33、大樹堂小橋の決闘

 翌朝、エシルバは部屋の誰よりも早く起きて大人たちの話し声が聞こえる会議室の方にコッソリ近づいていった。


「とんだ隙をつかれましたなぁ。われわれ使節団の団員が誘拐されるなど。昨夜の火事についてもです」

 シィーダーの声だ。

 エシルバは気付かれないように壁に背をつけて耳を立てた。


「前代未聞だ」エレクンの声だ。「早急にポリンチェロの所在をつきとめなくては。調査委員からの報告はまだなのか?」


「時間がかかるみたいです。朝方には屯所の方に封書が届けられるそうで」

 ルゼナンが言った。


「問題はあの火事の主犯が誰で、この手紙を誰が書いて――誰が彼女をさらったのかだ」


 ジグは壁を挟んだエシルバのすぐ後ろにいるようだ。彼が言い終わるやいなや、ブルウンドが鼻をつまらせてこう言った。

「かわいそうなポリンチェロ。しかし、あの火事で見た丸焦げの人形はなんのために?」


「悪趣味な人間だ」シィーダーが言った。


「有力な目撃証言が少ないゆえ、犯人を特定するのは困難かと。手紙を直接屯所内に持ち込み団員に接触できたということから、外部の何者かが無計画に起こした事件だとは言い難い。ここは、大樹堂関係者か、われわれの仲間内に化けの皮をかぶった愚か者が紛れ込んでいると考えるのが筋でしょうな」

 シィーダーがそう言うとエレクンが首を縦に振った。


「ジリー軍が動き出した」


「では、例の話を信じるとおっしゃるのですか」

 シィーダーは強い口調で言った。


「もちろん。ブユの石板は必ず大樹堂のどこかにある。あの子が言っていたことは正しい。敵の狙いはブユの石板とエシルバ|スーの力だ」


 会議室の中に恐ろしいほどの静けさが訪れた。エシルバは壁につけた背中が凍りついたような気がした。シィーダーは何かを悟っているようだった。「それでは……」と小さな声を漏らした。エレクンは深い沈黙を置いた。やがて静かにうなずいた。


「ガンフォジリーが」


 その言葉の後に生まれた沈黙を、誰一人として破ろうとはしなかった。言葉の余韻だけがそれぞれの頭の中に残り不気味な不安を生み出した。


「この手紙にはゴドラン|スーのブユエネルギーが感じられる」


 エレクンはテーブルに置かれた手紙に手を重ねて目を閉じた。


「彼の手下が差し向けたのかもしれない」

 ジグが息をのんだ。「ゴドラン……」


「手紙はさておき、皆も知っての通り――石板のありかは誰にも分からない」

 エレクンがゆっくりと重みのある口調で言った。


「こんなときにあのお方がいらっしゃれば」

「ルバーグ。シハンのことはもう忘れるんだ。彼はもう戻ってこない」

 エレクンはまばたきもせずに言った。


「誰にもって、ブユ=ギィがご存じのはずだ。違うか?」

 ブルウンドが言うとエレクンは首を振った。


「いいや、女王も知りはしない」


 ブルウンドはショックを受けていた。すると、エシルバの前にスッと人影が差した。

「なにか聞きたいことでもおありかな?」ナジーンだった。


 エシルバはドキリとして、彼に背を向けないように恐る恐るその場を立ち去った。ナジーンが会議室に入って行くのを確認したところでリフたちのいる部屋に逃げ帰った。


「間違いないよ」エシルバは寝ぼけたリフの耳元で強く言った。

「驚かすな」


 リフの声でカヒィも目覚めた。エシルバはさっき聞いたことを話したくて仕方がなかった。


「一度情報を整理するんだ。手紙を送りつけた犯人はブユの石板を探しているジリー軍の一味で、僕をおびき出すための口実にポリンチェロを誘拐した。エレクンが言っていた。ブユの暴走を引き起こすため、ジリー軍が――ガンフォジリーが動き出したって」


