第21話 この女、気に食わない。心底。

 店を出てからは、私は並んで歩くカナと瑞稀の数歩後ろを俯きがちに歩いていた。紙袋は瑞稀が持つと言ってきたので、預けてある。というか、半ば強引に取られた。


「え、なに? カナ、あのバイクで公道走ってるわけ? 相当扱いづらいでしょ、あれ」


「そうだけど、練習したの。今はもう何の危なげもなく運転できるから、心配いらないよ」


「そっか。カナにはバイクの才能があるんだ。となると以前とは反対に、私のほうがカナの後ろに乗ることにこともあるかも知れないね」


 親しげに会話しながら歩く二人は、並び立つ瑞稀が中性的でどこか美青年じみた外見をしていることもあって、それこそ容姿端麗なお姫様と、それを守護する冷艶清美な騎士のように思えた。ムカつくけど、ひどく様になっている。私みたいな田舎女と横並びになっているときよりも、よっぽど。所詮、馬子はどれだけ着飾っても馬子でしかないということだろう。


 ショッピングモールの駐車場へと移動したところで、カナは私と瑞稀から離れてバイク置き場の方に向かった。カナは行きと同様バイクだけれど、私は瑞稀の運転する車の助手席に乗ることになってしまった。フルフェイスのヘルメットを被った状態でバイクの後ろに座るよりかは、車の助手席に乗ったほうが視界は開けてナビはしやすくなる。そのことを鑑みれば当然の処置なのだけど、瑞稀と二人きりで車内に閉じ込められるのは正直言って嫌だった。


 瑞稀が乗ってきた自動車は、この世に二つとない特注品であろうカナのバイクとは異なって、街中でよく見かける某有名ハイブリッドカーだった。しかもレンタカー。てっきり、バリバリチューニングされたスポーツカーでも乗り回しているのかと思っていたので拍子抜けだった。


 瑞稀が車で前を走って後ろからカナがバイクで追走する形で、私達は都内の帝付病院へと向かう。チャラチャラした雰囲気の瑞稀のことだし、どうせ愉快でもない雑談につきあわされるのだろうと暗澹とした気分でいたのだけれど、意外にも運転中は静かだった。盗み見た横顔からはカナの前で見せていたような快活さは消え失せて、むしろ底しれぬ疲労を思わせるような陰気な顔つきをしていた。もしかすると、意外と素は暗い性格なのかも知れない。


「……あの。瑞稀さんとカナって、一体どういう関係なんですか?」


 沈黙に耐えかねたわけではないけれど、どうせなら訊きたくて訊きたくて仕方なかったことを質問してみることにした。瑞稀はこちらに一瞥をくれることもなく、真正面を見据えたままうん、と気のない相槌を打つ。


「端的に答えると、あの子とは一緒に住んでた」


 色も温度も感じさせない声で、淡々と口にする瑞稀。平然と突きつけられたその事実は私の想定を悪い方面に上回ってくるもので、グサリ、と心臓を貫かれた心持ちがした。


「ああ、でも心配はしなくていいよ。今の君たちみたいな仲睦まじいシェアハウスだとか、そういうわけじゃないから。単純に、あの子の家に付属する、いや、あの子の家が付属した研究所の寮に寝泊まりしてたってだけの話。寝食も入浴も共にしてない。気にすることはないよ」


「え? 研究所? カナの、家がですか? ……っ、待って。それってどういう――」


「あの子から訊いてないの? なら、私の口からは言えないよ。本人に直接訊ねるんだね」


 思わず身を乗り出しながら詰問するも、瑞稀はそれに取り合うことなくあっさりと受け流した。そのぞんざいな扱いに、私は決して小さくはない憤りを覚えて押し黙る。


 ああ、でも。今の冷淡な発言で頭が冷えてくれたのか、私は今になってようやく、ある一つの可能性に思い至った。確かに、そういうことなら今までの全ての不自然な事柄に説明がつく。つく、のだけれど……。チクリ、と心臓を刺激してくる、鋭い痛みが走った。


