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 小学校も三年生になるころ、クラスに私と同じ欲望をもつ人間をみつけた。

 彼女は名越清子といった。クラスの女王として君臨し、他人を奴隷として支配する。彼女は自分の言葉によって他人を思いのままに操ることで快感を得ているようだった。薄暗い快感だ。私と同じ趣味をもつ子だ、きっと話が合うだろう。素晴らしい。

 ただ、問題がひとつ。彼女は自身の欲求に気が付いていなかった。あくまでも純粋に。幼子が虫をくびり殺すように、奴隷たちに命令を下していた。彼女の愚かしさは、賢い私からすれば可愛らしく、愛おしいものだった。だから、彼女に決めた。支配し尽くすなら、彼女にしようと決めたのだ。

 生半可な支配ではない。生も死も、心も体も、未来さえも、私の意志に溺れさせる。圧倒的で完全無欠な支配。その計画を立てなければならなかった。

 はじめの半年間、私はクラスのなかで、じっくりと息を潜めて観察した。存在を可能な限り消し、奴隷たちに紛れて、決して誰の視界にも入らないようにした。幸いにも、清子が派手に振る舞うおかげで、クラスメイトの視線や意識は、常に女王のもとにあった。私にはたっぷりと準備をする時間が与えられたのだ。

 最初に行ったのは、私を手助けしてくれるひとを探すことだった。人間ひとり支配するのも楽ではない。閉じられた村社会ならまだしも、地方都市に住まう裕福な家庭の一人娘だ。しかも、公立校に通っていることからして、甘やかされてこそいるものの、箱入りというほどでもない。私には右手と左手になってくれる相棒が必要だった。

 私はクラスメイト達の家庭環境と頭の中を、注意深く観察し、人選を行った。すると、どうだろうか。まずひとり、うってつけの人間を見つけたのだ。その名もたかくん。相野隆。私が告げ口によって殺害した女の息子だった。

 素晴らしい! 私は思わぬ偶然に沸き立った。地面にキスをして、神に感謝しそうになった。

 私は神など信じていない。だから、あの日、すでに私の計画は始まっていたのだ。素晴らしい!

 彼は私の器用な右手になってくれるだろう。見た所、彼はすでに、清子に妄信的で、うってつけの人材だった。私の計画の配役において、彼は私の敵であり、清子の正義の味方になる予定だ。清子に対して救いをもたらし、癒しをあたえ、甘い飴を舐めさせ、依存させる。そのためのヒーローだ。

 私の考えでは、人間を追い詰めるには孤立させるのが一番だ。現代社会で物理的に孤立させるのは難しく、より有効的なのが精神的な孤立。周囲からの攻撃によって孤立させるのは簡単だが、それでは逃げ道を完全にふさげるわけではない。大事なことは自ら殻にこもらせること。他人も自分さえもこじ開けることのできない、分厚い殻だ。

 相野隆はうってつけだった。彼は男だし、清子は女だ。恋愛感情という、依存と最も近しい麻薬が使える。彼にはヒーローとして清子を救い出したのちに、男女の仲となり、依存の果てに、ばっきりと折れてもらう。最後の最後で、清子を突き落とす役割だ。私の計画でもっとも肝要な配役。

 孤立、依存、裏切り。素晴らしい。

 次に目を付けたのが、スミちゃん。三隅純。彼女は私の乱暴で力持ちな左手になってもらうことに決めた。彼女は自身が抱えるコンプレックスのせいで、すでに精神的に孤立していた。加えて、清子に対して敵意と抱いている点も好条件。奴隷でありながら、女王を睨みつける。精神的に孤立している彼女の寄り所は、女王への憎しみだけ。条件の整った、簡単に支配できる人間の典型だった。素晴らしい!

