34、あるはずのない地下147階

「この世の終わりだ」

 リフはかすれた声で言った。


「だとしたら世の中は平和だ」

 突然ふって湧いてきた声にリフは飛び上がった。

 あの、眠りこけていたはずのカヒィが隣にいたのだ。


「ばか! いるなら言えよ!」


 カヒィはののしり言葉に傷ついた顔をした。


「ごめん……言い過ぎた。でも、いるなら言えよ。幽霊かと思うだろ。全部聞いてたの?」

「うん」


 リフはフンと鼻から息を吐いた。


「2人とも僕のことを置いて行くんだ」


「すねるなよ。そんなことより早くあの2人を止めないと大惨事に――」


 その時間、約1秒。瞬く間に2人の刃はぶつかり合い、強烈な音を立てて揺れ動いた。火花のように飛び散ったブユエネルギーの閃光は生まれるたびに空中に溶けてなくなった。


「本当におっぱじめやがった、あの2人!」

 リフは絶望的な声で言った。


 エシルバとジュビオレノークはいったん離れた。

「君がここへ来ると聞いた時、息が詰まりそうになったね。きっと大勢のやつらがそう思ったはずだ。鍵の持ち主は君じゃなくて違うやつが選ばれればよかった! どうして君が……」


「言いたいことがあるならはっきり言いなよ」

 エシルバはイライラして言った。


 口元をプルプル震わせながらジュビオレノークが1歩前に進んだ。

「一部の人間はエシルバ|スーには罪がないと言う。だが、俺はそう思わない。君はガンフォジリーの末裔、そしてゴドラン|スーの息子。血ぬられた一族に生まれた醜い子だ」


 エシルバは彼の言葉を聞いて怒りよりも悲しみを覚えた。

「好きなだけ嫌えばいい」


 エシルバは怒りの矛先を自分に向けてくるジュビオレノークに言った。

「気が済むまで悪口を言い続ければいい。でも、僕は恐れない。覚悟ならできている」


 ジュビオレノークは今にもかみつきそうな犬のようにジロリとエシルバのことを見ていた。エシルバは一点の曇りもない瞳を真っすぐ彼に向けた。


「僕はエシルバ|スーだ。僕は君になれないし、君は僕になれない。それぞれが自分を持っている。自分と戦っている」


 ジュビオレノークの目の中にかすかな迷いが生じた。エシルバはそれを見逃さなかった。しかし、彼はそれを悟られまいとして――


「君が憎い!」

 と吐き捨てた。2人は無口になった。それが、再戦の合図だった。


 暗い夜の空間の中、アーチ橋の上で二つの光が瞬いては消える。エシルバとジュビオレノークのブユエネルギーがぶつかり合っているのだ。今のところ2人は互角にやり合っている。上空がゴロゴロ鳴りだしていた。もうじき荒れ始めるだろう。


 エシルバとジュビオレノークが戦っている奥の暗闇で、紫色の光がチカチカ光っていた。誰かがいる。しかも、バドル銃を持っている。ブユカラーが紫の団員なんて、思い当たるのはただ1人しかいない。リフの頭の中にはその名前がよぎっていたが口には出さなかった。


「逃げろ!」リフは用心深い声で叫んだ。


 エシルバとジュビオレノークが振り返った。リフは2人の奥先を指差した。2人はその方向を目で追い、男がのっそり柱の陰から現れるのを見た。その瞬間雷がとどろき、しきりに雨が降り始めた。雷の瞬きで男の顔がハッキリと見え、この場にいる誰もが背筋を凍らせた。


 暗闇から現れたのはルウジ|シィーダーだった。





「君たちはばかなのか! こんな時に外へ抜け出して決闘するなんて!」

 リフは先頭を全速力で走りながらののしった。


「へへっ。それを言うなら観戦してた僕らも同じだ」

 カヒィは鼻をすりすりしながらさけんだ。


「ねぇ!」エシルバはしばらく走ったところで足を止めた。「逃げる必要あった?」


「当たり前だろ、シィーダーにだけは見つかるもんか。幸い俺たちの顔は暗いから見えてないはずだけど俺はバッチリ見たぜ、あいつの顔。そもそも見つかったら一番面倒なのは君だろ?」