 そんなに大切なこと、カナはずっと黙ってたんだ。ふぅん。私って、信用されてないんだな。


 唇に冷ややかな自嘲の笑みが浮かびだす。私はカナに自分のことを話したけれど、カナが私に自分のことを喋ってくれたことなんて一度もない。カナはいつもいつも私に隠し事をするばかりで、私なんて所詮、カナからしてみたら都合のいい道具でしかなかったんだろう。


 あーあ。そんなこと、もっと早くに気づくべきだったのに。本当に馬鹿だな、私って。


 サイドミラーに目線を向けて、後方を走るカナのことを見やる。遮光素材のヘルメットに遮られて、小柄な体躯でゲテモノ二輪を駆っている少女の顔を覗き見ることは叶わなかった。


 車内に再び静寂が訪れる。ハイブリッド車は、幹線道路を危なげのない安全運転で駆けて行く。車窓からは陽光を受けて煌めく夏の東京湾が見え、私はそれを冷めた瞳で漫然と眺めた。


「一つ訊いてもいい? 澪ちゃんはさ、どうしてあの子の霊魂回収に付き合ってるの?」


 赤信号に掴まったタイミングで、矢庭に瑞稀が話しかけてきた。さり気なくではあるけれど、今度は顔もこちらに向けられている。私は多少戸惑いながらも、「買収されたので」と端的かつ明瞭な解答を口にした。


「へぇ、買収ねぇ。いくら貰ったの?」「百万です」「は? マジで言ってる?」運転中にもかかわらず、勢いよく顔をこちらに向ける瑞稀。今までで一番感情の籠もった声だった。


「マジです。私の制服のポケットにススス、って滑り込ませてきました。しかも現金で」


「うっわ、それは気の毒に。……まったく、何考えてるんだか。彼女、見た目は淑女だけど気は相当強いからね。私なんかを追いかけて家出したっていうし。本当、何考えてるんだか」


 瑞稀が自嘲気味に口の端を釣り上げながら肩を竦める。全くですね、と私も相槌を打つ。


「凄いよね、カナ。なんであんなに猪突猛進っていうか、真っ直ぐに我を貫こうと思えるのかねぇ。やっぱり若いからかな。純情すぎて眩しいよ」


「別に若さは関係ないと思いますけど。私はカナと同い年だけど、そこまでの気骨ないですし」


「だろうね。なんか澪って、私と同類の匂いがするし」


「は? やめてくださいよ、冗談でもそういうこと言うの。癇に障ります」


「図星だから苛つくんだろ? 同族嫌悪ってやつだよ」


 私は思わず瑞稀のことを睨みつけた。それと同時に、いつの間にやら自然と憎まれ口を叩きあっていることに気づく。でもそれは互いの距離が縮まっただとか、そういう前向きな何かがあるわけではないことは明白だ。単純にカナがいないから猫を被らずに済むようになった、というだけのこと。私も、瑞稀も、お互いに。


 瑞稀はふぅ、と憂鬱気味にため息を吐いてから、再び口を開いた。


「私も澪も、カナとは違う。彼女は特別なタイプの人種だよ。自らの掲げた理想のためにひたすら邁進できるような、強い人間。一方、私達は単なる凡夫だ。理想に殉じることも、かといって理想を切り捨てることもできない、中途半端でどうしようもない俗人のうちの一人さ」


「無限の可能性に満ちた若人を前にして、よくもそこまでひねくれた口が利けますね」


「はっ、無限? なにその詭弁。しょーもねー。心にも思ってないことをよく口にできるね」


 心底愉快だ、と言わんばかりに乾いた笑い声をエアコンの効いた車内に響かせる瑞稀。私の中の、こんな大人にはなりたくねーランキング堂々の第一位だった。クソうぜぇ。


 瑞稀はひとしきり悪役みたいな嫌らしい笑いをこぼした後、唐突に、どこか呆けてさえ思えるような、それこそ魂が遊離して別の時空へと飛び去ってしまったかのような顔つきになる。ミラー越しに垣間見た赤い瞳は、どこか遠くの景色に焦点を合わせるみたいに細められていた。


