5ー1 暴露

 やまびこ亭から帰庁し、勇刀が地下駐車場に覆面パトカーを止めたちょうどその時。ポケットにねじ込まれていたスマートフォンが小さく震えた。勇刀は体を捩らせ、慌ててスマートフォンを取り出した。画面には〝稲本〟という文字が表示されている。勇刀は苦笑いして遠野に頭を下げ、車外に出て通話ボタンを押下した。

『緒方、今いいか?』

 稲本からの電話といえば、一つしか思いつかない。目に見えぬ相手に苦笑しながら、勇刀は頭を掻いて稲本に応えた。

「あぁ、合コンだろ!? ちょっと待ってよ、ちゃんとセッティングするから……」

『ちげぇよ、そんなんじゃねぇよ』

「え?」

「俺だって、そんなんだけじゃねぇよ」

「じゃあ、なんだよ」

 稲本は電話先で一呼吸間をあけ、いつもとは違う声音で言葉を発した。

『解析……してほしいのがあるんだ』

「解析?」

『あぁ、コールドケースのヤツだ』

 稲本の言葉に、勇刀の思考が停止する。

「え、今……?」

『今、すぐにでも』

「……今は、ちょっと。市川さんの画像解析で、いっぱいいっぱいだし……」

『……スマートフォンを解析してほしいんだ』

「スマートフォン!?」

 いつになく真剣な稲本の言葉。電話越しでも伝わるその圧に、勇刀は断る理由も言葉も見つけられなかった。

『あるだろ?』

「何が?」

『〝CFED《シーフェド》〟あるだろ?』

「……CFED」

 稲本が言った単語。思わず単語を繰り返した勇刀の頭から、たちまち血の気が引いていく。

「俺、無理だよ……」

『はぁ!?』

「俺、初心者だから〝CFED〟無理だって! 使いこなせねぇよ!!」

 〝そもそも操作ができない〟

 精一杯の抵抗を見せた勇刀に。電話の向こう側にいる稲本が、深くため息をついた。

『……緒方、今どこだ?』

「え?」

『今、どこだって言ってんだ!』

「……地下駐車場だけど?」

『どっか行くのか?』

「いや、帰ってきたとこ……」

『今から執務室にいく!』

「はぁ!?」

『よろしくな、緒方!』

「ちょ……! ちょちょちょ、稲本! ちょっと待てって!!」

 勇刀の声が届くか、届かないか。一方的に切られた稲本からの電話に、勇刀は苦笑いするしかなかった。いつもなら、勇刀の方が稲本に対してこんな電話をかけている。

(一方的に要求を投げつけられるって、理不尽な気持ちになるんだ)

 と、勇刀はわしゃわしゃと頭を掻いた。

「稲本が合コン合コン、うるさいのが分かるな……」

 独り言のように呟いた勇刀は、ハッと短く息を吐くと、スマートフォンを再びポケットにねじ込んだ。

「どうした、緒方」

 助手席側のドアからゆっくりと、車外にでた遠野は大きく伸びをした。

「あ、いや……」

「なんだ?」

「コールドケースの証拠品を、解析して欲しいって言わちゃって……」

「〝特従室〟《特別専従捜査室》か?」

「はい」

「なら、そっちが最優先だな」

「……え?」

 車から降りた遠野の顔を、地下駐車場の照明が暗く影を落とす。執務室の照明では気にならなかったが、深く色を残す遠野の目の下に鎮座する深い隈がやたら強調されてしまっている。勇刀は何故か父親の姿を遠野に重ねていた。

(もう少し、遠野係長の役に立たなきゃな……)

 遠野の疲れ切った表情に、勇刀はギュッと唇を噛んだ。

「緒方、やってみるか? CFED解析」

「え!?」

「勉強になるぞ」

「でも! 市川さんの画像解析が……」

「田中たちに、任せりゃいい」

「でも……」

「やってみろ、勉強だ」

 めずらしく勇刀から明瞭な返事が返ってこない。困ったように目を瞑って、ぶつぶつ独り言を言う勇刀を、遠野は黙って見つめていた。

 最近、勇刀は市川に対してのめり込みすぎている。遠野はそう判断した。真っ直ぐな性格の勇刀。市川の事件に全力投球し、誰よりも能力を発揮しているのは事実だ。過度なプレッシャーと緊張は能力を発揮するのに有効だが、諸刃の剣にもなりうる。もし、この緊張がいきなりプツッと切れてしまうことを遠野は懸念していた。

