第7話 酒と悪戯と悪魔と少年

「短時間でめっちゃ上達してんじゃん!」

「だろ?だろー?」

翔が編入してきてから、一馬も海生も余裕があるときは彼が変身してからの歩行練習に付き合う日々が続いていた。10歩進まぬうちに前のめりに転倒してはブエルの世話になっていた当初とはうってかわって、現在はトラックをゆっくり一周できるほどになり、コツを確実につかんでいるようだった。最もまだ全速力で走るのと、階段の上り下りは苦手らしいが。

一馬に上達を褒められた翔――もといアンドラスのオオカミの尻尾は左右に大きく揺れている。

「うれしいとそうなるって、やっぱりオオカミも大きいだけで犬の仲間なのね」

下級悪魔にとり憑かれたことがきっかけとなり命を落とすことになってしまった野良犬のハナコのことを思い出しながら、揺れる尻尾をいとおし気に見つめる海生。

「あんま真剣に見んなよ…妙な気分になる…」

腰から下が無防備なことはやはり多少気になるようで、特に女子にまじまじと見られるのは恥ずかしさが出てくるようであった。

「あんたたち三人そろそろ引き上げたらー?今日の夕飯のメインメンチカツだし、早くしないと根こそぎもってかれるよ?主に鳩山に」

低すぎずかといって高すぎるわけでもない、ちょうどよい聞き心地のよく通る声が校庭に響く。練習から帰ってきてすぐなのだろう、名は体を表すという言葉がしっくりくるようなエメラルドグリーンのTシャツに身を包んだ翠が1年生3人組に声をかける。

「やっべ!!」

「えっそれそんなにうまいの?俺初めてだわ」

「おばちゃんにチップとして1000円渡していいレベルだぞ」

「そのままでも美味しいんだけど、カレーに乗せるとね…幸せになれるの…」

「俄然楽しみじゃん…早くしねーと」

翔がすかさず悪魔アンドラスから元の姿に戻る。メンチカツ争奪戦に名乗りを上げるべく、1年生3人組は一斉に、各々の全速力で下駄箱に引き返していった。



「おう来たか。メンチカツはお優し~い卓様がちゃんと残しといたで」

「自分でお優しいとか言っちゃってんのめっちゃサムいし、とりすぎるなっておばちゃんたちに釘さされただけでしょ?」

いちいちなんやお前、と卓が翠に小声で文句を言う。

時計は7時を少し過ぎたくらいの時間を指している。生徒数が少ないのでたかが知れているが、食堂が一番賑わう時間だ。

「向かい失礼しまーす」

「おう」

一馬が卓にそう声をかけると、1年生3人組は卓の向かいに並んで腰掛ける。

「揚げものを炭酸で一気に流し込むのもまたオツなもんよなあ!」

おっさんのような台詞を吐きつつ卓はトレーのそばに置いておいたブドウ風味の炭酸飲料のペットボトルを開封するが、なんだか様子がおかしかった。あのどこか爽快感すら感じさせるような『プシュッ』という音がしないのである。

「いやいや開けてもないのに炭酸ぬけることあるか…?うわなんなんこれ酒くさっっ!!」

様子のおかしいブドウ風味サイダーの香りを嗅いだ卓がややオーバーリアクション気味に席を離れる。ペットボトルの口からはたまに父親が飲んでいたワインにそっくりな香りがした。

「確かにお酒…っていうかワインね…」

「最近ペットボトルのワインあるし、誰かが陳列の段階でラベルとかすり替えたんじゃないか?」

海生が科学の実験のときの手つきで突如として目の前に現れたワインの香りを嗅いでいる。ゴミ問題やリサイクルのしやすさに配慮してかペットボトルのワインが出回りだしており、ブドウジュースと間違ってつい手に取ってしまいそうなデザインのものもあるが、かといって卓が未成年飲酒に走るとも、買い間違いという間抜けなことをするとも思えなかった一馬は、何者かのいたずらと結論付けた。

「それにしたってここまで新品と変わらない風にはできないだろ。ラベルののりしろの位置が入庫時とずれるはずなんだ」

「…なんで安藤そんな詳しいんだよ…」

「俺の母ちゃん、色んなスーパーまわってそういういたずらとか万引きとかする奴とっつかまえる仕事してんだよ。今日は何人捕まえた!って仕事の話も結構してたから、自然とそういう知識が増えた」

