第29話 レナのトイレ

 すやすやと眠る三人を尻目に、壁を見ながらこれまでの三人の戦闘を思い返していると、突然レナがむくりと起き上がった。


 目をこすりながらこっちを見るが、焦点が合っていない。俺を見ているようで見ていなかった。


 寝袋をい出したレナは、ふらふらとした足取りで歩き出した。


 こちらに向かってくると思いきや、途中で進路を変える。


 って、おい、待て。


 レナが向かっていたのは、部屋の出口だった。


「どこ行くんだ」


 腕をつかんで引き留める。


「んー、トイレぇ~」


 寝ぼけた声でレナが言う。


「装備も無しで一人で行くな。ティアとシェスを起こして三人で行け」

「えー、だって二人とも寝てるしぃ~」

「モンスターが出たらどうするんだよ」

「じゃああんたが着いてきてよぉ、この辺なららくしょーなんでしょぉ~」


 俺はぐっすり寝ている二人とレナを交互に見た。


 確かに起こすのは忍びない。明日はボス戦だ。睡眠はしっかりとった方がいい。


「あー、もー、仕方ねえなぁ」


 がしがしと頭の後ろをかきながら、俺は剣を取りに壁際に戻った。第九階層だし、上着はいらないだろう。


 おっとアレもいるな。


 その間に、レナがぺたぺたと裸足はだしで通路に出てしまう。


「だから一人で行くなって」

「トイレ~、早く~」


 裸足でも怪我はするまい、と靴を履かせるのは面倒でやめた。


 一向に覚醒しないレナを行き止まりの部屋まで連れていき、革袋と布の切れ端を渡して通路に出た。


 できるだけ離れた方がよかろうと、部屋の入り口ではなく、分かれ道まで戻って、モンスターがこないかを見張る。


 泊まりがけで何日もダンジョンに潜る以上、用を足す機会はそれなりにある。


 その時は、こうやって見張りを立て、交互にすることになる。俺たち四人もこれまでそうしてきた。


 ベテランになると、人前で用を足すのも着替えも体を拭くのも全く気にしないという冒険者は多くなってくるが、初心者ブラック初級者ブロンズだと、離れて用を足すのでさえ恥ずかしがって我慢することもある。


 で、我慢したあげくに、敵がわんさかいる時に限って行きたくなりどうしようもなくなるのだ。


 三人にはこの辺のやり方は教えていないが、さすがに生理現象ともなれば学園でも習うようで、当然のように振る舞っていた。


 こういうのは、恥ずかしがるから恥ずかしいのだ。生理現象だからと堂々としていればいい。


 と、後ろからレナの気配がした。


 用件は終わったらしく、よたよたと歩いてくる。


 かと思うと、俺の側まできてぺたりと座り込んだ。


「もー歩けない~」

「んな訳あるか」


 さっきまで元気に歩き回ってただろうが。


「だっこ~」


 レナが両腕を上げて甘い声を出す。


「断る。早く立て」

「やだー、だっこー」


 手首をつかんで引っ張ったが、レナは動こうとしなかった。


 面倒くせぇぇ。


 ていうか何だよこのキャラは。いつもの強気なレナはどこいった。


「立たないなら置いてくぞ」


 手を離すと、レナはがくんと首を落とした。すぅすぅと呼吸音がする。


 こんな所で寝るなぁ! 


 第九階層だぞ!? わかってんのか? いやわかってないからこうなってるんだよな。


 まさか今まで毎晩出歩いてたんじゃないだろうな? いやさすがにそれは俺も気づくか。


 ……マジどうすんだよこれ。


「おい、起きろ。おーきーろー。起きろって」

「んー……」


 肩をつかんで揺するが、手で振り払ってくるくらいで全く起きる気配がない。


 こいつこんな寝起き弱かったか?


 思い返してみるも、いつも俺はトレーニングに行っていて、起きるところは見たことがないのだった。


 毎朝この調子だったのなら、シェスとティアの苦労がしのばれる。


 殴れば起きるだろう、と思うも、手を上げるのは躊躇ためらわれた。


 あああああっ!


 俺は両手で頭をかきむしった。


「くっそ、なんで俺がこんな……」


 仕方なくレナのひざ裏に手を差し入れて持ち上げ、横抱きにした。


 レナが首に抱きついてきた。


 やめろ。


 ぐったり脱力されるよりもずっと運びやすいが、それ以上にこの体勢はよくない。


 ダンジョンに潜って数日たっているというのに妙にいい匂いがするし、昼間はよろいに隠れている柔らかい物が当たったりしている。


 勘弁してくれよ……。


 途中でモンスターが出たら放り投げてやる、と思うも、モンスターはやってこなかった。


 部屋に戻ったら戻ったで、寝袋に降ろしたレナがなかなか首から手を離してくれず、両脇で寝ている二人を起こさないように静かに引きがすのに苦労した。


 どっと疲れた。




 次の日、トレーニングを終えて部屋に戻ってみれば、レナはケロッとした顔をしていた。


「なんかあんた、疲れてない? 何もしてないくせに」

「お前……」

「クロトさん、疲れているのですか? 大丈夫でしょうか」

「……心配」


 どうやらレナは昨夜のことを覚えていないようだった。


 わざわざ言うのも面倒で、俺は黙っていることにした。


 あれは夢だ。そうに違いない。そういうことにしよう。

 

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