第26話 こつん、は恥ずかしいけど、嬉しいです。

 次の日の午後、私とカナは沙条さんとエアさんを憑依させた手鏡とともに、昨日と同じ廃工場へと向かった。そこが、瑞稀さんとの約束の場所だった。


 私とカナはいつもどおり例のバイクに二人乗りをしたのだけれど、「……わっ⁉」「ちょ、大丈夫? ……ちゃんと掴まっててよ」「あ……ご、ごめん」昨日の一件を引きずっていたこともあり、いまいちカナに抱きつくのを躊躇してしまう自分がいた。その上、移動中は暇なので、どうしてもカナとのことを考え続けてしまうのであって。瑞稀のためだからここまで必死になるんだろうな、とか、瑞稀とカナが仲直りしたら私って要らない子になるのかな、とか。それはまあ、ネガティブなことを色々と。


 こんなことで思い悩むくらいなら、瑞稀と沙条さんが関係を修復できるように頭を巡らせるべきなのに。私ってば、相変わらず自分のことばかりだ。……って、またネガティブ。本当にどうしようもないな。漏れ出そうになる憂鬱なため息はどうにか堪えて、左手に望む東京湾や立ち並ぶ工場群をじっと見つめつつ、目的地に辿り着くのを今か今かと待ちわびた。


「なあ。あんたら、まだ痴話喧嘩しとるん?」


 ポシェットの中からぎりぎり私にだけ聞こえるくらいの声量で、沙条さんが話しかけてきた。私はギクリとしつつも、「まあ」と曖昧な物言いで返事する。


「なんやそれ、しょーもないなぁ。とっととお互いに謝罪すればええやんか」


「いや、それができたら苦労はしませんって……」


 私は嘆息混じりに言う。そもそも、謝るって言っても何に? 昨日は突然、気持ち悪いメンヘラ発言してしまってごめんなさい、とでも言えばいいのだろうか。いや、言えるか。


「というか、言っちゃなんですけど、痴話喧嘩はお互い様じゃないですか。そっちだって、瑞稀さんとの仲、こじらせちゃってるくせに」


 私が不服気な声で呟くと、「ド阿呆」という罵倒の言葉が立ちどころに飛んできた。


「うちらとあんたらじゃ、背負っとるものが違うやろが。うちらのは、命やら霊魂やらいう面倒なもんが絡んでしもてるけど、あんたらのは単なるすれ違いやろ。深刻さの度合いが違うわ」


「それは、そうかもしれませんけど……」私は上手い反論の言葉が思いつかなくて口ごもる。


 すれ違い、か。でもこれは、すれ違いっていうか、単に私が一方的に空回りしてるだけな気が。結局は、私がカナとの仲を変に重く考えすぎてしまっていたのが問題なわけだし。


 私の一番はカナなのに、カナの一番は私じゃない。そのアンバランスさを、未熟で幼稚な私が認められてないだけだ。早い話が子供の駄々に過ぎないわけで。


 私達が廃工場に到着したときには、正門前には既に昨日と同じ車種のレンタカーが止められていた。瑞稀はもう来ているらしい。カナはバイクから霊槍を取り出すと、「行こうか」と目も合わせずに言って歩き出す。その程度のちょっとした冷淡さに一々、心中をざわつかせてしまっている私がいた。特に深い意味はないのか、それとも、私へ向けた何らかの抗議の意思が込められているのか。それが判然としなくって。わからないから、怖くって。


「……ねえ、澪。ちょっといい?」


 工場の裏手に回る途中で、カナが唐突に足を止めた。くるりと踵を返すと、どこか真剣味のある眼差しで私のことをじっと見つめてくる。私は矢庭に緊張に駆られる。「なに?」というなんてことのない相槌でさえ、やけに強張ってしまって仕方がなかった。


「その……昨日は、ごめんね。謝る。澪のこと、傷つけちゃったし」


「あ、ううん。カナが謝ることない。だって、私が一人で取り乱しちゃっただけだし……」


「あのさ。これは本音だから、よく聞いて欲しいんだけど……」


 カナが照れくさそうに視線を脇へ逸らした。その反応を見て、もしかして、と期待してしまう自分がいる。流れ的に、仲直りの言葉的なものを吐いてくれるのかな、と。けどその一方で、なわけないよ、期待しても裏切られるだけだって、と後ろ向きに考えてしまう自分もいて。そして私は決して前向きな人間ではないので、どうしても後者の予感の方が勝ってしまう。カナは未だに言いづらそうにするのみで、周囲には間の抜けた蝉の鳴き声が充満するばかりだった。


