第3話 青鸞の獄である

玉璽ぎょくじとな?」

「玉璽、ですか?」


 赩炎きょくえんの言葉に、黄黄ファンファン彩澪さいれいは顔を見合わせた。

 玉璽ぎょくじとは、皇帝の用いる印である。皇帝の名のもとに許可をしたものに捺印する。皇帝は国の最高権力者であり、その印の威力は絶大だ。

 碧煌国へきこうこくでは、建国以来、代々の皇帝に受け継がれており、玉璽を持っていることがそのまま皇帝である証になっている。

 碧煌国の玉璽は珍しい青翡翠で作られており、印鈕いんちゅうには麗しい神獣が鎮座しているのだが……。


「我の手彫りだ!」


 黄黄は胸を張り、腹がたぷんと揺れた。


「手彫り、か……」


 その言葉に、赩炎はなんとも言えない顔をした。

 受け継いできた玉璽が神獣が作製したというのは、謂れとしては素晴らしいものだ。しかし、目の前のこのたるんだ神獣の手彫りだと考えると……。


「黄黄が作ったの?」

「うむ。劉霊山りゅうれいざんから採れた青翡翠をな、我が爪で丁寧に仕上げた逸品なのだ!」

「よくわからないけど、見てみたい気がします」


 彩澪はむしろ興味が出た。


「初代の皇帝が我の作った印を玉璽としたのだ。代々伝えていたはずだが……」

「探して欲しい、ということは、今は持っていないということですか?」


 赩炎は碧煌国の皇帝だ。ならば玉璽を持っているはず。探して欲しいとはどういうことなのか?

 黄黄と彩澪の視線が同時に赩炎に向く。

 赩炎はそれに「ああ」と頷いた。


「戴冠式の際、もう俺には伝わっていなかった」

「昔に失くしてしまったのか?」

「いえ、前の代は所持していました。私が確認しています」


 黄黄の疑問に答えたのは藍月らんげつだ。

 藍月は流麗な仕草で黒い髪を払い、そっと笑った。


「といっても六代前ですが」


 そう、藍月は六代前の皇帝が所持する玉璽を目にしていたのだ。

 だが、普通の人間であれば、六代も前の皇帝の時代に生きているはずがない。が、藍月はたしかに目にしていた。それは――


「二年、半年、九年、五年、三年半。ここ五代ほどは短い期間で皇帝が変わりすぎています。その際に失われたのでしょう」


 ――当代の皇帝の御代が続いていないから。


 碧煌国の皇帝はここ5代ほど短い治世で終えていた。

 先代の皇帝である赩炎の父も、皇帝の座につき、わずか三年半で生涯を閉じている。


青鸞せいらんごくか」


 黄黄はその細い目をさらに細めて声を出す。

 それに藍月は「ええ」と頷いた。


「民の中ではそう呼ばれていますね。らんは伝説の霊鳥。それも青い鸞ともなれば存在するはずがない。自分こそがその鸞であると主張し、争いを続けている皇族への皮肉です」


 藍月はうっそりと笑う。


「六代前の偉大なる皇帝、青湖せいこ。民から青帝と呼ばれました。御代は長く続き、また盤石。青帝は私から見ると父。赩炎から見ると祖父にあたりますね」


 語られるのは、民に賢帝と崇められている皇帝の話だ。

 が、藍月の声音に敬うような色はない。むしろ――


「青帝には、皇子が二十もいた。それぞれが成長し、子も設けました。そして……青帝は亡くなる際に跡継ぎを指名しませんでした。生きている間の治世に興味はあったが、後世のことはどうでもよかったのでしょう。そんな青帝の最期の言葉は――」


