こさずにそのまま連れ去るなんて不可能だ。

 それに、そんなことは御子が許さないはず。では一体、何が起きた?



「……まさか。夢か、これ……」



 一つの結論に俺は辿り着く。

 現実的に、物理的にあり得ないこの状況。可能性があるとすれば──夢しかあり得ない。

 だが、意識は確実にはっきりしている。明晰夢ってやつだろうか。


『──ャ』


 ビクリと、俺は身体を大きく震わせる。

 今──何か聴こえたぞ。



『──ギャ』


『オンギャ──オンギャ──』



 その声の持ち主は──赤ん坊だった。

 どこからか、赤ん坊の声が鳴り響く。


 ここで俺はようやく現状を把握する。

 これはただの夢ではない。怪奇現象の一つであり、あの影が俺に見せているものだ。

 そ、そんなのありか。夢の中じゃ──助けも逃げ道もないじゃないか。


「ク、クソッ!」


 唯一の出口である扉を叩く。

 しかし、開く気配は一向にない。それでも、俺はがむしゃらに扉を叩き続ける。

 現実なら、肉が剥けるんじゃというくらい強く殴るが、痛みは一切なかった。


『オンギャア──オンギャア──』


 赤ん坊の声は段々と大きくなり、耳を塞ぎたくなるほどの音量になる。

 どうすればいいんだ。クソッ──どうすれば。


 ガタンッ


 その時、背後で何か大きな音が響いた。

 咄嗟に俺は振り返る。


「……ッ!?」


 そこにいたのは──妊婦だった。

 顔は見えないが、腹が大きく肥大化しており、脈打つように動いている。


「な、なんだよ……これ……」


 突然の事態に、俺の思考回路は止まる。

 妊婦──赤ん坊の声──まさか、この持ち主は──“あの中”にいるのではないか。


 妊婦の腹はモゾモゾと、まるで何百匹も虫が蠢いているんじゃないかってくらいに、鼓動していた。

 その動きはゴム鞠が中で弾ませているようで、気味が悪い。

 出産間近の妊婦の腹を間近で見たことはないが、現実でこのように動くことはないとまず間違いなく断言出来る。


 こいつが──呪いの正体なのか。



 ピシャッ



「……っ」


 妊婦の腹が、裂けた。

 鮮血が床に散り、赤い絵の具をこぼしたような光景が広がる

 そして、その裂けた腹の中から──何か“黒いモノ”出てきた。



「う、うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!」



 それを目撃してしまった俺は耐えられなくなり、絶叫する。

 妊婦の腹から出てきたのは──腕だった。

 赤ん坊の腕なんかじゃない。屈強な大人の腕のように見えるが、持ち主は人間じゃない。

 

 これは“バケモノ”だ。


 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 目の前で起きている異常事態に、頭がおかしくなりそうだった。

 もし、目の前にナイフがあったら、俺は自ら首を刺しているかもしれない。

 それ程までに、耐え切れない恐怖が襲って来る。


 ズキンッ


「──ッ!?」


 な、なんだ。今、一瞬、顔に痛みを感じた。


 ズキンッ


 まただ。頬の辺りにヒリヒリと、痛みを感じる。

 一体、何が起こって──っ。



 その瞬間、目の前の視界が白に覆われた。




「うわぁっ!? はぁっ……! はぁ……っ!」


「蓮くん!? 大丈夫!?」


 御子の──声だ。

 首を振ると、御子が泣きそうな顔になりながら、俺の腕を握っていた。

 現実に、戻って来られたのか。

 気が付くと、全身がまるでサウナにでも入っていたかのようにびっちょりと汗で濡れていた。


「急に、眠ってる蓮くんが苦しみだして……! 私、私……!」


「……そうか。やっぱり、夢だったのか」


「何があったの……?」


 俺は御子に夢の内容を全て話した。

 彼女は俯きながら、その話を無言で聞いていた。


「──って、夢を見ていたんだ」


「…………」


「……御子?」


 御子の様子が少しおかしいことに気付く。

 顔は俯いたままで、僅かに全身が震えているようであった。


「お、おい……御子──」



「許せない……! 舐めやがって……!!」



 御子の顔を見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ね上がる。

 彼女の顔は──まるで“窯神”のお面のように、鬼のような形相に変化していた。

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