 リフの指摘にジュビオレノークはフンッと鼻を鳴らした。


「へぇ、そうかい。じゃあなんで君まで一緒に走ってついてきたわけ?」


 リフがからかうとジュビオレノークはお得意のにらみを利かせた。


「おうおう、君のにらみなんてちっとも怖くないぜ」

「黙れ」ジュビオレノークはカヒィを小突いて言った。


「それにしてもなんだか様子がおかしかった。シィーダーのバドル銃、まるでこれから本当に戦いに行くみたいにエネルギーが対流していた。あれは絶対ただ事じゃない」


 言いながらエシルバは考え込んだ。バドル銃のブユエネルギーが対流モードになっている。それが何を意味するのかは明白だった。バドル銃を持っている時は不必要に対流バーを押すべきではない。燃料を無駄に消費するし、なにしろブユエネルギーが対流した剣は瞬時に人を殺しえるほどの力をもっているからだ。あの時、シィーダーは確実に敵意を持っていた。でも何に?


 いつの間にか雨はやみ、空は不気味な漆黒に覆われていた。緊張が走った。周辺がなぜ漆黒で覆われたのかエシルバはすぐに分かった。これはガインベルト高度技術の「ブユシールド」だ。エシルバはそれを習得するのに並大抵の努力ではかなわないと知っていたので、ここまで大きなブユシールドを張り巡らせた人物が何者なのか気になった。


 シィーダーは一体何をしようとしていたのか?


「屯所に戻ろう。嫌な予感がする」リフが言った。


「おう、そうした方が身のためだ。行こう、そらっ!」


 カヒィはエシルバたちの背中をせっかちに押したが進まなかった。


「ちょっと待って」

 エシルバはポケットから金のコンパスを取り出した。針はまだ狂ったように回転し続けている。ジュビオレノークがけげんな顔でコンパスを見ているときだった。空に明るい光の球が打ち上げられたのだ。4人が驚いて空中に目を奪われていると、鬼のように恐ろしい形相のシィーダーが廊下の向こう側からこちらに向かって走って来るのが見えた。


「来た! 来た! 来た! おいおいおい」リフがわけの分からない声を上げた。「俺たち、シィーダーに恨まれるようなことでもした? とにかく今のあいつは危険だ!」

 リフの声とともにエシルバたちは走り出した。一瞬迷ってからジュビオレノークも後を追った。「危ない!」エシルバは叫んだ。


 シィーダーが剣式を銃式に変え、3人めがけてブユ閃光を放ったのだ。


 銃口から真っすぐ飛び出した閃光はエシルバたちの真横をかすめ、さっきまでいなかった何かを吹き飛ばした。人間の形をした漆黒の影が壁に倒れてピクピク動いていた。ブユシールドに似た物質に見えたが、それぞれ明らかに意思を宿しているように見える。


「あれはなんなんだ」


 ジュビオレノークが震えながら言ったのとほぼ同時に、今度はリフが悲鳴を上げた。今見たのと同じような影がワッと襲い掛かってきた。エシルバは何かに駆られて走りだしバドル銃で狙いを定めた。手元が震え、引き金を引くタイミングが狂った。リフたちが危ない――早く助けないと。すると、後ろから紫色の閃光が飛んできて4人を襲う影を撃退した。


「あ、ありがとう、エシルバ」リフが言った。

「僕、撃ってない」


 みんなそろってシィーダーのことを見た。彼は地面で痙攣する不気味な影を冷酷な目で見下ろしながら、足でひねりつぶし終えたところだった。くどくど説教されると覚悟したがそんな場合ではない。


「私のそばから離れるな、敵に囲まれている」


 敵? その言葉を聞いてエシルバは彼が自分たちの味方なのだと知った。エシルバはリフ、カヒィ、ジュビオレノークの手をグイッと強引に引き、シィーダーの後ろに引き寄せた。


「バドル銃を構えろ! これは実習ではない」


 シィーダーはいつもより気張った言い方をした。4人は銃を構え四方を警戒した。今は余計なことを考えている場合ではない。自分たちの身を守らなければいけないのだ。


 束の間の静寂が訪れた。4人とも息を殺し、現状把握に努めようとしていた。しかし、いつまでたっても影の人間は襲い掛かってこない。気が付けば屯所を離れた見知らぬ外廊下の行き止まりまで追い込まれていた。


「来る!」シィーダーはそう言ってから自らの半径5メートル以内に紫色のブユシールドを張った。シールドの中は風もなく穏やか過ぎるのが余計に不安をかき立てた。そのわずか数秒後だった。


