誤解され続けた男


 一日目が終わった俺が思った事は――こんな楽しい文化祭を過ごした事が無かった。


 俺は朝の準備をしながら昨日の事を思い返す――

 午前中は白戸リリーを皮切りに、うちのクラスには俺の知り合いで埋まってしまった。

 大半ギャルであったが……。ちゃっかり豊洲と有明も席に座って洋菓子を食べていた。


 その後も何故か俺目当ての下級生や上級生のお姉さん方が押し掛けて来たり……、タクヤとボブと……親父が変装して俺の様子を見に来たり……、くそ、バレバレの変装すんじゃねえよ!? おかげで大迷惑だっての!!


 そんなこんなで俺のクラスは大混乱であった。

 多分あの時間帯の売上はどこのクラスよりも高いと思う……。


 そして午後は一人で天道の歌劇を観に行ったり、小池さんの教室の様子を見たり、ライブの機材の調子を見ていた。

 一日目は天道も小池さんもクラスの仕事をしなければならなかった。

 明日はみんな自由時間だ。


 ……天道も一緒に俺たちと回ると思ったが――


『駄目っす! 私は小麦さんと一緒に超楽しむ予定っす! ……先輩、絶対二人っきりで回ってくるっす!! そ、その代わり今度みんなで西側昭和遊園地に行きたいっす!』


 と強い口調で言われてしまった。……ふと、俺に妹がいたら天道みたいな感じなんだろうな、と漠然に思った。

 ……きっと楽しい生活だろうな。


 というわけで俺は今日、小池さんと一緒に文化祭をまわるんだ。

 俺は洗面台でいつもよりも長い時間をかけて髪をセットアップしている。

 親父は今日も仕事を休みにしていて居間でそわそわしている。

 俺のライブを楽しみにしているんだ。


 ライブの最終準備時間まで俺は小池さんずっと一緒にいる予定だ。

 ……妙に緊張する。


 俺たちは昨日の夜から今日の文化祭の話しで盛り上がっていた。

 出会った当初はメッセージを一つ送るのに一苦労していたのに、今じゃ会話をするようにメッセージを送る事ができる。


 普段ならどっちかの家で待ち合わせするのに、今日はいつもと違う。

 学校の中庭の前で待ち合わせなんだ。


「よしっ、スタイリストさんに教わった通りの髪型だ。っしゃ、親父、行ってくんぜ!!」


 居間から顔をひょっこりと出す親父。


「お、おう、ライブ……楽しみにしてっぞ。……事故だけは気をつけろや。何かあったらすぐに俺に連絡しろよ! タクヤとボブを引き連れて飛んでくぜ!」


「それはそれで迷惑な感じだな。安心しろや、親父。俺は何があっても歌いきってやるぜ!!」


 何故かわからないけど、俺は今日のライブが何も起こらず開催されると思った。

 俺はお守り代わりにハム助の仮面をカバンに入れてある。

 きっと、大丈夫だ。

 俺には友達もいるし……、俺にとって幸運の天使である小池さんもいるんだからな。


 俺は早る気持ちを抑えて玄関を飛び出した。







 待ち合わせの時間よりも少しだけ早く中庭についてしまった。

 流石に早すぎたのか小池さんの姿は見えない。

 俺はベンチに座る。


 中庭には沢山の屋台が出ている。まだ開店前だから準備している生徒しかいない。

 大きな木の下のベンチには誰もいなかった。

 ここは出店しているクラスもなく、お客さんと生徒の憩いの場所となっている。


 ここに座っていると心が安らぐ。

 大きな木が学校を守ってくれているみたいだ。

 ……変なオブジェからも妙な気配を感じるしな。


 学校の七不思議では、このオブジェが夜中になると動き出すっていう話がある。

 まあマジで動き出しそうな気配してっけどな。

 オブジェに目を向けると……誰かが隠れていた。

 大きな身体を隠しきれていないその人は俺の事をチラチラを見ていた。


「えっ? ちょ、な、なんで?」


 俺は困惑してしまった。事故があった時でさえ取り乱さなかった俺が挙動不審になってしまう。

 陰から出てきたのは……小池さんであった。

