第20話 何なの、この胡散臭い女……。

 テーブルに勢いよく手をついて、唐突にカナが立ち上がった。え、急にどうしたの? 呆気に取られた私は、目をしばたたきながらカナを見つめる。でもカナの目線は、私には向いていなかった。店の外、通路を流れていく人影の中に真っ直ぐに向けられていた。


 私は怪訝に思いながらも、その視線の方向へと目を向ける。すると、ちょっとした芋洗い状態だった人の流れの真ん中に、ぽっかりと空洞ができていることに気がついた。


 その穴の中にいたのは、女の人だった。スラックスにワイシャツという、やり手のキャリアウーマンを思わせる服装。スラリと伸びた背丈は周囲の男性と遜色ないほど高く、さながらバレーか何かの選手のようだ。肩上でバッサリとカットされたショートボブは涼やかかつ爽やかで、彼女の醸す凛々しさに拍車をかける。そんな彼女の持つ一番の外見的な特徴は、左目につけられた黒い眼帯と、澄んだ紅の光を乱反射させる、綺羅びやかな紅玉のような右の瞳だった。


 あの人、色付きだ。ってことは、回収者か。モール内を歩く人々が女の人を意図的に避け、ヒソヒソと陰口を叩き合いながら、冷然とした一瞥を向けているのもそのせいだろう。回収者に対する差別を目の当たりにしてしまい、私はモヤモヤとした感情を抱かされる。


「――瑞稀さん」信じられない、とでも言いたげな表情で、ボソリとカナが呟いた。


 え? と私が聞き返すまもなく、カナは無我夢中でボックス席を飛び出した。私が当惑していると、カナは臆することなくその空洞の中へと突っ込んだ。周囲の人達のどよめきが増す。


 それを意にも介さず、カナはその女の人に――え、えぇ⁉ なんかカナ、あの人に抱きついてるんですけど……⁉ 待って待って、それ、どういうこと……⁉


 私が愕然としている間にも、カナとその女の人は感動の対面といった雰囲気の中、親しげに言葉を交わしている。私は益々、混乱のるつぼに叩き込まれた。心がどんどんと複雑な感情に塗り込められて、胃の中から苦々しい何かがせり上がってくるような錯覚をする。


 そして私の如何ともし難い不快感は、カナが明朗な笑みを湛えながら座席に戻ってきた辺りでピークに達した。


「――紹介するね。この人が前に話した、私の探してた人。死者の霊魂と対話する霊魂回収の仕方を教えてくれた、私の……憧れの人」


「どうも。私は柏葉瑞稀。瑞稀でいいよ、澪ちゃん」


 ……あぁん? 澪ちゃんだぁ? 私はキッと忌々しげな目つきで瑞稀とかいう人のことを睨めつけてやりたくなった。真澄さんのときは嫌でも何でもなかったのに、この人に軽々しくちゃん付けで呼ばれると途端に敵愾心が湧いてくるのだから、不思議だった。


「あ、はい。はじめまして。よろしくお願いします……瑞稀さん」


 本当はバカとかアホとかそんな接頭詞をつけて呼んでやりたかったけど、気の小さい私にそんなことができるわけがない。私はニマニマと安っぽい愛想笑いを浮かべつつ、馴れ馴れしくカナの隣に腰掛けている瑞稀に会釈する。……ああもう! 私ってばマジで情けない!


「それにしても、まさかこんなところでばったり出会えるなんて思えなかったなぁ! 私、今少し、いやかなり興奮してる! 本当、夢でも見てるみたい!」


「あはは。私も驚いたよ。実を言うと、こっちの方に何かがあるような漠然とした予感があって、ついさっき足を運んだところだったからさ。今朝、何故か左目が疼いたのも、カナとの運命的な邂逅を暗示してのことだったのかも知れないね」


 運命的な邂逅、ねぇ。なにそれ。気障ったらしい言い方しやがって。私はケッ! と内心で唾を吐きかける。こういう気取った物言いをする人って、嫌らしい感じがして好きじゃない。


「でも、どうして急に出奔しちゃったの? あの人は自主退職だって言ってたけど、絶対嘘でしょ? だって瑞稀さんが私に何も言わずに出ていくなんて、考えられないし……」


「んー……まあ、ちょっとね。色々と、上の方とトラブっちゃってさ。あながち、自主退職で間違ってないんだよ。でも、ごめんね。カナに何も言わずに出ていくことになっちゃって。ずと謝りたかったんだけど、なかなか機会がなくて」


「ううん、いいの。こうしてまた会えたんだし、私としては、それで充分だから」


 はぁ? 機会がない? 端から謝る気がなかった、の言い間違いじゃないの? というかカナも、なんでこんなあからさまな言い訳に喜んじゃってるわけ?


