ドラゴンを素手で倒す少年

有本博親

第1話


 ──1998年夏。

 神奈山県某所にある国立神経研究病棟の病室にて。



中川「はじめまして。月刊アトラントの中川といいます」


山田「……」


中川「本日はお暑い中、ご面会いたただきありがとうございます」


山田「……ふん」


中川「──先日、弊社木下から山口の梨をお送りさせていただきましたが、いかがでしたでしょう? お口にあいましたか?」


山田「………あんた。歳いくつだ?」


中川「え?」


山田「いくつだって聞いてるんだ」


中川「23ですが…」


山田「そうか」


中川「あの、私の年齢と何か関係が?」


山田「俺は真実しか話さない」


中川「は?」


山田「俺は見たものをそのまま話しているだけだ。だが、大抵の人間は俺の話を途中まで聞いて、そのまま帰ってしまう。真実を知りたいと言って、最後まで真実を聞かない。あんたもそうだろ」


中川「……」


山田「悪いことはいわねぇ。そのまま帰りな。あんたはまだ若い。こんなところに時間をむだにするな。ここには観光名所もあるし、温泉でも浸かって本土に帰るだな」


中川「いえ、仕事をしますよ、私は」


山田「……」


中川「何か誤解があるようなので最初に申し上げますが、我が月刊アトラントは、都市伝説を題材とした科学的根拠のないいかがわしいオカルト情報誌として認知されておりますが、決して我々が追っている情報は、決して大衆娯楽向けのオカルトではございません」


山田「……」


中川「何度も言いますが、我々が追いかけているのは『真実』です。この世の超常現象を追いかけるのが我々の仕事です」


山田「……」


中川「…………」


山田「………………」


中川「…………」


山田「わかったよ」


中川「──わかってくださいましたか」


山田「あんたの熱意っていうのは伝わった。あんたが本気だってのをな。わかったよ。最後まで話してやる」


中川「ありがとうございます。では早速本題に入りましょう」


山田「……ああ」


中川「山田隆夫様。あなたはニ年前まで、北界道の富良野市にて酪農を経営されていましたね」


山田「ああ、じいさんの代まで続く農場を俺が引き継いだ」


中川「しかし、ニ年前の六月一六日一四時一三分。あなたは道警に意味不明な通報を行い、当日一八時には警察署員ニ名に暴行を加えた」


山田「……」


中川「あなたは執行猶予つきの三ヶ月の懲役を服し、そして精神鑑定の結果、正常の判断能力を欠落しているとして、ここ小樽市のヒロナカ神経病棟に入院されていますね」


山田「……」


中川「何があったのですか? ニ年前の六月一六日に」


山田「…………」


中川「山田様。今現在、テープレコードの録音を行っています」


山田「……」


中川「あなたの口から聞きたいのです。真実を」


山田「女房と喧嘩したんだ」


 +


 何が原因なのか、どうして喧嘩したのか、今となってはよく覚えてねぇ。もう2年も前のことだしな。


 たた。

 あの時、ムカついた俺は。

 外でタバコ吸っていたんだ。


 女房の顔なんてしばらく見たくねぇ。

 そんなことを考えていたと思う。


 そしたらよ。


 ズドーン!って音がしたんだ。


 地面がぐらぐら揺れてよ。


 なんだ? 地震か? って思ったら。


 おぃらの目の前に、牛じゃねぇ『生き物』がいたんだ。


 でけぇ生き物だった。


 牛の100倍あるでかさだ。


 真っ赤で硬そうな皮膚に、背中にでっかいコウモリの羽を生やしてよ。


 角とか牙とか、全身トゲだらけだ。


 そうだ。『ドラゴン』だよ。


 わかるだろ?