 小池さんは恥ずかしそうに俯きながらこっちに向かって歩いてくる。

 近づくにつれて小池さんは何か吹っ切れたのか、堂々と前を向く。


 小池さんはメイド服を着ていた……。そんじょそこらのメイド服じゃない。文化祭で着ているような安物のメイド服じゃない。

 身体に合わせて仕立てたメイド服は、小池さんの身体のラインの魅力を余す所なく伝えている。おとなしめのメイド服であるが、気品と優雅さと色気を感じさせる。

 全ては小池さんが引き立つように作られた完全無欠のメイド服であった。


 しかも小池さんは髪型も化粧も違った。

 完全にプロのスタイリストさんの仕事だ。ゆるく巻いた髪がキラキラと輝いてる。

 服にも髪型にも負けていない小池さんの存在感。化粧によって魅力が数倍にも膨らんでいた。


 初めてあった時の小池さんと思い出す。今よりもだいぶ太めで泣き腫らした目で鼻水がぐちゃぐちゃだった。それでも、小池さんからすごい魅力を感じたんだ。


 小池さんは俺の前に立つ。

 緊張気味の表情は俺の言葉を待っているようであった。

 俺は思った事をそのまま口に出してしまった。


「……やっぱ、小池さん……『可愛い』な」


 短い一言だけど俺の想いを全て乗せた言葉だ。

 小池さんは俺の言葉に笑顔で答えて、俺の腕を掴んだ。


「……きょ、今日はよろしくね。……そ、その、九頭龍君、いつもと雰囲気が違って……すごくカッコいいよ」


「い、いや、ま、まあ、きょ、今日は楽しみにしてたからな! い、行こうぜ!」


「う、うん! 文化祭、一杯楽しもう!」


 小池さんは俺の腕を掴んだまま堂々と歩き出した。

 周りにいる生徒たちが小池さんを見て口をポカーンと開けている。

 俺たちは静かになってしまった中庭を抜けて校舎内へと目指した――






 二人で校舎に向かったが、特にどこに行くか決めていなかった。

 緊張して小池さんと一緒に歩くという選択肢しか考えていなかった……。


 小池さんも俺も早足で歩く。

 よ、よし、一回どこかのカフェに入ってどんな風に回るか話し合おう。


「こ、小池さん――」「く、九頭龍君――」


「「あっ」」


 俺たちは同時に足を止めて、同時に言葉を発していた。

 何故か俺の顔が熱くなってくる。小池さんも顔が真っ赤になっていた。

 お互い名前を言っただけでその先の言葉を忘れたかのように黙ってしまう。


 顔が赤い小池さんを見ていたら落ち着いてきた。お互い緊張しているのを見ていたら少しおかしくなってきた。

 小池さんがクスクスと笑い出した。俺も釣られて笑い出す。


「ふふっ、九頭龍君、緊張しちゃったね。……えっとね、九頭龍君がとっても素敵だったからだよ! へへ、もう大丈夫」

「ったく、俺だってびっくりしたぜ。小池さんがメイド服姿で来るなんてさ」

「うぅ、だって、九頭龍君が見たかったって言ってたし……。ちょ、ちょっと恥ずかしいけど、今だけはいいかなって思ったんだ」

「すごく似合ってるよ。よしっ、今日は一日楽しもうぜ!」

「うんっ!」


 緊張なんてどこかへ飛んで行った。心の中には嬉しさだけが残っている。

 いつもどおりの距離感が更に近く感じられる。

 それが俺にはとても嬉しい事であった。

 小池さんの笑顔も柔らかくなる。

 俺も釣られて笑いかける。


「あそこのカフェでゆっくり考えよ!」

「おうっ、まずは朝食食べなきゃな!」


 俺たちは一年生のクラスがやっている『異世界バイキングカフェ』へと向かう事にした。







「すっごく美味しかったね〜。なんだか内装が西洋風で綺麗だったね」


 異世界バイキングカフェは随分と凝った内装になっていた。

 色とりどりの料理が並べてあり、何が異世界かよくわからなかったがとにかく美味しかった。俺たちは朝食を存分と食べて、コーヒーを楽しんでいる。

 ……食べすぎたから昼飯食えるかわからん。


