39、地上への大脱出

 目の前にリフたちの驚いている顔を見た。周囲を見渡してみると、目の前には大人のナジーンが倒れているし、カヒィも変わらずに腹から血を流していた。エシルバは頭痛に苦しみながら目を覚まし、半身を起き上がらせた。


「エシルバ!」


「女の子は?」エシルバはぼう然としながらリフに言い返した。


 リフ、ポリンチェロ、ジュビオレノークはそれぞれ目を点にして眉をひそめた。


「しっかりしろよ! 変な夢でも見たのか。今の状況分かる? カヒィは重傷、俺たちピンチ! 今すぐここから脱出する方法を考えないと!」リフはどやった。


 それでもエシルバはさっき話していた女の子のことが頭から離れなかった。


「夢じゃない。心の中だった」

「誰の?」

 ポリンチェロはカヒィの介抱をしながら不安げに尋ねた。


「ナジーンの」エシルバは言葉を詰まらせながら言った。「複雑なんだ。彼女はゴドランに裏切られたショックで自ら飛び降りて死のうとした」


「どうしてそんなことが分かる。しかも飛び降りたって……」

 リフは言った。


「分からない。だけど、きっと……そうなんだ」

 エシルバは続けた。

「だけど助かって、やつの手によって呪いをかけられた。でも、この時のお父さんも呪いにかかっていた。女の子と会ったんだ。裏切られたことに傷ついてた。だから何枚も、何枚も、同じ絵を描く。時計の針も飛び降りた時間と一緒だったんだ。彼女の時間はずっと……あの時のまま止まっていた。でも、彼女は救われたいと願っていた。きっと、僕らには分からなかったけど、彼女の心のどこかには――」


「なにが言いたいんだ、エシルバ」ジュビオレノークが話を遮る形で強く言った。「こいつは犯罪者だ。同情なんて反吐がでる!」


「待って、鉛筆をもらった!」

 エシルバは胸ポケットをまさぐったが中はからだった。


「いいかげんにしろ」ジュビオレノークはいらだった。


「みんな勘違いしてる」


「なんだと?」

 すかさず言い返してくるジュビオレノークを見返し、エシルバはこう続けた。


「本当の敵は、もっと複雑なんだ。お父さんを見たけど、あれはお父さんじゃなかった。声も違う」


「父親の声なんて知らないくせに!」

「見たんだ!」

 エシルバは強く言い返した。


「反乱が起こる前のゴドラン|スーを。ガンフォジリーも見た。腕だけだけど、あれはたぶん10年前の大樹堂、反乱があった日だ」


「誰も見てないわ」ポリンチェロが言った。


「みんな、いいから彼の話を聞いてあげろよ」

 弱々しくカヒィが言うとポリンチェロが心配して寄り添った。


「あなたはしゃべらないで、じっとしてて。血が……」


「ナジーンに、呪いをかけてた。彼女が高い所から落ちてきて、駆け寄ったらやつが現れた。あいつのが手に触れると彼女は飛び跳ねて、それで、完全に、正気を失った」


 エシルバは今にも吐きそうに一言ずつつぶやいた。


「妙にリアルな話だな」リフが気分悪そうに言った。「じゃあ君は過去を見たってわけ?」


「あれは単なる夢じゃない。そう言ったろ?」


「でも、僕らには見えなかった」ジュビオレノークが言った。


「彼女の後頭部には殴打したような跡が残っているはずだ」

 エシルバの言葉に誰もが半信半疑だったが、リフはもぞもぞと確認してゆっくりとエシルバの顔を見上げた。「すげぇ」


 ポリンチェロもジュビオレノークと一緒に恐る恐る彼女の後頭部を見た。


「本当に跡がある」

 ポリンチェロはあっと驚いて言った。


「ただの偶然だ」

 ジュビオレノークが言った。


「偶然であってほしいくらいだよ」エシルバは沈んだ声で言った。


「こいつは死んだのか?」目を細めてジュビオレノークは言った。

ナジーンのおなかは呼吸に合わせて静かに動いていた。エシルバはどこか安心している自分がいることに気が付いた。


「生きてる。あ、見ろよ。手のマークが消えてる!」

リフの指摘に全員が彼女の手に注目した。が、やはりマークはどこにもない。


「君が消したんだよ、エシルバ!」リフが言った。「でもどうやって!」


「分からない」

 エシルバは自分の右手を見詰め、戸惑いながら言った。意識が飛ぶ直前にナジーンの手からジリーマークが消えるのを思い出した。それに、もっと驚くべきは自分の右手に鍵の文様が戻っていたことだった。「鍵は元に戻ったみたいだ」


