『因果の種』


――気づけば勝手に身体が動いていた。


そんなコムギは、身軽さを活かして高さ数メートルはあろうかと言う屋根から、あっという間に地上に降り立った。

着地の音すらもさせずにだ。


そして、倒れている男――テッドのもとに駆け寄る。


「すごい血……! お兄さん、大丈夫……!?」


傍に来たコムギに、テッドは苦痛で顔を上げることも出来ず。

うずくまったままで答える。


「へっ、大丈夫……って言いたい、ところだが、ぜ、全然、大丈夫じゃ、ない、な……」

はは、と嘲笑混じりで、息も絶えそうな状態だ。


テッドの返事と同じころ、コムギは傍に落ちている切断された手首に気づく。

「ひっ、嘘、お兄さん、手が……!?」


うずくまるテッドの腕が見えていなくて、すぐには気づけなかったが、流れ出ている血はきっと、その腕からだった。


だとしたら、危うい。

失血死する可能性があるからだ。



コムギは急いで、懐からきんちゃく袋を取り出す。


「お兄さん! 腕、見せて、早く!」


しゃがみこみ。

半ば無理やりにテッドの腕をつかみ、きんちゃく袋からさらに、紙に包まれた粉末を取り出す。


「な、なにする気だ……」

「とりあえず止血を急がないと。安心してください。これは、あたしのお師匠様が作って下すった傷薬なので、怪しいものではありません」


コムギは説明しながら、粉末をテッドの腕に振りかけた。

今は亡き師匠の作ってくれた最後の傷薬だったが、背に腹は代えられない、と。

惜しまずに全部使い切った。

そして、テッドを抱え、おんぶするような形になる。


「えっと……こちらでは確かキョウカイってところがお寺様でしたね」


テッドは、華奢に見える少女が、大の大人を背負うのが心苦しくて。

「おい……無理する、な――」 

「心配無用なのです。修行の一つで、毎日お師匠様をおぶって山を30往復していたこともありますから」

「でも……血が……服に……」

さらにテッドは、自分の流す血で綺麗な衣装が汚れることも気にかかる……が、その時に気づく。もう、血が止まっていることに。


「キョウカイの屋根とはどんな感じなのですか? 色は? 形は解りますか? お兄さん?」


「それだったら……冒険、者、組合の、方が早い、ぜ」

キョウカイは遠く、組合はすぐそこだ。

走れば5分とかかるまい。

組合なら、ヘレニウムやアプリコットほどでなくても、ある程度なら治療ができる神官が要る可能性が高い。


「了解なのです」


コムギは、念のため『手首』もひろって、冒険者組合に向かって駆けだした。





――――


お昼過ぎの冒険者組合。

この時間帯は、すでに目ぼしい依頼は冒険者にもっていかれており、人の出入りは多くない。


専ら、上部張り出しのカフェテリアが賑わっているくらいだ。

だから、受付嬢は暇だった。


書類も整理し終え。

昼食も食べ終え。

この時間から依頼を申し込む冒険者もほぼ居なくて。

眠気が押し寄せてきて耐えるのに必死だった。



そこに。

正面の入り口から。

足音も無く駆け入ってくる、見慣れない服装の少女――。



「あら……?」


だが、背負っている人物には心当たりがあった。

「あれはたしか、テッド様……?」


受付嬢が寝ぼけ眼でそんな感想を口から零していると。

その間に少女はあっという間に受付まで駆け寄ってきた。


「すみません! ここに、医官様はいらっしゃいますか?」

「イカンサマ……?」

「この方の『手』を繋いてほしいのですが」


コムギはさっき拾ってきたテッドの手首を、受付嬢に見せる。

手に抓んで、ぷらん、と。


きゃあああああああっ!?


