第10話

10 ワットの料理


 ロックとワットは家の2階にある、それぞれの部屋に案内される。

 ずっと星空を屋根にしてきたロックにとってそれは、初めての家と呼べるものであった。


「ウサギ小屋みてぇだな」


 下宿人はロックとワットの2人だけのようで、身の回りの世話はハニーがしてくれるらしい。

 ハニーはエプロンドレスごしの胸を、エッヘンと張って豪語する。


「あたしがここの大家さんになったのは、花嫁修業のためなんだ!

 だから掃除に洗濯、料理に裁縫、ぜんぶ任せなさい!

 あ、そうそう! 今日はワットさんとロック君が下宿する初日だから、腕によりをかけてパイを焼いてみたんだよ!

 さぁ、食堂へレッツゴー!」


 それから遅めの夕食となり、ハニーが作ったというシェパーズパイが振る舞われる。

 しかしそれは、作った本人もひと口で椅子から転げ落ちるほどのマズさだった。


「さぁ、食べて食べて! いただきまーっすうげぇーーーーっ!?」


「なんだこりゃ? テムズ川の底から拾ってきたのかよ? インベーダーにコイツをぶつけたら戦争に勝てたんじゃないか?」


「噛まずに飲み込むか、味覚センサーを遮断して口にすればいけますよ」


 歯に衣を着せぬロックと、フォローにならないフォローをするワット。

 ハニーは床に座り込んだまま、クゥとエプロンを噛んでいた。


「だってしょうがないじゃない! あたしはここに来たばっかりだし、料理をするのも初めてなんだもん!」


「そうだったんですね。ではちょっと失礼しますよ」


 癇癪を起こすハニーと、「あーやかましい」と耳を塞ぐロックを残し、ワットは席を立つ。

 食堂の隣にある台所に消えてから数分後、実に食欲をそそる匂いが漂ってくる。


「ありあわせのものですが、どうぞ」


 戻ってきたワットはエプロンをしており、料理の載ったトレイを抱えていた。

 白い皿に盛られていたのは、ベイクドビーンズ、サニーサイドアップ、ソーセージ、トマトとマッシュルームのソテー。


 エンシェント・フル・イングリッシュ・ブレックファストと呼ばれる、古代ロンドンから伝わる朝食メニューである。

 そのお味のほどは、ロックとハニーが「うまぁーっ!?」と顔を見合わせるほどであった。


「わたくしはこう見えて執事兼、料理人だったのですよ。

 キッチンに立つのは久しぶりでしたが、お口に合ったのであれば何よりです」


「はぐっ、テメェ、いけすかねぇヤツだけど、むしゃ、メシだけはイケてるぜ!」


「もぐっ、ワットさん、お願いします! んぐっ、あたしに料理を教えてください!」


 食べ盛りの子供のように、ガッつくロックとハニー。

 そして食後にワットが淹れてくれたダージリンが、これまた絶品だった。

 馥郁ふくいくたるフルーティーな香りが部屋じゅうを満たし、ハニーは夢見心地になる。


「すごい……同じ茶葉のはずなのに、あたしが淹れるより、ずっと美味しい……!」


 普段は、産地もわからない干からびたブレンドティーばかり飲んでいたロックに至っては、昇天せんばかりであった。


「おれ、これから死ぬのか……!?」


 ワットは頭上に掲げたティーポットから、腰の高さにあるティーカップに向けてダージリンを注いでいる。

 その立ち姿は実に優美で、まるで紅茶の神を模した彫像のようであった。


「ダージリンは、紅茶のシャンパンとも呼ばれています。

 そしてイタリアでは、食後にシャンパンを飲むそうです。

 このロンドンでは、ダージリンこそが食後にピッタリというわけですね」


 2杯目の紅茶を供されたロックは、すっかり飼い慣らされた犬のような表情。

 もし彼にシッポがあったなら、ちぎれんばかりにパタパタ振っていたに違いない。


 しかし目の前でシャボン玉が弾けたようにハッとなると、ガタンと席を立った。


「い……いい気になるんじゃねぇぞ! おれはテメェを認めたわけじゃねぇからな!」


 ロックは捨て台詞を残し、肩をいからせ食堂から出ていく。

 その背中を、ワットはお手上げポーズで見送っていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 次の日の朝、ロックはハニーから叩き起こされた。


「朝だよロック君! 起きて起きて起きて!

 うわぁ、ベッドじゃなくて床で寝てるなんて、どういう寝相してるの!?」


「ベッドは柔らかすぎて気持ち悪かったから、床で寝たんだよ。

 っていうか、なんだこれ?」


「なにって、タオルと歯ブラシだよ! さぁさぁ、朝ごはんにするから顔を洗って歯をみがいてきて!」


 ボサボサ頭に寝ぼけ眼のまま、朝もやの裏庭に出るロック。


「まさかこのおれが、歯みがきをするとはな……野良犬がノミ取りをするようなもんだぜ」


 口の中に適当に歯ブラシを突っ込んでいると、庭の植え込みの中から見慣れた顔がズボッと出てきた。


「兄貴……とうとう、飼い犬になっちまったんすか?」


「バカいうなよショーン。警察サツよりもタチの悪いヤツに捕まっちまって、少しの間ここで暮らすことになっただけだ。

 おつとめが終われば、またシャバに戻るよ。

 あ、そうだ、ショーンもここで一緒に暮らすってのはどうだ? 部屋はまだあるみたいだから……」


「それこそバカいうなっすよ兄貴。おいらが家と風呂が大嫌いなのを知ってるっすよね?」


「そういやそうだったな。まあおれが留守の間、ロック団の面倒は任せたぞ」


「あ、そのことなんすけど、兄貴……」


 ふと背後の勝手口が開き、ワットが出てくる。

 「やばっ」と引っ込むショーン。


「おはようございます、ロック。初めて屋根のある一夜はどうでしたか?」


 ワットは昨晩と寸分たがわぬキッチリとした執事服で、変わらぬ微笑みをロックに向ける。

 ロックは見向きもせずに答えた。


「悪くはなかったが、いま最悪になったよ。

 テメェも同じ屋根の下にいるってのを思い出しちまったからな」


「そうですか、この暮らしはもう少し続くでしょうから、早く慣れることをオススメしますよ」


「嫌だね。テメェがいるのが当たり前になるだなんて、考えるだけでゾッとする。

 スカンクが一緒にいるほうがマシだぜ」


「相感じるものがありますね。ところで、今日は依頼人に会いに行こうと思います」


 ロックはワットと目を合わせるものかと意地になっていたが、この一言でギョッとワットを見てしまう。


「なに? もう依頼人がいるのかよ?」


「はい。わたくしも、このスカンク暮らしを早く終わらせたいと願っている者のひとりですので、がんばって探しました。

 といっても、向こうからやってきてくれた依頼なのですがね。

 どんな内容かは、お目にかかって伺うことになっています。

 朝食のあとさっそく出かけますので、仕度をしておいてくださいね」

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