 三隅純の役どころは、悪役だ。私に成り代わり、悪を代行する使徒。彼女には清子を孤立させるために、徹底的に清子への悪を成してもらう。計画における、いわば鞭。鞭の攻めが苛烈であればあるほど、飴はどんどん甘味を増していく。ひとくち舐めれば、忘れられない味になる。

 役者は揃った。あとは私が登壇するだけ。


「革命しよう」

 存在感のまるでなかった、いるかいないさえ認識されていなかった私は宣言する。クラスメイトには誰か突然転校してきたように思えただろう。だが、そんなものは些細なことだ。みんなが求めていたこと、やりたくてもできなかったことを実行して成功させる。不可能を可能に、苦境を裏返す。これほど他人に認められることはない。

 私はたった一言で、力を示してみせるのだ。言葉巧みに、言葉を頼みに。

 唐突に舞台に現れた革命家は、瞬く間に人心を掌握し、女王の国を転覆させる。支配者の首はすげ変り、私はクラスの王座を手に入れる。だが、こんなものに価値はない。所詮は小さな井戸の底。私はひとには興味も愛着もあるが、ひとの入れ物である社会には微塵も興味がない。無論、社会は人間を支配する大きな機構だが、あれはいけない。いただけない。社会はひとを道具にしてしまう。無機質な機械の歯車に変えてしまう。組み込まれて飲み込まれて、人間社会というくだらないひとつのオブジェになってしまう。仕組みだの、システムだの、私がもっとも軽蔑するものだ。人と人との関係はもっと、有機的で感情的で、情緒と感動にあふれていなければならない。

 私の支配には愛がなければならない。愛ゆえの! 愛のための!

 これはひとつの愛の形なのだ。

 愛は完璧でなくてはならない。支配は完全でなくてはならない。


「ふつうの人間に力なんてないんだよ」

 私は言い聞かせる。清子にも、純にも。これは伏線だ。破られるために存在する仮初の約束だ。

 清子には間違いなく力がある。私と同じように他人を支配する為の力が秘められている。だけど、いまはまだその時ではない。彼女が私の想い通りの『支配者』となるためには、強いきっかけが足りない。私のように、ひとを支配した甘美さを体験していない。彼女はまだ自身の言葉の、真の力に気が付いていない。

 彼女が自分に力に気付くためには、自分がふつうの人間ではないことを理解する必要がある。そのためには、彼女自身がまず、ふつうの人間を理解しなくてはならない。真の女王となるためには、困難を乗り越える必要があるのだ。

 私が彼女に与える支配。思い通りの物語を歩ませる支配。

 筋書きは貴種流離譚だ。

 王座を追われ、精神的な孤立という流浪――雌伏の時を過ごした高貴な血筋をもつ彼女は、やがて来る困難を乗り越え、真の王として王座に返り咲くのだ。

 これからシナリオはミッドポイントを迎える。後戻りできない転換点だ。

 彼女に絶対的なトラウマを、やがて乗り越えるべき困難を与えるのだ。

 私の、小秋千広の死をもって。


 私は常に三人の人間の動向を監視していた。ひとりは清子。もうひとりは相野隆。そして最後に三隅純。私は彼女らが一直線に並ぶ瞬間を待ちわびていた。彼女らのもつ感情の波が最大限に高まる地点で、すべての登場人物が舞台にそろう一瞬の奇跡。こればかりは偶然巡り合わせるのを待つしかなかった。

 清子は嫉妬を燃やし、相野隆は敵意を滾らせ、三隅純は対抗心で煮えたぎる。

 きたる放課後、私は背中に清子の視線と、それを監視する相野隆の存在を感じつつ、三隅純と秘密の会話を交わす。

「ここだけの秘密ね。純」

 清子の感情が暴発するように、あえて三隅純と秘密を共有する。内容はべつになんでもよかった。清子の感情の爆発を、隆と純のふたりが耳にし、目撃するということが重要だった。

「あんたなんか、死んじゃえ」

 清子が放った言葉。嫉妬と怒りと裏切りに震える感情。素晴らしい! ついにこの時がきた。

 私は相野隆のことを常に見張っていたから、彼が殺意を抱いていることは知っていた。女王から力を奪ったのは、他ならぬ私なのだから当然だ。問題はその方法だった。直接的な方法を取られたら、私の支配計画が台無しになりかねない。彼にはヒーローとしての役割が残っているのだから、降壇にはまだはやい。