「それなら全員が目撃者だ。とにかく目の前で超常現象が起こったのは間違いない」リフはそうまとめた。


「まさか、マークが消えたってことは」ポリンチェロは口ごもった。「呪いが解けた?」


「本当に?」リフは言った。


「とにかく、まどろっこしい話は無事に帰ることができたらだ」


 ジュビオレノークは会話にくぎを刺して言った。


「そうだな、ここにいつまでもいたってカヒィが危ない。ここを抜け出す方法を考えよう」

 4人はリフの言葉を聞いてナジーンを見下ろしながらうなずいた。


「でも、どうする? マンホベータは使えないし、ずっと一本道だった」

 リフは精いっぱい知恵を振り絞ろうと気難しい顔になって言った。


「さっきの部屋に戻ろう」

 ジュビオレノークの提案に3人はうなずいた。エシルバはカヒィを支えて歩く前に、ナジーンのポケットから銀のコンパスをまさぐり出した。


「どうするつもりだ」


「ナジーンを置いて行けない」

 エシルバはジュビオレノークに言い返した。


「冗談はよせ! そんなやつ連れて帰ろうっていうのか? 俺たちを殺そうとしたやつだぞ!」リフは言った。「それにけが人のカヒィもいる」


「置いていけない」エシルバは力を込めて言った。


 そこで、気に食わない顔をしたジュビオレノークがエシルバの前に立った。


「反対だ」


「もう一度ここへ戻れるかは分からない。まだ息をしているし、ここで彼を死なせるわけにはいかない」

 ジュビオレノークがカッとなってエシルバの胸倉をつかんだ。と、血まみれのカヒィが間に入る展開になった。


「カヒィ、君はじっとしてなきゃ駄目だろ!」


 リフが怒鳴るとポリンチェロがカヒィの肩を持った。

「大丈夫、彼のことは私に任せて」


「なぜ敵を助ける!」ジュビオレノークはエシルバにずいと迫った。


「助けられる望みがあるのなら、僕はそうする」

 エシルバはきっぱりと言った。


「いい人ぶるのはやめろ。情が移ったのか!」

「彼女には、生きてやってもらわなければいけないことがある――償いだよ」

 エシルバはしっかりと前を向いて言った。


 リフたちはしばらく困惑していたが、エシルバがあまりにもかたくなに言うのでそうすることにした。しかし、意識のない人間は石像のように重たい。子どもだけの力ではびくともしなかった。


 それでも、なんとかナジーンを引きずりながらシクワ|ロゲンのお墓があった部屋まで戻ると、リフは真っ先に古びたロラッチャーの元へ駆け寄った。


「こんなポンコツどうするつもりだ」

 ジュビオレノークがナジーンの足をボトッと落として眉をひそめた。


「ポンコツじゃない! こいつは幻のロラッチャーなんだぞ。これに乗っていった方が早い。こんな大荷物運ぶのに半日以上もかけていたら俺たち腐っちまう!」


「でもこれ、もう燃料がないみたい」

 エシルバは燃料メーターのほこりを息で吹きながら言った。


「燃料ならここにあるわ」

 ポリンチェロはすっかり忘れ去られていた4人のバドル銃とガインベルトを拾った。それを見た途端、リフは頭の上に電球でも浮かべたような顔をした。


「それで十分だ! ありがとう。3人とも……燃料管をちょっと拝借するぜ――」

リフはバドル銃から燃料管を3本抜き取ると慣れた手つきでロラッチャーの給油カバーを外した。


「おい! 燃料が爆発したらどうするんだ!」


「それ、誰に言ってるの?」

 リフはジュビオレノークにそう言い返してニヤッと笑った。


 メカニックなどさっぱりのエシルバたちにとって、リフの手つきは熟練した整備士のように天才的だった。彼は面倒くさそうな部品をいじくった後にこう言った。


「とりあえず、応急処置的に燃料を補給したから動くはずだ」

 リフが全体のほこりを払ってからキーを回すと、ロラッチャーはウゥゥゥウウンと古めかしい音を響かせた。操縦席に飛び乗ったリフは誰のかも分からないキャップとゴーグルを装着し、盛大にせき込んでから手招きした。


 座席は2席しかなかったので、エシルバはリフの隣に、ポリンチェロはジュビオレノークの隣に、ナジーンは頭から荷台に突っ込む形で収まった。カバーがかかり機体がフワリと浮かんだ。


「すごいわ! リフ!」ポリンチェロは激しく称賛した。


「君のかみつきには及ばないよ」


「リフ! ちょっと待って。あの大きなランプがつり下がっているのが見える?」

 エシルバが注意深く言った。


「それがどうした?」


「この部屋に入ってきたとき、かすかだけど風を感じた。もしかしたらあそこから外に出られる道が続いているのかもしれない。あのランプをどうにかできない?」


「撃ち落とせっていうのか? もうバドル銃は使えないんだぞ。この機体にもそんな攻撃システムはついてないし」

 何やらポリンチェロが後ろの荷台をガサゴゾし始めて長めのチェーンを引っ張り出してきた。


「これ、使えそう?」

「ちょっと貸せ」


 ジュビオレノークはリフに天井を開けるよう指示するとチェーンをつかみ、ランプの装飾に引っ掛けた。そして、手に持った方を荷台下のパイプにくくりつけた。「これで引っ張れ!」そう合図した。