翔の母親は敏腕の万引きGメンのようで、そんな母の仕事の話を聞いて育った翔に行動力と正義感が芽生えるのは至極当然の道理であった。

「余計な疑いかけられる前にちょっとこれ捨ててくるわ…」と卓がペットボトルを手に取った瞬間、今度は別の席からまた聞き覚えのある声で「ゔえっ…!」と聞こえてきた。

「どっきり麦茶だこれ…うわー…」

声の主は翠で、麦茶だと信じきって口を付けためんつゆにすっかり参っているのか、白い机に突っ伏している。容器内の麦茶を全く同じ色合いに薄めためんつゆとすり替えるどっきり麦茶はいたずらのド定番ではあるが、食堂の麦茶はちょうどフードコートにあるような、お冷とお茶が押したボタンに応じて出てくる機械から供給されるもので、簡単にすり替えられる代物ではない。

いたずらにしては手が込んでいるうえにその手腕がもはやプロなことが気になりつつも、先輩たち二人の分も含めて、とってきたものがちゃんと水かどうか確認をしてから、3人は夕食をとった。



翌日以降も不可解な事件は続いた。理科室のアルコールランプの中身が一夜のうちにただの水になっていたり、蛇口から今度はウイスキーが出てきたり、食堂の各机に備え付けられた醤油さしの中身が全てラー油になっていたりした。

――もっともラー油入りの醤油さしにひっかかったのは火耶だったため、いたずらとしては不発に終わったのだが。

スケールにばらつきがあること、その割には周到なこと、人的被害を加える意図はなさそうなこと、そしてすべて液体が絡んでいること以外の一切が不明で、犯人捜しは非常に難航した。下級の悪魔が学校にちょっかいをかけにきたという線も疑われたが、基本的に真っ先に人間に危害を加えようとしてくるため、悪魔の仕業という断定は全くされなかった。

そうして手をこまねいている間に、ついに職員会議にかけられる事案が発生した。理科教師である福山(ふくやま) すみれが後ほどビオトープに移動させるつもりで育てていた水草の水槽の水がすべて白ワインに変わっており、水草が全滅したのだ。

こうなってくると校内に誰かが大量に酒類を持ち込んでいる可能性を否定できないため、全生徒の部屋を捜索する旨が校内放送で伝えられた。

「やばい…楽譜ちょっと床に置いてある…」

「俺なんて荷解き終わってない荷物あるぞ…」

「普段からちゃんと整理整頓してればこういうとき慌てないで済むんですー」

片付けがおざなりになっている同級生男子二人を海生はからかい混じりに諫める。

「お前ほど要領よけりゃ苦労しねえって」

「それにこんな事態が何度もあってたまるか」

「要領の良し悪しじゃなくて習慣の話でしょ。じゃあ私はここで!」

男子寮と女子寮の分岐点となるところで海生と別れた一馬と翔は、先生たちが来るまでに少しでも部屋をまともな状態にしておくべく、勢いよく階段を駆け上がっていった。

理事長なりに気を使ったのか、一馬と翔の部屋は隣同士だ。大声を出したり大掛かりな片付けを始めたりするとそれらにより生じる音がかなりはっきりと聞こえる。翔の部屋の捜索のために教員の女川が入ってきたのか、「失礼するよ」という声が聞こえてきた。

「荷解きも終わらないうちに家宅捜索みたいな真似してそれはすまないと思ってるけど、まあこういうことがあった後だしね…」

「別にいっすよ、やましいことないんで」

来たばかりでさすがにものが少ないからか、翔の部屋の捜索は10分もしないうちに半分以上終わっていた。

「この衣装ケースも見た感じ冬物しか入ってないね。億劫になる前にいろいろ整理した方がいいと思うよ」

「面目ないです…」

翔が消沈したような返事をしたのと同時くらいに、「なんなんですかこれー!!」という女性の甲高い悲鳴が響き渡った。

自室に待機していた男子生徒が次々と、なんだなんだとばかりにベランダに出てくる。

悲鳴の主は理科教師の福山で、ビオトープに体の下半分を沈めた巨大なミズカマキリのような化け物に襲われていた。目にあたる部分が赤く光っているので、おそらく下級悪魔にでも憑りつかれたのだろう。

