第5話 私のアップルパイを召し上がれ

「ちょっと手抜きでパイとは呼べないかもしれないけど、気に入ってもらえると思うの」


 駅前の商店でドリューに説明しながら、私は食パンをバスケットに入れる。それからアーモンド粉にサワークリーム、シナモンにバターに卵。興味津々でバスケットを覗き込むドリューが可愛らしくて密かに身悶えてしまう。

 バスケットはドリューが持ってきてくれたものだ。パリッとブルーストライプのシャツを着た彼が、まるで人気のデリバッグかと思うほど自然にバスケットを差し出してくれた瞬間、信じられないほど胸が高鳴った。大胆で自信家なのに、とんでもなくピュアなハートを持っている彼に完全に参ってしまっている。それはもうごまかしようがなかった。

 だけど私はドリューのあれこれを知っているわけではない。きっと大きな案件を堂々とこなし、おしゃれなお店なんかもよく知っていて……。それに、彼の周りには綺麗で仕事もできる女の人たちもたくさんいるだろう。やっと社会に出るようになった私なんて……。そう思うと上がった気持ちも急下降だ。都会の香りをさせる時の彼には到底太刀打ちできそうにない。庭に向ける想いのように、彼が恋愛に関しても少年のような気持ちを持っていてくれることを願うばかりだ。


 複雑な胸の内を微笑みの下に隠し、私たちは買い物を終えて家へ戻った。おばあさまのキッチンはとてもエキゾチックな雰囲気で、叔母とはまた違うこだわりにときめいてしまう。ここにも一人、美しい生活を実践した人がいたのだ。その豊かな人生がどれだけ影響をもたらしたかは、ドリューを見れば一目瞭然だ。それ故に私は、彼の中の素朴な一面を強く望んでしまうのだ。

 青を基調とした中に、黄色に緑にセピア、まるで異国の陶磁器のようなタイルが配置されたシンクで丁寧に手を洗いながら、私はおばあさまに語りかけていた。力を貸して欲しいと。ドリューが、かつてここでおばあさまと過ごした時のままの彼でいてほしいと、そう願わずにはいられなかった。

 

 クラブアップルの頭を蓋のように切って、芯や種などを取り出す作業を彼に頼み、まずは食パンを丸く切り抜く。バターに浸したそれをマフィン型に貼り付けていく。サワークリームベースのフィリングを作ってそこに入れ、最後にバターを詰めて蓋を戻したクラブアップルを押し込めば、あとはオーブンにお任せだ。


「ね、簡単でしょ」


 子どもみたいに頬を寄せあって、二人でワクワクしながらオーブンを覗き込み、焼き上がりをテラスに運ぶ。


「ああ、ミリー、素敵だ。まさにクラブアップルだよ! だけど種も芯もなくて食べやすい」

「カスタードソースの必要もないし、パイ生地でもないから思った時にすぐ作れるわ!」


 クラブアップルの形をいかに残すかがドリューのこだわりなのだ。だから一般的なパイからはかけ離れたものになってしまうけれど、これはこれでいいのではないだろうかと私は思った。最後にパラパラと粉砂糖をふりかけて、ドリュースタイルのクラブアップルパイは完成だ。甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。


「いいな。早く上手に作れるようになりたい。来週も練習しないといけないな! 収穫できる間はどんどんだ。ミリー、次は全部一人でやってみるから、そばで見ててくれないか?」


 庭をそぞろ歩き、まだまだ実るクラブアップルを見上げてそう言ったドリューに私は笑顔で頷いた。大きな男の人が、壊れ物を扱うかのように、小さなリンゴを一つ一つ丁寧に並べていく姿はたまらなく良かった。キッチンでの姿、何度だって見てみたいと思わずにいられなかったのだ。


(だけどそれって! 来週も呼ばれてるって! まさかお手伝いさんってことはないわよね。それって、それって……!)


 私は急に恥ずかしくなって思わずドリューから距離をとった。


「ミリー? どうした」

 

 離れた分をあっという間に詰め寄られ、顔を覗き込まれ、恥ずかしくてたまらない。ドリューの指がそっと頬に添えられた。私は思わず身をすくめる。


「怖いか?」


 私は黙って首を振る。驚きはしたけれど、ちっとも怖くなんかなかった。それよりももっと触れていてほしいと思わずにはいられなかったのだ。閉ざされていた感覚という感覚が全て開き、淀んでいた時間が押し流され動き出すのを私は息を詰めて感じていた。


「これは?」


 ぎこちなく頬を滑る指先に首を振る。よかったと呟きながら鼻をくすぐるドリューを見上げる。つ、と唇に人差し指を押し付けられた時には心拍数が怪しくなってきたけれど、それでも彼から目が離せなかった。こう言う状況に慣れているのかと、一抹の寂しさがよぎりもしたけれど、それでも彼ならいいのだと思う自分がいた。

 だけど、その無骨な親指が下唇にそっと這わされた時には、さすがに挙動不審に陥った。伸ばした指先に触れたクラブアップルをもぎ取った私は、目の前のドリューの口にそれを押し込んでしまったのだ。

 よほど酸っぱかったのか、目を白黒させるドリューに慌てる私。けれど次の瞬間、引き寄せられて唇が重なった。ちっとも酸っぱくなんてなかった。爽やかな甘さが口の中に広がる。


「……嘘つき」

「何も言ってないよ。教えてあげただけだ。教え合おうって約束したじゃないか」


 やっぱりこの人は、夜の街の策士だったかと思いつつも、分け与えられた熱と甘さにただただクラクラしてしまう。経験値の差なんて最初からわかっていること。ジタバタしたところで何も変わりはしないのだ。いや、そのジタバタさえも、一体何かがわからないのが本当のところ。これはもう、敬虔な気持ちで教えを請うしかない。

 心の中でそう思って温かい胸に寄り添えば、驚くほど早い鼓動に気がついた。百戦錬磨の自信家さんの中にはどうやら、覚えたてのスラングを投げ合っていた寄宿舎時代の少年が健在のようだ。

 クラプアップルが秋風の中、楽しそうに揺れていた。美しい田園風景を愛する少年少女たちでいる限り、木陰でそっと甘酸っぱい夢を見ていていいのかもしれない。たまらず微笑みがこぼれた。

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クラブアップルの木陰で クララ @cciel

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