「やってみる。みんな、つかまれよ!」

 リフは操縦桿を握り締め、機体を勢いよく前進させた。チェーンが空中でピンと張られたせいで機体はガクンと止まった。4人とも危うく機体の風防めがけて飛んでいきそうだった。


「もう一発!」リフが叫んだ。


 ドン! ランプの根元が少し傾いた。


「頑張ってくれ。もう一発だ!」


 ドン! 今度は大きく前傾した。


「いい調子だ! 次で決めるぞ」


 ドーン! すさまじい音をたててランプが落下し、ロラッチャーに取り付けられたチェーンは破損した機体の一部ごと下に落ちていった。


 エシルバとリフは思わず手を取り合って喜んだ。ジュビオレノークは喜んでからいつもの調子を忘れていたことに気付いたのか、急にそっぽを向いた。


「見て! エシルバの言う通りよ。上に大きな穴が見える!」


「もしかしたら上階のフロアに続いているのかもしれない。地面と平行じゃ入れないけど……垂直になれば進めそうだな」


 リフはこれまでになく声を奮い立たせ、ヘッドライトをつけてから機体をグイッと上向きにさせた。エシルバたちはジェットコースターで最初の山を上っていくような重力を全身に感じていた。

リフは巧みな操縦で機体をこすることなくすれすれで飛行していた。


「クモの巣だらけだ!」リフがひやひやして言った。


 ウネウネした道を上っては下る、その繰り返しだった。真っすぐ上に続くトンネルに出た。直感的に危機的状況を理解した。はるか頭上に扉のようなものが見えたからだ。


「ブレーーーーキ!」


 エシルバは遠くに見えた壁を指さして大声を出した。リフはとっさにブレーキをかけたが、このままでは確実に間に合わない……そう思ったとき、扉がゆっくり開いてその先にある光が全員の目に飛び込んだ。


 リフは瞬時の判断に任せてブレーキを緩め、そのまま開かれた出口へ突っ込んだ。そして、バッコーン! と出た。


 燃え盛る炎の中にいた。


 ロラッチャーは炎に包まれ、空中をクルクル回りながらズサーッと床に滑り落ちた。機体は壁に激突し、エシルバたちは力の法則に逆らえず窓ガラスに激突し、何とか外へ出ると床に倒れ込んだ。


 大勢の役人がエシルバたちのことを見て驚いていた。そこは、見覚えがある大樹堂のエントランスだった。


「僕ら、生きてるよ」

 エシルバは隣のリフに話し掛けた。


「こんなにハラハラしたことって俺、一度もない! エシルバ、君は打ち勝ったんだ!」


 リフはぶつけた頭を押さえながらエシルバに飛び付いた。そこへポリンチェロがヨロヨロやってきて同じようにした。「よかった! 私たち、帰ってこられたのね!」


 2人も重なると重く感じられたが、今はむしろそれが心地よかった。エシルバは事故の衝撃さえも忘れて2人を力いっぱい抱き締めた。

そして、どんな状況であるのかも忘れ、大きな声で「ハハハハハ!」とおなかを抱えて笑った。


「君が無事でよかった」

 エシルバはポリンチェロに言った。


「ありがとう。あなたたちが来てくれなければ今頃どうなっていたか想像するのも怖い」


「みんなのおかげだよ。戻りたい場所があって、守りたいものがあったから立ち向かえた」


「エシルバ」

 ポリンチェロはなぜかこちらをポーッとした顔で見つめながら言った。


「なに?」


「私、ずっとあなたから逃げてた」


 思わぬ言葉にエシルバはたじろいだ。


「あなたのお父さんがゴドランだから、ただそれだけの理由で」


 真剣に話す彼女の顔を見てエシルバはうなずいた。


「君の気持ちはよく分かるよ。そう簡単に割り切れないことだって、たくさんあるから」


 ポリンチェロは信頼しているまなざしを向けて目を細めた。


「自分を恥じているわ。あなたを中傷する人々となんら変わらないことに気付いた。私たちの親は正反対の立場になってしまったかもしれないけど、本当はお互い、もっと早く助け合うべきだったのよ」


 エシルバはポリンチェロをそっと抱き寄せ、背中を優しくさすった。


「逃げていたのは僕の方だよ」


 抱き合う2人をリフとカヒィは目を細め、ジュビオレノークはどこかつまらなそうに見ていた。でも、なにも恥ずかしいことはなかった。


「これからはもっと素直になるよ。君のことを理解したいんだ」


 ポリンチェロは涙を拭いて答え、パッと輝くような笑顔になった。


 程なくして、人だかりの中から厳しい顔をしたオウネイが団員たちを引き連れてやってきた。だが、エシルバたちが無事なのを確認した途端、その顔は信じられないほど柔らかくなった。


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