第38話

38 伝説


「て、テメェっ!? なんでこんな所に!?」


 ロックはトマス以上の大仰なリアクションで立ち上がる。

 そしてある違和感に気付き、さらなる驚きの声をあげた。


「まさか、これテメェか……!?」


「はい。なかなかのイリュージョンでしょう?

 わたくしはこう見えて執事兼、手品師だったのですよ」


「な……なんじゃお前は!? なんでここにおるっ!?」


 せっかくのショーを邪魔された聖父は怒り心頭。

 ワットはにわかに申し訳なさそうな表情を作る。


「申し遅れました、トマス聖父。せっかくですので、ご挨拶をさせてください」


 ワットはロックを一瞥すると、これからさらなる演目を披露する手品師のように、すらりと立ち上がる。

 もったい付けたゆったりとした動作で、座席から離れて壁際まで歩いていくと、胸に手を当てた。


 風に揺れる柳のように、ことさらゆるやかに頭を下げる。


 それはただの執事風の挨拶だったのだが、スポットライトに照らされているせいか、それだけでひとつのショーのように見えた。


「わたくしはロックの助手のワットと申します。

 ロックが夜分遅くに飛び出していくのを部屋の窓から見てしまいましたので、こうして後から馳せ参じた次第です。

 なにせロックは無鉄砲で向こう見ずですので、またなにかご迷惑をおかけするのではないかと思っていたのですが、案の定でした」


「ふん、じゃが観客がひとり増えただけじゃ!

 トニーが私の支配下にあるという事実は変わらん!

 下手なことをすると、トニーに舌を噛ませるぞ!」


「舌を噛んだ患者というのは、適切な処置を施せば死に至ることはほとんどありません。

 わたくしは医者でもありますので、それが可能です」


「じゃが、私が逃げるまでの稼ぎくらいはできるじゃろう!」


 「それもたった今できなくなりました」と視線を移すワット。

 ワットのスポットライトが移動し、照らし出されたその先では、猿ぐつわをかまされ鎖でグルグル巻きにされたトニーが寝転がっていた。


 「なっ!?」とパイプオルガンから立ち上がる聖父。


 トニーのスポットライトの中に、ドヤ顔のロックが踏み込んでくる。

 その両手両足はフリーになっていた。


「ワットは後ろの席から、おれの拘束を外してくれてたんだ。

 おれも立ち上がったときに気付いたんだが、バレねぇように誤魔化すのが大変だったぜ。

 それと、スポットライトが2個しかねぇのがアダになったな。

 ワットが席から離れて注意をそらしてくれてたから、こっちはフリーになれたんだ。

 トニーが協力してくれたから、縛り上げるのも楽だったぜ。

 おいトニー、苦しいかもしれねぇけど、少しの間だけだからガマンしてくれよな」


 トニーは「大丈夫」と答えるかわりに、ロックにニコッと笑い返した。

 しかし聖父ななおもあきらめない。


「ならトニーに息を止めさせて、自殺させるぞ!」


「その脅しは、ロックになら通用していたでしょうね。

 でもこのわたくしにとっては、アフタヌーンティーで下手なジョークを聞かされたような気分ですよ。

 物理的に気道を塞いだ場合はともかく、自らの意志で息を止めて自殺するのは不可能です。

 限界まで息を止めると意識を失い、その時点で不随意運動として呼吸を行なうようになりますので」


「ふ……ふん! じゃがこの聖堂には、まだまだ多くの子供たちがいるんじゃ!

 もちろん全員、私の支配下にある!

 今は聖堂の奥で安らかに眠っておるが、このオルガンを弾くだけで地獄と化すぞ!」


「すでにみなさん、わたくしの外科手術でチップを取り出してあります。

 トニー君とザアダさんを座席に座らせている時点で、子供を人質として使うのは目に見えていましたから。

 ロックとあなたがやりとりしているのをずっと見物していたかったのですが、中座して奥の部屋に失礼させていただきましたよ」


 聖父の邪悪な笑みが、とうとう消し飛んだ。


「こっ……こしゃくなぁぁぁぁっ!

 じゃがその程度のことで、この私の野望は潰えたりはせんぞっ!」


 片手を叩きつけるようにして、ジャーン! とオルガンを鳴らす。

 すると部屋全体が明るくなった。


 聖堂の中には、聖父、ロック、ワット、トニー、ザアダ、これから産まれてくるであろうザアダの赤ちゃんの6人……だけではなかった。

 なんと長椅子が並ぶ座席の中央には、7人目の男が座っていたのだ。


 彼はフェードラと呼ばれるつばの長い帽子を被り、ツヤのある木のパイプを咥えた英国紳士だった。

 ダブルのスーツに黒光りする革靴で、ステッキと革のアタッシュケースを傍らに置いている。


 ワットは誰よりも早く柳眉を吊り上げていた。


「あなたは、00000007セブンオーセブンさん……!? まさか、生きていただなんて……!?」


 セブンオーセブン、それは映画にもなっている伝説のスパイの名である。

 その口調は、ワット以上に婉曲的だった。


「ふむぅ、それはこちらの台詞とも言えなくもないね。闇執事ワットソン君」


「ずっとそこにいらしたんですね? わたくしに気配を悟らせないとは、さすがですね」


「おや? 気付いていなくもないのではなかったのかね? それも、かなり以前から」


「はい。チジックのアパートで、ジェロムさんと愛人を殺害し、部屋に爆弾を仕掛けたのはあなたですよね?

 いくらスパイであったとしても、あそこまで手際の良い仕事ができるのは、わたくしの知る限りではほんの数人しかおりませんので」


 ロックが待ちきれない様子で話に割り込んでくる。


「おい、コイツがあのセブンオーセブンってマジかよ!? 映画で観たのとぜんぜん違うじゃねぇか!」


「時にフィクションは、現実よりも残酷と言えなくもないかもしれないね。

 スイートなヒーローが活躍する映画なら、なおのことかもしれなくもない」


「ああ。映画のセブンオーセブンのほうがよっぽどイケてたぜ!

 なんだよそのアゴ、ケツみてぇに割れてるじゃねぇか!」


 ロックならではの初絡みの挑発、しかし伝説のスパイはニヒルに口元を歪めるだけ。

 聖父はその間に、グランドピアノの内部から電子部品のようなものを取り外していた。


「セブンオーセブンよ! その闇医者とやらを始末するんじゃ!

 それが無理でも、私が逃げるまでの時間を稼いでおけ!

 私はこの国から高飛びする! 誰の手も届かない場所で、ロンドンに神の力を振りかざし、支配してやるんじゃ!」


 そう命じる聖父の胸には、タバコを押し当てたような小さな焦げ跡が付いていた。

 同じ煙が、セブンオーセブンがピストルのように構えたパイプから立ち上っている。

 伝説のスパイはパイプを咥えなおしながら、静かに告げた。


「我輩がキミのような男に仕えていたのは、他でもなくもない。

 行きすぎたキミの暴走を止めるためだと言えなくもないのだよ。

 さあ、ゆっくり休みたまえ、『日陰の雪ダルマ』君」


 ぐらり、と揺ゆれる聖父の身体。

 ロックは「トマス!」駆け出し、倒れる寸前で抱きとめた。

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