第5章 無敵感、やばい ⑦

 夏の夜は暑い。湿気がじっとりとまとわりついてくる。


 指定された場所に行くと、英信と崇史、それから結凪が来ていた。

 亜夜人が目の前にある、いかにも古くさい賃貸アパートを指す。


「二階。奥から二番目の金田って表札の部屋。部屋の持ち主の金田は今、飲みに行ってる。部屋にはGひとり」

「わかった」

 部屋を見上げる俺の横で、翔真が、逃亡に備えて周囲を固めるよう班員に指示を出した。


「こっちは任せてください」

 いつの間にか頼もしくなった顔でそう言う昴にうなずき、俺はところどころ錆びた鉄製の階段をのぼっていく。その後ろから翔真だけがついてきた。


「おまえ、Gの顔知ってんの?」

「知らね。会ったことねぇもん」

「あ、そ」


 親父が浮気して家を出てから、俺も茉子も親父とは会ってない。

 母親は、俺達が会いたければ会ってもいいって言ってたけど、今のところ特に会いたいとは思わなかった。親父が家族より愛人を選んだことに、俺達なりに傷ついてるから。


 でもこれはべつに私怨ってわけじゃない。そこは重要だ。

(向こうが手ぇ出してこなければ、こんなことするつもりなかった)


 百歩譲って、親父を奪ったことまではしかたがないって思える。人の心を法律で縛ることはできないから。でも俺達を陥れようとしたことは許せない。

 もしかしたら母さんと茉子まで駆除されていたかもしれない――そんなマネをした女を、だまって許すわけにはいかない。

(道を踏み外したのは、その女のほう。俺はつき合ってやるだけだ)


 腹を決めて部屋の前に立った。シリンダー錠の安っぽいドア。ゴキブリはこういう物件に住んでることが多いから慣れてる。


 翔真と目を見合わせてうなずいた。


 次の瞬間、二人同時にドアの取っ手近くを蹴りつける。翔真がちょい上。俺がちょい下。ぶっ壊れたドアが派手な音をたてて内側に開く。


「こんばんはー」

 真っ先の乗り込んでいくと、中にいたゴキブリと目が合った。まだ三十そこそこ。ローテーブルにもたれかかって、テレビ見ながらスマホをいじっている。


「誰よ!? 何なのよ!? 出てってよー!」

 悲鳴を上げながら這って逃げようとしたそいつに、翔真が躍りかかってスタンガンを押し当てた。

 ゴキブリはあっけなく動かなくなる。俺はそいつの首にワイヤーを巻いて、全力で締め上げた。


 いつもの手順だ。失敗しようがない。ものの数十秒で片がついた。


「うっは。バッグはグッチ、財布はシャネル…パチもんかな?」

「本物かも。親父に大分貢がせてたみたいだから」

 へぇ~って感心しながら、翔真は財布を物色する。

「すげー。万札いっぱい入ってる」

「逃亡資金だろ」


 二人で死骸を持ち上げ、窓から下に投げ落とすと、待機してたやつらがそれを拾ってゴリラカートに乗せ、ブルーシートをかぶせた。

 俺達は速やかにその部屋を出て、階段を降りていく。


 待っていた英信達と、ハイタッチをし、そのままみんなで〈ゴミ捨て場〉に向かった。


 フェンスで囲われた、高架下の空き地。厚く埃の積もった資材が置かれていて、周りから見えにくいその場所に、ブルーシートで包んだゴキブリの死骸を捨てる。


 すべてを見届けた後、英信がみんなの前に立った。

「Gは害虫だ。そんで――苦労してそのGを駆除してまわる人間に濡れ衣を着せて、駆除されるよう仕向けるやつは、害虫よりも始末が悪い。斗和だけじゃねぇ。〈生徒会〉の仲間が同じ目に遭ったら、今後も同じように対処する」