(その意識と原動力が切れる前に)

 遠野は一度、勇刀を市川の事件から外すことを決断したのだ。

「俺と佐野がサポートする。やってみろ、緒方」

 力強く背中を押す遠野の言葉に、勇刀は苦笑いしながらまた、頭を掻く。そして「……はい、頑張ります」と珍しく小さな声で自身なさげに返事をした。


「頼むぞ、緒方」

 執務室に現れた稲本が、証拠品を収めるビニール袋に入ったスマホを勇刀に差し出す。勇刀はラテックスの手袋を装着すると、コールドケースに埋もれていたであろうスマートフォンを稲本から受け取った。緊張をほぐすように小さく息を吐いて、勇刀は装置から伸びる端子をスマートフォンに繋ぐ。鈍色のパソコン。そのマウスを動かして、勇刀は画面のアプリケーションをクリックした。

 CFED解析装置。

 言わずもがな、海外製の解析装置だ。あらゆるスマホや携帯電話等に保存されているデータを解析・抽出。機器メーカーのサポート無しで、埋まったデータを外部に抜き出すことが可能な装置だ。性能に反比例し、その使い方は難解複雑。使いこなせるまでに、かなりの技量と時間を要する代物だ。ぎこちなく操作する勇刀を、稲本が怪訝けげんな表情で見下ろした。

「大丈夫かよ、緒方」

「大丈夫じゃねぇよ。めっちゃ緊張してんだってば」

 勇刀は乾いた喉から声を絞り出した。そして画面に視線を移すと、コマンドを一つひとつ正解に確実に入力していく。全て入力し終えると、右手の小指でエンターキーを押下する。キーボードがタンと小気味いい音をたてると同時に、ハードディスクがカタッと振動した。

「……なんか、頼りねぇなぁ」

「うるせぇよ、稲本」

 コマンドが有効に走り出したのか。鈍色のパソコンがカタカタッと中のハードディスクを揺らして、コードの先にあるスマホの解析を始めた。

「これ……霜村警部補のスマートフォンなんだ」

 稲本がポツリと呟いた。

「え!?……四年前の事件の?」

 いつもは見せることのない、思い詰めたような稲本の真剣な声音と表情。勇刀は思わず息を呑んだ。

「あの時は、ちゃんと解析できなかった」

「……」

「当時の解析技術じゃ無理だったし、それに……」

「それに?」

「一部のデータが消えてて、さ」

 稲本はさらに渋い顔をした。そして非常に言いにくそうに口を開く。

「切田さんが……」

「切田さん?」

「あぁ」

「鑑識の? あの切田さん?」

 ビーーーッ!!

 その時突然、二人の背後でパソコンの警報音が鳴り響いた。執務室にいた捜査員の視線が集中する。

「クソッ! ハッキングされました!」

「中井、何やってんだ!」

 遠野の狼狽した声が、警報音を上書きする。執務室の捜査員が息を殺して見守る中。ハッキングされ警報音が鳴るパソコンの画面が切り替わり、黒い服を着た男を映し出した。黒い空間をボヤッととした照明が、不気味さを助長させる。

「!?」

 市川を名指しした、あの黒服の男。勇刀は椅子を弾き飛ばしながらから立ち上がると、齧り付つくようにその画面を見つめた。騒然とする執務室に、解析中のスマートフォンの音がカタカタと忙しなく鳴り響く。

「ブロックしたんですが……! 相手が凄すぎる……」

「単体に切り替えろ!!」

「はいっ!」

 その瞬間、至る所から聴こえていたキーボードの打突音が、一瞬で執務室から消えた。同時に別の捜査員がハッキング先を追跡すべく、キーボードを猛烈にはじきだす。

 勇刀が目を見開いて、画面を指差した。

「あれ……?」

「どうした、緒方」

「あの画面の左端にいるの……?」

 勇刀と呟きに、捜査員が即座に反応して左端を画面の隅に拡大する。徐々にクリアになっていく画像。滲むような形がはっきりと輪郭を成し、塊にしかすぎなかった人影が二つに分かれた。