「さ、さっきはさすがにびっくりしましたけど、これ以上ここを荒らすなら、容赦しませんからね…!」

震える声で虫の化け物に宣戦布告をすると、福山は次の瞬間白衣を着こみ頭には小さな王冠を付けた、人と鳥を足して2で割ったような姿の悪魔に変身していた。

正直なところ理事長と食堂スタッフ以外の職員全員に悪魔が憑いているという話を一馬は少し疑っていたが、こうして教員が変身するところを見た今ようやく本当だと確証を得ることができた。

福山が変じた鳥のような悪魔は、ビオトープ内に生育していただろう水草を一気に伸ばし虫の化け物をけん制するが、見る間に水草は薙ぎ払われていく。

「福山先生に憑いてるストラスは戦闘が得意じゃないんだ…いつまで逃げ切れるか正直わからないぞ…」

女川もやはり震えながら、翔の部屋のベランダでうろたえている。いまいち頼りない女川をよそに、翔はベランダの柵に足をかけすっと立ち上がった。

「ちょっ…」

一馬がちょっと!と言い終わらないうちに、翔も悪魔アンドラスの姿に変身し、ベランダから大きな翼で飛び立っていった。

「おいアンドラス!」

おそらくとっくに一馬の声は聞こえていないだろう。不和をもたらすのが本懐でありながら己が正義感に従順な悪魔は、虫の化け物のところにたどり着くと、その頭を後ろから一発オオカミの前足で殴りつけた。ボグッという鈍い音がしたが、昆虫の外骨格が悪魔に憑りつかれさらに巨大化したことで強化されたのか、決定打にはなっていなかった。

「硬ぇなこのやろう…!」

今度は手にした剣で虫の化け物の頭部を切りつけるアンドラス。その間ストラスは化け物の隙を作り出すために、周りを縦横無尽に飛び回り注意を引き付けていた。しかしそれにも限界があり、ついに化け物の角材のような足が飛び回るストラスを捕捉した。

「させるかクソ虫!!」

すかさずアンドラスが化け物とストラスの間に割って入り、迫りくる足めがけて剣を振り下ろし切り落とした。傷口からは赤紫の液体が噴き出し、ギロだけでオーケストラを編成したようなギチギチという鳴き声をあげ、化け物はのたうち回る。

「…なんだか酒くさくないか…?」

女川が化け物と2柱の悪魔の方向を見ながら、鼻と口を隠すように顔を手で覆う。先日食堂で嗅いだワインとそっくりの香りが辺りに広がるまで、そう時間はかからなかった。

「あいつの血…っていうか体組織液が赤ワインになってる!!」

「もうビオトープも真っ赤だ、あれもきっとワインだ!」

女川と一馬が隣り合ったベランダで交互に叫ぶ。いつ誰がどうやったのか、虫の化け物の体組織液とビオトープの水はいつの間にか赤ワインにすり替わっていた。体の内外から短時間に多量のアルコールを叩き込まれた化け物は、もはや直立がつらいのか前後に大きくふらついている。これが人間なら金曜夜に駅前にいるタイプの大人に近い状態だろう。

「よく分からないし酒臭いけどこれはチャンスだ!やっちまえアンドラス!」

一馬が声援を送ると、アンドラスは学校の屋上よりも高い所に飛び上がり、そして助走をつけ化け物の頭めがけて急降下した。

「アル中になっとけ!!」

アンドラスが剣を横に構えながら体当たりを食らわせると、化け物は九州にある血の池地獄の様相を呈したビオトープに頭から沈んでいった。やがて力なくぷかりと浮かび上がると、もとの小さなミズカマキリの姿に戻った。



「とりあえず片付きましたけど、急にあの化け物の体液とビオトープが赤ワインになるなんて…誰がやったんでしょう?」

変身を解いた福山が不思議そうに真っ赤に染まるビオトープを見つめる。完全にアルコールに置き換わってしまったビオトープは、もう生き物が住める場所ではないのは火を見るより明らかだ。

作り直しかぁ…と福山がため息をつくと同時くらいに、「それやったの僕です…」と物陰から王冠と翼の付いた牛の着ぐるみパジャマのような服装をした少年が現れた。小学生といっても通用するような外見を見るにおそらく中等部の1年生だろう。

「ついでに言うと、水とかジュースをお酒にしたり、逆にアルコールを水にしたり、食堂の麦茶めんつゆにしたりも全部僕がこのザガンの力でやったんです…ごめんなさい…」

そしてそのまま今までの液体が絡んだ一連の事件の犯人であることをカミングアウトした。中等部の生徒の犯行だったということには誰もが驚いたようで、一帯にどよめきが起こる。