 ……ああもう。なんでもいいから、早くしてよ。思わず、カナに対する悪態が胸中でこぼれ出る。今の私には、以前のように自然体でカナと向かい合うことができない。こんなふうに面と向かい合われたって、心の中に荒波が立って、不安になってしまうだけなのに――


「澪っ!」「え、ちょ……⁉」唐突に、カナの手で両頬を包まれた。触れられた指先の滑らかさ、たおやかさに私がドキドキしていると、「た、高い……! 屈んで! もうちょい屈んで!」やけに必死の表情で言ってくるので、私は呆気に取られながらも言われたとおりに身を屈める。


 いつもは上から見下ろしているカナの顔面が、今は同じ高さにある。見慣れた角度のそれとはまた違った趣があり、絶賛仲違い中とは言え、カナの容貌の並み外れた美しさに私は見惚れる。うぅ、やっぱり可愛いなぁ……、とか呑気に思いながらカナの顔面に見入っていると、カナは見る見るうちにほっぺたを赤く染めていく。麗しくも愛らしい碧眼は、臨戦態勢のときみたいにカッと見開かれている。明らかに尋常じゃない様子だった。私が不審に思っていると、「その……」とカナはようやく口を開いた。やけに強張った声だった。


「私ってこういうこと言うの苦手だから、よく聞いてよ……!」


 カナは宣戦布告するみたいな剣幕で口走ると、コツン、と私の額に自分のおでこをくっつけてきた。それで私は、「う、うぇ⁉」と思わず間抜けな声を出す。


「ちょ、ちょっとカナ……⁉ 急に、どうしちゃったわけ……⁉」


 強烈な日差しで頭頂部が相当な熱を持っているところに、いきなりこっ恥ずかしい行為をされたこともあり、私は完全に混乱のるつぼに叩き込まれた。そもそも、今目の前にいるカナは暑さでバグった私の脳みそが見せた幻覚なんじゃないか、とまで考え出してしまう始末だった。


「その……わ、私が澪のこと、大切に思ってないとか、そんなことは絶対ないから! 澪が私のこと、友達だって思ってるのは嬉しいし、私も澪のこと、……ちゃんと、大事な友だちだって思ってるの。澪がいてくれて、良かったって感じてるから」


「……え? え⁉ ちょっ、突然、なんでそんなこと……⁉ というか、ストレートにそんなこと言われたら、は、恥ずかしいんだけど……!」


 突然のおでこコツンに加えて、告白みたいにこっ恥ずかしい単語を並べ立てられたものだから、嬉しいやら気恥ずかしいやらで頭がゴッチャゴチャになる。でもやっぱり、一番大きかったのは、心が奥底からプルプル震えて小躍りでもしたくなっちゃうほどの、歓喜の念だった。もっと。もっと言って欲しい。あまりの照れくささにカナと同じく両頬を激しく紅潮させながらも、ついつい物欲しげな、期待を込めた眼差しを浴びせてしまう。


 ああもう。私ってば、すっごい欲張り。でも、しょうがないじゃん。誰かにこんなこと言ってもらえた経験なんて、これが初めてなんだから。興奮するなっていう方が難しい。さっきから心臓はバクンバクンと暴れっぱなしで、口元は傍から見たらドン引きしちゃうくらい、ゆるゆるになっているのが自分でもわかった。


「それはこっちの台詞だよ! 本当、さっきから口がむず痒くてしょうがないったら……! でも澪は、このくらいやんなきゃわかってくれないでしょ⁉ 澪はネガティブだから、すぐ悪い方向に考えちゃうし。やり方、このくらいしか思いつかなかったんだよ……!」


 ……う。そ、それは確かにそうかも。我ながら大変厄介な性格をしていることを申し訳なく思う。でもその一方で、面倒くさい性格をしているおかげで、カナからこんなに甘々な言葉を投げかけてもらえるのなら、それもそれで悪くはないな、なんてふうにも思ってしまって。


 ここまでやられれば、流石の私も自分なんて所詮道具だ、とか卑屈になる気も起こらなかった。カナもちゃんと、私のことを大切に思ってくれているんだ。自分が親愛の情を向ける相手が、自分にも愛情を注いでくれる。たったそれだけのことで、人はここまで救われた心地になれるのか。


 カナが、あー恥ずかしかった、とぼやきつつ、突き合わせていた額を離して頬に添えられていた手のひらもそっと外した。カナから貰った体温が、夏の蒸し暑い外気で塗り替えられていくのが、心の底から口惜しかった。