 灰色の淀んだもう一つのシールドがものすごいスピードで広がり、シィーダーのブユシールドと激突した。その衝撃たるやすさまじく、空気が裂けるような破裂音、そして目もくらむような光がバチバチ連続して起こった。


「ようやく姿を現したな」シィーダーは冷酷に言った。

 シールドがぶつかり合う場所から、突然手が伸びてきた。


“エシルバ”


 暗闇の底からはい上がってくるような不気味な声がエシルバには聞こえた。リフ、カヒィ、ジュビオレノークは思わず腰を抜かし、これにはシィーダーも虚を突かれた。腕はシールドを破こうと何度も激しく動き、その奥でおぞましいうなり声が聞こえた。


 エシルバは偶然後ろが単なる壁ではなくマンホベータであることに気付き、上階へ続くボタンをたたいた。ボタンを連打しながら「早く来て!」と叫んでいた。やがて到着を知らせる音でドアが開き4人は一気になだれ込んだ。


「ドアが閉まる! シィーダーが!」


 エシルバはあえいだ。てっきり一緒だと思っていた。まだシールドとの攻防を繰り広げる彼の背中を見てがくぜんとした。ドアはあっという間に閉まった。


「誰がボタンを押したんだ! まだ戦っていたのに!」


 声を荒げるエシルバに対し、カヒィは「誰も押してない」と小さく言った。


 それぞれ顔を見合わせて不穏な空気に眉をひそめた。どのフロアも押していないのに、マンホベータは下方向に進んでいる。ここは地下45階から地上118階までの巨大建築物内だ。現在の回数を見てみるとランプは18、17、16……というふうに下フロアに向かって点灯していた。エシルバは無言で12階を押した。「きっと1階まで行くんだ」


 12階のランプで止まるはず。だが、ランプは12階を通過し、11、10、9……と進み続けた。


「エシルバの言う通りだ」リフは冷静に言った。


「どういうことだ」ジュビオレノークはいら立ちながら壁をたたいた。「このマンホベータ、故障でもしているっていうのか。一体どこで止まるんだ!」


 地下に差し掛かったところでこの場にいる全員がかたずをのんでランプの点灯を見守っていた。


「なぁ、大樹堂は地下何階まであるんだっけ?」

 リフの質問に答えたのはジュビオレノークだった。「45階だ」


「夢であってくれよな」リフはその場にしゃがみこんで頭を抱えた。「地下147階ってボタンがある。そこが、最初から押されていたみたいだ」


「ばか言うなよ! 地下45階以下にフロアなんてない」


 ジュビオレノークの言葉に3人の顔からサァーッと血の気が引いた。

 カタカタカタ! と音がしたので見ると、コンパスの針は回転を止めてまっさかさまに立って止まっていた。


「なにが起こっているんだよ」

 自分から決闘を申し込んだことを後悔しているのか、ジュビオレノークは落ち着きなくため息を漏らした。


「あーあぁ、お前のせいだぞジュビオ。腰巾着どもに見張らせておけばよかったぜ」


 ジュビオレノークが殺気立ったので、カヒィは慌ててひょうきんな声をだした。「まぁまぁ、こんなところでもめても仕方ない。今の現状を整理すると、要するに僕らはうまーくはめられたってことだ。な? エシルバ」


「分からない。シィーダーがエレクンたちに事情を伝えてくれているといいけど」


「死んでなければね」とリフ。


「まず、地下147階って何?」エシルバは困惑した。


「もうじきハッキリするさ」カヒィはランプを見て言った。


「そうだ、ゴイヤ=テブロを使って連絡しよう」

 エシルバは忘れかけていたように思いついてゴイヤ=テブロを起動させたが、エラーで全然通じなかった。


「最初から期待してない。変な影が現れたくらいなんだし。扉が開いたらどうする?」

 リフは早口で言った。


「あるのはバドル銃とガインベルトだけだ」ジュビオレノークが言った。


「心強いね。ジュビオ、君が先頭で行けよな。元はと言えば君が決闘なんてエシルバに言うからさ」リフは言った。

 4人はしばらくもめ、じゃんけんで最下位になったエシルバが先頭になってしまった。


「リフ、君が言っていた大樹堂七不思議、あながち的外れでもないみたいだ。あるはずのないマンホベータが存在するって言ったでしょ?」

「あながち? 大当たりの間違いだろう!」


 ついにランプは地下147階を示しマンホベータは止まった。チンという音が鳴って、扉は普通のマンホベータとなんら変わりなく開いた。


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