 瞬間、勇刀が息をのんだ。

「い……ち、かわ……さん?」

 少しボヤけているが、肉眼でもはっきりと認識できる見知った人影。勇刀の呟きに執務室の空気が凍りつく。映し出される驚愕の映像。一同の高まる緊張が、空気を張り詰めさせた。

 画面に映し出される、床にぐったりと横たわる市川の姿に、勇刀は己の無力さを感じずにはいられなかった。



 シルバーの塗装が施されたセダンタイプの車が、暗く狭い山道を走り抜ける。ガタガタと車体上下に激しく揺らしながら、その先にぽっかりと広がる場所にたどり着いた。

 湿った土を跳ね上げて停まった車から、黒い服を着た二人の人物が姿を現す。

「運転荒いねー、相変わらず」

 後部座席から降りた小柄な男は、そたい明るくはずんだ声で言った。その言葉に応えることなく。運転席から降りた背の高い男は、俯きながらリアゲートに近づく。そして、無言でトランクの鍵穴にキーを差し込んだ。カタンと鈍い音が暗い山の中に響き、リアゲートが浅く浮いた。背の高い男は、車に手をかけた。

「……キツく縛りすぎだ。鬱血してるぞ」

「だって市川さん、めっちゃ暴れんじゃんか」

 男達はリアゲートを全開し、トランクの中でぐったりと横たわる市川の状態を確認する。

「壊死する可能性もある。気をつけろ」

「はいはーい」

「……」

 背の高い男は、市川の口を塞いでいたガムテープを剥がすと、意識を失っている市川を造作もなく肩に担いだ。そして、バンと勢いよくリアゲートを閉め、車に踵を返して歩き出す。

「あぁ、そうだ。発発発動発電機ありがとねー」

「……」

「しかし、よく見つけたねー。こんなとこ」

「……」

「また市川さんとゆっくり遊びたいなー」

「……うるさいぞ。少し黙っとけ」

「はいはーい」

「……」

「んもー、睨まないでよー。あー、怖い怖い」

 懐中電灯の薄い光が、まるく漆黒の闇を溶かしていく。黒い服を周りに紛れ込ませ、二人は別荘のような外観の廃屋へと姿を消した。ギシギシと軋む室内を通り、その先にある階段を昇る。すると、広々とした解放的な部屋にたどり着いた。

 埃っぽい殺風景な部屋。かつてはレクリエーションが行われていたような広い部屋の奥には。主を失くしたアンティークなテーブルが無造作に置かれていた。おおよそ似つかわしくない冷たい色をした五台のパソコンがテーブルの上に並ぶ。その下には大きなサーバーが一台、床の上に無造作に置かれいた。黒色の配線が幾重にも伸び、サーバーと発動発電機を往復するように繋がっている。

「準備するの、意外と大変だったんだからねー」

 小柄な男は部屋を一通り見渡すと、楽しそうにいった。足取り軽く奥へと進む小柄な男の姿を、背の高い男は無言で見つめる。

 背の高い男は市川を抱えたまま、足元に視線を落とした。部屋を取り囲むように、蝋燭のような淡く揺らぐライトが床に置かれて、うっすらと部屋を照した。灯りが織りなす、日常とはかけ離れた幻想的な風景、男はゴクッと喉を鳴らした。

「さて、と。やっちゃおうかなー」

 小柄な男は椅子に腰掛けると、フードを深く被り五台のパソコンに軽やかに指を滑らせる。その様子を尻目に、背の高い男は。市川を平べったいマットレスにおろした。徐にポケットからカッターナイフを取り出すと、市川の手足をキツく縛り上げていたガムテープに、深く切り込みを入れる。だいぶ鬱血し、紫色に変色した手足。華奢な体をきつく拘束していたガムテープから解放すると、手足をなぞるように、市川の体を真っ直ぐにした。

 瞬間。淡く揺らぐ光が、男の目の前に飛び込んできた。

 --市川の目が、開いた。

 今まで意識を手放していたとは、到底思えないほどの強い眼光。男は息を呑んだ。同時に市川の手足に置いていた男の手が、石にでもなったかのように重く冷たくなった。

 男を一瞥した市川。

 そして、はっきりと強く声を発する。市川のその声に、男は身体中を巡る血液が凍りつくほど驚愕した。

「……切田?」

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