 そこで一度言葉を切り、英信はニッと笑った。

「なぜなら、俺たちは――」

 みんなですぐさま応える。

「〈生徒会〉!」


「俺たちは!?」

「〈生徒会〉!」

「louder(大きな声で)!」

「〈生徒会〉!」

「louder(大きな声で)!」

「〈生徒会〉!」


 はしゃいだ雰囲気でコールをしていると、どこからか罵声が飛んできた。

「うるさい! 何時だと思ってるんだ! 警察を呼ぶぞ!」


 さすがにみんな、ぴたっと黙る。そうだった。ここは深夜の住宅街。


「騒げるとこに行こう」

 小声で言った英信にみんながうなずき、なぜか走り出した英信につられて全員でダッシュした。

 走りながら、結凪が苦しそうに叫ぶ。


「待って! なんで走んのー!?」

「知らねぇ!」


 しばらく走って住宅街を抜けた頃、目の前に学校が見えてきた。小学校か。敷地を囲う壁が低い。大人の胸くらいまでしかない。

 英信が助走をつけて校門を飛び越える。みんなそれに続いた。


「どこ行くの?」

「夏って言ったらコレっきゃねーだろ!」

 まっすぐに走って行った先はプールだ。

「ヒャッホーゥ!」

 英信が奇声を上げて飛び込んだ。後ろを走っていた面々が次々に飛び込んでいく。もちろん俺も。


 崇史だけは、壁を飛び越えるあたりから冷静さを取り戻したようだ。後からゆっくりやってきて、離れたところから眺めている。


 結凪と昴も飛び込んできた。

「やだもー。バカがうつる!」

 そう言いながら、結凪はケタケタ笑ってる。


 しばらく水を掛け合ってはしゃいだ後、さりげなく寄ってきた結凪が、俺にだけ聞こえる声で訊いてきた。

「スッキリした?」

「え?」

「私はスッキリしたよ。邪魔な人間がいなくなって」

「…邪魔?」

「母親。男にのめりこんでは、私のことを厄介者扱い。おまけに小学校の高学年になった頃から、私を知らない男に売り始めたの」


 くすくすくす…。

 耳の近くで響く笑い声は、蜘蛛の糸のように軽やかにまとわりついてくる。

「ハンマーで、数え切れないほど殴ってやった。気がついたら死んでた」

「それ…駆除、って、ことに…?」


「そ。英信と響貴が助けてくれた。あの二人が何か処理してくれて、でもその替わり私に〈生徒会〉の広告塔になれって、脅迫みたいなスカウトしてきたの。楽しそうだったし、別に嫌じゃなかったからオッケーしたけど」

「…へぇ」


「それから響貴にくっついて亜夜人が無理やり入ってきて…。その次に崇史がのし上がってきて。あっという間だったなぁ…」

 懐かしそうに言いながら、結凪は俺の首に腕をからめてきた。

 ぬれた肌や制服、それに小さな顔が、どアップで迫ってくる。


「ちょっと…距離近くね…?」

「私、私に興味のない男が好きなの。…覚えといて」

 からかうように言って、彼女はくすくす笑った。直後、するっと離れてプール脇を見やる。

「ところで副会長は、なーんでひとりであんなとこにいるのかしらねー?」


 残念なような、ホッとしたような…ドキドキを押さえてそっちを見ると、崇史はプールの脇でひとり腕組みをして立っている。バカ騒ぎに参加するつもりはないようだ。


「さすが硬派」

 二人で見上げていた、その時。

 背後から忍びよった英信が、崇史に跳び蹴りを食らわせた。不意を突かれた崇史が派手な水しぶきを上げてプールに落ちる。


 みんなの歓声が上がった。英信もまた飛び込んでくる。

「背中押してやらねぇとはしゃげないなんて、めんどくせーやつだな!」

 大声で笑う英信の首に腕をまわし、崇史が締め上げにかかる。

「ギブ! ギブギブ! 死ぬ! ホント死ぬ!」

「そしたら蘇生させてもう一度絞める」

 会長と副会長のわりと本気なやり取りに、みんなで腹が痛くなるほど笑った。


 三十分ほどたった時――

 その場に、ピピー! っと鋭い笛の音が響く。気がつけば、おまわりさんが四人、こっちに懐中電灯を向けていた。


「君達! 今すぐ上がりなさい」

「用務員さんから通報があったよ」

「いくら〈生徒会〉でもね、まっとうな人に迷惑かけちゃダメだろう」

「――――…」

 反論のしようがなく、みんなで大人しくプールから上がる。


 その後、二台のパトカーの座席をびしょびしょにして、全員近くの警察署に連れていかれた。

「なにこの超展開…!」

 ゲラゲラ笑う翔真に、心の底から同意する。

「英信が何とかするだろ」


 その予想通り、警察署で行儀良く待っていた俺達を、英信から連絡を受けた響貴が迎えに来た。

 知り合いの弁護士だとかいう、キレイなお姉さんと一緒だ。そのお姉さんが、全員の身元引受人になってくれた。


 時間は夜の二時。

 警察署の前で一列に並んだ俺達の前に、響貴が立つ。

 いつも穏やかで優しげな顔が、今は冷ややかな無表情だった。腰に手を当てて、ツンドラ気候みたいに冷たい声で言う。


「君たち、いいかげんにしなさいよ」


「ごめんなさい…」

 殊勝に頭を下げる俺達を眺め、響貴はため息をついた。

「気づいてないようだけど、ついさっき警察がの写真を公開した」

「彼女?」

 英信が訊くと、響貴の後ろにいた亜夜人がスマホを出してくる。

「練間の中学卒業式襲撃事件の犯人」


「――――」

 全員が息を呑んだ。それから崇史を見る。崇史は写真を見てうなずいた。


「まちがいない。犯人の時任ときとう七桜なおだ」

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