武蔵野巨岩ラボラトリー

オボロツキーヨ

急須で入れた狭山茶


 ダイニングテーブルの上でうごめく細く長い指を見つめていた。

指先から清らかな若い生気がほとばしるようだ。

山桜の樹皮を貼った、ずんぐりとした円錐えんすい形のつつふたをスパンと外す。

筒を注意深く傾けて蓋にさらさらと緑色の物を少量入れる。

土色の小さなゴツゴツした南瓜かぼちやのような形のポットへ、緑色の物を放り込む。

置かれていたステンレス製ポットから熱い湯を、口の広い大きなマグカップに慎重に注いでいる。

何やら理科の実験をしているようにも見える。


「熱湯よりも、少しさめた湯がいいんだよ。お茶の葉が火傷やけどしちゃうからね」

「まさか、しょうちゃん、緑茶を入れてくれるのね」

急須きゅうすで入れたお茶は美味しいよ。この小さいポットは急須というんだよ」

「ええ、久しぶりに見たわ。懐かしい。しょうちゃんのひいおばあちゃんが時々、緑茶を急須で入れてくれたのよ。耐熱ガラス製の急須で、こんなに渋い色の急須じゃなかったけど」

「これは学校で狭山市の茶畑仕事体験をした時にもらったんだ。農園の人が趣味で作っているらしいよ」

「そう、素敵ね。もう6年生だものね。たくさんお手伝いしたご褒美ほうびかな」


ちょっとはにかみながらも満足げな笑みを浮かべ、マグカップの湯を急須に注いだ。

一人っ子の孫はいつもこうして大地の恵みを感じつつ、心を込めてお茶を入れているらしい。

無駄のない滑らかな指の動きが物語る。


「蓋をしてから、1分待つと美味しい緑茶のできあがり」

「しょうちゃんの入れた緑茶が飲めるなんて幸せ。横浜から来た甲斐があったわ。おばあちゃんはコーヒーより緑茶が好き。昔、よくペットボトルの緑茶を飲んだのよ」

「へーっ、缶はあるけど、ペットボトルのお茶は見たことない」

「そうよね、昔は駅や道端に自動販売機という機械があって、ペットボトルや缶のお茶がよく売っていたのよ。ペットボトルの緑茶を光にかざすと、透き通った薄緑色が綺麗だった」


お嫁さんの趣味かしら。

妙にレトロな白い水玉の青い茶碗が三客並んでいる。


「これはヘイセイという時代のお茶専用の茶碗だよ」


急須から最後の一滴まで注ぐと、朱塗しゅぬり茶托ちゃたくに乗せてすすめてくれた。


「いただきます。あら、狭山茶すごく美味しいわね。すっきりとした苦味のなかに甘味もある。温かいお茶が美味しい季節ね」


 

 ふと、孫の肩越しに視線を感じて、南向きの細長いリビングの奥へ目を凝らす。

黄色い三人掛けソファーに少年が一人座っていた。澄んだ瞳がこちらの様子をうかがっている。


「まあ、お友だちが来ていたのね。ぼくもこっちへおいで。一緒にお茶飲みましょう。おみやげもあるのよ」

「わーい、おみやげは何」

「しょうちゃんの好きなゆで卵」

「やった、本物の卵を食べるのは一月ひとつきぶりだよ。ありがとう」

「どういたしまして。おばあちゃんのお友だちが、庭で鶏を飼い始めたの。でも、なかなかエサが手に入らないから大変みたい。今日は新鮮な卵をしょうちゃんに食べさせたくて持ってきたのよ」


紙袋を手渡すと、嬉しそうにのぞきこんだ。


「わあ、卵六個も入ってる」

「お友だちと二人で食べて。おばあちゃんはいいから」

「こんにちは。あの、ぼくは、けっこうです」

「あら、そお。遠慮しないで」

「六郎は、いいって。これは晩御飯に4人で食べようよ」

「六郎くん、はじめまして。いつも、しょうちゃんと仲良くしてくれてありがとう」


コクンと少年はうなずき、恥ずかしそうにうつむいた。


何て物静かで綺麗な子だろう。白い肌とバラ色の頬で目がぱっちり。ふわりと明るい髪色。まるで昔観た映画「ベニスに死す」の美少年タジオだわ。タジオに恋をした老紳士の気持ちが、70歳を過ぎた今ならよくわかる。いくつになっても人が求めるのは美よ。


