鬼と巫女の物語り~禁忌の白鬼は御贄(おんべ)の巫女との誓約を果たすため冥界の女神と斬り結ぶ~

おだくしひろ

第1話 プロローグ:継ぐのは誰か?

 意識が戻った時、目に入ったのは真冬の月光のように青白く鋭利に、そして仄暗く輝く黄泉平坂(よもつひらさか)の岩肌であった。こめかみから流れた血が視界を塞いでいる。ぼんやりとした意識のままに視線を巡らせると隧道の壁面とは異なる白く煌めく神威の光が目を射た。意識の覚醒レベルが一気に上がった。聴覚が戻る。首の傷は塞がっていた。不愉快な封鬼子が発するノイズは感じない。

「Gigugaawooou」咆哮を発し純白の巨大な蜘蛛のような怪異が立ち上がる。頭胸部の先端に妖艶な女性の上半身を接いだ姿は絡新婦(じょろうぐも)かアラクネーそのものであった。全高2m、全長4m。人の姿をした部分は標準的な日本人成人女性のサイズをしていた。ほっそりとした腕にあたる部分は手首から先が刃渡り70cmほどの鎌のように歪曲した1本の深紅の爪になっていた。鎖骨の部分に30cmほどの鋏角が1対見えた。豊満で形の良い胸部はこのような状況でなければ見とれてしまったかもしれない。

 「掛まくも畏きこの秋津洲(あきつしま)を領(うしは)き坐(ま)す天照大神の広前(ひろまえ)に宮司(みやつかさ)神宮沙耶子(じんぐうさやこ)が恐れ恐れ(かしこみかしこみ)申さく。諸人(もろひと)等をも守り恵み幸(さきは)へ給ひて平和(おだひ)なる世を弥遠永(いやとをなが)に続かしめ給うべく御力(みちから)を下し給えと、恐れ恐れ(かしこみかしこみ)乞(こ)ひ祈(の)み奉(まつ)らくと白(まを)す。」世界と人々の幸せを寿(ことほ)ぐ祝詞(みことのり)が聞こえる。白の小袖に緋色の乗馬袴を纏い純白の水引で烏の濡れ羽色の髪を一括りにし鉾の採り物を手にした一人の少女がこの異形の巨人と相対していた。頬に子供の丸みを残してはいるが端正で強い意志と気品を湛える顔は5年後には間違いなく男の心を捉えて離さないだろう。しかし、袴の股立は大きく裂け遠目にも艶めかしい左腿が露になっていた。真っ白な肌にはザックリと深い切創が口を開け、脈動に合わせ新な鮮血を滴らせていた。その他にも全身に傷を負っているのか純白の小袖は赤黒く斑に染め上げられていた。祝詞を上げる声はしっかりとしていたが、全身は深い疲労からか僅かに震えていた。御贄(おんべ)の巫女はいまだ戦意を失ってはいなかったが傷付き、その霊力は尽きかけていた。直径2mほどの神威壁を維持するのがやっとの様だった。伊邪那美が一方的に攻め立てている。鞭のようにしなる左右の第一歩脚を絶え間なく神威壁に打ち付ける。血のような真紅の爪が打ち付けられる度に衝撃波が走る。先端速度が音速を超えている。少女は必死にその衝撃に耐えようとするがじりじりと後退を余儀なくされていた。屠り(ほふり)の鬼士(きし)たる俺は黄泉神たちとの戦闘で消耗しきっていた。黄泉神は一柱を残すのみとなってはいるが、肝心の伊邪那美がほぼ無傷で残っている。重い体を無理やり引き起こす。その気配を感じ巫女が振り向く。視線が合う。傷付き、力尽きかけている少女の瞳に歓喜が浮かぶ。あぁ、彼女はまだ希望を捨ててはいない。俺を信じてくれている。二人で交わした約束が果たされることを一片も疑ってはいない。

 「私、学校に行ったことがなかったから、ここに通えて、みんなと出会えて本当に楽しくて仕方がなかったの。それだけで十分だと思おうとしていた。誰かがこの世界のために御贄にならなければならないのなら、みんな守るためならば、私はどうなっても良いと本気で思ってた。でも本当はみんなと一緒に練習したパフォーマンスやりたかったな。」文化祭にクラスで行うダンスと音楽演奏の複合パフォーマンスでセンター兼リードボーカルに推されたのに、それを断った彼女はその後俺と二人だけになると目を伏せそっと呟いた。夕日に照らされたいつもは活力に満ちた彼女の瞳は力なく薄らと涙が浮かんでいた。小さな肩が少し震えていた。俺はその肩を掻き抱き彼女に語り掛けた。「いまからやっぱり受けると、やりたいと言って来いよ。沙耶子を死なせはしない。沙耶子も世界も俺が守る。黄泉には行かせはしない。もちろん伊邪那美に現世(うつしよ)を踏ませはしない。」「・・・信じていいの。」「建御名方神(たけみなかたのかみ)の神使(しんし)、諏訪の鬼士、武庫光時(むこみつとき)が神命に誓って。」沙耶子がじっと俺の目をのぞき込む。先ほどまで力なかった瞳の奥に希望の光が見えた。何が何でも守ってやる。夕日に染まる教室で彼女と交わした誓約が蘇る。

 まだ戦える。戦わなければならない。丹田(たんでん)が熱を帯びる。そこから膻中(だんちゅう)、印堂(いんどう)に向かってと力が迸る。上昇した力が同じ道を駆け下り、また駆け上がる。力が巡る度に迸りは太く、速く奔流となる。細胞が沸き立つ。迸りが声となって身体の外へと放たれる。「鬼神転身!」自身の存在が解体し、より大きな存在へと再構築される。天目が開く。全身が純白の金属酸化物外皮に覆われる。駆け出すと同時に背中の鬼雲を拡げる。両手の甲から高エネルギー粒子を迸らせた刃が伸びる。禁忌の白鬼と呼ばれたもう一人の俺が姿を現す。青紫色の酸素窒素混合プラズマの曳光を引き、死の女神に躍りかかる。音速を超えた冥界の女神の真紅の爪が衝撃波をともなって俺を迎え撃つ。日の出まではまだ2時間以上あった。

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