 ――嘲り。


「『争え。勝ったものが皇帝だ』と」


 楽しそうに笑う藍月。


「次期皇帝の座を巡り、起こったのは殺戮です。政治はおろそかになり、国は荒れました。……それは現在も」

「生き残ったのは俺と藍月とあと一人だけだ」


 藍月の話に赩炎は目を伏せる。

 その話に彩澪は息を呑み、目の前の二人を見た。

 こんな破屋までわざわざ来た二人はどんな世界を生き抜いてきたのか。偉大な青帝の子孫はほぼ死に絶えてしまったのだ。

 皇帝とその叔父が生きている世界は不穏なものだらけだったのだろう。


「……国が荒れているのは私でも知っています」


 道士であった彩澪は、劉霊山の外の世界に疎い。が、国が荒れているのはわかっていた。

 彩澪はそっと息を吐く。

 すると、黄黄はむぅと鳴いた。


「皇帝が次々に変わっているのはわかっている。我はその度に道士を選び直して、ひどい目にあったからな」

「皇帝が変わると道士も変わるのか?」


 赩炎が尋ねる。それに黄黄は大きく頷いた。


「そうだ。半年で道士の交代をしなければならないときなど、ため息しか出なかったぞ! 半年前に盛大に見送られた劉霊山にふたたび行かねばならぬ。半年で役目を終えてしまった道士の行く末も考え、新しい道士の選定もして、とな。我の苦労と情けなさを考えて欲しい」


 黄黄はここ五代ほどのあれこれを思い出し、ため息をついた。

 優秀な道士たちが、皇帝のあまりに短い治世のために振り回される。黄黄の選んだ者に苦労が降りかかるのだ。


「まあ、それで真面目でよくやっている道士を選ぶのが申し訳なくなり、最近では面白いほうを選ぶようにしたんだがな」

「あ、それで私なんですか?」

「そうだ! 彩澪ならば、劉霊山から出ても、もう一度帰っても文句はなさそうだしな!」

「それはたしかに」


 彩澪は深く納得した。

 彩澪にはなにがあっても気にしない胆力がある。さらに短い治世となったとして、劉霊山に帰ることとなっても、まったく気にしないだろう。また、劉霊山に戻れず、庶民となってもそれなりに生きていける。

 これまで、黄黄に選ばれた意味がわからなかった彩澪だったが、ようやく黄黄の考えが理解できた。

 どうせ短く終わってしまうのならば、道士としての気概や真面目さよりも、振り回されてもなんとでもできる者を選んだのだろう。

 彩澪が一人頷いていると、赩炎はそっと呟いた。


「……俺の治世も短いだろう」


 重い言葉だ。けれど、どこか落ち着いた音をしていた。


「俺は『未断の皇帝』だ。力もなく、国を立て直すことも難しい。……が、次の皇帝の治世が少しでも長くなり、民たちが平和に暮らせるようにしたいと思っている」


 赩炎が見ているのは自分の次の者。


「そのために、失われた玉璽を手元に戻しておきたい。ただの印だが、それが皇帝の証であるのならば、所持していることで、うまく運ぶこともあるはずだ。皇帝の座を譲るときにそれを引き継ぎたいと思っている」


 赩炎の思いを聞き、彩澪はまたなんとも言えない気持ちになった。

 皇帝がわざわざこんな破屋に来て、夢物語の中の神獣と道士に頼みに来た。それは、自分のためではなく、後世のためで――


「……手を貸すとはもう伝えました。黄黄は見てのとおり、雷を落とすような攻撃型の神獣です。もの探しなどは得意ではないですが、いいですね?」

「……頼む」

「では、玉璽について、あるだけの情報をください。できるだけ……やります」


 めんどくさい。だが、もう巻き込まれるしかない。

 彩澪はその翠色の瞳でしっかりと赩炎を見た。


「俺は玉璽を見ていない。が、言ったように藍月は幼いころに見たようだ」

「はい。私が最後にその玉璽を見たのは、五大家筆頭の蓮家の元へと訪れたとき。今もあるかはわかりませんが……」


 赩炎の話を藍月が受け継ぐ。

 彩澪はそれに目を瞬かせた。


「蓮家、ですか」

「はい。蓮家は青帝の時代には正妃として、後宮に君臨していました。そして、今はこの後宮に蓮家ゆかりの姫がいます」


 藍月がうっそりと笑う。


「――れん貴妃きひです」

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