 私は顔を伏せながら、窺うような目つきで二人のやり取りをじっと観察する。吐き出されることのない不平不満が、どんどんと胸の中に堆積していき、私の胸中は悔しさやら苦しさやら苛立ちやらでグチャグチャに荒れていた。


「でも瑞稀さん、今までどこで何をしてたの? そもそも、寝泊まりはどうしてるの?」


「都内のホテルを転々としてるよ。それで今は、ちょっとした人探しならぬ霊魂探しを――」


「すみません。私、ちょっとお花積んできます」


 私は瑞稀の話を遮ることを厭わずに立ち上がる。カツカツと足音を響かせながらボックス席を後にして、トイレに入った。なんだか戻る気が起きなかったので、用を足した後もしばらくは便座の上でぼうっと時間を浪費していた。


 個室から出て、洗面台でじゃぶじゃぶと手を洗っていたときのこと。「フラれちゃったみたいだね」「うひゃ⁉」いきなりポシェットの中から声が聞こえてきて、私は腰を抜かしそうになる。


「そ、そうだった……! ずっと黙り込んでたからすっかり忘れてたけど、エアさんいたんだった……! ももも、もしかして、その……し、してるときの音とか、聞いて――」


「大丈夫だよ。ちゃんと目も耳も塞いでた。私にもそのくらいの良識はあるから、安心して」


 あまりの羞恥に顔面を真っ赤に染めて、メチャクチャ取り乱しながら問いただすと、エアさんははっきりとした物言いで言い切った。私はホッと胸を撫で下ろし、安堵のため息を大きく吐いた。するとエアさん、「あのさ」と少々剣呑な声音で話を切り出す。


「なんかあの瑞稀とかいうやつ、すっごい胡散臭くない? 私、ああいうの苦手なんだけど」


「あ、わかりますわかります! ちょっとチャラい感じしますよね。言葉の節々から嘘臭さが漂ってるっていうか、腹の底で何考えてるのかいまいち読めないっていうか……」


 凄まじいアウェー感を味わっていたところに同類が現れてくれたことで、消沈していた気分が一気に晴れた。溜め込んだ鬱憤を放出するかのように、瑞稀への愚痴をこぼしあう私達。


 ……うわぁ。自分で言うのも何だけど、今完全に陰湿な女子ムーヴしてるなぁ。


「というか、カナもカナでひどくないですか? 発案はエアさんとはいえ、一応は私とカナの二人で遊ぶっていう名目だったんですよ? それなのにあんなふうに、まるで見せつけてくるみたいに瑞稀さんに抱きつくとか……。ちょっとありえなくないですか?」


「あー、わかる。あれは流石にどうかと思った。テンション上がってるのはわかるけど、もう少し澪に配慮してあげてもいいよね。一人で来てるわけじゃないんだから」


「ですよね! そりゃ、瑞稀さんはカナがずっと探してた人なんだし、嬉しがるのは当然だと思うけど、あれじゃいくらなんでも私が惨めすぎるっていうか……!」


 思わず右の拳をグッと握りしめたところで、はたと正気を取り戻す。他の使用者がいないとは言え、トイレで何を熱くなっているんだ、私は。


「あ、ご、ごめんなさいエアさん。なんか私、変に興奮しちゃって……」


 私は上げかけていた腕を下ろして、恐縮して身を縮こまらせる。


「でもエアさんって、意外と聞き上手なんですね。愚痴なんだか泣き言なんだかわからない陰口にも、真摯に耳を傾けてくれて。ちょっとだけ気が楽になりました。ありがとうございます」


