放出と応用―1

 その日の午後、湖の畔で氣の放出の指導を受ける。湖に波はなく平穏そのもの、近場で精霊術師と華蓮が遣り合ったのが嘘みたいだ。

 いざ修行を始めようかと思ったところで、華蓮が俺の氣が少ないのに気付いた。


「あら、全く氣が貯まっていないわね。もしかして使い切ってしまったの?」


「すいません、精霊術師の魔法を打ち消すのに使用しました。右腕に氣が集中し、拳を放ったタイミングで撃ち出した感じです」


 業火嵐ヘルフームを打ち破る際に氣を全て消費してしまい、昼食前から練り上げ始めたが消費する前の一割すら溜まっていない。

 事情が事情なので咎められず、それどころか華蓮は俺が氣を扱えたのに感嘆した。


「何のヒントも無しによく放出できたわね、放出の修行を省いてもいい?」


「何事も信じる心が力に成ると、ヒントは華蓮さんから貰いましたよ。ただあれはまぐれなので、意図的に行えるように修行しないといけません」


 何事も信じる心が力に成る、氣の扱い方を言語化するとそれ以外になかった。

 正の方向にも、負の方向にも、理想を体現するべく形を変え、作用を変化させる変幻自在の万物に宿るエネルギー。己の信じた理想を掴もうと手を伸ばした時、氣は十全に役割を果たしてくれる。

 しかし、追い詰められて偶発的に行使できたに過ぎない。正しい工程を経ておらず、未熟なものだったので大した威力も発揮しなかった。


「重要な部分を覚えているのなら良し、それなら放出も簡単よ。練り上げた氣の一部を体外に排出し、物質的に成り立たせるのが放出。このようにね」


 華蓮の手の平からソフトボール程度の青い氣弾が浮き上がり、自由自在に辺りを飛び回る。

 例に倣って手の平に丹田から練り上げた氣の一部を送り、体外に放出しようとしたが上手くいかなかった。疑念、迷い、躊躇いを拭い去り、イメージ自体も見本があるので問題ない。

 眉間に皺を寄せて氣を捻り出そうとしていると、華蓮が優しく手を添えてきた。


「力まずに平常心、心を乱してはいけない。自然体を維持し、放出した氣を固めて球体にしなさい」


「はい。すぅ、はぁ―――」


 深呼吸で平常心を保ちつつ、華蓮のアドバイスに従って手の平から氣を放ち、球体として形成する。これまで氣を練り上げてきたが、練り上げるのと固めるのでは異なってくる。


(まるで水を掴んで固めるようなものだ。霧散して大気中のエネルギーに溶けてしまい、球体どころか物体として成立させられない)


 氣は体外に放出されると流体に近い性質に変質してしまい、大気中のエネルギーに混ざってしまう。

 水の中に水を入れ、固めるようなものだ。水を固めるには、或いは水を逃さない為にはどうするべきか。そんなの簡単な話で、器を用意してしまえばいい。

 器と表現したが、厳密には膜みたいなものだ。氣が有する変幻自在の特徴を殺さず、内包された氣に合わせて変質する膜で覆う。


(薄い膜を焦らず、ゆっくりと、丁寧に作り、破れないように優しく氣を注入―――)


 パンッと風船が割れたような音が鳴り、手の平の上で氣が爆ぜた。手を軽く弾く威力があり、微量の氣を込めただけなのに予想以上に作用が大きい。


「氣を注入するところまで良かったけど、欲張ったわね。外殻を作り、氣を注入し、外殻を補強しながら氣の注入量を調節する。ほら、もう一度」


「はい」


 華蓮の指摘通り、膜の強度に対して耐えられない量の氣を注入してしまったので破裂した。氣の注入に合わせて膜の強度を高め、氣の注入量も加減しないといけない。

 細心の注意を払いながら膜、外殻を仕上げる。時間を掛けて慎重に氣を送り、外殻の強度が不安定になってきたら補強を行う。

 工程を繰り返す度に氣の存在感が安定し、概念的な確立が完了。華蓮が生成した氣弾に比べると密度と強度は拙いものだが、どうにか安定させて維持できた。


「初めてにしては上出来よ。このままでは何も効果がないから、ただ氣を放出しただけに過ぎないけどね」


「なるほど、ここから先は何をしたらいいですか?」


「流派によっては武器を造形して戦ったり、気質を加えて仙術に昇華させたり、派生先は千差万別よ」


 華蓮の氣弾が湾曲した幅の広い刀身の刀剣を形成し、柄に金色の龍が彫られている。俗に青龍刀と呼ばれる中国刀剣の一種で、華蓮が青龍刀を振るうと鋭い風切り音が耳朶に響いた。

