第2話 なぞの転校生

 5月の神戸は鮮やかだ。北に目をやると六甲の山並みが新緑に映え、南に視線を転じると陽光を映した瀬戸の水面が宝石を散りばめたように輝いている。高校1年の5月、ゴールデンウィーク明けの教室は少し戸惑ったにぎやかさに包まれていた。新緑のさわやかな風の吹き込む教室にはいくつかの島が形成されていた。大型連休には程遠い、カレンダー通りの休みではあったが互いにその間の出来事を報告しあい、あるいは一緒に積み重ねた体験を反芻しあう。SNSの短文、数コマの画像では伝えきれなかった思いを直接伝えあう。少しオーバーなリアクションも友情を確認しあう儀式のようなものであった。何人か島に入れずにいる生徒がいるのは、ここ南須磨高校に限った話ではなかろう。1年生の5月ならば完全に出遅れた訳でもない。賑わいが一瞬静まるほどの勢いで教室のドアが開けられるといかにも運動部な日に焼けた長身の少女が駆け込んできた。「サヤちゃん、智さん。聞いて、転校生だよ。男の子。今日からうちのクラスに来るんだって。」二人の少女が視線を上げる。智と呼ばれた、伊藤智花は栗色がかったショートボブに少し眦の下がったどんぐり眼の優し気な表情をした少女であった。一方のサヤと呼ばれた、神宮沙耶子は漆黒の大垂髪(おすべらかし)を後ろの生え際でひとつにまとめ、水引きの様な大きなリボンで括ったおよそ流行には程遠い装いではあったが、処女雪のような透き通る純白の肌とすっと通った鼻筋に高い知性と品位が、キュッと結ばれた淡い珊瑚紅の唇に強い意志がうかがえる、そして深い冬空のような曇りのない大きなアーモンド形の瞳には思わず魅入られてしまうような、あるいはこちらの心の深部を見透かされてしまうような不可思議な力を感じさせる少女であった。「千さん、その情報は確かなのですか。5月に転入生は珍しいですね。」智花が応える。千さんと呼ばれた情報源の少女、千田三津弥は少し得意げに、「里見先生情報だから間違いないよ。」と答えた。聞き耳を立てずとも聞こえる声量だったので自然に横から男子が口をはさむ。「お前、たまにガセネタがあるからな。里見先生が本当にそういったのか。」「須崎ッチ、こっちは休み中もバレー部の練習で先生と一緒だったんだから間違いないよ。」心外だと言わんばかりに唇を尖らせ三津弥が言い返す。三津弥の周りに数名の男女が集まり情報を引き出そうと姦しく騒ぎ立てる。沙耶子だけは物憂げにその喧騒の輪には入ることなく盛り上がっている級友たちを眺めていた。三津弥のスクープは鮮度を5分と保つことはできなかった。担任の里見理沙教諭が教室に入ってくると、正確には里見教諭と一緒に一人の少年が教室に入ってくると、教室の喧騒は潮が引いたように静まった。顔は整っているが、息を飲むほどの美男子というわけでもなかった。しかし、圧倒的な存在感があった。身長は185cmを超え、190cm近く、学生服の上からも広い肩幅と厚い胸板がうかがえた。胸鎖乳突筋と僧帽筋の盛り上がりが遠目にもはっきりと見て取れた。しかし、重量級の格闘家のような脂肪層をまとってはいない。身長を無視すれば、絞られた身体は器械体操のアスリートを思わせた。それでも、体重は100kg近いかもしれない。それでいながら板張りの床を一切足音を立てずに、滑るように歩んでいた。大型のネコ科の肉食獣を想起した生徒もいたが粗暴な印象は一切無いことに安堵していた。むしろ、もし見知らぬ山奥で夜道に迷ったときに一番出会いたい、その姿を見ればこれで助かったと無条件に安堵できるような信頼感、安心感が滲み出ていた。担任から自己紹介を促されるとまっすぐな目で新しい級友たちを見渡し、はっきりと通る声で「武庫光時です。千葉の柏から来ました。よろしくお願いします。」と短く答えた。新しい環境に入る者が持つ戸惑いを一切感じさせない立ち居振る舞いであった。「みんな、仲良くしてね。」というありきたりの一言で里見教諭がまとめると、指定された教室の一番後ろの席に向かった。途中神宮沙耶子と目礼を交わしたようにも見えたが一瞬のことであり気付く生徒はいなかった。非日常はいつも、転校生と共にやってくる。

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