「てか、『異世界で育てた卵のオムレツ』とか意味分かんねえけどさ……。随分と手の込んだ料理が多かったな」


「ねっ! できあいの料理って感じじゃなかったしね! 生徒さんがひっきりなしに料理を運んでいたから家庭科室で作ってるんじゃないかな? 美味しかったから満足だよ」


 カフェで回る所を話しながら雑談をする。なんてことのない会話だけど、すごく落ち着くんだ。

 俺たちは緊張もほぐれてきていつもどおりの距離感へと戻ってきた。


「ねえねえ、な、なんか視線が一杯だったけど……、わ、私変な事してないよね? く、九頭龍君は有名人で人気者だからわかるけど……」


 カフェにいる間、妙に視線が多かった。

 確かに俺を見ている生徒もいたが、圧倒的に小池さんに見惚れていた生徒が多かった。


「いや、小池さん……、自覚してないのかよ……」

「ふえ?」

「……ま、気にしないでくれよ。よっしゃ、小池さんそろそろ次の場所へ行こうぜ!」

「う、うん。へへ、九頭竜君と一緒だから視線はあんまり気にならないよ。うん、行こ!」


 小池さんは立ち上がると、自然と俺の手を取ろうとしてきた。

 俺も自然とその手を握る。

 ……あれ? あまりにも自然過ぎて気にしていなかったけど……俺たちずっと手を握ってるよな……。


「次は『お祭り喫茶』だよ!」

「……喫茶店多すぎじゃね?」


 俺は握っている手を意識しないようにしてお祭り喫茶へと向かうことにした。

 ……だって意識したら恥ずかしくて小池さんの顔が見れなくなってしまうからだ。








 今ままで生きてきた中で幸せだと思う瞬間はあった。

 だが、いまこの瞬間は俺の短い人生の中で最高の瞬間と言えるだろう。

 なんてことはない。大切な人と誤解もなく普通の学生のように楽しんでいる。

 そんな普通が俺にはとても遠かった。


 小池さんに笑いかけると笑い返してくれる。

 会話に詰まることなんてない。一緒にいて楽しくない時間なんてない。

 胸がドキドキする。体温が上がっている。

 周りの視線なんて気にしない。俺たちは二人だけの世界にいるみたいであった。


 そんな楽しい時間は有限であった。

 俺はライブの準備をしなくてはならない。


 縁日喫茶のあとに、幽霊屋敷や漫画部の展覧会、テラスでアウトドア体験――

 時間が過ぎるのがあっというまであった。


 俺はそろそろ音楽ホールへと向かわなければならない。


「九頭龍君、そろそろ行こ――」


 俺たちは中庭の奥にある音楽ホールに向かってゆっくりと歩き出す。

 俺も小池さんも無言であった。だけど、嫌な静寂じゃない。

 なんだろう、自然だ。自然としかいいようがない。


 中庭に着くと、小池さんは立ち止まって辺りを見渡した。

 俺も立ち止まる。時間はまだ十分ある。


 小池さんは生徒を、校舎を、屋台を見渡した。


「…………普通ってこんな感じだったんだね。……うん、私いま幸せなんだな」


 何気ない一言だけど、小池さんが言うと重みを感じられる。

 俺と小池さんは似ている所がある。有名人の子供――

 最近まで辛い事があったんだ。

 自殺をしようと思ったぐらいなんだ。


 俺は自殺という言葉が頭に浮かんだだけで吐き気がしてきた。

 ……あの時、俺は小池さんに出会えて良かった。


 小池さんがこの世界にいない事なんて考えられない。

 今まで出会わなかったのが不思議なくらいだ。


 小池さんは柔らかい笑みを浮かべていた。

 それはとても愛おしくて―――




「ねえ、九頭龍君。………………出会ってくれてありがとう――」




 小池さんは俺に背を向けていた。

 その肩が少し震えている。何故か俺は嫌な予感がしてきた。



「もうわたし大丈夫。……だから、ここからは一人で歩けるよ」



 俺は声が出せなかった。なぜこんな別れみたいな言葉を言うんだ?

 なぜいきなり距離感を感じるんだ? 

 どうして小池さんは肩を震わせているんだ?