「おばあちゃん、どうしたの。にやにやして。顔赤いよ」


はっと我に返り、茶を飲み干す。


「ああ、美味しいお茶だった。ところでパパの仕事は順調」

「うん、パパの里芋さといも畑はいい感じだよ。毎日里芋をおなか一杯食べているよ。ぼくも畑を手伝ってる」

「それは、よかったわ。でも里芋美味しいけど、毎日じゃ飽きるでしょう」

「そんなことないよ。煮っころがしにしたり、ポテトサラダにしたり美味しいよ。今夜はおばあちゃんが来るから特別料理。ママが里芋コロッケを揚げるよ。豚肉の切り落としがあるから、細かく切って入れるって」

孫の笑顔がまぶしい。


「まあ、所沢桜ポークかしら。それはごちそうね。お肉もなかなか手に入らない貴重品。おばあちゃんの若い頃は食べ物をたくさん外国から輸入していたの。昔は何でも外国から買ったのよ。家畜のエサもね。

ひどいパンデミックが続いたから、外国も自国民が食べるのに手いっぱいになって、食料の輸出をしなくなったでしょう。50年前の東京の食料自給率はたったの1パーセントで神奈川は2パーセント。都会人は食べ物が無くて大変。サプリメントとレトルトやインスタント食品で何とか生き延びてきたのよ。今はだいぶ良くなってきたけどね。

毎日お腹一杯食べられるなら、新宿から東所沢へ越してきて来てよかったね」

心からそう思う。


「うん、新宿は廃墟ビルばかりでたがやせない。ぼくもおなかすかせてた」

「かわいそうに。おばあちゃんが若い頃は、遠くから食材を運んでくれる運送屋さんがたくさんいて、お取り寄せグルメといって、お金さえ出せば何でもネット通販で、日本中の美味しい物を家まで届けてくれたのよ。でも、パンデミックや第三次世界大戦で食料難になった。多くの人が死んで働く人も減った。遠くから個人の家まで食料品を運んでくれるような細やかなサービスは、今ではもう無理ね」

つい、ため息ついてしまう。暗い顔を孫に見せたくないのに。


「うん、知ってる。子どもの数も減っているよね。新宿の小学校は一学年5人しかいなかった。でも、所沢は一学年に25人もいるから毎日楽しいよ」

屈託くったくのない孫の笑顔に、ほっと胸をなでおろす。


「そういえば、東所沢の駅を出てここまで歩いてくる途中に、見上げるような巨大な岩みたいな植木鉢があったわ。新種のバナナの木でも育てているのかしら」


二人は一瞬、キョトンとした顔をする。


「あははは、植木鉢じゃないよ。あの巨岩きょがんは昔からある。壁に石を貼った5階建ての建物で、一階と二階は図書館。上の階が六郎の家だよ」

「えっ、図書館付マンションなの。てっきり巨大植木鉢かと」


二人の少年は顔を見合わせて、大笑いをしている。


「ずいぶん気が合うのね。二人は親友同士ね」


 超少子化、食料難の時代によくぞここまで育ってくれた。

半世紀前、先進国と呼ばれた国の多くは自給率100パーセントなのに、日本は30パーセント代だった。

政治家たちは他の産業で儲けて、食料を他国から買えばいいと思っていたらしい。

現在、人々は地産地消するために農地がある首都圏郊外や地方へと移住していた。

昔から食料自給率が120パーセントの北海道は人気がある。

東京都内で働いていた息子夫婦も2年前に転職して、ここ所沢桜町で畑を耕している。


 畑の里芋の茎がぐんぐん伸びるように、孫の背も伸びていた。

六郎くんの透き通るような肌の白さとは対照的で、真っ黒に日焼けしている。

並んで座っている二人は、楽しそうにおしゃべりしている。

テーブルにはジュースやコーラじゃなくて、きちんと急須で入れた薫り高い狭山茶。

そういえば、昔から抹茶味は若い子にも人気だった。

抹茶とは少し違うけど、子どもたちも案外ほろ苦い緑の葉の味が好きなのかもしれない。

 

 あら、孫の声が低く響く。

いつの間にか声変わりしている。

大人になってきた。

来年は中学生だものね。

いやだわ私、まぶたが重い。


「おばあちゃん、何だか眠そうだね。目が半開きだよ。六郎と外で遊んでくるから、そこのソファーでちょっと寝たら。毛布かけてあげるよ」

「ありがとう、優しいね。そうするわ」



















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