 カナは仕切り直すように咳払いをすると、些か改まった面持ちで新たに話を切り出す。


「あのさ。私、もうこれ以上、澪に誤解されたくないから、都合のいい部分以外も正直に言うね。……実を言うと私、出会ったばかりの頃は澪のこと、単なる道具としか見てなかった」


 出会ったばかりの頃は、という条件付きであろうとも、道具扱いされていたという事実は私の心臓をグサリと抉ってきた。先程まで有頂天になっていたテンションが、少しずつ平時のそれへと降下していく。


「あのときの私は、とにかく瑞稀さんの手がかりを探すのに必死でさ。他の人のことなんて眼中にもないくらいで。……今考えてみたら、本当に最低だったと思う。謝って済むようなことじゃないと思うけど、それでも言わせて。ごめんなさい」


「……うん。ちょっと複雑な心持ちはするけど……まあいいよ。もう、謝らなくて。でも一つ訊いていい? いつから私のこと、道具扱いしなくなったの?」


 う、と言葉を詰まらせるカナ。あまり触れてほしくない部分だったのだろうか。


「そ、それ訊いちゃう? ……まあ、この際だし洗いざらい告白しておいたほうがいいのかな。あのときだよ、恵美さんの霊魂回収が終わった後。私が、ちょっと感極まっちゃってたとき」


「あ、なるほど」得心がいき、ぽん、と手を打つ。考えてみれば、呼び方が澪になったのもあのときだっけ。聞くまでもないことだったかも。


「その……私さ。真澄さんが私達に感謝してくれたことを嬉しく思うのと同時に、心のどこかで引け目みたいなの感じてたから。自分はただ、瑞稀さんの猿真似をしてるだけなのに、って。でも澪は、そんな私の借り物の思いのことを、憧れるって言ってくれて。それに、凄く救われた心地になって。あのときから、澪は私にとっての唯一無二なんだよ。瑞稀さんと同じでね」


「……そっか」私が微笑みながら相槌を打つと、カナは満足げな面持ちでうん、と返す。


 瑞稀と同じで唯一無二、か。あの人と並べられたことに、複雑な心持ちがしなくもなかった。だって私は瑞稀のこと気に入らないし、どうせなら私だけを、と欲張りたくなってしまう気持ちは確かにあって。でも、こういう独占欲じみた我儘には蓋をするべきなのだろう。私はカナにとって大切な友達で、唯一無二。今は、それだけで充分だ。


 私とカナはしばらくの間、なんとはなしに見つめ合ったままでいた。でもいつの間にかどちらからともなく吹き出して、面白いことなんてなにもないのに笑いあってしまう自分がいて。


「……な、なんやあんたら⁉ こいつらしょーもない喧嘩しとるなって思っとったら、急にイチャイチャベタベタしだすとか⁉ うちに対する当てつけか⁉」


 一部始終を覗き見ていた外野から、冷やかしの声が上がった。完全に二人の世界に浸っていたところだったので矢庭に恥ずかしい思いに駆られながらも、ちょっとだけ優越感を覚えた。


「お、おぉ……! 百合だ百合だ! しかも濃い! 結構濃い百合! うっはぁ、尊い……!」


 と、今度はエアさんがやけに早口になりながら歓喜し始める。


「あ、そういえばエアさんって、そういう人でしたね……。すっかり忘れてた……」


「む、それは心外だな。言ったでしょ? 私は百合が見たくてこの世に這いつくばってるんだって。……本当。良かったね、澪。その魔眼のおかげでカナと出会えて。見応えがあったよ」


「え? あ、はい、どうも……」


「――ほら澪。瑞稀さんはもう来てるんだし、早く行こう? これ以上待たせるのは心苦しい」


 数歩先のカナに急かされて、ごめん、と足早にカナの隣まで移動する。さて、色々あったけど本題はここからだ。私達の目的は、瑞稀と沙条さんとのすれ違いの解消。それも、ちょうど今、私とカナがやってのけたみたいな。自分たちが上手く仲直りできたこともあり、この二人に関しても首尾よくことが運んでくれるのではないか、と。珍しく、そんな前向きな予感を抱いてしまう自分がいた。勿論、沙条さんは生身の人間ではなく霊魂だから、二人は遠からず離別する運命にある。けど、それにしたって別れ方というものがあるはずだ。互いにすれ違ったまま終りを迎えるのは、カナが言っていたとおり、哀しいことだと思うから。

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