 晴天だった天気が怪しくなってきた。雲が太陽を覆い、雨がぽつりぽつりと降り出す。


「九頭龍君にはもっとお似合いに人がいるはずだよ。……私はいつでも見守っているよ。だから……これからも友達として」


 腹の中が熱くなっていた。

 何か嫌なことが起きそうな前触れを感じる。

 頭の中で選択肢が思い浮かぶ。

 だけど、それらはすべて闇しか見えなかった。


 言葉が口に出せない。何か言葉を発すると誤解が生まれると思った。

 わからない、この最高に幸せだった瞬間が一瞬で叩きのめされそうであった。


 ――違う。大事な人を信じろ。

 ――おまえが信じなければ誰も信じない。

 ――おい、過去に囚われてんじゃねえよ。


 俺は小池さんに近寄ろうとした。

 一歩歩くと、そこには見えない大きな透明の壁のようなものが見えた。

 まるで鋼鉄の扉であった。

 足を前に踏込もうとしても身体が動かない。


 頭痛が痛い――割れるような痛みが頭から胸に――全身に広がっていく。

 前に進むと何が起こる? 決まってる、俺の心が傷つくだけだ。誤解が起こるだけだ。


 そんなものどうでもいい。だって――


 小池さんが雨に打たれて肩を震わせてないてるじゃねえかよ――

 痛みなんてどうでもいい、俺がどうなろうとどうでもいい。






 小池さんの手を掴む。

 強く握ってしまったかもしれない。

 小池さんは俺の手を全身の力で振払おうとした。


 ――が、俺はその手を離さない。微動だにさせない。

 これが俺の意志なんだよ。


 俺は後ろから小池さんを抱きしめた。


「――――あっ……」


 俺には小池さんが必要……、違う、必要なんていう言葉じゃない。

 俺にとって小池さんは……大切な大切な――



 愛おしい人なんだ。



 痛みとぬくもりと雨の冷たさを感じる中、俺は全身全霊の力で小池さんを抱きしめる。

 俺の全ての想いを乗せて――

 今は言葉は必要ない。ただ、俺の気持ちを表したい。

 いつの間にか見えない壁が消えていた。

 そっか……あれは俺が自分自身で作った壁なんだ。内にこもって必要以上に傷つかないように――



 なあ、小池さん……、俺を見てくれないか?



 小池さんが身じろぎをする。

 震えていた肩が嗚咽へと変わる。

 俺は小池さんの肩を掴む。泣き顔の小池さん。

 

「く、九頭龍君……、わ、私……、自分に自身がなくて……、九頭龍君と仲良くしていいのか不安になって……。く、九頭竜君、人気者でみんなから愛されてて……」


 俺は泣いている小池さんの背中を軽く叩く。

 小池さんが泣いていると俺も悲しい。

 俺と小池さんは似ている。だから言葉だけでは本質を変えられない。

 自分に自身がない小池さん。

 誤解を恐れて壁を作る俺。


「……お似合いじゃねえかよ。ったく、うまく言えねえな。……小池さん」


 小池さんの頭を優しく俺の胸に抱き寄せる。

 ああ、くそ、なんで言葉が口から出てこねえんだよ。言いたいことは分かってんのに……。


「――ライブ、見てくれよ。……終わったら一緒に帰ろうぜ」


「…………う、うん……、わ、私、終わるまで待ってる」


 ほんの少しだけ小池さんの顔が明るくなっていた。


 俺はこのライブを小池さんのために歌うんだ。

 それが、俺の答えた。


 小池さんは最後に俺をきつく抱きしめた。骨が鳴るような音がしたけど気のせいだ。


「……じゃ、じゃあまたね。あ、あのね、す、好きって言った返事……待ってるから……」


「……えっ?」


 小池さんは校舎へ向かって走り出す。

 俺は小池さんの言葉に驚愕して固まってしまった。……あ、あの時の準備室での言葉……。あ、あれって……まさか、異性として俺の事が……告白? いや、でも、だとしても――


 小池さんに抱きしめられた脇腹が少し痛む。

 押すと激痛を感じる。……あっ、これヒビ入ってないか?



 空を見上げるとどんよりとした雲が光を覆い隠す。

 いまだに雨が降っている……、だけど、嫌な気持ちにはならない。

 妙な誤解が起こりそうな雰囲気だけど、今なら何でもできそうな気分でもある。


 なんだ、これは? 先程とは違う熱が腹の奥から湧いてくる。

 小池さんが俺を好き? 