 そこで思いついたのは、事故に見せかけるという、彼の母がとった方法だ。

 事故にみせかけて、私を殺してもらう。そのために私は迂遠で、回りくどいやり方を使って、彼にメッセージを出していた。メッセージが殺意と結びつくことで、彼が私の殺害方法に思い至ることを祈って。

 ひとつは私が、清子を大事に思っているという事実をアピールすること。自分の身を投げ打ってでも、清子を優先するかもしれないと思わせることが大事だ。事実私は、他のクラスメイトとの時間よりも、はるかに清子を優先していた。私が彼女を独占するために孤立させたように見えるほど。

 ひとつはデートで服を選んであげたこと。分かりやすいマークを清子に与えた。ひと目でわかる清子の要素を外面的に追加したのだ。

 ひとつは相野隆に交通事故を意識させること。彼は自身の母がどうやって死んだかを知っているので、その記憶に結び付けさせるように、交通事故の情報を与えた。不意な飛び出しによる轢死。直接手を下さないから、交通事故がもっとも都合がいい。

 そして、この交通事故の情報が仕掛けの肝だ。他人を助けようとして死んでしまう。身代わりになって死んでしまう、という悲劇的な偶然。

 これらのヒントを与え、彼が確実に実行してくれるタイミングを待っていた。彼がデートで選んだ服を購入したことは知っていた。殺人に用いるにはあまりに消極的すぎる計画で、現実的な手段とは言えない。だが、その殺人計画は必ず成功する。なぜなら、死ぬべき私、殺されるべき私が、考え出した計画なのだから!


 ついに、交差点にきた。

 私の清子を支配する計画は、私の死によって完遂する。

 仕掛けというのは常に予想を超える為に、二重に張り巡らせておくものだ。

 私の支配計画。それは名越清子を真の支配者へと覚醒させること。清子を私の望み通りの人間へと昇華させることにある。他人を支配する器と力を持っていながら、未成熟な彼女。そんな彼女を、私の想いのままにしたい。完全な支配を望む人間へと塗り替えたい。そんな欲望があった。

『あんたなんか、死んじゃえ』

 その言葉の通り、私は死ぬ。彼女は自らのもつ力の恐ろしさに気が付くだろう。私がまず、彼女に気付きを与える。しかし、私の死が彼女のトラウマとなり、彼女が乗り越えるべき苦難となる。つまり私の死は、清子への自覚と壁を与える役割。

 私の死後は、三隅純が鞭となって清子を追い詰める。精神的に孤立させ、疲弊させ、飢えさせる。

 そして、相野隆が飴となって清子を救う。依存させ、苦難を忘れさせる。しかし、相野隆の目的は女王の復権で、恋人になることじゃない。彼は彼女に自らの力を思い出させてくれるだろう。

 最後に、私の死の真相が明かされ、彼女の力は証明される。

 清子の言葉が、他人を支配して、私を殺すに至ったのだと気が付く。清子が、相野隆を通して、私を手にかけたのだと自覚する。清子は他人を支配することの意味に気付いてくれるはずだ。他人を支配し尽くすことの、絶対的な快楽と感動に気付いてくれるはずだ。自らに眠っていた欲望に気付くはずだ。

 私の想いに答えてくれるはずだ。

 だって、そうなるように仕向けているんだもの。

 私が彼女のすべてを支配しているんだもの。

 交差点の信号が赤に変わる。私は口元に笑みを浮かべていた。

 周囲には目撃者となるオーディエンスが幾人もいる。紺色のワンピースをきた相野隆が向かい側にいるのがみえた。往来の多い通りで、今日は車の流れがはやい。小学生ぐらい簡単にひねりつぶせるだろう。

 おあつらえ向きに、私側の車線にトラックが近づいてくる。

 相野隆が飛び出した。だが、飛び出した瞬間に、彼は逃げ始める。

 私は飛び出しざまに警告を発しながら、車道へと躍り出る。

 さぁ、轢け。

 私の欲望を叶えさせてくれ。

 私には力がある。私すらも殺してしまえる力だ。

 素晴らしい! 喝さいが聞こえる!

 さぁ、さぁ、さぁ!

 私の死で幕をあげろ!

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言わぬが花の乙女なり (改稿版) 志村麦穂 @baku-shimura

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