天長門

 よくやった、と褒められることが好きだった。



 塔子とうこは白い煙を吐き、俯いて煙草を地面に擦りつける。マネキンのように白い肌、フランス人形のような整った顔には、生気が無い。

 膝まで届く編み上げブーツ、その鋭いヒールで、倒れた男の頭を踏みにじる。不明瞭な呻き声が上がる。


「――答えなさい。取引場所は、どこです」


 青泰グループは、妖怪の市場にまでは手を出していない。だから、中華街のルールも何も分からない。

 塔子は取引場所すら知らなかった。朝陽門からどうにか中に入ったはいいが、道に迷ってまた違う門に来てしまった。信じられないくらいの人通りで、すぐに方向感覚が狂ってしまったのだ。


 もう一度、男の顔を踏みつける。天長門に横たわる死体、その中で唯一生きているのはこの男だけだ。


「答えなさい。また骨を折られたいですか」


 男が微かに手を動かした。地面が揺れて、真っ黒な犬のような妖怪が飛び出してくる。吐いた息が炎に変わる。塔子の髪の先を焦がす。



 ――禍斗かとだ。



 塔子は眉一つ動かさず、手を伸ばしてその首を絞める。人間ではあり得ない膂力だった。塔子の細い腕に青い静脈が浮き、禍斗が暴れる。肌を焼かれたが、手は離さなかった。

 空を見ると、暗雲が垂れこめていた。一つ、二つ、雨粒が落ちてきて、やがて豪雨になる。

 禍斗のまとう炎が弱まっていく。ぐったりしたそれを、塔子は雑に放り投げた。重たい水袋がぶつかったような音がして、地面に堕ちる。男は薄く目を開いて、それを見ていた。絶望の色が見えた。



 ――どうしよう。このまま司天社に業績が追い抜かれたら。


 ――社員も、私の家族も終わってしまう。どうしよう、私の責任だ。


 ――青龍は、成功と富をもたらすらしい。どうすれば。


 ――うちにも、青龍が来ればいいのに。


 青泰グループの業績は安定している。司天社が青龍だか何だかよく分からない化け物を買おうが、青泰グループの利益が減るというわけでもあるまい、と塔子は思っていた。


 秘書として、ひたすら、社長の愚痴を聞いていた。愚痴というより、塔子に聞かせる為の独り言だった。


 小さい頃、孤児だった塔子は青泰グループの社長一家に引き取られた。よく知らないが、遠縁だったらしい。今の社長とはほとんど同い年で、兄妹のように育った。兄妹のように――。


 ――私が青龍を取ってきます。


 塔子が言うと、危険だから、と彼は渋った。そんな危ないことはさせられない、と言った。危険だから。塔子は薄く微笑んだ。


 ――そうですね。やめておきます。


 言って、塔子は三日の休暇を取った。社長は、何も訊かなかった。



 昔、封豨ほうきの肉を食べた時もそうだった。


 こんなもの人間の食べるものじゃない、と彼は言った。でも、家族を守る為に必要だ、と言って葛藤していた。強く、社長と社長の家族を守る為の人間。


 私が食べます、と申し出た。社長が食べるくらいなら、私が。


 何を言ってるんだ、と彼は言った。君は家族みたいなものだろう。それなのに、食べさせるわけにはいかない。

 言われて、塔子は引きさがった。その晩、こっそり台所でその肉を焼いて、食べた。


 酷い味だった。生臭くて、噛むたびに涙が出て、戻しそうになった。それでも全部食べた。


 社長に言われてやったことではない。塔子が勝手にやったことだ。翌日知った彼は、驚き、悲しみ、それから、塔子に言った。


 ――よくやった。




 雨はすぐに上がった。封豨ほうきは雨を降らす妖怪でもある。

 自分の中に、猛々しい衝動があるのが分かった。貪欲で、暴虐な妖怪の残滓。不味い肉、あれのせいで、塔子は。


「――うわ、ほんとに全滅してる」


 呑気な声が聞こえて、塔子は振り返った。天長門の向こう側、護衛たちの死体を軽々乗り越えて、少年がこちらに向かって来ていた。


 明るい目が見えた。でも、服は血まみれだ。ベルトに挟んでいる曲刀は、飾りではなく、しっかり実戦用だった。

「あんたが、青泰グループの秘書?」

 無遠慮に、少年はそう訊いた。塔子は男から足をどかす。

「先に名乗るのが、礼儀では」

「そうかもね。ハオランっていう。あんたは」

「私は塔子です。青泰グループの秘書です」

「これみんな、あんたが殺したの?」

「取引場所を、教えてくれないので」

「なら俺に訊けばいいのに」

 関帝廟だよ――とハオランは言った。


 本当か嘘か、見極めるように塔子は目を細める。ハオランは笑った。

「青龍、狙ってる?」

「……あなたもですか」

「ならライバルだ」

「餓鬼は殺したくありません。大人しく帰って下さい」

「勝手なこと言うなよ」

 死にたくないでしょう、と塔子は真顔で訊く。


 塔子には封豨ほうきがいる。身の内に蠢く、破壊衝動。人間一人、片手で殺すことだって簡単なのだ。


 足元で、微かに声がした。


 唯一生き残った護衛、その男が、ハオランを見て何か呟いている。ぎりぎりまで見開かれた目は、さっきとはまた違う恐怖を映していた。

「――」


 ――おにご?

 

 唇の動きが、そう見えた。


「あんたも死にたくないよな」

 ハオランが笑っている。鬼のようには、見えなかった。

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