 ドラゴンなんとかクエストとかに出てくるような……あのバケモノだよ。


 すげぇ鳴き方をするんだ。ドラゴンってよ。


 ぎゃばばばばばば!!って。


 もう耳がぶっ壊れるような、すげぇでかい鳴き声だ。


 どっから来たのか、まったく見当なんてついねぇよ。


 いきなり湧いて出てきたんだ。

 高層ビルみたいな馬鹿でかいドラゴンが。


 オイラはその時、思ったよ。


 こりゃ何の夢だ?って。


 びっくらこいて唖然となっているとよ。


 ドラゴンがむしゃむしゃオイラの牛たちを食いはじめたんだ。


 うちは牛舎に牛を押し込めず、農場で放牧しているんだだけどよ、広い農場もドラゴンが入っただけで一気に狭くなって。


 まるで掃除機だったな。


 ずぉおおおって。


 牛たちが空中に舞って、あっという間にドラゴンの口の中に吸い込まれていくんだ。

 

 警察だ。

 とにかく警察に電話しなくちゃ。

 そう思った。


 時間なんざはっきり覚えてねぇ。


 ただ、警察に今の状況を説明しても、『落ち着いてください』とかしかいわれなくてよ、ふざけんなってキレちまったよ。


 だってよ。


 牛たちがチリやホコリみてえに、吸い込まれてるんだぜ。


 落ち着いてられるかよ。



中川「だけど、警察の証言では、あなたはその場から動こうとしなかった……そんな巨大な生き物を前にして、逃げようとしなかった。なぜですか?」


山田「──オイラの前に、『ガキ』が現れた」


中川「ガキ?」


 +


 高校生くらいのガキだよ。


 この辺りで見たことない学ランを着ていた。


 面長のオールバックに、縁無しの眼鏡をかけたおっかない顔をしたガキだったよ。


 そのガキ。


 ポケットに手を突っ込んだまま、ドラゴンの前に立っていたんだ。


 あぶねぇぞにいちゃん!


 咄嗟にオイラは叫んだ。


 どっから入ったかわからねぇが。


 そんなところに突っ立ってたら殺されるぞ!


 そう思った。


 すると。


 ガキが学ランを脱いだんだ。


 学ランの下は裸で、ガキの背中には『十字架』の刺青があった。


 十字架の周りにカタカナの文字がびっしり刻まれていてよ。


 よく見ると。

 そのカタカナの刺青文字が蟻みたいにうごうご動いているようにも見えたんだ。


 なんだ……あいつ?


 突然現れて。


 ドラゴンの前に立って。


 一体。


 どういう状況だ? これは。


 そう思ったね。



「いんのみにどみねぱとれ」



 ──は?


 いきなりだ。


 いきなりガキがなにか謎の呪文みたいな独り言をもごもご呟き始めたんだ。


 ──そしたらよ。


 ガキの背負っている『十字架の刺青』が。


 青白く光った。


 ぶわぁ! びかびかびか!


 って。


 まるで光ファイバーみたいだったよ。


 すげぇ、光ってよ。


 青白く光った十字架を中心に。

 カタカナの文字がガキの体全体に広がった。


 蟻の大群が巣から飛び出たみたいに。


 ブワァ〜って広がったんだ。カタカナの刺青が。


 カタカナの刺青も青白く光っているもだからよ。


 たちまちにガキの全身が、青く光る塊になった。


 なんか、アメコミのスーパーヒーローって感じだ。


 この世の者じゃねぇ。


 そんな風に俺には見えた。



《ぐぎゃああああああああああああ!》



 ドラゴンが吼えた。


 ガキの全身が青く光るようになった途端だ。


 ドラゴンが、ガキを威嚇し始めたんだ。


 よくわらねぇが。

 

 ビビったみたいに見えた。


 座敷犬がテメェ以上にでっけぇ生き物を目の前にした時。


 やたらキャンキャン吠えて威嚇するのあるだろ?

 

 あれと同じだ。


 ドラゴンが、あのでかい図体で、


 でかい口開いて威嚇したんだ。


 てめぇよりも小さいガキに対して。


 ──さぁー。


 って、風が吹いた。


 冷たい風が、おいらの顔に当たった。


 ふっとガキの姿が消えた。


 刹那。


 ドラゴンの横っ腹が。


 くの字に大きく曲がったんだ。


 ハイキック。


 だったよ。


 棘だらけの硬い皮膚に向かって。


 全身を独楽みたいに。


 ものすごい速さで回転して。


 ガキがドラゴンの横っ腹を蹴り飛ばした。


 あの蹴りだけで、コンクリート何枚ぶち割るんだろう。


 正直、鳥肌が立っちまった。


 そんな強烈な蹴りを喰らったドラゴンはどうなったかって?