「……ねえ、澪ちゃん。ちょっとだけ、昔話をしてみてもいいかな?」


「昔話? ……瑞稀さんの?」


 うん、と小さく首を縦に振る瑞稀。その仕草にはどこか稚気があり、一瞬、瑞稀が同年代の少女であるかのような錯覚をした。


「聞き流してもいいなら、どうぞ好きにしてください。相槌とかは打ちませんからね」


 瑞稀は微かに口元を緩めると、それから、まるで自分ではない他の誰かの生い立ちを語るみたいに、そうでもしないととても口になんてできないとでも言うかのように、やけに落ち着いた口調で昔話とやらを物語り始めた。


「これは、私が高校一年のとき、つまりは今の澪ちゃんと同じ年齢だったときのことなんだけどさ。私のクラスに一人だけ、入学はしたのに一度も学校に来ていない女子生徒がいたんだよね。名簿には存在してたから入学式の後には、あれ一人足りないな、とは思ったんだけど、その子の席は最初から教室に用意されていなかったから、数日も経てば頭から抜け落ちた。そもそも私は、他人にさして興味のあるタイプでもなかったしね。多分、澪と同じで」


 ミラー越しに瑞稀と目が合う。私は宣言通り、先を促すことも相槌を打つこともなしに、ぼんやりと外を眺めているフリをした。


「でも入学から一ヶ月くらいが経ったある日、担任から職員室に呼び出されてさ。何事かと思ったら、その子が一週間後に手術するからクラスを代表して見舞いに行ってくれないか、って頼み込んできて。私は別に、クラス委員みたいな役職についていたわけでも、クラスで中心的な立ち位置にいたわけでもない。けど、それが逆にいけなかった。部活にも入らず放課後も暇そうで、なおかつ頼まれごとを断れなさそうな性格だったから、まんまと押し付けられたんだ。……本当、人の誠実さをいいように使いやがって。ふざけんなって感じだよな」


 不服気な物言いこそしているものの、その言い方はどこか穏やかで、清々しかった。ちらりと瑞稀の表情を窺うと、その口元が微かに釣り上がっているのがわかった。


「その上さ、その子は心臓病だったんだけど、幼い頃からの慢性的なものらしくてね。手術しても再発することは目に見えてたし、しかも、確率は低いとはいえ急死する可能性もあるっていうんだ。それで、小学二年のときからずっと入院してるって。それを聞いたときには、勘弁してくれって思ったよ。だってさ、そんな重苦しい病気抱えて生きてる人間に、入院すらしたことない健康体の私がどんな顔すればいいんだって話じゃん。しかも初対面。とにかく、気が重くて重くて仕方がなかった。でも今更、やっぱり断ります、なんて言えるわけないだろ? 結局、私は引き受けざるを得なかった。正直言って、心底嫌だったよ。――でもさ」


 最後の接続詞の部分だけ、今までと声質がガラリと変わった。大冒険の末にようやく宝物を見つけた少年のような、やけに混じり気のない清廉なトーンだった。


「約束の日、実際に病室を訪れてみたら、そこで……なんていうのかな。その、こういう言い方をするのって、私、本当は吐き気がするくらい嫌いなんだけど……運命、みたいなものに、出会ったんだ」


 運命、か。あまりに陳腐な言葉だけれど、不思議と笑う気にはなれなかった。だって私の脳裏には、あの日見た、笑いながらポロポロと涙を流すカナの姿が浮かんでいたから。


「そいつはさ、私なんかとは比べ物にならないほど深刻なものを背負っていて、辛い思いも苦しい思いも沢山してきたはずなのに……私なんかじゃ、どう頑張ったって太刀打ちできないほど、前向きだった。私はいつしか、そんな彼女に憧れていて、魅入られていて、私みたいな何者にもなれないような、中途半端でどうしようもなく低俗な人間であっても、あいつと一緒にいれば何かが変わるんじゃないかって気がして……いつの間にか、あいつと共にすごすのが、好きになってた。気づけば私は、あいつの病室に毎日足を運ぶようになった。あいつと病室でゲームをしたり、下らないことで駄弁ったりするのが、好きだった。それが私にとっての青春ってやつだった。だけど……ま、いきなりこんな話されたんだから、結末の予想はついてたと思うけど、死んだんだよ。そいつは。私と出会ってから、一年後の春だった」


 人の死というこれ以上ないほど重苦しい事実を、瑞稀はやけに淡々と口にした。その口元には既に、どんな表情も浮かんでいない。まるで戦場に送り込まれた傭兵のような、目の前に横たわる現実だけを冷厳と見据える、ニヒリスティックな空疎さを思わせる顔つきだった。


