第6話 ゴスロリで味わう麦茶と羊羹は美味です。

 壁に寄りかかりながら三十分ほど時間を潰すと、ようやく目の前のドアがゆっくりと開いた。


「ごめんなさい。こんなところで待たせちゃって。その……とりあえず、上がって」


 真澄さんの顔からは、先程までの剣呑な雰囲気は完全に消え失せていた。こうして改めて面と向かうと、落ち着いた年上の女の人って印象が強かったけど、目元は赤く腫れていた。


 部屋に通された私とカナは、ラグの上に横並びになって腰を下ろした。冷えた麦茶が出されたので、軽く会釈をしてから一口飲む。落ち着く味だ。口内で冷気が解けていって気持ちいい。


「ごめん。この部屋、暑いよね。今、冷房つけるから」


 真澄さんはいそいそと窓を閉めると、エアコンの電源を入れた。冷えた空気が首筋を撫でていく感触が心地いい。暑さで危険ゾーンに入っていたHPが、一気に回復した気分だった。


「あのね、真澄。夏場なんだから、冷房はちゃんとつけないと熱中症になるよ? 電気代ケチってたら駄目だって。一人暮らしなんだし、倒れても誰も見つけてくれないんだよ?」


「わ、わかってるって。今日はたまたま、つけてなかっただけだから」


「えー、本当? 真澄、ゲームでもアイテムとかお金ケチるタイプだったじゃん。怪しいなぁ」


「ほ、本当だって……! そんな昔と一緒にしないでよ。そもそも、現実の話ですらないし」


 机上に置いた恵美さんと仲睦まじい姉妹らしい軽快なやり取りをしながら、むす、と唇を尖らせる真澄さん。その仕草には稚気があり、先程までとのギャップも相まって可愛らしい。


「あ、そうだ。二人共、ちょっと待ってて」


 腰を下ろしかけた真澄さんは何か思い出したかのような顔つきになると、足早に冷蔵庫の方に向かっていった。しばらくすると、切り分けた水羊羹を三人分持って戻ってきた。瑞々しくて弾力があり、見ているだけでも体感温度が一度ほど下がるお菓子だった。美味しそうだ。


「これ、お茶菓子。甘いの苦手じゃなかったら、どうぞ」


 すみません、と再度会釈してから、私とカナは羊羹に手を付ける。口に入れると舌先にあんこ特有の優しい甘さが広がる。まさに至福のひとときだった。私がもぐもぐと水羊羹を味わっていると、何故かカナが私のことをじっと見つめてきた。なに? と訊いてみると。


「いや、ゴスロリ少女が麦茶飲みながら羊羹食べてるな、と思っただけです」


「え? い、いいでしょ別に。ゴスロリ着たまま、古き良き日本風の夏を堪能しても……」


「あはは。なんにせよ、気に入ってくれたなら作った甲斐があったよ」


 へぇ。これ、手作りだったんだ。味がいいから、和菓子屋か何かで買ったものなのかと勘違いしていた。私が感心していると、ティッシュ箱に柄の部分を挟ませて無理やり立たせた手鏡の中から、恵美さんがやけに真剣な目つきで水羊羹を眺めているのに気がついた。


 もしかして、自分の分だけないのが不服なのだろうか。でも、恵美さんの分を用意したら、どこからどう見てもお供え物になっちゃうんだよなぁ。相手は霊魂なわけだし、それで間違ってないのかも知れないけれど。


「ねえ真澄。この水羊羹って、もしかして……」


「あ、気づいた? お姉ちゃんがたまに作ってくれてたのと、同じやつだよ。お母さんがレシピ知ってたから、それ聞いて覚えの」


「へぇ、お菓子なんて作るようになったんだね。昔は台所に立つことなんてなかったのに」


 感慨深げな顔つきで真澄さんのことを見やる恵美さん。どうやら、別にお供えしてほしかったわけではないらしい。妙な勘ぐりをしてしまったことを若干申し訳なく思う。


「ん、まあそりゃね。一人暮らししてるんだもん。このくらいはできないと」


 グサリ。今の発言は、一人暮らしのくせして出来合いの惣菜ばかり食べてる私に地味にぶっ刺さった。勝手に精神的ダメージを味わっていると、「そういえば」と恵美さんが話題を変える。


「真澄、まだ剣道は続けてるの? さっき、竹刀持ってたけど」


「あ、うん。一応ね。中学、高校とずっと剣道部で、サークルも剣道」


 その受け答えを聞いて、カナが「あれ?」と訝しげな顔になる。


「でも大震災当時、真澄さんはまだ小学生ですよね。恵美さんが剣道のことを知っているということは、霊素村に剣道の道場でもあって、そこで習ったりしていたんですか?」


 カナからの素朴な疑問に答えたのは真澄さんではなく、恵美さんだった。


「真澄が小学生の頃には私が教えてたんだよ。私、剣道部だったから。まあ半分遊びだったし、そこまで本格的なものじゃなかったけど。そうだ。練習で使ってた木刀って、まだ持ってるの?」


 すると、真澄さんが急に深刻な面持ちで押し黙る。どうしたのだろう、と怪訝に思っていると、「……ごめん。火事のときに、燃えちゃった」と決まりの悪そうな顔で歯切れ悪く答えた。


「っ、そっか。でもまあ、しょうがない! 形あるものはいつか壊れる、って言うしね!」


 恵美さんは取り繕ったような明る気な声で言う。でも真澄さんは、なおも沈鬱気味な表情のままだった。「……ごめん」と再び謝罪して目を伏せる。


「だから、別にいいって。ちゃんと本物の私が戻ってきたんだから、気にするなって。ね?」


 今の二人は、さながら不用意に物を壊してしまって悄然とする子供と、それを懸命に宥めようとする母親のようにも見えた。やけに重々しい真澄さんの反応を鑑みるに、二人にとっては相当な思い入れのある物品だったのだろう。


「――あの。それそろ、私の方から詳しい事情を説明させてもらってもいいですか? 今後の方針とかも決めないといけませんし」


 カナが会話を仕切り直したことで、場の雰囲気が元に戻った。私はそれに胸を撫で下ろしつつ、カナが整然と語りだした説明をぼんやりと聞き流す。協議した結果、真澄さんにはひとまず一週間、恵美さんと一緒に過ごしてもらうことになった。真澄さんとしても鏡に憑依した恵美さんと共に生活するのは満更でもないらしく、別段、紛糾することもなかった。


「あ。ごめん、私、そろそろ洗濯物取り込まないと。ちょっと失礼するね」


 すっかり夕日に染まりだした空を見て、矢庭に真澄さんが立ち上がった。玄関に出て、テキパキと洗濯物を取り込み始める。そんな真澄さんの姿を、私達はなんとはなしに見守った。


「洗濯物も、昔は私が取り込んでたのになぁ。というか部屋も、あの頃はあんなに汚かったのに、今は綺麗に片付いちゃってるし。……あれ。もしかして私、もう必要なかったりする?」


 鏡の中のセーラー服姿の恵美さんが、ボソリとこぼす。単なる独り言であることは明白だったので、私もカナも返答はしない。でも、覗き見た恵美さんの表情はどこか寂しげだった。


 真澄さんはこれから夕食の買い出しに行かなければならないということだったので、私達はそろそろお暇することにした。去り際、見送ってくれた真澄さんの胸に抱かれた恵美さんが呟いた、「買い物も、昔は私がやってたのに」という言葉が、不思議と耳の奥底で残響し続けた。

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