 

 悲鳴を上げたよ。


 雄叫びじゃなくて、激痛での悲鳴だ。


 相当痛かったんだろうな。


 口からなんか汚い色の液体を吐き出していた。


 びちゃぁって。


 で。


 強烈な一発を喰らったものだから、もう耐えられなかったんだろうな。


 ドラゴンはでかい翼を広げて、空に逃げようとしたん。



 べきばきぼき。



 硬い物体が砕け折れる音がした。


 ガキの姿は、いつの間にかドラゴンの背中にいた。


 翼だ。


 ドラゴンの翼の骨を、あのガキが素手でぶち折った。


 両腕を使って、こう挟み込むように。


 相撲でいうところの鯖折りだ。


 両腕と腹を使って、翼の根元の骨を絞め折りやがった。


 すどんって、地面に落ちたよ。


 片方の翼を折られたドラゴンは、無様な姿で地面に転がり倒れた。


 そっからやりたい放題だったな。


 右。

 左。

 右。

 下。

 上。

 右。


 縦横無尽にガキの体が上下左右に飛び回って、ドラゴンの体をボコボコにタコ殴りだった。


 ドラゴンの体は、ガキに殴られる度におもちゃみたいに上下左右にぽんぽん跳ねていた。


 あのガキの背中には、ジェットパックでもついてるのか?

 あるいは両足が強力なスプリングでもついてるのか?


 人間が。


 いや、動物が。


 あんな物理の法則を無視して空中を動き回ることなんてできるなんて……おいらは今まで知らなかった。


 まったく、

 ──信じられないよな。

 

 見た目は、そのへんにいる高校生ぐらいのガキだ。


 俺の甥っ子ぐらいの年齢のガキが。


 神話の世界にしか出てこないようなバケモノ相手に。


 正面から。


 しかも、素手で。


 ぶちのめしているんだ。


《ぎぇええええ!》


 追い詰められたドラゴンが、前足を地面から離した。


 後ろ足だけで立って、仁王立ちしたんだ。


 ガバって口を開けた。


 赤い光が、ドラゴンの口に集まったんだ。


 ゾクゾクって悪寒が走った。


 おい、ありゃ、まさか…。


 そう思った。


 次の瞬間。


中川「火を吹いた……ですか?」


山田「…………話の腰をおるんじゃねぇ」


中川「すみません」


 そうだ。


 一面、焼け野原だよ。


 オレンジ色のバカでかい炎だった。


 まるで火炎放射器だ。


 火炎放射器で森の木々を一掃するみたいに。


 おいらのじいさんから耕して作った牧草地が。


 一瞬で燃え尽きたんだ。


 ──で。ガキはどうなったかって?


 そりゃ。

 あのガキは。


 受けたんだよ。


 正面からドラゴンの炎を。


 燃えカスになって、灰も残らなかった。


 って、おいらは思った。



 ──だが。

 


「くせぇ息吐くんじゃねぇ、トカゲが」



 そう、ガキが悪態をついたよ。


 仁王立ちで。

 両腕で上半身をガードするポーズ取って。


 全身から湯気みたいな煙が立ち上ってはいたがよ。


 ガキは無傷だった。



「近所迷惑だろうが」



 今更何言ってやがるこいつ⁉︎


 って思ったな。


 すると。


 ガブっ!


