中華街

 現在ある中華街は、昔のような繁華街ではなく、妖怪の取引市場である『鬼市』として利用されていた。


 数百年前、妖怪を不可視にしていた結界を破った馬鹿がいた。世界中に人外の化け物が溢れ、秩序は失われた。現在では『大恐慌』と呼ばれる出来事だ。

 その状況下で、人類の文明は数世紀分後戻りしたと言われている。最初の頃は生き残るだけで必死だったようだ。

 それが今はこうして、妖怪すら物のように取引しているのだから、人間って怖いとハオランは思う。


 だがハオラン自身も妖怪を利用している側だった。妖怪を捕まえ商品として顧客に売る者たちは、総じて辟邪へきじゃと呼ばれている。辟邪というのは古代中国で魔を払った神獣のことらしい。どうしてこんなめでたい名前がついたのか分からないが、ともかくハオランは辟邪のうちの一人だった。

 妖怪は金になる。専門の蒐集家コレクターもいるし、単純に労働力としても重宝される。神獣やら、吉兆を運んでくるものは特に需要が高かった。


 だからこそ、横取りを狙う辟邪は多い。大規模な取引の噂を聞くと、横から商品ようかいを掠め取ろうと集まってくるのが常だった。

 今回は青龍だからか、鬼市の人出もいつもより多い。半分押し流されるようにして、ハオランは中華街の通りを歩いていた。





庸太ようたいるかー」

 朱雀門を抜け、天長てんちょう門に行くまでの道のり、媽祖まそ廟跡地の隣に庸太は店を構えていた。

 鬼市には、妖怪の他にも様々なものが売っていた。庸太は玉売りとして知られている。玉は妖怪の餌になるのだ。


「……ハオラン? まだ開店してません、お引き取りください」

「お前いつも適当に開店してるくせに」

 玉を並べた台の後ろ、迷惑そうな顔で庸太は出てきた。童顔でどう見ても中学生だが、実際の年齢は分からない。十何年もこの見た目だという噂もあった。

「うわ、なんでそんな血まみれなの」

 ハオランのジャケットを見て顔をしかめる。俺のせいじゃない、とハオランは弁解した。

「機嫌が悪くて抑えがきかないんだよ。――庸太のせいだからな」

「はあ。その節は大変申し訳なく」

 でも言うなれば僕も騙された被害者、と庸太は言う。よくそんなことが言える、と呆れた顔をすると、庸太は面倒くさそうな顔をして訊いてきた。


「で、何がお望みですか。翡翠は無いよ、前の業者切ったから。瑪瑙ならあるけど」

「それより、曲刀売ってるとこ知らない? 前のやつだめになった」

「僕は案内人じゃありませんけど。……ああひょっとして、今日の取引狙ってるの?」

 頷くと、庸太は眉尻を下げた。困ったような顔だった。


「やめなよ。青龍なんて嘘に決まってるじゃん。四神が捕まるわけないでしょ」

「でも相手は司天社だろ?」

「そうだけどさー。前の白虎だって嘘だったし」

「いいんだよ嘘でも。見てみればわかる」

「死ぬよ」

「大丈夫だろ、前も逃げ切れたし」

「玄武門のあいつじゃなくてさ。青泰せいたいグループの社長秘書が来てるって知らないの?」

「誰それ」

 怪訝な顔をすると、庸太は驚いた顔をした。

「知らないの? 有名人なのに。朝陽ちょうよう門から入って、さっき天長門まで行ったらしい。天長門の護衛は全滅」

「全滅?」

 聞き間違いかと思ったが、庸太は頷いた。ハオランは言葉を失う。



 大規模な取引には横取りを狙う辟邪が付き物だが、分かっていても取引場所は変えられない。中華街のように結界が張ってある場所でないと、妖怪が逃げ出した時に大変なことになるからだ。

 その代わり、中華街内部に設置された門ごとに護衛を設置することができた。大抵、取引は関帝かんてい廟跡地で行われる。関帝廟を取り囲む天長門、二つの市場通り門、善隣ぜんりん門、地久ちきゅう門の計五つに護衛は用意された。

 門の護衛は手強い。全滅させたという話は、久しく聞いたことが無かった。玄武門から毎回来るですら、こうも早く門を突破したことは無かったと思う。



「青泰グループって、司天社のライバル会社だろ? 最近の秘書って、妖怪でも雇ってんの?」

「さあね。人間らしいけど、噂によると、封豨ほうきを喰ったらしい」

「―― 封豨ほうき? 喰ったって?」

「貪欲で暴虐な猪の妖怪。言い伝えだと堯だって蒸した肉を献上されたらしいし、食べれないことはないんじゃない?」

「何千年前の話だよ」

「だから、やめときなよ。ハオラン勝ち目ないでしょ。刀下手くそだし」

「うるさい」

 いいから案内しろ、と庸太を店から引っ張り出す。嫌そうな顔をしたが、結局大人しく庸太は歩き出した。



 通りにひしめき合う屋台の軒先には、気味の悪いものばかりぶら下がっていた。

 提灯に照らされてぬめぬめ輝いている、干した河童。たぶん天呉てんごか何かの餌だろう。

 その隣には、硝子壜に閉じ込められた陵魚りょうぎょがいる。人面で、手足の生えた魚。死んだような目がハオランを見つめてきて、気持ち悪かった。


 悪趣味な露店ばかりだ。見上げると、昔の名残で龍の張りぼてが吊るされている。 

 その合間を縫って、ぎょうという鳥の妖怪が飛んでいた。干ばつを引き起こすはずだが、辟邪の誰かが逃がしたらしい。

 舌打ちして、ハオランの前を歩いていた男が小刀を投げつけた。正確にぎょうの喉に刺さり、墜落する。


「ハオラン」


 呼ばれて、振り返る。庸太が露店の前で立ち止まっていた。

「ここなら曲刀売ってるよ」

 露店の主人は老婆だった。皺に埋もれた目でハオランを見上げる。店の奥までぎっしり壺で埋まっていて、その壺の中に大量の剣や槍、刀が入れてある。

「今時曲刀なんて、ずいぶん古臭いモン欲しがるねえ」

 老婆は存外しっかりした口調でそう言う。庸太も頷いた。

「流行りはやっぱ、銃だよね。楽だし」

「金が無いんだよ」

「前に掠め取ったやつ、売ったんじゃないの?」

「掠め取ったとか言うな。売ったけど、羅羅だから二束三文」

「そりゃご愁傷様です」

 あんなに必死だったのにと同情の目を向けられて、ハオランもなぜか情けなくなる。


「――ああ、あんた、あの鬼子おにごかい」

 

 老婆が驚いたようにハオランを見た。


 ――鬼子。


 ハオランは曖昧に笑う。そう呼ばれるのは、嫌いだった。

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