「やっぱり本当だったのか」リフが目を丸々とさせた。


「あの手紙からはゴドランのエネルギーを感じるって」


「それは確かに驚きだけどさ、ポリンチェロをさらったやつが誰なのかはまだハッキリしないの?」


 途端にエシルバは口ごもった。


「エシルバ、君はしばらく外に出ない方がいい。なにかあってからじゃ遅いからな」リフは大真面目に言った。「あの炎の目を見ただろう? 俺たち子どもだけでどうにかなる問題じゃない。下手すればポリンチェロみたいに……」


「でも、彼女は今も命の危険にさらされているんだ!」


 エシルバは怒鳴ったことをすぐに謝ってから、一度冷静になるため一人隅の椅子に腰掛けた。右手をポケットに入れて考え事をしていると、突然指先がひんやりとした。ポケットの中は確かに空っぽのはずだった。エシルバはそれを取り出して驚いた。なんと、いつの日か母の名で届いた金色のコンパスだった。


 誘拐事件と火事の一件で、トロベム屋敷含む周辺は捜査局によって封鎖された。そのため、エシルバたちはしばらく使節団屯所で寝泊まりすることになった。幸い屯所には空き部屋があったし、ちゃんとした寝床はなくとも生活するのに困らないだけのスペースはあった。しばらくの間トロベム屋敷に戻れないらしく、エシルバたちは部屋の荷物をまとめて屋敷を後にするしかなかった。


「屯所の方が安全だってエレクンが言ってた」

 ダントが仕事の休憩時間、エシルバたちの所に来て言った。


「安全だなんてそんな保証はない」

 ルシカが現れ珍しく弱気な声で言った。その後ろでジュビオレノークが読んでいた書物を閉じてエシルバに顔を近づけた。


「ここは安全じゃないさ、君がいる限り」


「エシルバは国の要請でここに連れてこられたんだ。それに……」


「それに?」ジュビオレノークはダントの言葉を遮って言った。「アバロンの騎士だからか?」今度はエシルバの方に向き直る。「君は古代ブユ人みたいに星と会話できるってね。だったら直接聞いてほしいな。教えてくれよ、アバロンをどうやって阻止するんだ? 君のせいで連れ去られたポリンチェロは今、どこにいる?」


「いいかげんにしろ」

 リフが割り込んで言った。


「この世界でただ一人、星に選ばれた正義のヒーローなんだろう? なのになにもできないじゃないか」

 ジュビオレノークはルシカとジャキリーン、ウリーンとともに別の部屋に行った。


「なにもできないのはジュビオや僕らだって一緒なのに」

 カヒィが同情した。


「ジュビオが言ったことは正しいよ。正直、本当のことすぎてぐうの音も出なかった」

「自分を責めては駄目よ」

 柔らかい声がしたかと思って振り返ると……


「ネル!」

 エシルバは考え事で難しい顔をしていたが、彼女の顔を見てうれしくなった。


「そういえばネル、ポリンチェロと師弟パートナーになったんだよね」

「えぇ。あの子が突然いなくなったから私、とても動揺していた。思いつく限りの場所をソルビアと一緒に探したんだけれど、見つからなかった。セムも協力してくれたけど、やっぱり駄目」


 エレクンから通達された外出禁止令のせいで、エシルバたちは一歩も屯所の外に出ることができなくなった。リビングでは防衛課や調査委員の役人たちがゾロゾロと集まって何か話していた。


 その日の夜、奇妙な物音でエシルバは目覚めた。リフは床の上で毛布にくるまり、カヒィは同じ横長のソファで眠っていた。寝ぼけ眼で音の正体を探していると、またもや取り出したはずのコンパスがポケットの中に入っていた。しかも、今度はカタカタ小刻みに震えながら狂ったように針が回転していた。


「リフ! 起きてよ」

「もう朝か?」


 エシルバはリフにグイッとコンパスを見せつけて異常事態を知らせた。


「そのコンパス、ずっと前に君のお母さんから届いたっていう」

「そうだよ。屋敷に置いてきたはずなのに……ポケットの中に入っていたんだ。しかも、こんな動きするのは初めてだよ」


 2人は回転し続ける針を見つめてごくりと唾を飲み込んだ。

「君、言っていたろ? ブユの石板が呼んでいるのかもしれないって。このコンパス、もしかしたらそれと関係あるんじゃないの?」


「ありえないよ。このコンパスが?」


「そうとしか考えられないだろう、だって、君の元に勝手に現れたんだ。きっと不思議なパワーがあるんだよ。俺にはそれがなにか分からないけどそう考えるのが筋じゃない?」


 不思議なコンパスについて議論していると、ドアを挟んだ廊下から話し声が近づいてきた。ガチャッとドアが開いたので心臓が飛び跳ねるかと思った。エシルバとリフは見事な早業で毛布に潜り息をこらして過ぎ去るのを待った。