 瑞稀は一度、胸中へと去来する様々な思いを排出させるかのように、ふっ、と短く息を吐く。その口元には、例のひねた大人じみた憎たらしい笑みが戻っていた。


「……さてと。長々と聞かせてしまって悪かったね、澪ちゃん。昔話はこれで終わり――」


「嘘ですね」突きつけるかのような物言いに、瑞稀さんが一瞬、嫌そうに顔をしかめた。


「その話には、まだ続きがあるはずです。いえ、どうせならはっきり言ってやりましょうか。瑞稀さんは、その亡くなった友人の霊魂に会いたくて回収者になった。違いますか?」


 私は冷徹な視線だけを運転席の瑞稀へと向けながら、無言のまま圧力をかける。


 ややあって、瑞稀は不機嫌さを隠そうともせずに、「君のような勘の良いガキはなんとやら、だよ」と嫌味ったらしい口振りで、でも観念したかのように僅かに唇を歪めながら白状した。


「ああ、そうだよ。澪の言う通り、私はその子の霊魂と再び巡り合うために回収者になったんだ。……あ、このことはカナには話さないでよ? あの子は純粋だからね。私が純然たる善意でこんなことをやっているのだと、疑いもせずに信じてる。……本当、人のことを何だと思ってるのかね。身近に夢を投影できる存在が、私しかいなかったのかな」


 全くだ、と私は思う。負けん気が強くて、自分の意志を曲げなくて、理想家じみた信条を持っているあのカナが憧れたというのだから、一体どれほど徳が高い人物なのかとおののいていたのに、その実情がこれとは。カナも見る目がないというか、なんというか。


「あ、そうだ。折角だから、年長者のよしみとして澪ちゃんに一つ忠告してあげるよ」


「いりません。瑞稀さんに説法を乞うくらいなら、その辺の猫から話を聞いたほうがマシです」


 冷然と突っぱねる私に対し瑞稀は苦笑しながら、まあそう言わずに、と切り返す。


「たとえ全く尊敬できない相手であっても、反面教師くらいにはなる。話半分でもいいから聞いておくていい。――大した意志も覚悟も精神強度もないくせして大事に首を突っ込むと、ろくな事にならない。これこそが、私のこれまでの人生を通じて得られた最大の教訓だ」


 瑞稀がミラー越しに私のことを一瞥してくる。何を言わんとしてるのかは、明らかだった。


「……要するに、私に霊魂回収をやめろって言いたいんですね、瑞稀さんは」


 瑞稀が無言のまま首肯する。指し示す意味そのものは変わらないのに、敢えて迂遠な言い回しを用いることで、何かあったときに言い逃れが利くようにする。汚い大人の常套手段だ。


「人生で最も大切なのは、引き際を見誤らないことだ。未練がましくズルズルと性に合わないことを続けていても、自分も他人も苦しいだけだ。リタイアするなら今のうちだと思うけど?」


 私は口を噤む。ここで毅然と、うるせぇ黙ってろ、と突っぱねることができるほど私は意志が強くはないし、自分に自信も持ってない。……認めたくはないけれど、この人と同じで。


 私が押し黙っているのを受けて、瑞稀は呆れたようにふん、と鼻を鳴らした。


「ま、それならそれでいいさ。好きにするといい。澪は、私とは違う人間なんだから」


「……違う? さっきまで散々同類扱いしておいて、今更手のひら返すんですか?」


 私が口走った憎まれ口に、だってそうだろう、とでも言いたげに、今この一瞬だけはやけに素直な、混じりけのない表情で、諭すように、羨ましがるかのように、いやに温かみを感じさせる声色で、瑞稀はこう言ったのだった。


「当たり前だろ? 私はもう大人だけど、君はまだ少女だからね。たとえ芥子粒ほどの些細なものであったとしても、希望という名の可能性は確かにそこに存在しているものなんだよ、澪」


 ……ああ。改めて実感する。私はやっぱり、この人が大嫌いだ。だって、最後の最後に心からの言葉なんていう呪いを投げかけてくるなんて、あまりにも度し難いじゃないか。

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