 そう思うだけで全身から高揚感を感じる。

 脇腹の痛みなんてどうでもいい。


 俺は小池さんに歌うために音楽ホールへと目指した――









 音楽ホールへ着くと俺は早速準備に入ろうとした。が―――


「く、九頭竜!! た、大変! さ、さっきの落雷で電気が……」


 雨宮が大慌てで俺の元へと駆けつけてきた。

 ……妙に暗いと思ったけど、停電が起きたのか? ははっ、マジで俺らしい感じだな。

 今までだったら、嘆いて、喚いて、落ち込んで、諦めていたけどさ……。


「それがどうした。明かりがないなら非常ライトを使えばいい。音響が使えねえなら俺がギターでもピアノでも弾きながら歌うぜ」


「く、九頭竜? ど、どうした?」


「あん? どうもしねえよ。俺の準備は俺がするぜ。確か『仮面女子』も外部出演するんだろ? 雨宮はそっちの準備をしてくれや」


「お、おう、わかった。ふふ、なんだか頼もしいな」


「任せろ。今日は本気を出す」


 俺は音楽ホールの舞台へと上がる。

 袖には俺と小池さんが用意した機材がある。

 舞台に隅にはピアノが置いてあった。


 俺はピアノを軽く弾いてみた。伸びやかな音をホール全体に奏でる。

 ――とりあえず大丈夫だ。もしかして途中で壊れる可能性がある。なら代わりの楽器を用意するまでだ。

 俺はスマホを取り出した。


『――――――ああ、親父? わりいけどさ、うちにある楽器全部持ってきてくんねえか? …………ああ、うん………、俺の一生のお願いだ。助かる――』


 俺は電話をしながらも上から嫌な気配を感じた。

 遠くから叫び声が聞こえてくる――


「九頭龍ーー!! 危な」


 その声を全部聞く前に俺は全身のバネを使って身体を前転させた。

 俺の後ろからガシャーンという音が聞こえてきた。

 受け身を取って後ろを振り向くと、そこには照明機材が天井から落下していた。


 雨宮と他のスタッフたちが俺に駆け寄る。


「く、九頭竜、だ、大丈夫か!? け、怪我はないか?」


「わりいけど片付けはお願いしていいか?」


「あ、ああ、かまわん。榊君、あとで学校側に説明するから写真を取って、それから片付けをお願いする。……榊君?」


 榊と呼ばれた一年生が俺を睨みつけるような顔で見ている。手には客用のパイプ椅子を持っていた。

 こいつは……陸上部の一年生で――


 榊から黒い空気を感じた。


「お、おまえのせいで先輩は――、お、俺の雨宮先輩に色目使いやがって……、おまえなんて――」


 榊は手に持っていたパイプ椅子を俺に向かって振りかざした。

 俺はこんな事にかまってられない。ライブの準備をするんだよ――

 パイプ椅子を思いっきり蹴飛ばした。


 椅子は宙に舞い、榊は衝撃で吹き飛ぶ。

 重力によって落ちてくるパイプ椅子を手で掴んだ。


「雨宮、これの処理もよろしく。わりい曲げちまった。……その男子、そうマッチョな君だ。あいつを保健室へ連れてってくれ」


「う、うっす!!」


 まだまだライブは始まってねえ。誤解も不運もどうだっていい。今の俺はなんだってできる気がする。






 その時音楽ホールの扉が開いた。

 まだ開演まで時間はある。


 そこに立っていたのは――


「せ、せんぱい!! なんかいきなり嵐になってここだけ停電しちゃったっすけど、私にできる事ないっすか!!」

 天道が――


「天道っち、私も手伝うよ! ハム助さんのライブを中止になんてさせたくないじゃん!」

 小麦さんが――


「小池の事は任せなよ。ちゃんと着替えて今はお母さんと温かいココア飲んでるからさ。あんたはライブのあとで小池を、う、う、奪っちゃいなさい!!」

「なんでリリーが照れるの?」

「大好きな二人がくっつきそうで嬉しいっしょ?」

 リリーと松戸と千葉が――



「あ、あんたは私がいないと本当に駄目なんだから……、わ、私が手伝ってあげるわよ! な、なにをすればいいの? ね、ねえ指示出してよ……」

「――武蔵……手伝い、来た。……豊洲は武蔵が超心配なの」

「ば、ばかっ!? し、心配なんて……、ちょ、ちょっとしか……」

「ツンデレ乙」