「やつの狙いはあの子ではない」シィーダーの声だ。


 子どもたちが寝ているのを確認したのかドアはそこで閉まった。エシルバはドアが閉まったのと同時に足音を立てないように飛び上がり、遠ざかっていく足音や会話に耳を澄ました。


 すると突然バンッ! と壁をたたく音が耳を伝った。

「そういうお前は!」シィーダーの声はまるでげきりんに触れたかのようだった。「……自分の身を滅ぼすだけで結局なにも守れなどしなかった。忘れたとは言わせない、そう、われわれはなにも守れなどしていない」


 話の脈絡は途切れ途切れで分かりづらかったが、とにかく険悪なムードであることは間違いない。2人が去っていったのを耳で確認すると、エシルバはガインベルトにバドル銃を携帯し外套を羽織った。


「どこに行く」

 心臓が凍り付いた。すっかりその存在を忘れていたエシルバにとって、今最も聞きたくない声だった。


「君には関係ないさ」


 ジュビオレノークは執念深い目でエシルバをにらんだ。

「ちょうどいい。確認しておきたいことがあったんだ。あのふざけた手紙を書いたのは君なのか?」

開いた口がふさがらないというのはまさに今の状況を言うのだろう。エシルバは驚きを通り越してあきれ返った。


「違うよ」


 しかし、ジュビオレノークの眉間にはより深いしわが刻まれていた。


「エレクンたちが今も彼女を捜し回っている。だけどまだ見つからない。君のせいでとんだ迷惑を被っただろうね。

彼女にもしものことが起こったら、君はどんなふうに責任を取ってくれる?」


 ジュビオレノークはかなりいら立っていた。その口調からはどうしてもエシルバを悪者にしたいという意図が感じられた。ポリンチェロが連れ去られたのは誰かのいたずらだ、彼女は必ず戻ってくる。そう言えたらどんなに楽だろう。


 でも、現実問題そんなことは言えなかった。あの手紙が単なるいたずらの類ではないと伝えているからだ。エシルバにはそれが理解できた。犯人はどこの誰だ? ポリンチェロは無事なのか? エシルバの頭の中で数々の疑問が浮かんでは消えていった。しかし、今は彼の怒りをどうやって鎮めればいいのかを考える方が先だった。


「君が僕のことを仲間だなんてみじんも思っていないことだけは分かったよ」

 エシルバは肩の力を抜いて言った。


 ジュビオレノークはエシルバが武器を持っているのを目で確認した。

「どうしてポリンチェロがさらわれたと思う」

 ジュビオレノークはそう尋ねた。


「犯人はエレクンやナジーンみたいな大人を狙わなかった。あえてポリンチェロを狙ったのは、僕らと同じ子どもで、彼女は優しいからだ。そこを狙われた」


「優しい? それだけなら他にいくらでもいるだろう」


「はっきり言いなよ」

 エシルバは言った。


「知りたいか?」ジュビオレノークはもったいぶった。「バルコニーだ。バルコニーに出ろ。そしたら教えてやる」

 まるで犯人さながらの言い方にエシルバとリフは眉をひそめた。ジュビオレノークは一体何を知っているというのだろう。エシルバは情報を交換条件にバルコニーへ出た。そこは夜の堂下町が一望できる場所でなまぬるい風が吹いていた。


