「雑記」ふと思い出した不思議な曲

 一番最初に覚えた外国の曲はなんですか?と聞かれたら、小学生の頃に音楽の授業で習った曲の名前をあげると思う。


 その曲は「マルセーリの歌」なのですが、先生がお手本としてアップライトの鍵盤を叩きながら、教科書に書いてある通りに歌っていると、曲に吸い込まれるような気持ちになり、感情が沸き立っているわけでも無いのに涙を流していました。


 僕は出席番号が若く、並んだ机の都合上で教壇に近かった為に流した涙は早々に先生に見つかって、涙を流している僕に気が付いた先生が授業を止めて僕に声をかけました。


 たしか「〇〇君はこの歌が悲しい歌ってわかるんですね」みたいな事を言っていたと思います。


 歌で感動できる事は大人になった今は素敵な事だと思いますが、当時はまだ小学生で周りの友達の「わーっ〇〇泣いてるぅー」「ばっかでー」「変なの」みたいな囃子言葉に羞恥を覚えて、咄嗟に「泣いてない!!」的な言葉を言って誤魔化しましたが、この歌はそんなイベントじみた事柄もあって強く印象に残りました。


 口ずさむ曲のひとつになって久しいですが、高校生位の頃ですかね?ふと思いついて、その曲の詩を見返すと表面上は全然悲しい所はないんですよね。曲調が物悲しくはあるものの涙を流すほどじゃない気がしました。子供だったから情緒不安定だったのかな?と思いつつも深く調べると海外の映画の曲中で使われた事だと知った。


 そこで「まっよくわかんねぇけど、いっか」みたいな気持ちになって、深追いする事なく調べることをやめた。


 やがて大人になって、おそらく25~30歳前後の頃に(近所にまだTUTAYAとかがあって映画をレンタルする文化が隆盛だった時代)暇つぶしに映画でも借りるか!と思って何の気無しに棚を総流しで見てると「穢れなき悪戯」を見つけた。


 見覚えのある名前にしばし思考に落ちたが、マルセーリの話かと!気づけたので借りた。古いタイトルなので安いという事もあったかもしれない。


 ちょっと面白い暇つぶしになったなと思いながら映画を見た。なるほど、なるほど。たしかに悲しい曲ではあった。一人の孤児が閉塞した社会と貧困の中で、母と人との繋がりを求めて生き、生きていく環境の中で与えられた最大の幸福を純粋に信じて求めて失われていく。


 僕の理解の範囲では、どうしようもない事実しかないという映画だった。


 これを悲しいで片付けるには、ちょっと問題が多いけど。まあ悲しい。


 まじめくさって、台頭してきた資本主義の象徴として鍛冶屋をみて、すでに資本主義に負けている貴族主義の象徴の屋敷だったり、無垢な献身としての偶像に神の血(ワイン)と肉(パン)を与えた少年が主軸として語られている事だったり、父が居て母が居る病床の娘に孤児の話している場面について解釈と講釈を延々とするのもナンセンスだろう。


 さて、少年だった僕はこの曲の何処に涙を流したのだろうね。


 当時音楽の先生だった女史は、たしか専任の音楽教師だったと思うので音楽を専攻していて教育学科というか教員の免許的なのを取ってると思う・・・たぶん。


 音楽を専攻するとキリスト教とはどうしても縁が出るし、ましてや教材として曲があれば予習するだろう。そんな予備知識があった状態の先生からみたら、小僧が突然宗教色の強い曲で涙を流す。


 んー興味深いですねぇ。どんな風に見えたのか大人になった僕に教えて欲しいものです。あの不思議な気持ちを思い出して、今でも独りになると口ずさむ事があるのですよってね。


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