 豊洲が有明が――



「……私もいるぞ。……おまえの親友だからな。仮面女子の準備は必要ないって言われた……。九頭竜の準備を手伝うぞ。なんでも言ってくれ」

 雨宮が――


 みんなが俺のために動いてくれる。

 こみ上げてくるものがあった。俺は今まで一人だと思っていた。だけど違うんだ。俺にはこんなにも大切な人がいるんだ。


 俺は頭に飛んでくる石のようなものをキャッチしながらみんなに言った。


「……こういう時は『ありがとう』だな。助かるぜ! じゃあ俺の指示通り動いてくれ!」


 俺は矢継ぎ早に指示を出す。突拍子もない指示もあるがみんな疑問を抱かず動いてくれる。

 まだ準備は始まったばかりだ。


 俺はわけもわからない悪意を受け流しながらもライブの準備を進めていった。

 もう、俺は壁なんて作らない。誤解なんてされてもどうにかする。


 だって俺には――大切な友達と――愛しい人がいるんだから。








 結局、停電は直らずライブの時間となった。

 本来なら中止になるはずだけど、今回は非常ライトとピアノのみで簡易的に行うという事で話がまとまった。

 雨宮が必死になって先生方を説得してくれた。

 どうやら仮面女子が絶対に出たいと言って聞かないらしい。なんにせよ助かる。 




 そして幕が上がる。

 観客の入りは半分以下であった。仕方ない。会場のコンディションが最悪、かつ外は嵐のような天気だ。


 それでも俺の気分は上々であった。

 なぜなら会場の一番前に小池さんがいるんだから。


 ざわついていた会場が静かになった。

 文化祭実行委員である雨宮が簡易マイクを持って挨拶を始める。

 手短に挨拶を終えて、外部出演者である仮面女子を舞台へと招く。


 ――えっ、仮面女子って……ちょ、マジかよ。


 確かに仮面女子だ。カルメンのような仮面を被った令嬢みたいな人がピアノの準備に入った。

 そしていきなり歌い出す――



 その歌声は紛れもなく『沙羅』であった。

 観客たちは息を飲んで声も出せない。

 いきなり浴びせられた歌姫沙羅の歌声。

 マイクを通していないのにオペラ歌手のように通る声は美しい旋律を奏でていた。


 沙羅さんは舞台袖から見ている俺にウィンクをする。

 なんだか俺を試しているみたいであった。


 驚きもあるが、それ以上に俺の心は燃えている。


 沙羅さんがピアノを楽しそうに弾きながら歌を歌う。

 小池さんがそれを楽しそうに聴いていた。

 まるで親子の会話みたいだ。きっとそれが日常だったんだろうな。


 沙羅さんは一曲歌い終えると観客に手を振って舞台から下りた。


 その瞬間、会場が沸騰したかのように湧き上がった――




 会場のざわつきが止まらない。歌姫沙羅の突然の登場に、誰もが思考が処理しきれないでいた。そして、俺は雨宮に呼ばれる。


 会場の入りはいまだ半分程度だ。流石に沙羅さんが歌ったとしてもすぐには埋まらない。

 天気は最悪、音源も使えない。

 だけど、俺の心はワクワクしている。

 俺が人前で歌うのはこの前が初めてであった。

 あの時の気持ちは一生忘れないだろう。初心というものはああいったものだろう。


 俺は舞台へとゆっくりと上がった。

 簡易マイクを手に持ち、会場をゆっくりと見渡す。


 見知った顔が沢山あった。楽器を持ってきてくれた親父。変装しているタクヤにボブ。さっきまで手伝ってくれた友達たち。それにクラスメイトまでいるじゃないか。


 俺は観客に向かって一礼をしてピアノへと向かった。

 俺は懐に挟んであった、ハム助の仮面をピアノの上に置く。今日はそこで見守っててくれや。


 俺は大きく息を吸い込んだ。

 そして簡易マイクを投げ捨てる。


 ――まずは全部吹き飛ばしてやるよ。


 ピアノの伴奏とともに俺は歌い始めた――







 この一曲だけはマイクなんていらない。

 誰も聴いた事のない新曲。俺しか知らない俺だけの想い。

 突然始まった俺の歌にざわついていた観客は静かに立ち尽くしていた。


 小池さんはオロオロと周りを見ていた。

 セットリストと違う歌が始まった驚いているんだろうな?

