第6話 明かされた真実

不穏な風が少年と雫由の間を埋めるように吹き抜ける。周囲の木々が怪しげにさざめくその音は、鵺のような不気味さがある。そんな思いを抱きつつも雫由は少年を見つめていた。


「山を甘くみない方がいい……?」


 目の前の少年の忠告が耳に染み付いたように離れない。警告音のように心臓が脈打つ。大人は山は危ないから近づくなと注意しているが、少年が自身を咎めるように告げた言葉は、幼少期に聞いた言葉よりも重みがあった。


「この山道は人工的に作られた訳じゃないから、整備されてない。君は今日運良く無事だったけど、落ちてもおかしくないんだよ」


 そう言って少年は社から離れると眼下に広がる町を見下ろした。雫由もそれに倣って近づき──下を見た時、視界に飛び込んできた景色に後ずさった。背中に悪寒が走る。今にも崩れそうなほど脆く、錆びた柵の真下には闇が広がっていた。まるで底なし沼のように夜に沈んだ町。誰かが気まぐれで設置したような街灯は点々と闇に浮かんでいて死者を誘う篝火のようにも思えた。雫由がここまで無事に登って来れたのはある意味奇跡なのかもしれない。


「こんなところに落ちたら、誰も見つけられない。もし、君が落ちたら君のことを大切にしてくれてる人も……悲しむよ」

「私のことを大切にしてくれてる人……」


 言われて浮かぶのは身内の姿や綾織神社を慕ってくれている町の人々。雫由が神社の掃除をしていると声をかけてくる人達の笑顔──そして許嫁の纈の姿だ。もし、起きて雫由が居ないことに気づいたら確実に心配するだろう。


「思い当たる人、いるんでしょ?」

「なんでそれを知って……」


 考えていたものを見透かされた雫由は後退りながら少年に顔を向ける。当人は溜息を零すと雫由から距離をとった。


「……わかりやすいから。それで、君が思い浮かべた人はどんな人なの?」


雫由に顔を向けたまま尋ねる少年。心做しか雰囲気は柔らかく、髪が風に揺れている。知っている誰かの面影と重なり、雫由は警戒を緩めた。


「私には許嫁がいて。その人は私より上で、落ち着いてるしなんでもそつなくこなす器用な人。でも私はその人と釣り合うのかなって。隣を歩くのが私でいいのかわからなくて、まだ返事ができてないの」

「……いいんだと思うよ」


静かだが、はっきりした声が夜にこだまする。それは雫由に言い聞かせているように。


「その人はきっと君の良さを知ってる。だって許嫁を承認してるんでしょ?きっとその人も一緒にいることを望んでるんだよ……じゃないと昔から一緒にいないよ。祝言の話が出た時点で断ってると思うよ」


必死に話す少年に雫由は息をのむ。少年の言葉もそうだが、何故この少年は雫由と纈の事情を知っているような口振りをするのだろう。昔から一緒にいる事や、祝言の話は教えていないはずだ。


「待って……なんで知ってるの?貴方は一体誰なの?私昔から一緒に居るなんて一言も」

言っていない。咄嗟に口を挟むと少年は覚悟を決めたように小さく頷き、言葉を零した。

「僕はね……過去に言いつけを破ってこの山に登ったんだ。そしたら足を滑らせて、それで」


少年はそれきり口をとざす。先の言葉を聞かずとも少年が言おうとしていることは理解できた。そのまま、転落したということだろう。


「僕は皆を悲しませた。勝手な行動でみんなにも迷惑をかけた……もう謝りたくても謝れないし、後悔しても遅いんだ。だから──」


懇願するように。或いは縋るように少年は雫由に向き合うと、手に持っていた自身の御守りを雫由へと投げた。紺色の紐が空中を揺蕩う。空に溶ける玲瓏な鈴の音。鈴は少年の思いを乗せたように鳴り響くと、雫由の手の平に収まった。


「僕の最期の願いを託したい。君ならこの御守りを元の場所に返せる──なら」

「……え?」

「……もし悩んでいるならそのまま進んで。幸せになって欲しいんだ雫由とには」


時が止まったように静寂が訪れる。


「兄上……って」

理解したくなかった。嘘だと言って欲しかった。今の言葉を聞くとこの少年は──

「ねぇ、雫由。もう気づいたんでしょ?僕の正体」


わかった。否、わかってしまった。受け入れたくなくても偶然が重なるとそれは必然的に真実になってしまうのだ。懐かしい鈴の音。見覚えのある御守り。そして「返しておいて欲しい」と告げていた少年の言葉。少年の格好が祭りの催し物の格好なのも、あの日──弥がいなくなった日は天津家と合同で覡祭りの準備をする予定だったからだ。


「弥くん……」


混乱する思考の中で絞り出した声は情けなくも掠れている。この山にさえ昇らなければ弥は無事だった。もっと早く気づいていれば。止めていれば。そんな悔恨が心を苛む。蘇るのは過去の会話。あれは纈が捷と会話してる時に、弥と二人きりになった時のことだ。纈が席を外している時はよく話をしていた。あれは覡祭りの準備の数日前だった──


『雫由!あと少しで覡祭りの準備が始まるね』


弥は無邪気に笑い、綾織神社の本殿で手を合わせそっと目を瞑ると、暫くして目を開けた。清々しいほどの青空の下。近くには川のせせらぎの音が風と共に流れてくる。


『うん。ね、弥くんは何をお願いしたの?』


雫由が身を乗り出して弥を覗き込む。弥はは

にかむと誤魔化すように視線を逸らした。


『うーん。それはまだ言えないな。でも、いつか絶対に言うから。兄上と雫由が揃った良い日に、ね』

『え、すごい気になる……分かった。じゃあそれまで楽しみにしてるね』


決して戻らない過去。そこで交わした言葉が時を彩るように次々と浮かんでは連なっていく。今ならあの時弥が言おうとしていた物が、願いが手に取るようにわかる。きっと、あの時の弥の願いは──

無言で唇をかみ締めていると、優しい声がかかった。


「あのね、雫由。山神様なんていなかったよ。この山が険しくて危ないから皆そう形容してただけだった。きっと過去にいなくなった人も僕と同じように足を滑らせたんだよ。僕は兄上と雫由に会えないのは悲しいけど、真実を確かめられたから、それでいいんだ」


徐にお面を外すと、弥は社に置いた。瞳は澄み切っていて、幼い頃に見た表情そのままだ。込み上げる切なさと懐かしさ。雫由はそっと弥に手を伸ばしたものの、それは虚しくも幻影のようにすり抜けるだけだった。

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