第31話 心象世界(沙条真琴) 第三幕

 記憶の流入が途切れると、私達は地下ではなく小綺麗な病室の中にいた。記憶の中で見た、沙条さんの病室だ。小型テレビの脇においたゲーム機くらいしか特筆すべき点のない、ありふれた白色の無機質な部屋。ベッドにはパジャマ姿の沙条さんが下半身を埋めていて、それを取り囲うような形で私とカナと瑞稀が並んでいる。


「惚気だ……」と私は呟く。「惚気だね……」とカナが同意する。


「う、うっさいわ⁉ あんたらだって、さっき散々惚気けとったやろ、ボケ!」


 両頬を赤く紅潮させた沙条さんが、憤然と捲し立ててくる。瑞稀の方はというと、若干気まずそうな面持ちで目線を脇へと逸らしながら、「わ、私って、あんなふうに思われてんだ……。というか、そんな厨二病っぽい顔してたかな……」とかブツブツ言ってる。


 はぁ、とこれみよがしに嘆息しながら、沙条さんは高慢に両腕を組んだ。


「……認めるわ。確かに、うちは一つ嘘を吐いた。ずっと死んでるようなもんだったっていうんは、誇張やった。少なくとも瑞稀が病室に通うようになってからの一年間は、うちはほんまの意味で生きとったんやと思う。……他ならぬ、瑞稀のおかげでな」


 最後の台詞だけ、やけにもごもごとした声で言う沙条さん。瑞稀は気恥ずかしそうに頬を紅潮させながら、ん、とだけ答えている。


 やっぱり惚気じゃんか、と私とカナが呆れていると、沙条さんは急に引き締まった表情を浮かべだし、射抜くような視線を瑞稀へと向けた。それで室内の空気がガラリと変わった。


 瑞稀もいつの間にか冷然とした目つきで沙条さんのことを睨めつけていて、虚空で冷たい火花がバチバチと爆ぜている光景を幻視した。


「でもなぁ、確かにうちは嘘吐いたけど……なあ、瑞稀。あんたは、こんなもんとは比べ物にならんレベルの大嘘を、大裏切りを、うちに対してしとるよな?」


 圧のある声で詰問されて、今まで毅然としていた瑞稀が非常にばつの悪そうな顔になる。


「でもまあ、何の面白みもない病室で弾劾するのも無粋やな。場所を変えよ。目、閉じとき」


 パチン、と沙条さんが指を鳴らすと、目を潰すような真っ白い閃光が立ちどころに放たれる。


 私は思わず固く目を瞑った。軽い目眩を覚える。収まったところで瞼を開くと、その場所は。


「え? ほ、法廷?」先程まで身を置いていた病室は跡形もなく消え去って、代わりに現れたのはニュースでたまに目にするような裁判所そのものだった。


 中央の台の手前に瑞稀が立っていて、その奥の傍聴人席にカナが、そして向かって右手の机にスーツ姿になっている沙条さんが立っていた。長い栗色の髪の毛は後ろで束ねて、パリッとしたパンツスーツを着こなす今の彼女は、さながらやり手の若手女検事といったところだった。


「って、待って⁉ なんで私の服、変わってるんですか⁉」


 何気なく目線を下に向けたところ、私の服装が裁判官の着ている黒い法服に変わっていることに気づく。沙条さんに抗議の目線を向けると、垂れるおくれ毛を右手でバサリと払って。


「当たり前やろ、あんたが裁判官役なんやから。それ着とらんと締まらんやろ」


「えぇ……でもこれ、可愛くない……」


「って、待って。なんで澪が裁判官で私は傍聴人なわけ? 私、何もすることないじゃん」


 私ががっくりと肩を落としていると、カナが些か不満げに言ってくる。


 あれ。もしかしてカナ、やりたかったの? ううむ、この子の趣味もわからないなぁ……。


「なんでって、それは当然やろ。チンチクリンはどうせ瑞稀のやつに肩入れするんやから」


 チンチクリン呼ばわりされたことで、カナが「あぁ?」と露骨に威嚇し始める。まずい。このままでは神聖な法廷で乱闘騒ぎが始まってしまう。慌てた私は、手元にあった木槌をカンカンと叩いた。「えっと! 静粛に願います! 静粛に!」これでカナも冷静になったのか、険悪だったムードがひとまず収まる。でも、今ので皆の視線が一斉にこちらに向いた。


「え、待って。もしかしてこれ、私が仕切らなきゃいけない流れ? うわ面倒くさ。てか、そもそも何言えばいいんだろう。……まあ適当でいっか。取り敢えず瑞稀さん、さっさと白状して懺悔して沙条さんの赦しを請うちゃって下さい。どうせ瑞稀さんに非があるんですよね?」


「……澪ちゃんさぁ、やるならもうちょっと真剣にやりなよ」


 ……う、うるさいなぁ。しょうがないじゃん。私、法廷の見学とかしたことないんだし。


「なんやあんた、まともに裁判官役も努められへんの? 逆転する裁判のゲームとかやったことないんか? ――ま。そういうことなら、こっちで勝手に始めさせて貰う。これが証拠や」


 沙条さんにまで不本意そうな眼差しを向けられて、いやそれ不条理では? とつい眉をひそめる。でも目の前に再び記憶のカケラが降り始めたことで、気を取り直す。


 瑞稀の身体がビクッ、と怯えた子猫のように微かに震えたのが視界に入ったところで、私の意識は再度、流れ込んでくる他人の記憶に塗りつぶされた。

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