第39話

39 裏社会最強の者たち


「しっかりしろ、トマス! 待ってろ、このおれが助けてやるからな!」


 ロックが身体を揺さぶると、聖父は残った力を振り絞るようにして懇願する。


「ロックよ……子供たちのことを……よろしく頼む……」


 そこにはもう、悪魔に取り憑かれたような面影はない。


 かつてロックは、野良犬の親に捨てられた仔犬のように、冬のストリートの片隅で震えていた。

 誰も見向きもしない、世間からも見捨てられたような少年を、毛布で包みこみ、抱きしめてくれたときの瞳だった。


 その瞳が、ロックの胸を締め付ける。


「わかった! わかったからもう、しゃべるな!」


 ロックが懸命にそう言うと、トマスはガックリと事切れた。


「と……トマスっ……! トマスぅぅっ……!」


 ロックは声を詰まらせ、トマスを強く抱きしめる。

 その様子を見ていたセブンオーセブンは「ふむぅ」と唸った。


「先ほどからやりとりを拝見していた者として、一言二言いわせてもらってもよいかね?

 キミはその男のことを、許さないと言っていなくもなかったような気がしたのだが?

 そう考えると、巷にあふれる正義というのは、実に不思議なものだと言えなくもないね。

 なぜならば、悪人が命を絶てば、どんな罪悪ですら赦してしまうのだから。

 その程度の出来事で赦しを与えるくらいなら、罪を問わないのも同じだとも言えなくもないと思うのだがねぇ?」


 ロックは答えない。

 うつむいたまま、トマスの亡骸をそこに寝かせると、ゆっくりと立ち上がる。


「まさかテメェも、死ねば赦してもらえるだなんて、思っちゃいねぇだろうなぁ……?」


 ……ゴッ! と逆巻く炎のように髪をふりみだし、顔をあげるロック。

 紅蓮に燃え上がる瞳で、セブンオーセブンを睨みつけていた。


 常人ならそのひと睨みだけで、爆炎が頬を掠めていったかのようにひっくり返り、腰を抜かしていたことだろう。

 しかし、セブンオーセブンはまったく動じない。

 ダリ髭と呼ばれる、針金のように細くて長い、先がくるんと丸まった口髭をわずかに揺らしただけだった。


「もちろんそんなことは思ってもいなくもないよ。

 なぜならば、我輩はキミに赦しを求める必要など、これっぽっちも無くもないのだから」


 セブンオーセブンの背後では、ワットの指示で聖堂の外へと逃げていくザアダとトニーの姿が。

 もちろんそのことには気付いていたが、セブンオーセブンは振り返ることすらしなかった。


 帽子を被りなおし、両脇にあったステッキとアタッシュケースを手に取ると、これから仕事に出かける紳士のように立ち上がる。


「いずれにしても、ミッションは完了した。我輩はこれにて失礼させていただくよ」


 「逃がすかよ……!」と拳を打ち鳴らすロック。


「テメェだけは、地獄に送ってやる……!

 そのケツアゴを4つに増やして、おれがあの世に逝くまで、血の池しかすすれねぇ身体にしてな……!」


「それは遠慮願いたくもなくないね。

 なぜならば、我輩のセマァペディアには不可能という文字がないのと同じように、キミのような野良犬の名前もなくもないのだから。

 しかしどうしてもと言うのであれば、我輩の部下たちが相手をしなくもないだろう」


 セブンオーセブンがパチンと指を鳴らすと、上空から大勢の英国紳士たちが降ってくる。

 どうやら、天井の梁に潜んでいたらしい。


 その敵の数に、ロックはいつもの余裕を取り戻し、ヒューッと口笛を吹いていた。


「前菜にしちゃ、なかなか豪華じゃねぇか」


 彼は窮地に立たされるほど、軽口が飛び出すタチなのだ。


「でも、ひーふーみー、ざっと数えて20人ぽっちってとこか? まあいいや、腹の足しくらいにはなるだろうからな」


 「相通ずるものがありますね」と傍らから声がかかる。

 気付くとロックとワットは背中合わせになって、取り囲むスパイたちをぐるりと見回していた。


「なんだよテメェ、ザアダとトニーといっしょに逃げたんじゃなかったのかよ」


「それはブレーキの壊れた暴走トラックから、真っ先に飛び降りるドライバーのように無責任なことですよ。

 ちゃんと最後までハンドルを握って、安全な場所にぶつかって止まるまで、トラックに付き合うのがドライバーの義務というものです」


「テメェらしくねぇ言葉だなぁ、でもまあいいか。今回も恨みっこナシの、早いもの勝ちってことでいいよな?」


「これだけの数のスパイに囲まれて、よくそのように大きな事が言えるものですねぇ……。

 でもわたくしも、不思議と負ける気がしません」


 セブンオーセブンは「ふむぅ」とアゴをさすると、立ち上がったばかりの椅子に再び腰を降ろした。


「キミのような気骨のある若者たちは、初めてだと言えなくもないだろう。

 アンコールの演目としても興味深くもなくもないので、引き続き、ここで見物させてもらおうか」


 パチン! とふたたび指が鳴る。

 ロックが独自のファイティングポーズで最寄りのスパイに距離を詰めるのと、ワットが上着を跳ね上げ拳銃を引き抜いたのは、ほぼ同時であった。


 ドオン! とイナズマブローが顔面にめり込み、銃口が火を吹く。

 開始コンマ1秒にして、ふたりのスパイが倒れた。


 相手は、チンピラ10人分の戦闘力を持つと言われるスパイ。

 戦闘力だけでいえば200人を相手にしていることになるが、ふたりは遅れを取ることはない。


 人間の視野はおよそ200度、真横が視野の片隅にある程度の範囲である。

 そのため、人間は前方からの攻撃は複数であっても対処できるが、背後からの攻撃は単体であっても処理が難しい。


 いつ背後から襲われるのかを気にしながら戦うというのは、戦闘力を著しく損なうことにも繋がる。

 しかし、ふたりは背後などまったく気にせず、のびやかに戦っていた。


 強大なる100万の軍勢が、背中を守ってくれているかのように。


 ロックの背中に向けられたセマァガンの銃口。

 発射の寸前、ワットは傘の柄を使って敵の手首を引っかけて、クイとずらした。


 ロックの肩の近くをエネルギー弾がかすめ、ロックの側面から殴り掛かろうとしていた別のスパイに命中する。


 ワットの後ろから、ステッキを槍のように構えて突き刺そうとするスパイ。

 ロックはそのスパイの後ろから、ステッキの柄をガシッと掴んだ。

 ステッキが動かなくなってウンウンと踏ん張るスパイが、振り向いたところで顔面に肘打ちを叩き込む。


 もはやふたりの連携は誰にも崩せない。

 ロンドンの裏社会で暗躍し、数多くのチンピラたちを恐怖に陥れているスパイであっても、例外はないように思われた。


 しかし敵もさるもの、スパイは半数に数を減らされた時点で捨て身同然の攻撃を行ない、差し違えるようにロックとワットにダメージを与えていく。

 ロックはステッキの先端でヒザを突き刺され、フットワークを奪われる。

 ワットはセマァガンのエネルギー弾を肩に受け、射撃の狙いが定まらないようになってしまった。


 そしてセブンオーセブンの部下をすべて倒し終える頃には、ふたりともフラフラ。

 肩で息をし、立っているのもやっとの状態になってしまった。

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