「あなたたしか中等部の…」

「富岡 銀哉(とみおか ぎんや)です…」

「なんでこんなことしたんだ?人間に被害が出てなきゃいいって問題じゃねえぞ?水草全滅したし、水道と麦茶の機械に関しては業者呼ぶ騒ぎになったし、誰かが学校に酒持ち込んでるって騒ぎにもになったんだぞ?」

福山同様変身を解いた翔が、悪魔ザガンを宿す少年に諭すように話しかける。それでも謎の凄みはあるが3割くらい明るめの髪色のせいだろう。

「…寂しかったんです」

「どういうことなの?先生に教えて?」

こういう方向性の返答があったことに驚きながら、福山はその少年…富岡に質問で返した。

「わけがわからないまま知らない学校の寮に入る羽目になって、体の中に悪魔がいるっていわれて、当然家族は近くにいなくて、おまけに生徒も少ないから同じくらいの年齢の人も少ないし、わからないことしかなかったのに、それを誰にも話せなくて…それでいたずらに走ったんです。僕を叱ったついででいいから、話を聞いてほしくて…」

福山にそう語るうちに、富岡は大粒の涙を流し始めた。高校生ですら今までの環境や家族、友人にしばしの別れを告げ、この特殊な学校の中で暮らすのはかなりの精神力を要することなのに、つい半年くらい前まで小学生だった彼ならなおさらだ。

「だったら素直にそう言ったらよかったんだよ」

「こういう相談をすることをカッコ悪いと思ったりしてなかなか言い出せない時期があるんですよ。あなたにだって覚えはあるでしょう?」

「…」

福山に諭された翔は押し黙る。

「気づいてあげられたらよかったのに、ごめんなさいね。でもそれとあなたが起こした事件のことは全く別なので、多少のお咎めは要りますね」

当然といえば当然なのだが、罰を与えられると聞いた富岡の体がかすかに震えた。

「しばらくビオトープの再建のお手伝いをお願いします。それから先生があなたのお友達になりますから、友達と一緒なら楽しいし、悩み事だって話しやすいでしょう?」

「…ありがとうございます…!」

涙でぐしゃぐしゃの顔と声色のまま、富岡は変身を解き、福山に深々と一礼をする。

「まずはこの池を満たしたワインをどうにかするところからですね!ベランダの皆さんも手伝っていただけます?」

なるたけたくさんの男手を求めた福山の声に応えた男子生徒が一斉に駆け出す。思い思いにバケツやホースを持った男子学生の明るい声が、先ほどまで戦場だった場所を満たした。


*******************

ソロモン72柱 序列61番 ザガン

ザガムとも。地獄の偉大な王にして33の悪霊軍団を率いる長官。水や血液⇔ワインの変化を得意とし、また金属を硬貨に変えることもできる。グリフォンの翼を持った牡牛の姿で現れるが、時間が経つと人の姿になる。

また人間を賢くする能力を有し、受験勉強などの際に力を借りると成績の向上が見込めるとされる。


ソロモン72柱 序列36番 ストラス

26の悪霊軍団を率いる地獄の王子で、王冠を戴く足の長いフクロウといった具合のかわいらしいイラストはあまりにも有名。

天文学や薬草・宝石に関する知識量は72柱でもトップクラスで、人間にその知識を与えてくれる。

悪魔ではあるもののそこまで邪悪ではないので、召喚しやすく扱いやすいとされる。



富岡 銀哉(とみおか ぎんや)

中等部の1年生。4月から五星学園に入学したはいいものの急激な環境の変化と学園の特殊性とに揉まれ、かといって近くに悩みを相談できる人もいないため、少しずつホームシックをこじらせた。ついに自分を叱るついででもいいので誰かに話を聞いてほしいと思うようになり、自分に憑依していた上記のザガンの力を使い、液体をまた別の液体に変えるいたずらに走った。

変身後は王冠と翼を付けた牛の着ぐるみパジャマのような姿。


福山(ふくやま) すみれ

五星学園の理科教師。20代後半で度数の高い眼鏡をかけている。校内のビオトープや花壇は開校当初から彼女が管理しており、植えてある植物はすべて彼女のチョイス。

上記のストラスが憑依しており、変身後は王冠と白衣を身に着けたフクロウのハーピー。植物に関する膨大な知識量を活かし植物を急激に成長させることができる。その気になれば一瞬でジャングルも作れるらしいが疲れるためあまりやりたがらない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る