「ポリンチェロ|モンドンの両親は、あらぬ罪をかぶせられてダグリッドに収監された」

 会話はそこから始まった。


「それがいつなのか分かるか? 10年前だよ」

 穏やかな彼の笑顔とは裏腹に、話の内容はにわかに信じられないものだった。


「あそこは一度足を踏み入れれば二度と逃げだせない所だ」リフが悲しそうに言った。


「罪状は、ほう助罪」

 エシルバは言った。「そんな、彼女はなにも話してくれなかった」


「あの子が、ここに来てから毎日どこに手紙を出していると思う」


 手紙? エシルバは何のことかさっぱり分からなかった。同時に、ジュビオレノークが彼女のことをなぜそこまで知っているのか疑問だった。


「返事なんて来るはずのないダグリッドに、それでも毎日のように送っている。いつか両親に会えると願ってね。全ては君の父親が起こしたことだ」


「エシルバを責めるな」リフが言った。


「おかしな話だよ」ジュビオレノークはクスッと笑った。「俺たちはなにかの因縁で呪われているのかね。かつて、シクワ|ロゲンとユン|ガンフォジリーが戦ったように。普通の関係にはなれないんだ」


「違う。僕たちは呪われてなんかいない」エシルバは言った。


 ジュビオレノークは細い小道を歩き外に出た。向こう側に長い橋が見えた。彼は橋の入り口までエシルバを突き出すと羽織っていた外套を投げ捨てた。


「君が連れ去られようが、勝手に死のうが僕はどうでもいい。なぜ母親を見殺しにした男の息子に情をかけなければならない」


「待って、母親を? なにを言っているの?」エシルバは聞いた。


「僕の母親も反乱に巻き込まれた使節団員だった!」

 エシルバとリフは信じられずに言葉を失った。


「これで分かっただろう。お前は僕らの仲間になる資格なんてない!」


 ジュビオレノークはエシルバに考えさせる間を与えずにバドル銃を剣式にして構えた。エシルバには逃げ道がなかった。後ろではリフがこの状況に頭を抱えていた。そう、堂内での決闘はシクワ=ロゲン規則で禁じられているのだ。それに2人ともまともな戦い方を知らない。しかし、小橋では横風がビュービュー吹き、まるで2人の決闘を歓迎しているようだった。


「君も父親と同罪だ」ジュビオレノークが言った。「ここで謝れよ」


 リフが何かを否定するような顔でエシルバのことを見た。


「嫌だ」


「そういう態度が気に食わないって言っているんだ!」

 ジュビオレノークは怒鳴った。


「僕はお父さんの無罪を信じている」

 エシルバは力を込めて言った。


「君の主張なんてどうでもいい」

 ジュビオレノークは恐ろしく静かに言った。


「結果を見ろ」と続けて言った。「ゴドランは悪者だ。なにが起こったとしてもそれは覆らない!」

 エシルバとジュビオレノークはにらみ合った。


「おい! こんな時にもめている場合じゃないだろう。今はポリンチェロを捜す方が先だ」リフが言った。


「もしもここで君が負ければ俺の言うことを聞いてもらう。あんたの命を犠牲にしてでもポリンチェロを助け出すと誓うんだ」


「それはできない」エシルバは言った。「僕が死ねば、この鍵は次の持ち主を捜してどこかに消えてしまうかもしれない。そうすればシクワ=ロゲンはこの鍵を手放さなきゃいけなくなる。もし、鍵がジリー軍に渡ったら? ――そんなことになればシクワ=ロゲンもきっと黙っていないはずだ」


「なるほどね」ジュビオレノークは笑った。「じゃあ、リフやカヒィが犠牲になればどうする。それでも見捨てるっていうのか?」


「どっちも助ける道を考える」


 ジュビオレノークはしばらく沈黙した。


「分かった」やがてそう言った。


 エシルバはうなるような風の音を聞き、じっとりした雨の気配を肌で感じ取った。見れば、夜の空に立ちこめた黒雲が頭上に広がり今にも雨や雷を降らせようとしている。


 ジュビオレノークは古びたフェンスを壊し、その先にある大樹堂小橋へとエシルバを手招きした。欄干のないアーチ橋で、一歩間違えればまっさかさまに地上へ落ちてしまうだろう。エシルバは下を見ないようにしてフェンスの向こう側に立った。


「さぁ、始めよう」


 ジュビオレノークが言った。ポリンチェロが誘拐されたことで彼の中にあった何かが弾けたに違いない。エシルバはバドル銃の刃を手元に転送させ戦う姿勢を示した。

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