「……別に。私はあなたに優しくしたつもりなんかない。ただ、あの瑞稀って女のことが気に食わなかったから。それだけ」


 やや間があった後、エアさんが答える。先程までとは打って変わって、どこか冷然とした声だった。それで私は、冷水を浴びせられたような気分になる。


 エアさんはそれきり口を噤んで、再びただの空気状態に戻ってしまった。不自然なまでの落差に多少の不審さを感じながらも、私はそそくさとお手洗いを後にした。


「――あ、澪、ちょっと聞いて」座席に戻ると、カナは待ちくたびれたと言わんばかりに軽く身を乗り出しながら、食い気味に話しかけてきた。「瑞稀さん、今は例のタタリ事件の霊魂を追ってるらしいの。鴉場グループは否定してるけど、荒御魂の仕業に決まってるって言って」


「え? 追ってる? でも、もしあの事故が荒御魂のせいだとしても、追跡することは難しいんじゃないの? もう移動しちゃってるだろうし」


「うん、そのことなんだけどね。よかったら、澪ちゃんの協力を仰げないかな、と思って」


 瑞稀はテーブルの上に両肘をつき、顔の前で手を組みながら、私のことを真剣な眼差しで見据えてくる。どうやら真面目な話らしいので、瑞稀に対する個人的な反感は一旦堪えて、「どういうことですか」と先を促す。


「カナから話は聞いたよ。君のその右目、人工じゃない本物の霊視の魔眼なんだって?」


「え? あ、はい。そう、ですけど……」


 私は思わず、瑞稀の隣に座るカナへと目をやった。


 ――話したの? 私の魔眼のこと。私に、何の断りもなく。


 私は半ば愕然としながら、目線だけでカナにそう問いただす。でもカナは、嬉しげに口元を緩ませながら、まるで初恋の相手に目配せをする乙女のように瑞稀のことを見やるばかりで、私の無言の問いかけに気づきさえしなかった。


 私は膝の上で、両手をきつく握りしめる。下唇を噛みそうになったのは堪えた。リップが崩れてしまうのは嫌だったから。これ以上、カナに醜い私を見られるのは御免だった。


「澪ちゃんの魔眼は相当強力なんだってね。なら、もしかしたら荒御魂が足跡のように残した活性霊素の残滓を、視認することができるかも知れない。帝付病院から続いているであろう痕跡を辿っていけば、見つけ出して話を聞いてやることだって可能だと思う。これだけ時間が経っていれば余剰発生したエネルギーも尽きて、通常の霊魂と同じ状態に戻っているだろうからね。要は澪ちゃんには、ナビ代わりになってほしいんだ。頼めるかな?」


 赤色の瞳から向けられた刺すような眼差しは真剣そのもので、さっきまでのどこか軟派な印象は一瞬にして拭い去られた。キュッと唇を引き結び、身じろぎ一つせずに私のことを凝視してくる今の瑞稀には、対峙するものに有無を言わさぬ貫禄があり、私は一度、唾を飲む。


「いいよね、澪? エアさんの回収は余興みたいなものなんだし、折角なら協力してあげようよ。社会貢献にもなるしさ。丁度、夏休みで暇を持て余してたとこでもあるし」


 ふん。よくもまあ、それらしい建前をつらつらと。顔つきが明るくなるのを抑えきれていないカナのことを、私は内心、冷ややかな目で見やった。色々と御託を並べてはいるけど、結局はこの人にいいとこ見せたいだけなんでしょ?


「……ん、そうだね。わかりました。そのくらいでいいのなら、協力させてください」


 が、そんな心の内側での機微などおくびにも出さないで、私はこくりと首肯する。


「ありがとう、助かるよ。いやぁ、澪ちゃんは頼りになるなぁ。今度、夕食でも奢らせてよ。好きなもの、何でも食べさせてあげるからさ」


 瑞稀から息の詰まりそうなほどの真面目さが、一瞬にして消え失せた。それに伴い、さっきまでの飄々とした軽い口調と雰囲気が息を吹き返す。


「……いえ、結構です。私、貧乏舌なので。食べ物の味とか、よくわかりませんし」


 私がにべもなく断ると、瑞稀さんは「それは残念」とやけに大袈裟に肩を竦めた。意味ありげな視線を投げかけられて、私は彼女から顔を背けた。見透かされているみたいで気分が悪い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る