 だって、このライブは小池さんのために歌ってんだ。ならサプライズがあってもいいだろ?


 俺はしか知らない恋の気持ち。

 初めて知った本当の恋。好きと違う感情。俺は知らなった。小池さんへの想いを歌に叩き込んだこの曲は俺の集大成である。


 不器用な俺たちが出会ったのは奇跡だったと思う。

 想いの強さがあればマイクなんていらない。

 言葉だけじゃ伝えきれない想いは歌って伝えればいい。

 この歌は誰かが共感するための歌じゃない。



 俺だけが歌えて小池さんだけが意味を理解できる歌だ――



 歌いながら小池さんを見つめる。

 小池さんは涙を流していた。嫌な涙じゃない。溢れてくる想いが抑えきれないで泣いているように見える。

 きっと意味を理解してくれたんだ。


 俺が伝えられる精一杯の気持ち――


 『多分一目惚れだったんだよ。俺はあの歩道橋で出会った瞬間、小池さんに恋をしたんだ。大好きで大好きでたまらない。陳腐な言葉にしかならないけど――俺は小池さんを愛してる』


 小池さんが何度も頷く姿が見える。

 大勢の観客がいるけど、俺は小池さんしか見ていない。

 俺は小池さんと確かな絆を感じた。その時、俺と小池さんと繋がっていた黒い糸が見えた。

 黒い糸は変色して――赤い糸へと変化していく。絶対に切れない太さのそれは二人を繋いでいる証。


 

 ふと窓を見ると、雨がやんでいた。沢山の色が視界に飛び込んできた。晴れ間が音楽ホールへと差し込む。

 舞台袖から雨宮がドタバタとせわしなく動いている。


 歌いながら周りの景色が目まぐるしく動く。

 会場にどんどん観客が入ってくる。暗い雰囲気が学校から消えてなくなった。


 日向と大五郎が穏やかな顔をしながら手を繋いでいる姿が見えた。


 最後の最後まで小池さんに向けられる想いをひたすら歌うだけの歌。

 それが終わりを迎える。


 ――ピアノの上にあったハム助の仮面がひび割れた。


 その瞬間、俺の中に残っていた黒いモノが完全に消えてなくなった気がした。







 非常電源のライトが消える。

 そして――、停電から復旧したライトが明かりを照らす。

 雨宮が舞台の上にあらわれてマイクスタンドをセットする。


 俺は復旧するのを見越して全て準備していた。

 最初の一曲は俺の全ての想いを小池さんに向けたものだ。


 あとは――


 舞台袖にいる白戸がサムズアップをする。次の曲の伴奏がかかる。

 この場にいる全ての人を幸せにするために歌うだけだ――






 ******************




 思えばひどい人生だと思っていた。


 想像してみろよ? 言われもない悪意を受けたり、冤罪が当たり前の日常。


 それは地獄だった。


 何度も何度も逃げようとした。……立ち向かわなかっただけだったんだな。


 俺は小池さんと歩道橋で出会った。


 陳腐な言葉だけど、あの出会いは運命だったんだろう。


 全てが一気に変わったわけじゃねえ。俺は小池さんに支えられながら、ときに小池さんを支えながら前に進んでいったんだ。


 だから、今なら言える。


 俺にとって小池さんは――世界で一番大切な人だ。



 これは誤解を受け続けて壊れそうな少年が大切な人と出会い、幸せな人生を歩むであろう物語――



(誤解され続けた俺が元カノを庇って事故にあった。……悪いがお前たちの事はもうわからない 第一部完)



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誤解され続けた俺が元カノを庇って事故にあった。……悪いがお前たちの事はもうわからない うさこ @usako09

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