第6章 そんなはずないのオンパレード①

 事件から四ヶ月。ネットの記事によると、「傷害未遂事件とはいえ、社会的な影響が大きく、また〈愛国一心会〉等のテロ組織にかくまわれている可能性も否定できないため、未成年としては異例の公開捜査に踏み切った」らしい。


 警察としても見つけないわけにはいかないんだろう。たかだか一五歳のゴキブリに太刀打ちできないなんて、市民に思われるわけにいかないから。


 俺は写真の中の犯人の顔を目に焼きつけた。

(じいちゃんが助けた女…)


 黒髪のボブ。ノーメイクの素朴な感じ。大きな目だけがやたら目立つ少女は、顔にモザイクのかかった友達と並んで、はにかむような笑顔を浮かべている。とても暴力的な事件なんか起こしそうには見えない。


 もし万が一――そんなことあり得ないけど、街中でそいつを見つけたら、俺はどうするんだ?

 そんな不安を衝くような事件が起きたのは、その翌朝だった。


       ※


 家に帰ってきたのが夜中の三時近かったんで、あんまり寝てない。


「はよー」


 いつものごとく、のっそりダイニングに出て行くと、外から独特のエンジン音が聞こえてきた。ゴミ収集車だ。とたん、台所で洗い物をしてた茉子が「ぎゃーっ」と叫ぶ。

 そのへんでバタバタした後、茉子はずっしりとした生ゴミをいきなり渡してきた。


「お兄ちゃん! 生ゴミ! 持ってって!」

「え? え?」

「早く! もう下に収集車来てるからダッシュで行って!」


 まくしたてる勢いに押されて、よくわからないうちに外に飛び出し、マンションの階段を駆け降りて、すぐ前にあるゴミ捨て場に急ぐ。重いゴミを何とか清掃局の人に渡して、ホッと息をついた。


 すでにじっとり暑い空気にうんざりしながら家に戻ろうとして、ふと我に返る。

(あいつが自分で行けばよくね!?)


 髪をとかさないまま外に出るなんて社会的な死と同じ! とか言い返してきそうだけど…。

 ブツブツ言いながら階段を昇りかけたところで、駐輪場の奥から「斗和…!」と小さな声がかかった。


「え?」

「よかった…。上まで行かなきゃならないかと思った」

 駐輪場から顔をのぞかせているのは真哉だ。

「おまえ何してんの?」


 いくら近所に住んでるとはいえ、なんでこんな時間に、そんなとこにいるんだ?

 怪訝に思っていると、真哉は手招きをする。


「それが…ちょっとこっち来て」

「何だよ」


 呼ばれるまま駐輪場の奥の暗がりに入っていき、そこで気がついた。

 柱の影に人がひとり立っている。この暑いのにフードをかぶった、小柄な人影。ショートパンツからのびる長い足。女だ。顔は見えない。


「誰?」

 俺の問いに、真哉はこっちを向いて、音を立てて両手を合わせた。

「斗和、頼む! 助けてほしいんだ!」

「は?」

「彼女を助けてほしい――」


 真哉の言葉に合わせるように、女がゆっくりフードを取る。

 大きな目が俺をにらんだ。まっすぐな、鋭い視線が胸に刺さる。ゴクリと唾を飲み込んだ。


「…ウソだろ…」

 時任七桜。昨夜、写真で見たばかりの女がそこにいた。黒い髪は、肩を覆うぐらいまでのびている。

 でも写真のなかの、おとなしそうな表情とは全然顔つきがちがう。


「真哉、おま、どうして…」

「その…たまたまっていうか…」


 もごもご言う真哉に向け、女が冷たい声で口を開いた。

「殺すならさぁ、自分の手で殺れば?」


 とたん、真哉はビクッと肩を揺らす。

「だ、大丈夫だよ。斗和はいいやつだから…」


「そうやって、自分の中で幕を下ろして、めでたしめでたしですませようってわけね。助けられるなんて思ってないくせに」

「七桜!」

「卑怯者」


 せせら笑った時任七桜に、真哉が手を挙げた。彼女の上体が傾くほど強く張り倒し、怒鳴りつける。


「うるさい、ゴキブリ! 今までかくまってやっただけで充分だろ!?」

「…タダじゃなかった」

「この――」


「よせ」

 俺は、またしても振り上げられた真哉の手をつかむ。

「意味がわからんけど、ようするにおまえはずっと、このゴ――女をかばってたんだな?」


 真哉は小さくうなずいた。

「…事件の犯人だなんて…知らなかったから…」


「で、今になって、ここに連れてきた。〈生徒会〉の俺んとこに。この意味わかってるのか?」

「わからないよ。君達が何をしてるかなんて知らないし」

「そんなわけねぇだろ。あのな――」


「よせよ、聞きたくない!」

 真哉は責める目で俺を見た。なんで俺がこいつにひどいことしてるみたいになってるんだ?

「いいよ。君がイヤなら翔真んとこに連れて行く」


「――――」

〈寮〉に連れてってみろ。その場で公開駆除だ。警察が捕まえられなかったゴキブリをやれば、〈生徒会〉の株が上がる。


「…わかった」

 髪の毛をぐしゃぐしゃかきまわして、俺は応じた。

「もういいから行けよ。ただし、このことは誰にも言うな。翔真にもだ」


 真哉はうなずいた。何度もうなずいた。

「しゃべったら、おまえも無関係じゃいられねぇぞ」

「絶対誰にも言わないよ。約束する。じゃあよろしく――」


 言いながら後ずさり、言い終わるや走って逃げていく。

 俺は気まずい沈黙の中に取り残された。時任七桜は緊張した顔で俺をにらみつけてくる。


「…えぇと。おまえつまり真哉の彼女か何か?」

「んなわけないでしょ」

 彼女は鼻で笑った。


「その証拠に、ヤバくなったらあっさり捨てた」

「捨てたって…」

「知らないの? 今、暮らしていく手段のない若いゴキブリの足下見て、かくまう替わりに言うこときかせる人間が大勢いるんだけど」


「………」

 知ってる。そういう人間を隠れ蓑にしてるゴキブリを、何度も駆除してきた。


「…真哉もそうだったっていうのかよ」

「マシなほうだったけどね。あんまり暴力ふるわなかったし。その前の男はひどくて、このままじゃ殺されると思って逃げたの。あぁ、っていうんだっけ? あんた達の言葉では」


「――――」

 生意気な女。〈生徒会〉に入ってからは、俺が前に立つと普通のクラスメイトでもひるむのに。


(ワイヤー持ってくればよかった)

 ちらっとそんなことを考える。


 でも、こいつはじいちゃんが命かけて助けた女だ。俺がその死を無駄にするわけにはいかない。…とりあえずは。

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