 華蓮がもう一つ氣弾を発生させ、煌々と輝く炎に昇華させる。どちらも仙術の一端でしかないが、一朝一夕で習得できる芸当ではない。


「氣弾がここまで変化するだなんて、想像できませんね。こうして維持するのでも精一杯なのに、基礎は大事ですね」


「門派によっては練気期と築期の期間を長く設け、基礎が重要視される。だから基礎を疎かにしないこと、いい?」


「肝に銘じます」


 仙術を行使する上で大前提となる知覚、練り上げ、放出。三点の内、一点でも疎かにすると機能しなくなる。忘れないように深く心に刻み、氣弾を氣に戻してから再度放出する。

 一度感覚さえ掴めば難しくないが、華蓮みたいに呼吸同然で行うにはどれだけの月日を費やすのか。生き急ぐ訳でもないので気長に続ければ、いずれ到達できるだろう。


「うん、その調子。ちなみに黎人はどのような仙術を優先的に習得したい?」


「そこら辺の加減を把握できてないので、いまいちこう……イメージが湧きませんね。武器の造形はできたらいいなと思ってますが、何を使ったものかと悩みます」


 華蓮よろしく人の理から逸脱し、夢物語とされる事象を現実とする猛者が存在しようとも、必ず不可侵領域がある。不可侵領域に踏み込もうものなら、管理者イアといった高位次元の存在を敵に回す。

 分を弁えた上で何処を目指すのかと問われても、目標が定まらない。冒険者として活動する分には困らない実力さえあれば満足だが、華蓮は俺に仙人を志して欲しいのが本心だろう。なので誤魔化し、武器の造形に興味を示しておいた。


「男の子なら剣や刀が定番だけど、選択肢が多いから悩むわよね。なんなら己の肉体を武器と化すのもありなのよ?」


(男なら黙ってステゴロ、肉体こそ武器だという思考もわからなくはない。しかし、俺はどうだろう……)


 華蓮が拳を素振りするが、あまりにも速すぎて構えと突き出した直後しか捉えられない。

 生成した氣弾を見つめ、少しばかり思考に耽る。氣の扱い方によっては肉体を強化し、近接格闘に特化した戦い方も可能だろうが、微妙に噛み合わない気がする。


「一応、得物を選ぶいい案があるわ。荒っぽいやり方だから、あまりオススメはしないけど」


「荒っぽいやり方で得物を選べるものですかね?」


「実物を握って試すよりも効果的な方法があるのよ。黎人が望むのなら付き合うけど、どうする?」


「華蓮さんの案でお願いします。このまま思い悩んでいても、最適解を導き出せそうにないので」


「そう、わかったわ」


 理想の得物を選ぶ方法があるらしく、華蓮の提案ならばと承諾した。

 華蓮が片足を引いて半身となり、臨戦態勢に入る。まさかと思い、方法について確認する。


「華蓮さん、荒っぽいやり方と言いましたが……まさか」


「実戦を通じて己の得物を見出し、闘争心を具現化する。さぁ、始めましょう。手加減するから安心しなさい」


「そんないきなり―――ッ! うごぉ!?」


 いきなり言われても困ると言い終える前に、華蓮が前傾姿勢となり拳を振りかぶってきた。どうにか先制攻撃を躱すが、続けざまに繰り出された回し蹴りが脇腹に直撃し、地面を転がる。

 精霊術師の暴行と比べれば幾分かマシだが、それでも痛いものは痛い。立ち上がれずに這い蹲っていると、華蓮が前に立った。


「立ちなさい、黎人。持てる力を出し切り、私に一発でも入れてみなさい」


「―――わかりましたよ!」


 地を強く蹴り、華蓮に殴り掛かるが易々と受け流され、胸部を掴まれて投げられた。空中で身体を回転させて華蓮に向き直るが、既に飛び膝蹴りが目前まで迫っていた。


(華蓮さんみたいに上手く相手の攻撃を捌く技術がないと、回避だけでは体力を大きく消耗する。こうか?)


「攻撃を受けるのではなく流す、相手の氣を読めると簡単にできるわよ」


「それは楽しみ、ですね!」


 側面から膝を押し出して軌道を逸らし、膝蹴りを捌くのに成功。けれども隣接した華蓮は乱打を行い、両腕を交差させて防御に徹した。

 全神経と意識を集中させ、現段階の動体視力と反射神経でどうにか反応できるレベル。華蓮がいい塩梅で加減してくれているお陰だが、僅かでも気を抜くと痛い目に遭う。

 反撃のタイミングすら掴めずに防戦一方、守りを捨てて殴り掛かってもカウンターを貰うのがオチだ。


(意図的に窮地に追い込み、無意識の領域で真に必要とする得物を選ばせるのが狙いなのだろう。氣弾から武器を造形……そもそも華蓮さんの攻撃を捌きながら、やれるのか?)