生血も滴る新鮮な手首の、そのグロテスクさに、受付嬢は思わず叫んだ。

お陰で眠気も飛んだことだろう。


とにかく、いきなりで驚きはしたものの。

冒険者組合の受付嬢は、そういう手合いの物は見慣れている。

なにせ、収集品を集めてくるような依頼では、魔物の切れっパシが良く届けられるからだ。


はぁはぁ、と肩で息をしつつ。

受付嬢は胸に手を置いて息を整え。


「……ああ、ええと、なるほど。神官様プリーストのことですね」


落ち着いた受付嬢は、現在組合に居るであろう冒険者を記憶から探り出す。

ヒトの顔と名前、特徴に、職業クラス

そういうものの記憶力は、冒険者組合の受付嬢に必須の能力だ。

しかし。

「――申し訳ありません、あいにくと神官様の出入りは記憶にありませんね」


「そんな……」


例えコムギの使った薬が優秀でも、このまま放っておくことはできない。

正しい処置が行われたわけでもなく、已然テッドの苦痛は消えないままだ。



そんな時に。


「あ、ぐっどたいみんぐですね」

「え?」

「神官様がいらっしゃいました」

受付嬢の目に映る二人組。

冒険者組合の入り口から二つのシルエットが入ってきた。

その内の一人。

アプリコットが、すぐにテッドに気づいて走って来る。


「テッドさん!」


アプリコットの気配に、コムギは首だけで振り返り。

「お姉さん、この人のお知り合い……」

さらに。

アプリコットの奥から、マイペースに歩いてくる赤いカソックに気が付く。

「ハッ……! 焼魚様!」


「誰が焼き魚ですか……」


勿論、その人物はヘレニウムであり、そしてその手には、紅いハンマーではなく。

テッドが道に落としたであろうメイスが握られていた。


そしてヘレニウムはコムギに掌を差し出す。

「貸しなさい」


「はい?」


「手首」


「ハッ、どうぞです!」


ヘレニウムは、くたっとしているテッドの、その腕を取り、受け取った手首をあてがう。


そして。

「『――下位天使級アンゲルス損傷治癒クラティオ』」

テッドの腕は、ヘレニウムの低位のヒーリングで無事に治癒され、その痛みも苦しみも、すっと失われていった。


見違えて顔色の良くなったテッドが、コムギの背中から降りる。

テッドは自分の手首の状態を確認しつつ。

「サンキュ、ヘレ、助かった。あと、そっちのも」


「別に、通りすがりに怪我人を見かけたので、当然の仕事をしたまでです」

そう言いながら、ヘレニウムはテッドにメイスを差し出す。

ヘレニウムとアプリコットは、通りの血だまりと、落ちていたテッドのメイスを見つけ、そして冒険者組合まで続いていた血痕を辿ってきたのだった。

ちなみに、血痕は手首の方から滴ったものだ。



ヘレニウムは、メイスを腰に仕舞うテッドを見ながら。

「あの金色の仕業ですか?」


 すると顔を伏せ、テッドは申し訳なさそうに語った。

「……ああ、そうだ。不甲斐なくてすまん。少しは頑張ってみたけど、結局この様だ。あの剣も、あいつに奪われちまった」


「え? ガラティーンちゃん持っていかれちゃったんですか!?」

悲しそうな顔で驚くアプリコットに、なにやら胡乱な表情になるヘレニウム。

「がらてぃーん……?」

なんですかそれ、とさらにヘレニウムは尋ねる。


「え、っと、アレです。この前のお話しする剣のことで……」

「まさか名前を付けたのですか? あんな刃物に?」


あからさまにムスッとするヘレニウム。

ママに反対された子猫を、こっそり軒下で飼っている子供。

これはまさに、それが見つかった時の子供とママのようだった。


「だってかわいそうじゃないか、アイツだって剣に産まれたくて産まれたわけじゃないだろうし」

「……」

 ならば叩き壊して生まれ変われる機会を授けてはどうですか。


 そんな問答を、今はしている場合ではない、とヘレニウムは黙殺し。


「それでは、腕は、あの金色に剣を奪われた時に、ですか?」

「ああ。あの剣は、腕輪が本体なんだ、だから……」

ガラティーンが嫌がってなかなか外れなかったのだ。

だから、アッシュは迷わずに手首を切り取った。

そして、両手剣の姿に戻ったガラティーンを持って行ったのだった。


その所業にコムギも驚き、

「そういえば、あの時あの鎧の方、手に大太刀を持っていましたが、まさか……?」

「そんな、テッドさんの腕を切り取ってまで?」

アプリコットも嫌悪感を抱く。


ヘレニウムは、なるほど、そうですか、と小さく呟いて。

「……アプリコット」

「はい、ヘレニウム様?」


「テッドのことを頼みます。傷は癒えましたが、血はまだ少し足りていないでしょうから」


「え? ヘレニウム様は?」


「私は少し、出かけてきます」

そう言って、ヘレニウムはくるりと反転し、冒険者組合のエントランスに向かう。


「出かける、って、どこ……」

そして、その背中から立ち上る強い感情の気配に、アプリコットは言葉を止めてしまう。

テッドも、横を通り過ぎるヘレニウムの冷え切った表情を見て、声をかけることが出来なかった。


そんな中。

疎外感と共に取り残されたコムギは、

「あの……えっと? それでは、あたしも、これにてご免――です!」


今しがた、大通りに出て行ったヘレニウムを追いかけて走っていった。


「お待ちください、焼き魚様!」

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