第8話

08 ギャングで探偵


 しかしその火種にさらに、ダイナマイトが投げ込まれるような衝撃が続く。

 野良執事は「あ、そうだ」と、思いだしたような声をあげると、


「わたくしは他人を信用しない性分なのでした。ですから少しだけ、あなたたちの頭の中をいじらせてください」


 言うが早いが野良執事は、書斎机から身を乗り出す。

 手袋ごしの手のひらを、父親の額にあてがった。


 すべてを白く塗りつぶす、新雪のような色の手袋。

 それがひときわ白く輝くと、父親は寝落ちするようにカクンと首を折る。

 息子は「ひいっ!?」と腰を抜かし、足だけでシャカシャカと這い逃げた。


「ひいいっ!? ぱ、パパになにをしたんだ!?」


「先ほども申し上げたとおり、頭の中を少しいじらせていただきました。大丈夫、痛くありませんから」


 野良執事は医者らしい口調で息子を追いつめる。

 燕尾服の背中からピカッと光が漏れるのを、ロックは魂が抜かれたようにじっと見つめていた。。


「それでは、帰りましょうか」


 何事も無かったように声をかけられ、抜けかけた魂が元に戻る。


「おい! テメェ、いま何をやった!? あれはセマァリンだろ!?」


「はい。わたくしのセマァリンは力を増幅させて使用すると、対象者の記憶を消すことができるんですよ。

 おふたりの頭の中から、トニーさんについての記憶を消させていただきました」


「なんだってそんなことを!? ヤツらはもうトニーには手出しはしないって誓ってたじゃねぇか!?」


「上流階級の人間にとって、契約書を交わさない口約束なんてなんの意味もありません。天気の話と同じですね。

 舌の根が半乾きになれば、またトニーさんを狙うことでしょう」


「だからって、記憶を消すこたぁねぇだろうが!」


 ロックが激怒していたので、野良執事はさも意外そうな声をあげる。


「おや、おかしいですね? あなたは二度とトニーさんに手出しをさせないために、ここに来たのでしょう?

 暴力で言い聞かせるなどという不確実な方法ではなくて、より確実な方法で決着したのですから、むしろ喜ぶべきなのでは?」


「ふざけんな! コイツらはゲスでも、トニーと血が繋がってるんだぞ!

 それにやり方はアレだが、ヤツらはトニーのことを愛してたのかもしれねぇんだぞ!?」

 なのに、無理やり忘れさせるだなんて……!」


 ロックが食い下がってくるので、野良執事は仕方ないといった様子で眉尻を下げた。


「やれやれ、自分のセマァリンの効力を明かすのは気が進まないのですが、しょうがないですね。

 彼らが本当にトニーさんを想っているのであれば、わたくしのセマァリンを打ち破り、やがてトニーさんのことを思い出すでしょう。

 そうなったら彼らの想いは本物ですから、そのときに養子のことを考えてあげればいいのですよ」


 その後、片笑みとともに放たれる一言。


「そんなことを心配するだなんて、実にあなたらしいヒューマニズムですね、ロック」


 それはロックの頭を丸太でブン殴り、抱いていた怒りを全て忘れさせるような威力があった。


「なっ……!? なんで、おれの名前を知ってるんだ!?」


 野良執事は居住まいを正すようにピシッと直立すると、左腕を腹部に当てて頭を下げる。

 執事のお手本のような礼だった。


「申し遅れました、わたくしはワットソンと申します。

 ワットという呼び名で、あなたの家に代々仕えておりました執事一族の人間です。

 かく言うこのわたくしも、先代に仕えていたのですよ」


「先代……? ってことは、おれのオヤジってことか?」


「はい。あなたは、かつて古代ロンドンを支配していたギャング一族の末裔です。

 そしてご先祖の方々は、偉大なる探偵でもあったのですよ」


「ギャングで、探偵……!?」


「はい。裏社会ではギャングとして、表社会では探偵として、古代ロンドンの治安維持につとめていたそうです。

 しかしあなたのお父様の代に、大規模な抗争が起こり、一族は絶滅の危機に瀕しました。

 あなたの両親は、ギャング組織に残った最後の力を使い、ご自身ではなく、跡取りであるあなたを逃がしたのです」


 ロックは天涯孤独の身で、両親の顔も覚えていない。

 自分が何者かすらも知らず、気付いたらホワイトチャペルの大通りにポツンといた。


 覚えていたのは自分の名前と、当時の自分は6歳だったということだけ。

 それ以外の記憶はすべてストリートの下水に流したのだと思い込み、路地裏の野良犬として今まで生きてきた。


 しかしここにきていきなり、謎の執事から出生の秘密を語られて困惑しきりであった。

 しかもギャングで探偵などという、荒唐無稽な一族の生まれだと聞かされればなおさらである。


 ロックはすっかり毒気を抜かれていた。


「そ……そうかい。でもいきなりそんなこと言われて、ハイそうですかと信じられるかよ」


「信じる信じないはご自由に。ただわたくしは先代の遺言に従って、あなたに会いに来ただけですから」


「なんだよ遺言って」


「あなたのお父上は息を引き取る間際に、わたくしにこうおっしゃいました。

 ロックを一人前の探偵にしてやってほしい、と」


 「はぁ」と生返事のロック。


「ロック、あなたはホワイトチャペルでストリートギャングをしながら、探偵ごっこをして娼婦たちの問題を解決しているのでしょう?

 やはり、血は争えないものですね」


「はぁ」


「でも捜査のやり方については、探偵の名門の一族とは思えないほどに、インテリジェンスのかけらもありません。

 対話という手段を用いずに、殴って情報を聞き出すなんて、まるで原始人ではないですか」


 ロックは「うるせぇよ」と言いかけて、ハッと口をつぐむ。


「まさかテメェ、このおれにインテリジェンスな捜査ってのを教えるために、パブの前で待ち伏せてやがったのか!?」


「ようやく気付きましたか。今宵、ロックの探偵ぶりをそばで拝見させていただきましたが、7点というところでしたね。

 あ、100点満点でですよ」


「低っ!?」


「これからはわたくしが助手となって、マンツーマンで捜査の心得というものを教えてさしあげましょう」


 「しょうがねぇなぁ」と口にしかけたロックは、ブルッと顔を振り払う。


「ふ……ふざけんなっ! 誰がテメェなんかと!」


 この男と話していると、なぜか調子が狂う。現にこの男と出会ってから、ずっとヤツのペースだ。

 ロックは今までの自分を取り戻すかのように、ワットと名乗る男の胸倉を掴む。


 ワットは驚く様子もなく、されるがままに引き寄せられる。

 まるで、ロックのこの行動すらも予測していたかのように。


「ぜんぶわかってるみたいなそのツラ、ムカつくんだよっ!」


 ロック渾身のブローが燕尾服のボディにめり込む。

 鐘を叩きそこねたようなゴォンという鈍い音がする。


 次の瞬間、崩れ落ちていたのはロックのほうであった。


「いっ……痛ってぇぇぇ……!」


 這いつくばって腫れあがった拳を押えるロックに、慈悲と無慈悲が合わさったような声が降り注ぐ。


「ああ、そこは人間じゃないんですよ」


「くそっ……! テメェまさか、セマァロイドかよっ……!」


「半分は人間ですので、正確にはセマァボーグですね」


「くそっ……!」


 ロックは怒りに震えながら睨みあげる。

 するとそこには、人間と機械が合わさったような顔があった。


「とりあえず、この話の続きは車の中でしましょうか」

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