「余所見は感心しないわね、隙だらけよ」


「―――ぅぶッ!」


 華蓮の拳打を右頬で受け、口内が切れて鉄錆の味がした。

 痛みと血の味が好きな人は一部の例外を除き、ほとんどの人が嫌いだろう。命を奪われる危険こそ無いが、痛みと血の味から遠ざかるには四の五の言わずに武器の造形をやるしかない。


「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ―――」


 呼吸で気持ちを切り替え、華蓮を敵と認識して睥睨する。俺がやっとやる気になったのを感じた華蓮も雰囲気を一変させ、互いに間合いを取った。

 本当は人間同士の争いや喧嘩、暴力なんて嫌いだ。主義思想を押し通す為の原始的な解決方法でしかなく、自ら喜んで争いや喧嘩に加担し、暴力を振るう輩はのだ。

 そんな輩と同列に扱われたくない、同程度だと一括りにされたくない。その主張を貫くにはやはり、何者も寄せ付けない力を身に付けるべきだ。

 華蓮が再度、間合いを詰めて拳撃を浴びせてきた。一撃一撃を視界に収め、適切に対処する。受け流し、逸らし、回避し、防ぎ、受け止め、素人なので完全に威力を殺し切れずとも、ダメージを軽減させる。


(意識を、思考を分割しろ。瞬時に氣弾を生成できないとなると、少しずつ固めるしかない。丹田の近くでやれば多少はマシか)


 膨大な量の情報処理に追われる脳が熱を発するが、構わずに丹田から臍を通じて氣を放出し、氣弾の生成を始める。


「なるほど、臍から氣を放出するとは考えたわね。だけどそう上手くいくかしら?」


「これは……」


 俺の意思に反して臍から多量の氣が漏れ、制御を受け付けない。見兼ねた華蓮が栓を閉じるが如く人差し指を臍に突き立て、氣の漏出が収まった。


「ありがとうございます、助かりました。臍から氣を放出するのは失敗でした」


「臍のゴマを取ると気が抜けると聞いたことがない? 手足の末端部分と比べて制御が難しく、まだ黎人には早いのよ。目の付け所は良かったのだけどね」


「臍のゴマを取ると気が抜けるなんて、初耳です。臍での氣の放出は忘れておきます、よ!」


「おっとっと、危ない危ない」


(気が緩んだかと思ったが、やはり当たらないか)


 会話の最中であろうと警戒を怠らず、拳が華蓮に触れることはなかった。

 それから数え切れない程の殴打技と蹴り技を受け、幾度となく天と地がひっくり返り、全身のあちこちが鈍く痛む。俺の攻撃は掠りすらせず、無様に空を切るのみだった。

 地べたに仰向けで倒れ、天上をぼんやりと見つめる。精霊の森は物質界と精霊界の狭間にあるので頭上に広がるそれは空ではなく、グニャグニャと七色に変化する奇妙な天上だ。

 視界の端から華蓮が顔を出し、我に返って起き上がった。


「半日続けたけども、まだ視えていないみたいね。今日はこれで終わりにして、ゆっくりと休みなさい。先に帰るわ」


「はい、ありがとうございました」


 頭を下げると華蓮がひらひらと片手を振り、一足先に家に帰った。

 約十二時間も肉体と精神を酷使していたと自覚すると、疲労が一気に押し寄せてきた。立っていられずに座り込み、大きく息を吐く。


(氣の放出は慣れてきたが、武器を造形できていない。俺の求める武器か……)


 手の平から氣弾を発生させ、周囲を漂わせる。意識外での確立はまだできないが、こうして氣弾を生成する速度は飛躍的に上昇した。

 華蓮の苛烈な攻撃を捌き、防ぎ、回避し、その最中に氣弾を形成していたのだ。効率化、肉体と意識への刷り込みは通常よりも早く行われ、戦いの中で成長するというのはこういう事であろう。

 成長は氣の扱いだけでなく、もう一つあった。


(あれ、氣の巡りが良くなってる。お陰で身体の痛みと疲労も抜けてきてるし、華蓮さんが何かしたのか?)


 まだ本調子ではないが、体内の氣の巡りが良くなり、回復速度も上がっていた。華蓮に殴られ、蹴られた箇所が中心になっており、氣を練り上げる量まで増えている。


(華蓮さんには頭が上がらないな、まったく)


 頭を掻きながら、氣弾の自主練習を始める。複数個の同時生成、複数個の同時制御といった技術の習得に励んだ。

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