 一瞬。


 ほんの一瞬のうちに。


 ドラゴンが、ガキを頭から食っちまったんだ。


 数秒の隙をついたドラゴンの奇襲だった。



中川「──死んだと思ったんですね」


山田「ああ」


中川「でも?」


山田「ああ、そうだ」



 ぼっ。


 ドラゴンの腹に穴が空いたんだ。

 

 風穴だよ。


 まるーく、くり抜かれた風穴が。

 ドラゴンの腹から背中にかけて一直線にできた。


 ドラゴンから離れた場所に、血まみれのガキが立っていた。


 腹にでっかい風穴が空いたドラゴンは。


 ドバッと口から血を吐いて、雪崩れるようにその場に倒れた。


 わけがわけがわからなかったよ。


 農場はめちゃくちゃ。

 むき出しの砂地に煙があちこち立っていて、おいらの農場の地面はもうボロボロ。

 砂漠みたいに草の葉一本もなくなっていた。


 ひでぇ夢だ。


 悪夢だ。


 こんなのが現実な訳ねぇ。


 その時のおいらは必死に自分に言い聞かした。



《人間ごときが……》



 声が聞こえた。

 驚いたおいらが声のする方に顔を向けると。


 喋ったのは。

 なんと地面に倒れたドラゴンだった。


《俺を倒したぐらいで調子に乗るんじゃねえ……カクレキリシタン………所詮テメェらは本物じゃねぇんだ。神がお前らの味方になんてならねぇよ》


 よくわからねぇが、ドラゴンはそんなことを口走っていた。


 カクレキリシタン?


 なんのことだ?


 よくわからねぇが、あのドラゴンとガキは何か知り合いだったのか?


 事情をまったく知らないおいらは、ただその場で固唾を飲んで見守るしかできなかった。



「神様は俺たちを手助けしねぇよ」



 ぺっとガキが地面に唾を吐いた。


 ガキの唇の端が、くいっと釣り上がったように見えた。



「俺たちのことを神様は信じているんだよ。てめぇらザコ悪魔をぶちのめせるってな」



 そうガキはドラゴンにいった。



山田「それからどうなったか……正直覚えてねぇ。気づいたら俺は病院に無理やり入院されていたんだ」


中川「……それが真実ですか?」


山田「信じられないだろ?」


中川「ええ。ですが、私は山田様と約束しました。最後までお話を伺うと」


山田「そうだったな」


中川「最後にお聞きします。山田様が目撃したという少年は、この写真の少年でしょうか?」


山田「……そうだ! このガキだ! どうして?」


中川「彼の名は黒翼神太郎といいます。都内の海円寺の跡取り息子であり、現存するエクソシズムに特化したカクレキリシタンの一人です」


山田「お、おい。あんたなんか知っているのか?」


中川「山田様が目撃したという神太郎の背中に刻まれていた十字架の刺青は、1600年代にオランダから伝来したカトリックの『聖痕術』をカクレキリシタンがアレンジした刺青技術となります。施術者の体内に内在する霊媒物質を高濃度エネルギーに転換し、異界の生物を物理的に破壊することを目的としたカクレキリシタンたちの対魔戦法となります」


山田「聖痕術? カクレキリシタン?」


中川「ひらたくいえば、あの少年は我々の敵です」


山田「……敵?」


中川「そうです。この極東の島国で唯一我々『魔女団』に抵抗する勢力です」


山田「おい、魔女団ってなんだ? あんたはたしか月刊アトランタの記者じゃないのか?」


中川「鈍いですね。山田様。月刊アトランタなんて雑誌はこの世に存在いたしません」


山田「な……!」


中川「私は探してるんですよ。我が同志、レッドドラゴンを素手で倒したカクレキリシタンを」


山田「あのガキを……」


中川「どうやら、あなたは神太郎がどこにいるか知らないようなのでもう用済みですね。とりあえず、彼の強さがどんなものなのか知っただけでも収穫はありましたけどね」


山田「お前、俺をどうするつもりだ?」


中川「最初に言ったはずですよ。私は仕事をするだけです」


山田「た、助けてくれ。殺さないでくれ! 誰か!」


中川「見苦しいですね。誰もきませんよ。人も神も、誰も助けてくれません。おっと、そういえばあいつはいってましたね。神様はあなたたち人間を信じているみたいですね」


山田「だ、だれか! ひぃいいいいいいいいい!」



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